第161話 魔女の一人酒
あまり上等とは言えない味の果実酒を飲み干す。
仄かな甘みと酸味が利いたこのお酒は、安価な値段ということもあり、スパーダの庶民に広く親しまれているのだと、注文した際にお喋り好きな猫獣人の従業員がニャンニャンと教えてくれた。
彼女は今も『猫の尻尾亭』の食堂を忙しなく行ったり来たりして配膳を行っている、もう少ししたら、私も新たなツマミを頼もう。
値段相応な品質の果実酒が喉を潤し、そこに含まれるアルコールが少しばかり私の身体を熱くさせてくれる。
「……あんまり、酔えないものですね」
今の私は、板挟み、という状態にあると言った所でしょうか。
失意に沈むクロノさんと、絶望にむせび泣くリリィさん、その悲しみの因果に違いはあれど、両者の精神状態がどん底であることに変わりは無い。
私だって、アルザスの一件に悲しみの感情を抱き、また、クロノさんを心配しています、リリィさんは、まぁ自業自得、いえ、それなりに心配してますよ。
けれど、結果的に私だけがいつもと同じフラットな状態であることは変えようの無い事実であり、そんな私が二人の沈んだ姿を見るのは、酷く心が痛みます。
私には決定的に人と接する経験が不足しているので、こんな時、どう声をかけて良いのかまるで分かりません。
二人に接するのがストレスでは無く、上手く二人に接することが出来ない自分に、酷いストレスを覚えるのです。
そういう自己嫌悪しちゃった時はお酒を飲むに限る、なんて先生が言っていたような気がしたので、とりあえずこうして飲んでみたのですが、うーん、どうにもままならないものですね。
思い返せば、先生がベロンベロンに酔っ払って私が介抱した記憶しか無く、お酒を飲んで問題が解決したことなど無いように思えます。
いえ、お酒を飲むのは嫌な事を忘れる現実逃避的な行動ですから、今の私に必要な解決策を与えてくれるものではそもそも無いのですよね。
なんてことを、果実酒の瓶を二つ空けた今更になって思う。
「はぁ、どうすればいいんでしょうか、クロノさん」
目下のところ一番の問題はクロノさんだ。
アルザスの一件は、確かに悲惨で最悪の決着となりましたが、それでも今となっては終わったことで、どうにかすることなど出来ません。
そもそも、あんな少数で十字軍と事を構えようとしたのです、全滅してもおかしく無い戦力差がありました。
使徒の襲来は完全に予想外でしたが、全滅という結果は全く考えなかったわけではない、少なくとも、私とリリィさんは。
冒険者が悉く戦死を遂げたのは酷く残念に思えますが、それでも最悪の結末の一つとして、すでに受け入れることができている、と同時に、クロノさんほど思い悩むことの無い自分に対して、少しばかりの嫌悪も沸きますね。
しかしながら、生き残った避難民については、あのような態度をとった所為で、反感すら抱き、彼らの犠牲など尚更に心が揺れることがなくなりました。
あの人たちは、クロノさんがどれだけの思いをして、どれだけ頑張ったのかを知りません、知ろうともしません。
リリィさんが飛び出さなければ、私があの場を焼き払っていたかもしれない、そう冗談に思えないほど、腹立たしい気持ちがふつふつと湧き上がった。
そう考えれば、リリィさんは恐ろしく冷静で、理性的な対応をしたものです。
騒ぎを広げず、双方の距離を上手く引き離した、完璧な手際、ちょっと私には真似できない――けれど、そんな頼りになるリリィさんも、まさかクロノさんの一言だけであそこまで落ち込むとは……
今の状況は、クロノさんが立ち直ってくれれば全て解決する。
それに、そんな打算的な考えだけでなく、私個人としても、今のクロノさんの姿を見るのは、とても辛い。
クロノさん、異世界からやって来た異邦人、『エレメントマスター』のリーダー、冒険者同盟を率いて十字軍と戦った、強く、そして、優しい人。
私を受け入れてくれた、頼ってくれた、期待してくれた、パーティーメンバーだと、仲間だと言ってくれた。
その一方でリリィさんは、どこまでも怜悧冷徹、徹頭徹尾、己の利益のみを追求できる残酷さを持っている、私をパーティに引き入れているのはそこにメリットがあるからだ。
それでも、完全な利害のみで人を見ることの出来るリリィさんは、十字教の神なんかよりもよほど公平で平等、私のような暴走魔女を受け入れるのは、本来、彼女のような人物しかありえない。
そういう意味で、リリィさんには感謝もしているし尊敬もしている、まだ短い付き合いですが、少なからぬ友情の念も抱いています。
けれどやはり、クロノさん、彼のように全幅の信頼と親愛を向けられるのは、一切の理屈抜きに嬉しく、そして心地よい、もう二度と一人に戻れなくなるほどに。
だから――ああ、そうだ、私は何よりも恐れている。
もし、クロノさんが冒険者を辞めてしまったら? パーティを解散してしまったら?
「そんなの……絶対にイヤです」
彼と離れるありとあらゆる可能性が、恐ろしい。
それこそが、私にとって最悪の結末というものだ。
私はようやく出会えたのだ、自分を受け入れてくれる人を、守りたいと思える大切な人を。
「でも、私には……」
そんな彼に、かける言葉が見つからないのだ。
情けない、どこまでも情けない、今ほど人とのコミュニケーションを図らず一人で生きてきたことを悔しく思ったことは無い。
仲間だと言うのなら、こんな時にこそ力になるべきなのに、私ときたら、どうすれば良いのか全く分からないのです。
何かをするべき、でもその何かが分からない――なんて無様で愚かしい悩みなんでしょうか。
そうして、そのまま負の思考に囚われかけた、その時でした。
「フィオナ」
声が聞こえた。
聞き間違えるはずが無い、それは紛れも無くクロノさんのものなのだから。
「クロノさん?」
面を上げれば、そこに立つのはやはり、クロノさんに違いなかった。
「心配かけてしまったみたいだな、済まない」
そうして謝罪の言葉を口にしたクロノさん、けれど、その顔は別れた時と違って、どこか晴れやかな面持ちだった。
ああ、そうか――この人は、私なんかがどうこうする前に、自分で立ち直った、立ち直ることができたのだ、そう理解した。
「いえ、無事に帰ってきてくれて、なによりです」
結局、何も出来なかった自分に自己嫌悪、けど、そんな些細な思いよりも、今はただ、言葉にした以上に、彼が戻ってきてくれたことが喜ばしい。
「おかえりなさい、クロノさん」
「ああ、ただいま」
本当に良かった、どうやら私はまだ、彼の隣にいることができそうだ。
第121話『黄金太陽』以来のフィオナ視点でした。
今更な話ですが、主人公以外のキャラ視点を入れるのは、小説的にどうかと思ってます。しかし今のところこれ以外で上手く表現できないので、このままやっています。気になる人がいたらスミマセン。