第208話 第四研究所の来訪者
首都ダイダロスより10キロほど離れた地点に存在するランク4ダンジョン『メディア遺跡』は、今や鎧冑の冒険者よりも白衣の研究者で賑わっている。
なぜなら『白の秘蹟』が開設した『第四研究所』が本格的な活動を開始したからだ。
広大な地下空間の最深部にはランク4の危険なモンスターが生息しているが、研究所として利用されている区画はダンジョンの浅い部分にあるため、ある程度の警備を敷いておくだけで安全は確保されている。
余談だが、最初は十字軍兵士が警備を担当していたが、現在ではダイダロスの冒険者が請け負っていた。
サリエル直々に冒険者ギルドの早期開設を求めた為、短期間の内に共和国の冒険者達が活動できる環境が整ったのである。
それはともかくとして、ダンジョンの中であるにも関わらず、ここでは日夜研究が続けられている。
特に『白の秘蹟』の創設者であり、第四研究所の所長を務めるジュダス司教は多忙を極めていた。
紅炎の月12日、この日も昨日と同じように遺跡に設置された古代の魔法装置の解析を行うはずであったが、突然の来訪者によってそれは中断されることとなる。
「忙しいところ、済まないな」
「教皇聖下直々の使者となれば、無碍に追い返す事はできん」
訪れたのは、白銀の髪に、昼夜を表すような青と黒のオッドアイ、歴戦の騎士の如く引き締まった逞しい肉体を使者の礼装で包んだ男の姿。
対するジュダスも、見た目通りの老人とは思えないほど鍛え上げられた巨躯を誇っており、一国の王であるような威厳すら纏っている。
そんな二人が存在しているだけで、この急造で設けられた来客用の簡素な一室も、途端に玉座の間であるかのような荘厳さが漂うのだった。
「まさか、本当に視察ということではあるまい、要件を聞こう、第二使徒アベル卿」
そしてジュダスは、己の前に座る男が、身分を偽装した‘勇者’であることを知っていた。
「騎馬が欲しい、飛べるヤツを頼む」
アベルは、自分の正体がバレてしまっていることに驚くこともなく、また口止めを頼むこともなく、ただ己の望みを口にする。
他の使徒を前にする時と比べ、少しばかり砕けた口調だが、ジュダスという男に対しては、余計な前置きなどせず率直に物を言うのが一番手っ取り早いということを知っているからこそであった。
「ふむ……聖獣を連れてくるわけにもいかんか、なるほど」
アベルの一言で、凡その事情をジュダスは察した。
第二使徒は伊達に『白の勇者』などと呼ばれているわけではない、勇者ならばそれに相応しい騎馬を保有している。
だが、教皇直々の使者と身分を偽ってパンドラ大陸へ来訪しているのだから、勇者の象徴の一つである『聖獣』を堂々と乗り回すわけにはいかないのだ。
「対価は言い値で用意する」
「よかろう、好きなものを連れてゆくがよい」
交渉はすぐに成立した。
相手は第二使徒アベル、社会的にこれ以上信用のおける相手もいない、回りくどい駆け引きは無意味である。
「見せてくれ」
ジュダスは無言で応える。
差し出された大きな手のひらの上には、一体いつ取り出したのか、あるいは呼び出したのか、一匹の蜘蛛が乗っていた。
全長5センチほどで足の長い蜘蛛、だがその全身は水晶のように透き通っており、一見すれば精巧な宝石細工のようだ。
それが視覚情報を非常に高い精度で記録できる最高級の使い魔であることは、それなりに魔法に詳しい者ならすぐ察することが出来る。
ただし、ジュダスのソレは独自の改良が加えられており、従来品よりも遥かに高性能であるということまでは、彼に近しい者にしか分からないだろう。
アベルは水晶の蜘蛛を受け取ると、その左右色違いの瞳を閉じて、意識を集中させた。
そのまま5分ほど沈黙が室内を支配する。
お互いはそのまま石像にでもなったかのように微動だにしない。
かすかに聞こえてくる呼吸の音だけが、二人が生きた人間であることを示していた。
「黒竜の13号を貰う」
唐突にアベルが口を開いた。
「高くつくぞ」
「構わない、遠くへ行くにはコイツが必要だ」
ジュダスの答えは肯定に決まっている。
この『黒竜の13号』がダイダロスで捕らえた竜王ガーヴィナルの子息の‘一匹’であり、現時点で第四研究所が所有する実験素材の中で最高級のものであってもだ。
黒竜素材の有用性は、実験体49番の創造によって証明されている。
現時点で49番を超える力を持つ実験体は未だにおらず、さらにキプロス隊の報告によって、当時の予測性能を遥かに越える成長を見せていることも判明している。
もう一度、同じスペックの実験体を生み出すことが出来れば白き神の加護‘無し’で使徒に匹敵する最強の神兵として仕上げることが出来る、ジュダスはそう考えていた。
だが、それは今すぐでなくとも良い。
第二使徒アベルが黒竜を必要だと言うのであれば、それを譲るに否やは無い、十分な見返りも期待できる。
故に、ここで言うべきは否定の言葉ではない、必要なのは説明だけだ。
「黒竜の13号は未だ処置が完了できておらん、自分の手で飼いならす必要がある」
「そうか、では今から躾けるとしよう、場所はあるか?」
「機動実験用のホールは先日完成したばかりなのだ、あまり派手に壊さないで欲しいものだな」
僅かな笑みを浮かべて、アベルは応えた。
「善処する」
その日、ジュダス以外には非公開の極秘機動実験の結果、完成したばかりのホールは半壊するに至り、再び工事中の看板が立てられることとなった。