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黒の魔王  作者: 菱影代理
第13章:紅き憤怒の咆哮
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第203話 生贄の乙女

 真紅の巨躯に、その動きを止めんと無数の黒い触手が絡みつく。

 だが、モンスターにとってその程度の拘束は無いも同然、非力な人間の力で止められるはずもない。

「リリィ!」

 次々に触手を破られながら、クロノが最も長い付き合いの相棒の名を呼ぶ。

 返事は無い、代わりに返って来るのは無数の白い光の球。

 ラースプンの巨体に殺到するリリィの攻撃は、すぐ近くで『影触手アンカーハンド』を行使するクロノすらその激しい爆風に巻き込む。

 まして着弾点である赤い肉体で発生する爆発力と衝撃は相当のもの。

 だが、それでも生身でありながら鋼の防御力を発揮するラースプンにダメージはほとんど通らない、その金属質の巨躯を少しばかり揺するだけに留まる。

 クロノとリリィが協力して、ようやく僅かに行動を止めるに至る。

 それでも、今はこれでいい、一瞬でも動きを止めることができるだけでいいのだ。

(やれ、フィオナ)

 クロノの心の中の呼びかけが聞こえているかのように、

「تجميد المجمد رمي الرمح الجليد عصا حادة――」

 フィオナの詠唱はジャストのタイミングで終えた。

「――『氷結槍アイズ・クリスサギタ』」

 完成した氷の中級攻撃魔法、だが、フィオナが本気で行使すればその威力は上級に届く。

 彼女の愛杖である『アインズ・ブルーム』を一振りすれば、触れる物全てを凍らせる冷気を纏う長大な氷の槍が撃ち出される。

 その矛先は無論、クロノの拘束とリリィの爆撃によって身動きを止めたラースプン。

 全高6メートル、全長に至っては10メートルもある巨大な的、外すわけがない、いや、例え相手が人型であってもフィオナが狙いを外すことは無かっただろう。

 そうして、寸分の狂い無くターゲットに向かう氷の槍、その穂先が真紅の巨躯に到達しようという瞬間、右手の宝玉が激しく明滅した。

「ぐぁああああ!」

 吹き荒ぶ冷気と熱気は僅か数メートルの距離に立つクロノを容赦なく襲う。

 冷たいやら熱いやら、二つの対極の痛みを感じつつ、炸裂した「『氷結槍アイズ・クリスサギタ』」の余波を受けて二転三転しながら吹き飛ぶ。

 両手両足を獣のように地に着けながらふんばり体勢を立て直し、すぐに視線を相手へ向けなおす。

 そこには、濛々と立ちこめる白煙のような水蒸気の靄に包まれて、先と変わらずに赤い巨体で立つラースプンの堂々たる姿があった。

「くそ、これもダメか……」




 吹き荒ぶ嵐のような攻防が続く中、ハンマーのような拳をついに避け損なう。

 クリティカルヒットしなかっただけマシ、とはちょっと思えないほどの衝撃で吹き飛ばされる。

 風に翻弄される木の葉のように宙を舞う俺の体は、空き地を抜けて森の木々にぶち当たってようやく止まった。

「う、ぐ……痛って……」

 飛び掛けた意識をどうにか繋ぎとめる。

 凄い勢いで大木の幹に背中から衝突したのだ、普通の人間だったら背骨がバッキリいってるだろう。

 頑丈な肉体のお陰で、即死することも半身不随になることもなく、再び立ち上がることができるがダメージはゼロではない。

 ちらつく視界と震える両足、これくらいはまだ気合でどうにかなる。

 問題なのは俺の体力よりも、現在の戦況だ。

「万事休す、とはこのことか……」

 ラースプンがメタル化してから、すぐに作戦を変更した。

 俺の刃ではダメージを与えられないことは明白、ならば別の攻撃手段をとるしかない。

 攻撃の要はフィオナ、光と闇以外は全ての原色魔力を扱える、今のところ最も‘エレメントマスター’に近い魔女。

 ヤツが炎熱、打撃、斬撃、に対して高い耐性を有している以上は、もう別の属性で責めるしか手は残されてない。

 敵の動きを止めるため、前衛には俺だけでなくリリィも投入、二人で連携して何度か攻撃のチャンスを作ってきた。

 しかし、頼みの綱である、弱点属性の可能性が最も高い氷の攻撃魔法も通用しなかったことで、作戦の失敗は決定的となった。

 モンスターもランク5ともなれば、上級の威力でも効かないってことか、全く、地力の差が激しすぎる。

「くそっ、これ以上どうしろってんだ」

 取り出した回復系ポーションを一気に飲み干し、再び両足に力を篭める。

 前衛である俺がいなくなれば、リリィとフィオナが危ない、策など無くても行かねばならない。

 ラースプンの能力から見て、逃走も許してはくれないだろう、恐らく村まで逃げ込んだとしても追いかけてくるに違い無い。

 ならば、どうしてもこの場で倒すより他に無い、だがその方法が無い。

 それでも、いつまでも場外でのんびりしてるわけにはいかない、打開策は戦いながら考えればいい。

 まだ体力は持つ、魔力もある、何か方法があるはずだ。

 必死で頭を回しつつ、刃こぼれしかけた『呪怨鉈「腹裂」』を手に、俺は再び戦場へ舞い戻る。

「『魔弾バレットアーツ』!」

 見れば、ラースプンは蝶々を追いかけるが如くリリィに襲い掛かっていた。

 弾丸が通じないなど百も承知、だが注意を引く事くらいはできる――はずなのだが、全くこっちを向こうとしない。

 いや、追いかけているはずのリリィすら、ヤツは見ていない。

「拙いっ!」

 ヤツの狙いを直感的に察する。

 俺の方には向かない、リリィは捕まらない、ならば、距離はあるがほとんど動くことが無いフィオナ、間違いない、アイツはこの瞬間にターゲットを彼女に絞った。

 せめて『影触手アンカーハンド』が届く距離に俺がいられれば、リリィの援護射撃と共にラースプンの動きを阻止できただろう。

 だが、この距離はどうにも間に合いそうに無い!

「逃げろフィオナ!」

 叫ぶと同時に、ラースプンもフィオナも動く。

 彼女はこれまでソロで冒険者活動をしてきた実績がある、前衛がいなければどうにもならないステレオタイプな魔術士とは一線を画す能力を誇っている。

 迫る相手から逃れる為に速度強化の武技『疾駆エア・ウォーカー』を熟練の剣士のように行使するのだ。

 しかし、今回ばかりは相手が悪い、ラースプンの移動速度は武技をもってしても振り切れるモノでは無い。

 俺とリリィが弾丸とレーザーを必死に浴びせかけるが、ラースプンはその巨躯が霞むほどの勢いで猛然とフィオナへと迫った。

 1秒ごとに確実に距離はつまり、ついにあの灼熱の右腕が届く間合いにまで詰め寄っている。

 火炎を纏い振りかぶるモンスターの豪腕と、長杖を振り上げる魔女の細腕。

 地にクレーターを穿つ威力の鉄拳が到達するギリギリのところで、フィオナの防御魔法は発動した。

 両者の間に形成される岩の大盾、ミノタウスル・ゾンビを難なく幽閉したその強固な岩壁はしかし、ラースプンの拳には耐えられない。

 弾ける岩石の破片と同時に、フィオナの体も衝撃で吹き飛んでゆく。

「フィオナっ!」

 幸いにも、飛んでくる方向は俺と同じ側にある、これなら受け止めることができる。

 全力で駆けぬけて、宙を舞うフィオナに向かう――あと少し、届けっ!

 衝突の威力を相殺し、無事に彼女の体を抱きとめることに成功する。

 ギリギリだった、もし間に合わなかったら、さっきの俺と同じように森の木々へ激突するところだった。

「しっかりしろ、大丈夫か!」

「ん……大丈夫、です」

 良かった、体は無事なようだし意識もハッキリしてる。

「行くぞ、ゆっくりしてるとリリィがヤバい」

 見れば、ラースプンは背後からレーザーを浴びせかけるリリィを再びターゲットにし、またしても追いかけっこを始めている。

 空を飛べるリリィが簡単に捕まることはないだろうが、もうすぐ30分を過ぎる、いつ幼女状態に戻ってもおかしくない。

 三人揃っていれば、メインで攻撃を担当しないために幼女リリィでも足止めの役の前衛は引き続き果たせるだろうが、一対一の状況に一瞬でもなってしまえば、あっさり捕まる可能性が高い。

 幼女リリィは空を飛べないのだから。

「待ってください」

 戦線復帰しようと一歩を踏み出した瞬間、フィオナがボロボロになったローブの裾をつかんで俺の動きを止めた。

「なんだ?」

「倒す方法を思いつきました」

 いつもと変わらぬ表情で「お腹が空きました」と言い放つような何気ない口調で、そうフィオナは口にした。

「本当か!?」

 はい、と肯定。

 当然か、この土壇場で嘘なんてつけるはずがない。

「どうすればいい?」

「私を斬って下さい」

「は?」

 意味が分からなかった。

 それはもう全く、これっぽっちも。

 これまでフィオナの天然気味な発言には色々と振り回されてきた気がするが、今回ばかりは冗談としても笑えない。

 だが、しかし、いくらフィオナでも伊達や酔狂でこんなことを言い出すとは思えない。

「どういう、意味だ?」

 すぐに答えは返ってこない、代わりに、

「صخرة على نطاق واسع لمنع الجدار――『岩石防壁テラ・ウォルデファン』」

 防御魔法を発動、大きな岩の壁が俺たちを覆い隠すように出現する。

「そのままの意味です、クロノさんの鉈で、私を斬ってください――」

 そこで言葉を区切ると、フィオナはその場で、つまり俺の目の前で、魔女のトレードマークである漆黒のローブを脱ぎ捨てた。

 止める間もない、一瞬の出来事だった。

 命を賭けた死闘の真っ最中、突如として露わになる乙女の白い柔肌に、一瞬、俺は夢でも見ているのでは無いかと錯覚する。

 それほど現実感の無い光景、だが、ローブを脱ぎ捨て下着のみになったフィオナの姿に、恐ろしく背徳的な美しさを感じる。

 魔女は下着まで黒なんだな、なんて馬鹿な感想が浮かぶ。

「――そうすれば‘進化’するはずです」

 その言葉で、彼女の言わんとしている事が全て理解できた。

 同時に、ぶっ飛びかけた理性も無事に頭の中に舞い戻ってきてくれる。

「『呪怨鉈「腹裂」』を、フィオナの血を吸わせて進化させる……そういうことか」

「はい」

 今の『呪怨鉈「腹裂」』では、あのメタル化した赤い毛皮には僅かに傷をつけることしか出来ない。

 だが、ここでさらに一段階進化を遂げて威力が上がれば、確かにあの防御を切り裂くことが出来るかもしれない。

「けど――」

「ギリギリ死なない程度に手加減して斬ってください」

 そういう問題じゃない。

「いや、そもそも、本当に進化するのか?」

 アルザスの戦い以後、その兆候はある。

 だが、ここ最近の冒険者生活を通じて、それなりの数のモンスターを屠って血を吸わせてきたが、未だ進化するに至らない。

 それを、こう言っちゃ悪いが人一人を斬ったところで、本当に進化するのか?

「知りませんかクロノさん、生贄は処女の娘が最も高い効果をもたらすのですよ」

「は?」

「まして、高い魔力を持つ私なら、尚更です」

 どこまでも真剣に、フィオナは言った。

 鉈を握る右手が、滲んだ汗で滑り落ちそうになる。

「本気か、フィオナ」

「はい、私の身体、クロノさんに捧げます」

 その言葉は、是非とも別なシチュエーションで聞きたかったな。

「時間がありませんし、倒す手段もこれしかありません、さぁ、早く」

 そして、フィオナは無防備な白い背中を俺へと向ける。

 染み一つ無い綺麗な乙女の柔肌、これに、俺が自分の手で傷をつけることに、恐ろしい抵抗感が湧き上がる。

 気づけば、敵とみれば人間相手でも斬るのに抵抗なんて無くなっていた俺だが、今は始めて殺人の禁忌を犯そうとするかの如く、心臓の鼓動が高鳴り、手も震えてくる。

 けれど、今の俺には躊躇する僅かな時間すら許されない。

 この壁一枚向こうでは、リリィが一人で戦っている。

 フィオナは自身の身体を投げ打つ覚悟を決めている。

 なら俺も、やるしかないだろう。

 これでも俺は『エレメントマスター』のリーダーなのだから。

「すまないフィオナ……ありがとう」

 かくて刃は振り下ろされる。


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