第177話 ランク2
「はい、確かに全クエストの達成を確認いたしました」
スパーダ冒険者ギルド学園地区支部に勤続二年目の若き受付嬢エリナは、内心の動揺をどうにか表す事無く、事務的に言葉を発した。
この顔だけは90点と称したクロノという冒険者を前に恋する乙女の如く恥らっているのでは無い、自分が今こうして認めたように、クエストを達成したという事実に驚愕しているのだ。
(え、なに、なんなの、ホントに全部のクエストクリアしちゃったの? しかも一週間も経って無いし、いや、それよりも、この大量のモンスターの討伐数は何!?)
先に提出された凄まじい数のモンスター討伐の証は、エリナは就職してより始めてお目にかかるほどの大量であった。
(ダガーラプター124、ゴブリン87、ウィンドル52……ああ、普通の数字のプンプン討伐数5がむしろ異常に見える……でも一番異常なのはスライムの376よね)
ランク1のモンスターは弱い代わりにその数は膨大だ。
百や二百を討伐したくらいで絶滅には程遠いが、その三桁に及ぶ討伐数は、ランク1冒険者が出してよいスコアじゃない。
スライムの376という討伐数も、たまに大量発生するという状況を思えば不可能な数字では無いが、普通は100以上もスライムが集団で現れれば、ランク3冒険者でも逃走を選択するだろう。
クエスト受注から一週間も経たない短い期間でこれほどの討伐数を稼いだということは、それだけ大きな群れ、あるいは巣を直接襲ったとしか考えられない。
沢山のモンスターを狩ろうと無謀にも巣へ挑むランク1冒険者は間々いるが、ほとんどの場合、彼らは帰らぬ人となる、帰っても冒険者を辞めるほど心の傷を負う。
だが、クロノは数日前にやってきた時と同じように落ち着き払った雰囲気で、とてもトラウマを負った可哀想な人には見えない。
いや、現実にこれだけのモンスターを討伐した実績を先に示したのだ、
(この人、もしかして……凄く強いんじゃないの)
ランク1という評価に全く見合わぬ高い実力をクロノは秘めている、そう考えるのが妥当だろう。
(いや、でも待って、落ち着くのよエリナ、そんなランクに見合わない実力を持ってる人なんて早々いるわけない)
冒険者登録を始めてする段階で、すでに兵士として務めているなど実力十分と判断される場合は、試験を課してランク3からスタートする制度もある。
そのため、ランク1で一定以上の実力を持っているという例は非常に稀だ。
だが稀ということは、全くいないというワケでもない。
有名な例でいえば、『剣王』レオンハルトの長男、つまりスパーダの第一王子であるアイゼンハルト・トリスタン・スパーダという男は、王立スパーダ神学校の在学中に、ランク1からスタートしてランク5にまで登り詰めてしまったのだ。
他には、さる高名な魔術士やら武技の達人といった俗世から離れた人物に育てられた秘密の弟子などが世に出てきた場合、驚くほどのスピードでランクアップを果たしたりする。
しかしながら、スパーダの王子も達人の弟子も、単純に冒険者登録を果たす前に十分な修練を積み、高いレベルで戦闘技術を身につけているからこそ、最初の段階であるランク1の状態でも強かったというだけのこと。
そして、そういう人物は大抵、身につける装備で判別できる、少なくとも、白シャツにボロい革ズボンの一般人装備で現れることは無い。
今でこそクロノは見習い魔術士のローブを着ているが、やはり最低グレードの装備品である。
やはり彼がランク1で強い力をもつ珍しいパターンであると決め付けるのは早計だ。
(これは……そう、パーティメンバーが強い、そうなのね!)
エリナは閃いた。
考えてみれば、この仲間の強さに頼ってクエストを達成させるという寄生虫のような行いをした可能性こそ、最も在り得る話だ。
たまに冒険者の英雄譚に憧れた頭の悪い貴族の阿呆が、ボディーガードをパーティーメンバーにして、守ってもらいながらクエストに行く‘冒険者ごっこ’をすることがある。
こっちの方が達人の弟子というよりもずっと高い確率で現れる、というか、今もそういうヤツは現役で存在している。
(ああ、残念、実に残念だわクロノさん、貴方が本当に実力を偽ってランク1なんかに甘んじている謎の男だったら、その顔と同じ90点あげてもよかったのに)
なんて、物思いに耽っていると、
「すみません、これでランク2になれるんですよね?」
「はい、これでクロノ様とそのパーティ『エレメントマスター』はランク2に昇格となります、おめでとうございます」
自分の世界に浸っていながらも、声をかけられれば淀みなく対応できるのが、エリナの凄いところであった。
「ただ今ギルドカードを更新致しますので、少々お待ち下さい」
そうして、ギルドカードの読み取り兼、データ書き込み魔法具の入力を片手で操作するエリナ。
「他のメンバーの更新も今するんですか?」
「そうですね、後でも出来ますが、普通は一緒に更新しますね。
メンバーの方のギルドカードはお持ちでしょうか?」
はい、とよく通る声と一緒に、二枚の鋼の光沢を持つギルドカードがエリナへ手渡された。
(って、アイアンプレートじゃないの!)
てっきり黄金の輝きを持つギルドカードが出るだろうというエリナの予想はあっさり覆った。
エリナの言う更新はクエスト達成という意味だったが、どうやらクロノの言う更新は、自分と同じくランク1からランク2にアップするものを示しているようだ。
貴族の馬鹿息子のボディーガードなら、ランク3以上の実力者が雇われているはずだ。
専属ボディーガードはすでに冒険者とは別の職業ではあるが、分かりやすく自分の実力を示す為に、ほとんどの者はギルドカードを所持している。
(メンバーもランク1ってコトは、護衛を雇ってるわけじゃない――待って、そもそも本当に貴族の道楽だったら、やっぱり装備が貧弱すぎる)
結局、エリナはこのクロノという冒険者が見かけどおり、そこら辺に履いて捨てるほどいるランク1冒険者であると考え直した。
そして、彼のメンバーであるギルドカードを読み込んだ時に、それはより決定的なものとなる。
(リリィ、ランク1……フィオナ・ソレイユ、ランク1……二人とも、ほとんど同じ時期、同じイルズ村で冒険者になってる)
この情報を真っ当に捉えるならば、田舎に住む若者が冒険者に憧れてスパーダまで出てきました、という予測しか立たない。
(いやでも、それにしてはパーティの構成がおかしい、魔術士二人に、このリリィって人のクラスが妖精って、それただの種族名じゃないのよ!)
例えば、人間の冒険者がクラスを人間と書くわけがない、クラスとは自分の戦闘スタイルを端的に表すものであり、最悪でも自分が使う武器の種類が示されるものである。
だが、この何のヒントにもならない種族名を堂々と記していることに、少なくともこのクロノは全く気にしていないという事だ。
(兎も角、このクロノとそのパーティ『エレメントマスター』はただのランク1じゃないってコトは確かだわ!)
そう思い立った瞬間、エリナのクロノに対する評価が、
(これは現段階では採点不能ね)
改められるのであった。
と同時に、この顔だけ良い残念な冒険者としか見ていなかったクロノという男が、底知れぬ存在へ変貌したことで、途端に魅力的に思えてきた。
(これはとんだ期待の新人だわ、うふふ、これから彼らの動向はしっかりチェックしなきゃ)
そうして、クロノと『エレメントマスター』というランク1の、
「はい、更新が終わりましたよ」
いや、今この瞬間にランク2へと昇格を果たした彼らを、エリナは期待の篭った目で、ランク2を示すブロンズプレートとなった新たなギルドカードをクロノへと手渡した。
「おめでとうございます、これからも貴方のご活躍に期待します」
ランクアップした時に必ず言うお決まりの台詞だが、エリナは今ほどこの言葉通りに感情を篭めたことは無かった。
「ありがとうございます」
そうして、冷たく鋭い容姿でありながら、どこか安堵感を覚える優しい微笑みを浮かべて、クロノは銅の輝きを放つギルドカードを受け取った。
(ヤバい、ちょっと本気でカッコいいじゃないのよ……)
久方ぶりに胸の高鳴りを覚えるエリナ、だがクロノはそんな彼女の変化などまるで気づかぬように、声をかけた。
「すみません、もう一ついいですか?」
「はい、何でしょうか?」
問い返すエリナだったが、前回のクロノの様子を思えば、何を言おうとしているのか予測できていた。
「ランク3に上がるために必要なクエストを教えてくれませんか?」
ビンゴ、すでにエリナの脳内には、ランク2のクエストリストが展開済み。
「はい、こちらになります」
現在このギルドにあるランク2全てのクエストが記された束を提示し、ランクアップに必要な条件となるクエストを、記憶どおりにクロノへ示した。
「じゃあ――」
「うふふ、全部お受けになりますか?」
その半ば冗談めかした台詞に、クロノは少し驚いた表情をして、
「はい、お願いします」
力強く頷いた。
(さて、コレでランク3にも難なく昇格したら、彼は……本物ね)
エリナは期待に胸を高鳴らせながら、クエスト受注の処理を始めたのだった。
このスパーダ冒険者ギルド学園地区支部は、俺が今まで利用してきたギルドとはかなり異なった印象を覚えた。
そもそも大きさからしてかなり違う、アルザスは宿屋のスペースも含めて四階建てだったが、ここは冒険者ギルドの仕事スペースのみで五階建てに及ぶ。
階数は一つしか違わないはずなのに、床面積と天井までの高さが段違いなので、こちらの方が圧倒的に大きく見える。
そういった部分を抜きにしても、両者には明確な雰囲気の違いがあるのも事実だ。
村のギルドを酒場とするなら、ここは役所のようなお堅い雰囲気が漂っている。
ロビーは食事を出来るようなスペースは無く、ただ広い白塗りの清潔な空間が広がっており、そこで待っている冒険者達もどこかサラリーマンのようにも思えてくる。
いや、これはきっとブレザータイプの制服を着ている人が多いから、尚更そう思うのかもしれないな。
これまでずっと片田舎の小ギルドで活動してきた俺としては、この酒場とは別の意味で騒がしい、仕事に関わる真面目な会話ばかりが飛び交うこの雰囲気に、どこか違和感を覚える。
俺がランク3になる頃にはこの空気にも慣れるのだろうか、なんて、タヌキの皮算用的な考えは意味の無いものかな。
まずは、早くランク3に上がることを考えるべきだ。
「それで、クロノさんはあのキレイな受付嬢にそそのかされて、次の依頼も大量に受けてしまったと、そういうことですね?」
「お、おい、そういう人聞きの悪いことは言わないでくれよ」
フィオナのどこか冷たい視線を受けながら返答する。
「むー!」
なにやらリリィも不満気な視線を俺に向けているような気がするが、きっと気の所為に違い無い、だって幼女のリリィはどんな時も聞き分けのいい良い娘なのだから。
「ランクアップは早いに越したことは無いだろ、ランク2と言っても、クリアするだけならすぐだろ。
また100体も200体も討伐しなくていいんだから」
「100体討伐したのはクロノさんも同じじゃないですか?」
「いや、俺は87体だし」
やっぱり同じですよね、と珍しくフィオナからツッコミを受けてしまった。
いや、俺だって5体倒したらさっさと帰ろうかなと思ってたんだけどさ、そろそろ鉈が進化しそうな気がしたから、頑張って血を吸わせたんだよ。
そりゃもう魔弾も魔剣も無しで、さながら剣士クラスのように鉈一本でゴブリンの巣にかち込みかけたのさ。
結局、進化はしなかったけど。
「それで、いくつクエストがあるんですか?」
「全部で11だ」
期限は前回と違ってバラバラだが、早いものから順にまとめてこなしていけば、一ヶ月そこそこで終わるだろう。
商人の護衛など、クエスト期間の長いものは避けて受注した。
ダンジョンに入れば、後は実力次第の討伐系がほとんどだ、何日か潜っていれば10や20の討伐数などすぐに稼げる。
「なるほど、確かにこれくらいなら何とかなりそうですね」
クエストの概要が書かれた受注書の束をめくりながら、フィオナも同意してくれた。
「受付嬢の色香に惑わされたのでは無かったようで一安心です」
「どういう心配をしてるんだよ」
あまり小さい子のいる前でそういう発言は避けてくれませんかねフィオナさんや、お陰でリリィの視線が痛いような気がするんだ。
「まぁ、とりあえず今日はランク2に昇格したことを祝して、パーっと飲みにでも行くか」
と、ランク2の証たるブロンズプレートの新ギルドカードを二人に渡す。
「おー」
「わー!」
それなりに嬉しそうな様子でギルドカードを受け取る二人。
うん、やっぱりこう感慨深いものがあるよな。
「つまり、今日はスパーダグルメツアーの第二弾、ということですね?」
「あ、ああ……うん、そういう認識でOKだ」
今回は俺のおごりじゃないしな、大丈夫だよな、な?
「それに、何と言ってもリリィとフィオナがモンスターを絶滅させる勢いで討伐数稼いでくれたお陰で――これを見よ!」
ドン! という擬音がつきそうな勢いで、1万クラン金貨の詰まった袋を掲げる。
おおー、とリリィとフィオナが小さくパチパチと手を叩いて祝福してくれた。
「好きなだけ飲み食いしてもしばらくは生活していけるだけの金額はあるぞ、山分けするのは、食事の後でもいいか?」
報酬の取り分は、冒険者の最も基本的なルールである‘等分’を我が『エレメントマスター』でも採用している。
「でも、いいんですか? クロノさんの装備を整えなくても」
「いや、ランク3に上がってからでいいよ。
今回の報酬金は、生活してくには十分だけど、欲しい装備を買うには全然足りないからな」
呪いの武器一本買うにしても100万クラン必要なのだ、今回の全報酬を使って少しお釣りがくるくらい。
俺の取り分はその三分の一なので、やはりランク3に上がるまでのクエストをこなさないと、購入金額には届かないだろう。
「それならいいですけど、少し足りないくらいなら私とリリィさんも援助しますよ」
「ありがとな、気持ちだけ受け取っておく」
金銭関係はなるべくクリーンな方が良い、少なくとも俺はこの二人とはずっと対等な付き合いをしていきたいと思っている。
俺だってまだ17歳だ、変な不安要素を抱え込んで上手く解決できるほど人生経験豊富じゃない、これくらいの注意深さでいいはずだ。
「私もリリィさんも、お金に執着のある人では無いので、出来るのならば、クロノさんがしっかり装備を整えて、パーティとしてのパワーアップを図るのが望ましいです。
なので、そう意固地にならずとも良いですよ、ね?」
と、フィオナがリリィを促すと、
「うん、リリィがクロノに武器買ってあげる!」
純粋なその言葉に俺のハートがズキリと痛む。
なんだよコレ……悪い男に騙されて貢いでるみたいな空気じゃないか……
「あ、ありがとう……でもお金を借りたら二人にはグレーゾーン金利で利子つけて返すよ」
「グレーゾーン? まぁそうですね、借金というカタチならクロノさんも納得しやすいですね」
「リリィが買ってあげるのー!」
頼むからそんなにホイホイ貢いじゃうのはヤメテくれリリィ、割とマジで、不安になるから。
「と、とにかくだ、今は仕事関係のことは忘れて、お祝いしようぜ、な?」
「そうですね、今日は新たな店を開拓しましょう」
やや強引な話の逸らし方だったが、見事に食いついてくれた。
「よし、それじゃあ行くか。
あ、そうだリリィ、久しぶりにフードに入るか?」
笑顔で俺のフードに飛び込んできたリリィと合体し、俺達は意気揚々とギルドを後にした。
エレメントマスターはランク2に上がった!