第218話 初デート(1)
私、フィオナ・ソレイユは紅炎の月13日、生まれて初めてのデートをすることになりました。
クロノさんに横恋慕の気持ちなどありませんが、デートのお誘いを断る理由もありません、これはあくまでお礼を受けるだけなのですから。
何やら用事があるらしい彼を見送った後、すぐに私は自室で空間魔法のかかった帽子をひっくり返して中身を改めます。
「ロクなものがない……」
私の所持品は冒険者として生活するのに必要なものが一通り揃っています、しかし、年頃の乙女が街でデートするに相応しい品が一つも見当たりません。
替えの衣服はどれも実用重視、魔法の防御効果は秘めていても、女性の魅力を引き立てる効果は何一つとして宿してはいません。
「これは拙いですね」
流石の私でも、クエストに向かう魔女ローブでデートするほど野暮な女ではありません、やるからには相応しい格好をするべきという常識くらい持っています。
しかし、その‘相応しい格好’なるものが具体的にどういうものか、色恋沙汰は傍から見ているだけだった私に分かるはずもありません。
「悩んでいても始まりませんね」
幸運にも、待ち合わせの正午までにはまだ何時間かの余裕がある。
それにお金もあれば、女性を美しく着飾る衣服に装飾品を販売する店舗も、このスパーダならばいくらでもあるはず。
ならば話は簡単、正午までにデートの準備を整えれば良いだけ。
そう結論付けると同時に、私は部屋を飛び出した。
「すみませんリリィさん、と、一応は謝っておきます」
聞こえるはずも無いが、隣の部屋で眠っているリリィさんへそんな言葉を投げかける。
今回の事はデートではありますが、決してクロノさんとどうこうなるという話ではありませんし、私も不純な気持ちなんてないですよ、本当です、嘘じゃありません、信じてください。
リリィさんを差し置いて、という少しばかりの罪悪感と、初デートに高まる期待を胸に、私はその場を足早に去った。
少なくない出費を経て、私はデートクエストを完璧に遂行するに相応しい装備を手に入れることが出来ました。
私の体を包むのは暗黒の魔女ローブと対極の色合いである純白のブラウス。
美しさと防御力が両立する天獄蚕製が良かったのですが、流石に下層区域の店では普通の絹が最高級品でした、仕方ありません。
ベルトを通したプリーツスカートは、私の髪の色に合わせて淡い水色のものを選んだ、恐らく似合っているはず、店員さんも褒めてくれましたし。
膝から下には、いつもの黒いロングブーツでは無く、白のハイソックスとローファー。
全体を見ると、何だか学校の制服のようにも思えますが、下手に奇抜なファッションで勝負するよりも、私のような恋愛ランク1の素人は無難に固めるのが吉のはず、これも店員さんの受け売りです。
それに男の人は制服が大好きなのだ、という話を在学中に聞いた事があります、きっとクロノさんも私の制服風姿に劣情を催すことしきりでしょう。
そうであることを願いながら、私は待ち合わせ場所である広場のオベリスク前に立っています。
夜は閑散とする広場ですが、日中である今はスパーダの大都市ぶりを見せ付けるかのように多くの人々が行き交っている。
私はその人の流れを注視しながら、黒いローブ姿の男性を見かけるたびにドキリとしてしまいます。
心なしか顔が熱いです、きっとこの晴れ渡った青空の下で帽子をつけていないからでしょう。
流石に今の格好にあの三角帽子を被るわけにはいきません、折角のコーディネイトが台無しです。
あの帽子が無いので、必要な荷物は別の空間魔法を施した肩掛け鞄に移してある。
飾り気の無い小さめの黒い鞄は、今の私が持っていてもそれほど違和感を与えるものではないでしょう。
「少し、早く来過ぎたかもしれませんね……」
頭上を見上げれば、太陽は未だ南中には至っておらず、正午の時刻を知らせる鐘の音がスパーダの街に響くまで一時間近くは余裕があるのではと思えるほど。
合理的に考えれば、木陰の涼しそうなベンチに座って屋台で売っている果実を食べながら時間を潰せば良いのでしょうが、何故かこの待ち合わせ場所から私の足は動いてくれません、まるで石化の呪いにでもかかってしまったかのように。
いえ、悪いのは足では無く、どうにもこの場所から一歩も動きたくないと考える自分の頭ですね。
それも分かっていながら、私にはどうしてもクロノさんを待つべくここから動く気にはなれません。
流れ行く雲をぼんやりと眺めながら、無心に――いえ、今日これからの事を色々と考えながら、じっと立ったまま待ち続ける。
そうして何十分が経過しただろう、不意に、私の前を通りすぎるだけだった人の波から二つの人影がこちらへ向かってきました。
二人とも男性、その外見はスパーダでは、特にこの辺では見慣れた王立スパーダ神学校の制服姿、それだけでなく赤いマントをしているという事は、クロノさんが言っていた幹部候補生とやらでしょう。
「やぁ君、こんにちは、あまりこの辺じゃ見かけない顔だけど、もしかしてスパーダは始めて?」
と、にこやかに、かつ馴れ馴れしく話しかけてきた金髪の男子生徒が私の前に立ち塞がります。
両者ともクロノさんほどではありませんがそこそこ上背があり、その体格からいって重量のある大剣を振るうこともできるパワーもあるでしょう。
鼻筋の通ったそれなりにハンサムな顔つきの二人は笑みを浮かべていますが、普通の女性からすれば頭一つ分大きい彼らに立たれては、少しばかり怯えさせるだけの威圧感がある。
もっとも、巨大モンスターと相対するのが日常の冒険者からすればなんて事はありませんが。
ついでに、顔はクロノさんの方が断然カッコいいですね、前に立たれた時の威圧感も半端ではありませんが。
「いえ」
二人の姿をそれとなく観察しながら、先の問いかけに一言だけで答える。
これは紛れも無くナンパというヤツでしょう。
エリシオン魔法学院の生徒には私に話しかける者は‘とある一件’により皆無でしたが、街に出れば声をかけられる事は何度かありました。
無論、魔女である私にはどれほど顔が良くても男になど欠片も興味はありません、お誘いは全て丁重にお断りするか、お尻に火をつけて退散願う、淑女的な対応でやり過ごしてきました。
そんなワケで、私には彼らのお誘いに乗る気など毛頭ありませんし、むしろこれからクロノさんとデートという人生での一大イベントが控えているのですから、温厚な私でも怒りのボルテージが鰻登ってしまいます。
「そっか、あ、それじゃひょっとして貴族のお嬢様がお忍びでコッチに遊びに来たとか? その辺の娘じゃありえないくらい可愛いし、気品もあるっつーか、ね、どう、当たりでしょ?」
最初に話しかけてきた金髪の生徒が、何とも愉快な勘違いをした戯言を吐く。
「良かったら案内するよ、ほら、俺ら見ての通り神学生だからさ、この辺は詳しいんだ」
そして、もう一人の緑の髪色をした生徒が、お願いしてもいないのに勝手なことを言い出す。
「いえ、結構ですので、早く消えてくれませんか」
素直な私は隠す事無く心で思ったままの言葉を放つ。
少しばかり棘のある言い方になっているのは、それだけ腹立たしく思っているからに他なりません。
「あーごめんね、そんな警戒しないでよ、とりあえず自己紹介でもしとこうか、俺は――」
しかしながら、どうにもこの生徒は人の言葉も気持ちも解さないモンスター並みの知能しかないようです。
どうして分かってくれないのでしょう、私が待ち焦がれているのはクロノさんであって貴方では無いのですよ。
「――そうそう、名前聞いたら分かると思うけど、俺もコイツも貴族だからさ、君がお嬢様でも釣り合いとれるぜ」
「っつーか名乗らなくても、赤マント見りゃ分かるだろ」
そんなやり取りをして声を上げて笑う二人組み、恐ろしく耳障りですね。
「ま、こんな所で立ち話ってのもなんだし、ちょっとそこの――」
と、私の肩でも抱こうというのか、無遠慮に金髪の男の手が伸ばされた。
男の人の手、クロノさん以外の男の手、ああ、何て、
「汚らわしい、触らないでもらえますか」
腰からサーベルを抜刀する騎士のように、鞄から『カスタム・ファイアーボール』を取り出した私は、そのおぞましい男の手を打ち据える。
魔力を篭めて炎を吹き出さなかった自分を、よく我慢したと褒めてやりたい気分ですね。
「痛って――おいおい、その反応はちょっと無いんじゃないの?」
「あーあ、やっちまったなお嬢さん、貴族に手を挙げるなんて、下手すりゃ処刑だぜ?」
チンピラのように怒鳴りこそしないものの、二人の言葉には多分に怒りの感情が宿っている。
下手すりゃ処刑、そんな陳腐な脅し文句を言うあたり、彼らの下衆な思惑もすでにして透けてみえるというものです。
「まぁ、素直に非を認めてくれるっていうならこっちも大事にはしねぇよ、なに、ちょっと‘一晩くらい’謝ってくれればそれでいいけど?」
どうやら自分の立場が分かってないようですね、スパーダ貴族だか何だか知りませんけど、私は流れの冒険者、逃げようと思えば何処へでも逃げられます。
それに、この場で実力行使に出るとしても、その腰から下げている立派な『聖銀細剣』を抜く前に、すでに短杖を手にする私が二人を火達磨にするほうが早い。
「こちらこそ、今すぐ消え失せてくれるなら、見逃してあげますよ」
「あ、そう、そういう態度に出るっていうならこっちも――」
俄かに剣呑な雰囲気をかもし出す二人組み、ですが、もう面倒くさいですね、とりあえず顔面に一発ぶち込めば大人しくしてくれるでしょう。
そう判断し、短杖へ魔力を流そうとした、その時、
「おい、その辺にしといたらどうだ?」
ふいにかけられたその声に反応し、視線をそちらへチラリと向ける。
そこに立っているのは、見習い魔術士の黒ローブを纏った一人の男。
クロノさん――と、頭が判断しようとするが、即座に否決される。
身長がそこまで高くない、このナンパ貴族と同じくらい、そして体格もスラリとした細身で、すぐにクロノさんと別人であると判別がつく、そもそも声が違う。
誰? この人。
2012年 3月9日
電撃大賞に応募する作品がようやく書きあがりました。見直しを経て、来週には応募に出そうかと思います。
これでようやく『黒の魔王』の執筆を再開できますが、更新ペースを戻すのは予告通り来月までお待ち下さい。頑張って書き溜めを作るので(苦笑)