第183話 学校へ行こう
今日から月が替わり、8月にあたる紅炎の月1日となった。
いよいよ夏本番かと思わせるようなギラついた日差しの中、俺は暑苦しくも見習い魔術士の黒ローブを身に纏って、少しは見慣れてきたスパーダの街を一人で歩く。
向かう先は王立スパーダ神学校という、このスパーダで最も大きいと言われ、大陸中部の都市国家群の中でも有名な学校だ。
だがいくら有名と言っても、ここへ来てまだ一ヶ月も経っていない俺としては、その名前くらいしか聞いた事が無い。
さて、そんな俺が何ゆえその神学校に赴いているのか、それは『復活の地下墳墓』でのクエストを終えてスパーダへ帰還した昨日の夕方にまで話は遡る。
「牛の討伐価格が思ったより高値でラッキーだったな、明日はちょっといいものでも食べに行くか」
「そうですね、是非ともそうするべきでしょう」
リリィが瞬殺してくれたミノタウルス・ゾンビが思わぬ高報酬をもたらしたことで、半ば舞い上がりつつフィオナとそんな会話を交わしながら、宿の扉を潜った直後であった。
「クロノ様、お手紙を預かっております、どうぞ」
と、いつかと同じように一枚の手紙を猫獣人の従業員から差し出された。
これも前と同じように礼を述べて受け取り、すぐにその文面を目で追う。
「シモンさんからですか?」
「ああ」
予想通りの差出人、果たしてその内容は、
「なんて書いてあるんですか?」
「ようやく向こうも落ち着いたらしい、会って話をしたい、と」
まぁ、そんな事情だ。
お誘いを断る理由など何も無い、むしろスパーダ出身のシモンには聞きたいことが山ほどある。
そんなワケで、俺はシモンに会いに向かっている真っ最中なのである。
どうやらシモンは以前通っていたこの神学校に諸々の事情で復学したらしく、今は実家を離れて寮生活を送るというので、会いに来る時は直接学校を訪れて欲しいという旨が書かれてあった。
わざわざ俺の方からご足労願って申し訳ないとまで書き添えてあったが、俺の身分は冒険者で、いつクエストから帰ってくるか分からない。
シモンがいるかどうか分からない俺を一か八かで『猫の尻尾亭』に訪れるよりは、学校にいるだろうシモンを俺が尋ねるほうが確実だ。
それに、俺自身も有名な王立スパーダ神学校に興味がある、堂々と行く口実が出来てむしろ嬉しいくらいだ。
ちなみに、俺が一人で来ているのは、
「私がいない方が話しやすいでしょ」
というリリィの配慮によるものだ。
そこまで気にするべきでは無いと思うのだが、なにやらワケが有りそうなシモンの事情を聞くというのなら、確かに俺と一対一の方が話しやすいのは事実だろう。
それに、リリィもフィオナも今日は用事があるとかで外出したいのだとか。
ついでに次のクエストの準備もしておくから、という分担作業的な理由によって、本日はそれぞれ別行動となっているのだ。
一人で歩くのが少しばかり寂しいなどと女々しいことを思いながら道を進んでゆくと、制服を纏った少年少女を見かけることが格段に多くなってきた。
これは間違いなく学校に近づいているのだろうと思いながら、デカデカと神学校への道案内を示す看板を確認しながら、さらに歩みを進めた。
「おお、めっちゃデカいじゃん……」
王立スパーダ神学校、その正門前までたどり着くと、自然とそんな言葉が漏れた。
まるでスパーダの外壁のように立派な壁が左右に広がっており、少なくとも第三防壁よりかは豪華な装飾の施された門構えとなっている。
古代の英雄でも象っているのか、右には剣を持ったマント姿の戦士像が、左には槍を手にして全身鎧を纏った女騎士の像が設置されており、それぞれの下部には学校の紋章と思しき旗が垂れ下がっていた。
大きな二つの彫像と校章に飾られた正門は両開きに開け放たれており、その向こうには数百メートルの距離を経て、巨大な本校舎がそびえ立っていた。
中央には何十階建てなのか一目で分からないほど高い尖塔となっており、そこから左右対称に5階建ての校舎が広がっている。
俺の通っていた高校とは比べ物にならないほど豪奢な造り、まるで大きな大学のような、いや、ここは宮殿のような、と言った方が形容としては正しいだろう。
スパーダに来てから、ここまで立派な建築物を近くで目にしたのは初めてだ。
あの二つの防壁の向こうにあるスパーダ王城を間近で見ることが出来れば、また同じ感動を味わうことが出来るだろう。
とりあえずは、来る者拒まずといった感じで開け放たれている正門を潜って敷地内へ突入することとしよう。
あんまりボケーっと見続けていると、田舎者丸出しで周囲の生徒達から白い目で見られてしまいそうだしな。
だが揺るがしがたい事実として、すっかり観光客気分になってしまった俺は、内心のワクワクを抑えるのに苦労しながら、巨大な正門を潜り抜けた。
恐らく日本で一番広い敷地を持つ大学よりも遥かに巨大な面積を持っているだろう王立スパーダ神学校だ、初めて足を踏み入れる俺が、手紙に記されたシモンが住んでいる寮へ迷う事無く真っ直ぐ向かえるはずが無い。
なので、途中で道行く学生に声をかける事にした、したのだが……なんと言うか、声をかけた小柄な女子生徒にめっちゃ怯えられてしまった。
ここに来て俺の人相の悪さが影響するとは思わなかったよ。
オークとか恐ろしい形相の人々がナチュラルに生活しているこのパンドラにおいて、俺のまだ人間の範疇に納まる顔をあからさまにビビるような人はいなかった。
しかし、ここでこの反応である。
女子生徒は全く俺と目を合わせようとせず、ずっと俯き加減でモジモジとしながら、どうにか俺の質問に受け答えできているといった様子だった。
いや、ホントに参った、俺が自分の目つきの悪さを忘れてたことに加え、ここ最近ずっとリリィとフィオナと一緒にいた所為で、同年代の女子に対してほとんど抵抗感が無くなってしまったのも、きっと女子生徒に声をかけるという失敗選択肢を俺に選び取らせた原因だろう。
まだ高校生だった頃は、白崎さんと面と向かって喋るのにやや抵抗感があった純情ボーイだったのだが、歯に衣を着せぬフィオナに、当然のように俺と一緒にいてくれる少女リリィの存在によって、ただ美少女という存在にたいして物凄く慣れてしまった感がある。
それは良い事なのか悪い事なのかはおいておくとして、あまり馴れ馴れしく女の子に声をかけるのは、きっと俺の凶悪フェイスの所為で先のように怯えさせる可能性が非常に高いので、よくよく注意するべきだろう。
というか、始めから男子生徒に声をかければ良かったんだよな。
そんなコトを思いながら、怖がりながらも的確に道筋を教えてくれた女子生徒のお陰で、目的地へと迷う事無く向かうことが出来た。
そうして門を潜ってから10分ほど歩いただろうか、そろそろシモンが指定した目的地に着くだろうという頃、俺は唐突にデジャビュに襲われた。
よく思い出せ、そう、アレは確か――俺が初めてシモンと出会って、その日の内に研究室を訪問した時のことだ。
研究室という名の物置小屋に案内された、あの何とも言えない不憫な感情。
俺はそれを、今この場所を歩いていて感じてしまう。
なぜなら、俺の視線の向こうには、
「もしかして、アレに住んでるのか……」
あの芸術的な造りの巨大本校舎と同じ敷地に建っているとは思えないような、ボロっちい木造建築二階建てのみすぼらしい建物がそこにあった。
まるで、アルザス村の物置小屋研究室がそのまま大きくなりました、というような感じ。
いや、流石に大きな物置小屋として建てられたわけじゃないだろうが、今じゃ物置の役割しか果たさないだろうと思えることに変わりは無い。
俺はあまりのボロさに戦々恐々としつつ、どうかココがシモンの住まいではありませんようにと自称神様なミアに祈りを捧げつつ、手紙に書かれた場所をもう一度確認した。
「うわ、間違いないよコレ」
またしても世界名作劇場の不幸な生い立ちの主人公のような住処で暮らさざるをえないシモンに哀れみの感情を覚えつつ、俺は巨大物置小屋へと立ち向かった。
本当に学校へ来ただけの話でした。