第204話 『紅水晶球(クイーン・ベリル)』の代価
ラースプンの燃え盛る鉄拳が岩の大盾ごと粉砕し、フィオナの体を彼方へと吹き飛ばす。
リリィは、宙を舞うフィオナの体をクロノが受け止めたのを視界の端で確認した。
その美味しい状況に今すぐ文句の一つでもつけたくなるが、それを目の前に立ちはだかる真紅のモンスターは許さない。
彼女の宝玉のようなエメラルドの瞳と、呪われたアイテムのように禍々しい赤と黒の瞳が交差する。
再びターゲットが自分へ戻ってきたと、リリィはただそれだけで理解した。
「だあっ!!」
放つのは爆発力重視の光球、連続的な爆音を響かせて次々とモンスターの巨体にヒットするが、その歩みが鈍ることは無い。
光と音の洪水を潜り抜け、怒りに燃えるラースプンは両腕を突き出しリリィに迫る。
すんでのところで空中に回避。
天馬騎士を翻弄するほどに空を自由自在に飛べるリリィだが、至近距離で攻撃を当てなければ僅かほどもラースプンの動きを止めることすら出来ないため、空中機動のアドバンテージは著しく低い。
それでも、両足で地を駆けることしか出来ないクロノに比べれば、いざとなれば空中へ逃げることの出来るリリィはかなりマシな方だろう。
だがしかし、その有利を得られるのも僅かな時間しか残されていない。
(拙い、もう限界時間を超える……)
現在のリリィは『紅水晶球』の魔力を引き出して本来の姿を取り戻している。
実は『生命吸収』を刻んだ竜皮紙の巻物が残っているのだが、それを行使する僅かな隙をこのモンスターが許してくれることは無い。
故に、任意で発動可能な『紅水晶球』を使うしか、この場において本来の姿に戻る方法は無いのだ。
そして、『紅水晶球』による能力発動も限界が近づいてくるのをリリィはその身で持って理解している。
効果時間は30分、とクロノには説明してあるが、効果を持続させるだけならもう少し伸ばすことも可能だ。
つまり、きっかり30分で効果を喪失し、強制的に子供の姿に戻されるわけではない。
30分前後の時間が過ぎると、『紅水晶球』から流れ込む魔力に肉体が耐えられなくなり、疲労感に似た症状が出始める。
『紅水晶球』の行使は、いわば自分が持てる最大限のペースで走り続けているような感覚に近い。
ある程度の時間なら問題ないが、一定時間を過ぎると負担がかかりすぎる。
「はっ……はっ……」
宙を飛び回り、ラースプンの攻撃を掻い潜りながらレーザーや光球を喰らわせるリリィの息が上がってきたのは、つまりそういう理由による。
(ダメ、まだ子供に戻るわけにはいかない)
肉体の負担が増大してくるのをはっきり感じ取りながらも、リリィは『紅水晶球』の行使を続ける。
この強力なモンスター相手に子供状態で挑むのは危険すぎる、出来るならば確実に攻撃を回避することが出来る今の内に戦闘を終わらせたい。
(何か手があるの、クロノ――)
見れば、クロノとフィオナは即座に戦線復帰せず、二人の姿を覆い隠すように岩の壁が出現している。
これだけ見れば、仲間の一人を犠牲に逃走を図ったと思える状況だ。
メンバーを見捨てるなど、冒険者稼業ではよくある話。
普段は仲良くしていても、生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれれば、人と言うのはあっさり裏切るものである。
だからこそ、土壇場でも互いを信じて協力しあい、最後の最後まで全力で戦いぬける者たちこそが一流の冒険者パーティと呼ばれるようになるのだ。
そしてそれは、ランクは未だ2であるものの、自分たちも同じであるとリリィは信じている。
生まれてから30年以上の間、誰かを信じることなど一度も無かったリリィだが、今は全幅の信頼というものをクロノに寄せている。
ついでに、打算的にメンバーに引き入れたフィオナのことも、実は少しだけ信頼しているのだった。
(けど、何か仕掛けるなら早くして、私一人じゃ、もうもたない――)
加速度的に肉体を支配し始める魔力の負担。
先の見えない暗闇を延々と走り続けている時に感じるような疲労感が、リリィの小さな体に重く圧し掛かってくる。
「はっ……はぁ……」
それは、一瞬、本当に僅かだが、確かな隙を生んだ。
「――くあっ!?」
まるで瞬間移動でもしたかのような、超高速で踏み込んできたラースプンの動きに、息の上がったリリィは対処できない。
気づいた時にはもう遅い、緑に輝く妖精結界ごと、巨大な二つの手のひらで掴まれてしまっていた。
「くっ、離せっ!」
普通なら妖精結界に触れた敵は、光の高熱によって焼き尽くされる。
だが、この凄まじい炎熱耐性を誇るラースプンには、手のひらの薄皮一枚を焦がすことも出来ない。
高熱のダメージを負わないのをいいことに、ラースプンは力任せにリリィの身を守る結界を押しつぶそうと両腕に尋常じゃない力が篭められる。
「ぐ、あっ――」
ミシミシと音が聞こえそうなほど強烈な圧迫が加えられ、妖精結界が激しく明滅する。
「――『光刃』!」
遠距離攻撃型のリリィにとってあまり出番の無い近接攻撃に特化した『光刃』を発動するしかこの状態では反撃手段が残っていない。
多少頑丈な程度の相手であれば、二本の光の刃がその高熱でもってバラバラに焼き切ることを可能にする。
だがしかし、やはりラースプンとの相性は最悪。
結界を掴む手のひらの下から直接『光刃』を叩きつけるが、噴出す水流を押さえつけるかのように光の粒子が指の間から漏れゆくだけで、その手を、指を、切り裂くには至らない。
(ダメ、逃げられないっ!)
全力で展開する妖精結界だが、光の防御を押し退けて、僅かだが、確かに敵の侵攻を許す。
内から外へ向かって猛烈に光の原色魔力を噴射して押し返そうとするが、結界を突き破ってラースプンの右手の指先が少しずつリリィの体へと近づいてゆく。
そして、ついにその凶悪な指先はリリィの身へと到達する。
「あっ――」
妖精のトレードマークと呼べる虹色に輝く2対の羽、その大きい上側の羽の先端を掴まれる。
次の瞬間、指先は力ずくで強引に羽先を引き裂き始めた。
捕らえた蝶の羽を毟る子供のように、残酷に、一切の容赦なく、その美しく光り輝く羽が引き千切られる。
「ぎゃぁあああああああああああああああ!!」
無情にも、掴まれた左上羽はあっさりと半ばから千切りとられる。
その生きながらにして身体の一部を毟られる強烈な痛みとおぞましい感覚に、リリィは絶世とつくほどの美貌を歪めて泣き叫ぶ。
だが、それでもリリィは妖精結界を維持し続け、その身を守り続ける。
涙を浮かべながらも、歯を食いしばり、この先何秒持つか分からなくとも最期の瞬間まで諦めない。
(クロノが、助けてくれるっ)
なぜなら、彼女は信じているから。
(クロノは絶対、私を助けてくれるっ!)
そして、リリィが信じるのは、救いの手を差し伸べることのない非情な神では無い。
共に生き、共に戦った、唯一無二の相棒、最愛の人。
だからこそ、
「リリィを離しやがれぇえええええええええええええ!!」
彼女は救われる。
他でもない、人の手によって。
(ほらね、やっぱりクロノは来てくれた)
今日は二話連続でお送りします