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黒の魔王  作者: 菱影代理
第10章:魔王と勇者
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第162話 クロノの左目

『猫の尻尾亭』の一室、その簡素なベッドの上にリリィは虚ろな目をして寝転がっていた。

 幼い姿の彼女がピクリともせず何時間も横になっている姿は、心配と共にどこか異常を感じさせることだろう。

「クロノ……」

 時折、思い出したようにリリィがその名前を口にする。

 彼女の光を失ったような淀んだ緑の瞳と、クロノの黒い瞳が互いに視線を交差させる。

 ベッドにはリリィ以外に人の姿は無い。

 だがクロノの目は、クロノの目だけが、そこにはあった。

 仰向けで顔だけ横にするリリィの視線の先には、枕元に転がる一つの小瓶。

 元々は肉体回復用のポーションが入っていたその瓶は、今も透明な液体に満ちているが、その中には一個の眼球があった。

 漆黒の瞳を持つ眼球、それはクロノが失った左目である。

 リリィは使徒との戦いから目覚めた後、隙を見て転がっていたクロノの左目を密かに回収していたのだった。

 回復効果を持つポーションに入れておいたお陰か、矢に射抜かれた眼球は再生している。

 だがこれを再びクロノの左目に戻すには、視神経を上手く接続しなおさなければならないので、どの道リリィには行使できないほど高度な治癒魔法が必要となってくる。

 故に、今はリリィの事を黙って見つめ続ける、彼女にとって都合のよい最高の玩具コレクションでしかない。

「ごめん……ごめん、なさい……」

 もう何度口にしたか分からない謝罪の言葉だが、ここにはいないクロノ本人には一言たりとも届くことは勿論ない。

 それでもクロノの眼とベッドに残る彼の匂いに包まれて、何度も何度も謝る練習を経たリリィは、ほんの僅かばかり落ち着きが戻ってくる。

 あるいは、すでに涙が枯れてしまっただけなのかもしれないが。

「ごめんなさい……リリィのコト……キライにならないで」

 大人の意識はとっくに手放し、子供の意識へと逃避している。

 しかし以前クロノへ説明したように、少女リリィと幼女リリィは別人格では無い、ただ思考能力や精神年齢が変化するだけで、正真正銘一個の人格である。

 子供の意識に切り替えたからと言って、クロノから拒絶の意思を向けられた記憶を失うわけではないし、熱く燃え盛る恋心も変化する事は無い。

 むしろ、最初にクロノの事を好きになった時は子供の状態であった、大人の思考で容姿、性格、能力、など諸々を値踏みして打算的に好きになったわけではないのだ。

 純粋な好意のみを一心にクロノへ寄せる幼いリリィの心は、普通の子供だったら耐えられないほど不安に揺らいでいる。

 いや、ここは寧ろ普通の子供であったほうが幸いだっただろう、いくら好きな相手に少しばかり拒絶されたからといって、そこまで思い悩むことは無いのだから。

 だが、すでにして‘普通’では無いリリィは、今もこうして漠然とした不安と恐怖に駆られて小さな胸が張り裂けんばかりに苛まれている。

 そうして、解放されることの無い苦痛の時間がまた幾許か過ぎると、コンコンと木の扉を叩く音が耳に届き、リリィは少しだけ意識を現実の世界へと向けた。

「リリィさん」

 どうやら来客はフィオナらしい、すでに聞きなれた声でそう判断する。

 だが、今のリリィに返事をする気力などないし、する気も無かった。

「リリィさん、クロノさんが帰ってきましたよ」

 再び己の内に意識が沈みそうになったが、その言葉を聞いてリリィは硬直した。

「ク、クロノ……」

 途端に思考が回り始める。

 クロノに会いたい、一瞬でその欲望が頭の中に満ちてゆくが、同時に拒絶されたという紛れも無い事実によって、リリィがベッドから飛び起きる動きを制御した。

「一緒に夕食を食べましょう」

 葛藤するリリィだが、結局フィオナに対して何ら返事は出来ていないので、ドアの向こうからは淡々とした誘いの言葉が一方的に飛んで来るのみ。

「クロノさんは、リリィさんの事を怒ってないですよ、だから安心して出てきてください」

 その言葉に、リリィの心に一筋の光が差し込む。

 だが、これまで散々思い悩んできた想像がこの甘美な言葉を否定する、嘘だと疑ってしまう。

「リリィさん? 入りますよ?」

 あまりに反応の無いリリィに対して、痺れを切らしたのかフィオナが扉を開く。

 フィオナにとって、リリィが鍵をかけることにすら気が回らないことが幸いだった。

「寝てるんですか?」

 止める間も無く部屋へ踏み込んできたフィオナに、リリィは慌ててクロノの目玉入りポーションを枕の下に隠すくらいのことしかできなかった。

「うーっ!」

 枕へうつ伏せに圧し掛かり、いきなり部屋へ入ったフィオナに抗議の声をあげる。

「起きてるじゃないですか。

 ほら、クロノさんが待ってますよ、行きましょう」

「うー、ヤぁー!」

 小さな足と羽根をバタつかせて反抗するリリィ。

 この期に及んでまだクロノと会うのを恐れているようだと、空気が読めないことに定評のあるフィオナでも理解できるほど解り易い反応だった。

「本当にクロノさんはリリィさんのことを怒ってないですよ、むしろ、心配しています、リリィさんが顔を見せてくれないとクロノさんは悲しんでしまいますよ」

「うぅ……ホントぉ?」

 枕にうずめていた顔を上げて、チラリとフィオナへ向ける。

 その目は散々に泣き腫らした所為で赤くなってしまっていた。

「ホントですよ、だから笑顔でクロノさんを迎えてあげましょう」

 笑顔で言えれば百点満天な台詞だったが、フィオナはやはり眠そうな顔である。

 しかしながら、リリィの心を動かすのには十分な効果があったようだ。

「……うん」

 リリィは意を決して起き上がる。

 胸のうちには不安と期待が入り混じり、緊張状態にあるのか動きが少しぎこちなかった。

「では行きましょう、あ、その前に顔を洗った方が良いですね」

 この赤くなった目元をクロノに見せるわけにはいかないと、珍しく気の利いた判断を下したフィオナは、リリィの小さな手を引きながら、部屋を後にした。




 俺は今現在『猫の尻尾亭』の一階食堂の一角にて、山よりも高く海よりも深く、という大げさな形容詞がついてしまうほど反省中だ。

「クロノ……おかえりなさい」

 と、酷く元気の無い様子で出迎えてくれたリリィの目は、ほんの僅かだが赤みが差している。

 もしかしなくても、泣いていたに違い無い。

 そしてその原因は紛れも無くここ数日どん底の精神状態だった俺にあるだろう。

 口では表向き「心配しないでくれ」だとか「大丈夫」だとか「すまない」だとか、気遣っていたつもりだったが、所詮ソレは‘つもり’で有り、リリィには何も届いていなかった。

 当たり前だ、リリィは強力な精神感応テレパシー能力を持っている、上辺だけの言葉で誤魔化すことなどできない。

 その結果がコレだ、リリィを泣かせてしまうほど心配をかけてしまった。

 涙こそ流していないだろうが、フィオナにも同じように心配を、いやむしろ沈んだ俺と泣いたリリィの板ばさみで気苦労を強いたに違い無い。

「二人には心配をかけてしまった、本当に済まない」

 今の俺はただ頭を下げることしか出来ない。

 それでもこうして二人に謝れるのは、ある程度心の整理をつけることが出来たからであり、半日前の俺と比べればよほど幸せな状態だ。

「いえ、クロノさんが元気になったようで何よりです」

 本当に全く気にしていませんよと言う様な、いつもと変わらぬ無表情のフィオナに安堵感を覚える。

「クロノーうぅー!」

 俺の胸元にしがみついて離れないリリィの頭を撫でながら、

「ホントにごめんなリリィ、俺はもう大丈夫だから心配しないでくれ」

 この心優しい妖精に、今度こそ気持ちを篭めた言葉で謝意を伝えた。

 そうしてリリィと心温まる触れ合いを続けていると、この場で最も冷静であろうフィオナから、ズバリ本題を切り出された。

「それで、クロノさんは一体何があったんですか?

 その左目を見るに、ただ心の整理がついたというワケではないのでしょう」

 すでにして俺の左目には眼帯は装着されておらず、完全に視力の戻った本物の眼球が嵌っている。

 俺の精神状態の回復と目の再生には、何らかの関連があると思うのは当然だろう。

 そしてパーティーメンバーである二人に、俺が何時間か前の経験を黙秘する必要性は無い、包み隠さずありのまま身に起こったことを話そう。

 まぁ、俺も何が起こったのか正確なところは分からないのだが。

「――なるほど‘加護’ですか」

 大方の事情を説明し終わると、フィオナは頭ごなしに否定せず、むしろ納得のいったという反応が返ってきた。

「で、どう思う? ミアというヤツは本当に神だと思うか?」

 話していて思ったが、精神的に欝な状態で、神を名乗る人物と出会い目が覚めたような思いで元気になる、というのは如何にも宗教臭い話である。

 日本人的な感覚で言えば、心の弱さに漬け込まれて騙されていると思うところだろう。

「ミア・エルロード、という神の名前は聞いた事がありません。

 私はそもそも共和国の出なので、パンドラの『黒き神々』については全く知りませんから」

 俺もフィオナも精々覚えているのは、冒険者同盟のメンバーが実際に行使していた加護に関わる神の名前くらいである。

「それじゃあリリィはどうだ?」

 未だに俺の膝の上から頑として動こうとしない妖精さんへと聞いてみる。

「ミア? うーん、えーとね、うーん……」

 ポクポクという擬音が聞こえてくるような唸り具合で思索に耽るリリィ。

 だが真面目な話『黒き神々』に関してはリリィが最も知識を持っているはずだ。

 何と言っても『妖精女王イリス』から力を授かった本物の加護持ちである、少なくとも加護がどういうモノであるのか体感的に知っているのは確実。

「あ!」

 と声をあげたリリィ、その瞬間に俺はチーンというSEが脳内に響き渡った。

「思い出したのか?」

「うん、ミア・エルロードは昔の魔王の名前なの!」

 その答えを聞いて、なんだか益々胡散臭いなと思うが、よくよく考えてみれば『魔王』という単語に関して思い当たる話が一つだけあった。

「もしかして、古代にパンドラ大陸を統一したってヤツか?」

「うん!」

 やはり‘古の魔王’という伝説だ、そうか、その魔王の名がミア・エルロードというのか。

 ダイダロスの竜王もその魔王エルロードに憧れて大陸統一の野心を燃やしていたという話を、イルズ村で異世界の常識を学ぶ為シオネ村長の家に通っていた頃に聞いた。

 魔王伝説はパンドラに住む者なら知らない人はいない超有名なお話。

 そもそも各地に存在する遺跡系のダンジョンは全て魔王が活躍した『古代』と分類される時代のモノ、実在のダンジョンと魔王の伝説はほぼセットになって登場するのでこれほど広く伝わっているのは当然と言えるだろう。

「かつてこの世界で何らかの偉業を成し遂げた者が神の座に就くと言われています、伝説の住人ならば、加護の一つも与える本物の神様になっていてもおかしい話ではありません」

 それは俺も聞いた事のある説だ。

 ヴァルカンの加護である『孤狼ヴォルフガンド』は巨大な狼のモンスターで、スーさんの加護である『影渡ハンゾーマ』は伝説的な暗殺者だったらしい。

 神様は神様が生み出すのではなく、実在する人物なりモンスターなりが死した後に昇華した存在だという。

 ならば、パンドラ史上唯一の大陸統一を成し遂げた人物であるなら、神にならないはずが無い。

「んー、でも、魔王の加護を持ってる人はいないんだよー?」

 舌足らずなリリィの説明を聞くところによると、魔王エルロードの加護を得るために歴史上何人もの人物が、例に漏れず竜王ガーヴィナルも挑戦したが、僅かな影響も効果も発生せず、完全な失敗に終わったらしい。

 逆に考えてもし魔王の加護を得た者が存在するなら、その話は瞬く間にパンドラ中を駆け巡り、イルズのような田舎までも伝わるほどの一大ニュースとなっているはずだ。

 ちなみに、リリィは生まれてから3回ほどそのニュースを耳にした事があるらしいが、全てガセであったとオチがついたと言う。

「何だか、ホントに胡散臭い話になってきたな」

 ここで「じゃあ俺が史上初の魔王の加護持ちだぜ!」と舞い上がれるほどバカにはなり切れない。

 誰でも知っているほど有名な魔王の名、けれど誰も得られなかった加護、そんな凄そうなモノを俺が持ちえたと言うよりも、あの子が名を騙ったと考えるほうがよほど納得いく。

「ですが、本物の魔王で無かったとしても、クロノさんが何らかの加護を得たのは本当の話ですよね」

「いや、確かに左目は綺麗に治ったが――」

「その赤い目はクロノさんのモノでは無いでしょう?」

 フィオナの指摘に違和感を覚える。

 この目は確かに俺のモノじゃない、元々はあの子の左目だった。

 いや、そこまでは良い、おかしいのは‘赤い’というところだ。

「もしかして俺の左目って、赤くなってるのか?」

「なってますよ、それはもう真っ赤に染まっちゃってます」

 確認しますか? と言って三角帽子から女の子の嗜みである手鏡を渡される。

 ぎこちなく礼をいいつつ、恐る恐る小さな鏡を覗き込んでみると、

「な、なんじゃコリゃあ!?」

 そこには、真紅の瞳を持つ俺がいた。

 違和感無く俺の左目として機能しているのだから、当然この右目と同じく黒くなっていると思っていたが、本当にミアが持っていた赤眼をそのまま移し替えたようになっている。

「カッコいいですよクロノさん」

「クロノカッコいい!」

 額から一筋の冷や汗を流しながら、俺は黒と赤のオッドアイとなってしまった自分の顔としばらくにらめっこする。

 これはマジですか、あのイカれたマスク共だって俺のルックスまでは手を加えなかったと言うのに、まさかここに来て思わぬイメチェンをすることになるとは……

「うん、まぁ、目は見えるからいいよな」

 そうだ、大事なのは結果である、ここまでしてもらって文句を言うなど、ミアが神様でなくともバチがあたるというものだ。

「そうですよ、魔王かどうかは分かりませんが、その子に感謝するべきでしょう。

 それに話を聞いた限りでは、その内ちゃんと加護の正体なりが分かるような感じですよね」

 フィオナの言うとおり、これは今すぐ真相を解明できるモノでは無い。

 聞けば、パンドラの黒き神々を祭る神殿で儀式をすることで、加護を得たかどうか、どの神による加護なのか、ということが分かると同時に、この上ない確実な証明になるのだとリリィが教えてくれた。

 ただ、それ相応の強さの加護を得ていないと、はっきり判別することができず、料金だけとられて儀式失敗ということもあるらしい、なかなか汚い商売をする、宗教関係はやはりどこもこんなものなのだろうか。

 ともかく、自他共に魔王エルロードの加護を得た、と証明するには神殿の儀式を確実に成功させるだけの強い加護の力を身につけてからだ。

 さし当たってミアの言う‘試練’が何なのか、そしてソレを乗り越えると本当に加護が得られるのか、それを確かめなければどうにもならない。

 ここは目が見えるようになった事と、加護を授かる可能性が出た事の、大きな二つのメリットを喜んでおこう。

「とりあえず、加護を授かる試練が何なのか全く分からないから、無為に探すよりは予定通り冒険者として活動していこうと思う」

 俺が復活(?)したので、いよいよ本格的にスパーダでどう生活していくかを話し合わなければならない。

「うん、みんなでクエスト行く!」

「そういえば、三人でクエストを受けるのは初めてですよね」

 色々あったからな。

 今でも完全に吹っ切れたワケじゃない、忘れたワケでもない、ただ、俺のやるべきコトに打ち込めるだけの気力を取り戻した、それだけのこと。

 これからも今朝のような悪夢にうなされる日々は続くかもしれない、けど、リリィを泣かせるような真似は決してしない。

「俺も『エレメントマスター』として冒険者生活送るのは楽しみだ、けど――」

 大丈夫だ、俺はまだ、前に進んでいける。

 大丈夫だ、俺にはまだ、共に歩む仲間が残っている。

「俺は強くなりたい、だから実力向上になるような、キツいクエストを受けようと思う、どうだ、付き合ってくれるか?」

「うん、リリィはクロノとずっと一緒だよ!」

「はい、私も一緒について行きますよ」

 わざわざ問いかける必要も無いほど、快諾する二人。

「使徒を倒せるくらい強くなりたい、そう思ってる」

「大丈夫、リリィも一緒に頑張るの!」

「そうですね、このパーティなら使徒を倒せるくらい強くなれると思います」

 心強い言葉をありがとう。

 これで何の気兼ねもなく、これからの冒険者生活における方針が打ち立てられる。

「よし、じゃあ一緒にレベルアップ、頑張ろうぜ」

 今度だ、今度会ったその時こそ、従える何万の狂信者諸共、必ずこの手で使徒を殺してやる。


 リリィはクロノの目玉入りポーション(観賞用)を手に入れた! リリィはクロノを見つめている。


 クロノはオッドアイキャラにクラスチェンジした! クロノの中二レベルが上がった!


 さて、次回で第10章最終回です。『エレメントマスター』の本格的な冒険は次章からになります。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 想い人の眼球を所持するヤンデレキャラを見たことが無い、と思えたことです。
[一言] 目玉………金髪……赤い目?………うっ頭が
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