第189話 ここは混浴ですか? いいえ男湯です
午後からは巨大物置、ではなくシモンの新研究室に篭って現代科学技術のお披露目大会となっていた。
とは言っても、俺はあくまで高校生レベルの知識しか持ち得ない、この異世界で即実現可能かつ役に立つ技術など、早々に思いつくことは無い。
とりあえずは、俺の世界、より正確に言えば現代日本がどういうものであったかを語って聞かせるに留まった。
銃などの武器に留まらず、車、列車、飛行機といった高度な移動手段、無線、携帯電話などの通信機器、そしてパソコンなどの精密機器、果たして話だけでどこまで異世界の住人であるシモンにイメージできるかどうかは分からないが、どれも多大な興味を惹いたようであった。
しかしながら、そのまま延々と話し続けるのは時間が許してくれない。
窓から太陽が沈んでいくのに気がついた時には、もうお開きにしようかという流れとなった。
だがしかし、帰り際にシモンが、
「今日ちょっと暑かったよね、汗かいちゃったしお風呂入りにいこうかな」
なんて言わなければ、俺は真っ直ぐ宿へ帰っていたことだろう。
「風呂あったのかよ!?」
「え、あるよ?」
知らなかったの、というような俺の無知を疑う目をするシモン。
そりゃあ知らないよ、俺が知る異世界の常識は今のところ田舎の農村で冒険者として暮らしていける程度でしかないのだから。
「イルズ村には風呂なんて無かったぞ」
「アルザス村にだって無かったよ、公衆浴場はスパーダみたいに都市じゃないと普通は無いと思うよ、天然温泉でも湧いてない限りはね」
大都市スパーダすげぇ、ちゃんと公衆浴場があるだなんて……俺は今、初めてスパーダに来て良かったと思っている。
なぜか、なんていうまでも無いだろう、風呂は日本人の心、俺はこれまでずっと水浴びやらしょぼいシャワーやら濡れタオルで体を拭くやらで我慢してきたが、ずっと風呂に入りたかったのだ。
熱い湯を並々と張った湯船に全身を沈めて、ザバーっといきたいのだ!
「あーえっと、それじゃあ、一緒に行く?」
「是非ともお願いします!」
この時、俺はシモンが癒しを司る女神に見えたのだった。
学校の正門を潜り抜け歩くこと約5分、そこには隠すことも無く堂々とした門構えの公衆浴場があった。
「こ、こんな分かりやすいところにあったのか……」
見落としていた、というワケではない、単純にこの辺に来たことが無かったからだ。
それでも、もっと早くこの付近にまで足を伸ばしていれば、と悔やまざるを得ない。
この表通りに面した大きな建物は嫌でも目に入るし、普通の異世界文字を読むことのできる俺が、このデカい『公衆浴場』の看板を見逃すはずもない。
「こんな時間だが結構賑わってるな」
晴れ渡った空は見事に茜色に染まり、日中の終わりを告げている。
しかしながら、この公衆浴場の入り口には人間を始め多くの種族がひっきりなしに出入りしている姿が見える。
「スパーダは農村と違って夜の活動時間が長いからね、こんな夕方でも入りに来る人は沢山いるよ」
と、バスタオルを始めとしたお風呂セットを小脇に抱えたシモンが教えてくれた。
「さ、早く入ろうよ」
「そうだな」
俺は来るべきハイパーリラックスタイムの期待に胸を高鳴らせて、両開きに開け放たれた公衆浴場の大きな扉を潜り抜ける。
正面には割りと立派な造りの番台があり、俺と同じように入った客が、そこに門番のように佇む中年のおばさん店員に料金を支払っている。
右を向けば、デフォルメされた男性の絵と『男』の意味を示す異世文字が書かれた扉、左を向けば、その女性バージョンの扉があった。
ここはロビーのようで、ベンチに座ってカップに注がれたドリンクを飲んでいる者の姿なんかもちらほら見える、どうやら風呂屋の造りそのものに異世界と地球に致命的な差は無いようである。
「入浴料は300クラン、タオルの貸し出しはたしか50クランだったよ」
料金表を探す前に、気を利かせてシモンが教えてくれる。
俺は合わせて350クランちょうどの硬貨を取り出して、シモンと共に番台へ向かった。
滞り無く入浴料を支払い、タオルセットを受け取った俺は、ついに異世界風呂を心行くまで楽しむべく、男湯の扉に足を向ける。
スライド式の扉を開くと、その先は当然の如く脱衣所であった。
全裸の男たちがタオル片手に風呂場へと向かう姿は日本の銭湯と全く変わらないように思える。
だが、流石に冒険者が多いのか、筋骨隆々で引き締まった立派な体躯を持つ者がかなりいる。
それだけでなく、獣人などの色々な種族もおり、実に異世界情緒に溢れている。
余計なお世話だが、あのスケルトンなんかは湯に浸かってもダシが出たりしないんだろうか?
そんな馬鹿馬鹿しいことを考えながら、棚に並べられた脱衣籠を前に、この着心地のあまりよろしくない見習い魔術士ローブを脱ぎ捨てた。
「けど、やっぱ日本とそんな変わんないな」
「へぇ、そうなんだ」
「ああ――」
って、待て、ここで聞こえてはいけない声が聞こえた気がするぞ。
「どうしたのお兄さん?」
どうやら幻聴ではないようだ、ゆっくりと声がする方向へ顔を向けると、
「な、なんでシモンがいるんだよ!?」
そこには当然のように、制服の上着を脱ぎ、中に着ているワイシャツが半脱ぎ状態で白い肩が露出している扇情的な格好のシモンがいた。
これは一体どういうことだ、ここは間違いなく男湯のはず、いくら男装して性別を偽っているからと言って、女の子のシモンがいて良い場所では無い。
いや、もしかすると、あの男湯女湯の分け方がフェイクだったとか? 実は全然違う意味で、本当はただ混浴なだけだったりするのか?
そういえば江戸時代の初期は男女混浴だったというし、その制度が現実にあったとしておかしいということは――
「え、あの……僕と一緒に入るの、イヤだったりする?」
シモンが俺を誘惑してんだか何だか知らんが、やけにいじらしい様子でそんな台詞を吐いた。
勿論、その体は未だもって半脱ぎ状態、その破壊力たるや俺の思考を月までブッ飛ばしてしまいそうなほど。
だが、ここで理性を失うほど俺は本能直結型の人間ではないはずだ、そうさ、俺はヤレばデキる子なのだ。
「い、いやとかそういう問題じゃないだろ、っていうか、ここは男湯だろ?」
「うん、そうだけど……」
やっぱりここは男湯だってのは正しい認識か、ならば尚更、シモンがいて良い場所じゃないだろう。
「何だか分からんが、早く女湯へ行け、ここは冗談でも女の子がいていい場所じゃない」
俺は理性を総動員しながら、脱ぎかけのワイシャツを掴んでシモンに着せてやる。
「何だか分からないのは僕の方だよ、なんで女湯に――って、もしかしてお兄さん……」
と、一体何に気がついたのか、驚愕に目を見開いて俺を見つめるシモン。
「僕の事、女の子だと……思ってたり、する?」
質問の意味が全く判らなかった。
じゃあ何か、シモンは俺の事を女の子だと思ってたりするっていうのか?
いや、そんなはずは無い、いくら異世界といってもオスメスの見分け方は人間と同様、見れば分かる。
思い出せ、シモンと初めて出会った時も一目で女だって……ん、アレ、そういえば男なのか女なのか全然判別がつかずに酷く悩んだ記憶があるぞ。
さらに、シモンが自らを女であると言った記憶も無い。
もしかして、俺はどこかのタイミングでシモンを女の子だと勝手に納得して、それ以後ずっとそのように思い続けてきただけなんじゃないのか?
「シモンは……男、なのか?」
恐る恐る、そう問いかけると、
「っ!? お兄さんのバカっ! 見れば分かるでしょ!!」
分かんねーよ、とは、流石に言えない、言えるはずが無い。
まるでどこかの自称神様と同じ納得のいかない言い分であるが、うん、ここは素直に俺が非を認めるべきだろう。
「すまん、ずっと女の子だと思ってた……」
「僕は男だよ! もう、お兄さんのバカ! バカぁ!!」
俺の胸を可憐な少女のような動作でポカポカ叩いてくるシモンをなだめすかすのに、幾許かの時間を要することとなったのは、言うまでもないだろう。
ついで、周囲の視線がちょっと痛かった。
お騒がせして申し訳ないという気持ちはあるが、「なんだ、ただの痴話喧嘩か」という誰かの言葉を聞いたときは、何もかも忘れて魔弾をばら撒きたくなったのは仕方のないことだろう。
「……ごめんな」
「うぅ……いいよ、もう、よく間違われるのは事実だし……」
あ、そこはやっぱり事実なんだ。
だがもう余計な事は言わずに、すっかりお預けとなってしまった風呂を楽しむことにしよう。
そうして俺は白いシャツを、シモンはワイシャツを再び脱ぎ始めるのだが、
「……」
どこからどう見ても美少女にしか見えないシモンが脱衣していく様を肩が触れ合うほどの近距離で見せ付けられると、こう、何と言うか、ねぇ? 気になって仕方が無いわけですよ。
が、俺のそんないけないドキドキなど知らず、シモンは当然のように衣服を脱いでゆく。
ワイシャツを脱ぎ捨てれば、もう上半身を覆うものは何もない、華奢な少女としか思えないような裸体が俺の目の前で露わになる。
白く透き通るような肌、小さく丸みを帯びた肩に、くびれた細い腰、胸元にしたって男だと思わなければ、ただバストがとんでもなく残念な少女であるようにしか見えないだろう。
シモンは躊躇う事無く、残る衣服であるスラックスを留めるベルトへと手をかけた。
カチャリと留め金が外れ、そのままスルリとスラックスが脱げ落ちると、今度はほっそりとした白い足が現れる。
当たり前のように、そこには年頃の男なら生えていてしかるべきすね毛などの体毛が全く見当たらない。
ついにパンツのみとなったシモンだが、俺は未だに男であると明確に判断できる特徴を目にしていない。
このトランクスタイプのパンツも、なんだかただのかぼちゃパンツに見えてくるくらいだ、本当にシモンは男なのか?
ひょっとしたら俺は騙されているんじゃないだろうか?
だが俺のそんな葛藤など一瞬で決着がつく、なぜなら、シモンの手はすでにパンツへとかけられているからである。
ゴクリ、と思わず唾を飲み込む、次の瞬間にはシモンが男である決定的な証を、俺は目撃するのだ。
「……シモン」
「え、なに?」
俺の方へ向き直るシモンは、その手に清潔な白いタオルを持っているだけで、一糸纏わぬ生まれたままの姿である。
「いや、なんでもない」
うん、本当になんでもないんだ、事実を、あるがままの真実を俺は見ただけだから。
シモン、お前は‘小さくとも’確かに男だ、俺が保証する。
「ほら、早くいこうよ」
「あ、ああ」
対する俺もすでに全裸状態、いつでも湯船に飛び込む準備はOKだ。
いや、マナー的に飛び込んだりはしないけどね。
「シモン、なにキョロキョロしてるんだ?」
真実を受け入れた俺には、最早恐れるものなどなにもない、こうして冷静さも戻ってきている。
シモンは忙しない、というよりも何かを警戒しているような様子である。
「う、えーと……」
シモンが少し恥ずかしそう、やめてくれ、真実を受け入れたはずの俺の心が揺れ動くだろうが、後姿だけだと本当に男だとは思えないのだから。
だからといって常に前を見せろというワケではないのだが、いや、そんなことよりシモンの弁解である。
「たまにお尻触られたりするんだ、だから警戒しなきゃダメなんだよ」
「そうか……大変だな」
俺は悟った、男だとか、女だとか、そういうことは問題ではなく、可愛ければOK、そう、それが世界の真実なのだ。
とりあえず、シモンに手を出す不届き者がいないよう、俺が注意しといてやろう。
なんだかんだで、久方ぶりのお風呂で体も気分もサッパリした俺は、鼻歌でも歌いだしそうなほどの上機嫌で宿への帰路についていた。
火照った体に吹きぬける夏の風が心地よい。
あまりに気分が良かったので、帰り道の途中に立ち寄った商店街にて、リリィがご執心だったウサ耳のついた白いキッズローブをお土産に買ってしまったくらいだ。
店員は相変わらず意地の悪い魔女のようなおばさんであったが、本当にランク2になったことをギルドカードで証明すると、少しだけ感心された。
俺が貴族のお遊び冒険者ではない事を理解してもらえたようでなによりだ。
まぁだからといって1クランも値引きされることなど無く、定価どおり三万七千クランもの大枚をはたいて購入した。
ちなみに、このローブはてっきり白ウサギをモチーフにしたものだと思っていたのだが、雪山に生息する白毛のプンプンがモデルだと聞いて驚くと同時に、この素敵なモフモフ具合に納得もいった。
そんなワケで、俺は白プンプンローブを片手に意気揚々と宿へ帰りついたのだが、
「あれ、クロノさん、私には何も無しですか?」
ごめんなさい、忘れてました。
いや、お土産を要求するとは図々しいのかもしれないが、白プンローブを着てはしゃいでいるリリィへ羨ましそうな視線を送っているフィオナを見ると、何かリリィだけ優遇したみたいで妙な罪悪感が沸いてくる。
とりあえず配慮が足りなかったと陳謝した後、フィオナには今度プリンをご馳走すると確約した。
思えば、エレメントマスターを結成した時もプリンを要求されたな、スパーダに着いた今こそその約束を果たすべき時だ。
ちなみに、キッチンはボロいけどシモンの新研究室を使わせてもらう予定。
あそこは巨大物置では無く、もともと寮であったらしく、生活するのに必要な設備は整っているとのこと。
それはさておいて、リリィとフィオナの二人には、ランク3に上がったあかつきに王立スパーダ神学校へ入学する決意表明をしよう、と思っていたのだが、
「実は私たちもクロノさんにお土産、いえ、プレゼントと言うべきですね、それを用意しているので、是非受け取ってもらえませんか」
と、何とも嬉しいサプライズを受けてしまった。
「ありがとう、喜んでいただくよ」
だが、本当のサプライズ、驚きは、彼女達のプレゼントそのものである事を、この時の俺はまだ知らない。
次回で12章完結です。なんか、今回の話をやるためだけの12章だった気がしないでもありません。
本日、キャラ紹介を更新しました。
スパーダでの新キャラ&これまでのおさらいをかねて読むと、良いかもしれません。