第154話 平穏の影(2)
クロノ、リリィ、フィオナの冒険者パーティ『エレメントマスター』は、宿泊している『猫の尻尾亭』で、少し遅めの朝食をとっていた。
このスタッフ全員が猫獣人で構成されるユニークな宿は、宿泊施設としては中の下と低ランク冒険者向けであることに加え、入れ替わりの激しい外から流れてくる冒険者の利用が多く、クロノ達の身の丈にあった相応しい宿である。
豪華ではないが、量だけはある料理を食べながら、三人は特に決まっていない本日の予定を話し合う。
「今日はどうする? ギルドに行ってクエストでも見て来るか?」
表向きは平静を装っているクロノは、冒険者としてあるべき行動を考え、そんな提案をする。
「無理しなくてもいいんだよクロノ、もう少し休んでいても……」
幼い姿ながら、今は大人の意識を戻しているリリィは、クロノを気遣う発言。
「いや、大丈夫だ、それにお金もそこまで余裕があるわけじゃないしな」
緊急クエストの報奨金は、一人当たり10ゴールド、より正確に言うならスパーダの貨幣単位である10万クランが支払われた。
ダイダロスではシルバーとゴールドがそのまま単位だったが、スパーダを含むパンドラ大陸中部の都市国家群では『クラン』という通貨単位で流通している。
1クラン=1シルバーと分かりやすい、ちょっと頭の足りない冒険者でもすぐに理解できる通貨価値だ。
「30万クランあれば、生活するだけならしばらくやっていけるのではないですか?」
この宿は一泊3000クラン、単純計算で100日は滞在できる。
それなりに飲み食いその他に出費しても、少なくても一ヶ月以上は生活していけるだろうことは、クロノでもすぐ理解できた。
「そうね、貴女の食費が抑えられれば‘かなり長く’生活していける金額ね」
「私に死ねというのですかリリィさん」
フィオナの前にはクロノとリリィが消費した倍以上の皿がすでに重ねられている。
久しぶりにフィオナの本領発揮を見た気がしたのだった。
「生活費に全部使うわけにはいかないでしょう、私達は冒険者なんだし、そうね、色々と消費しちゃったから、今日は装備を整えるために買い物に行かない?」
料理を追加注文し、現在進行形で食費を圧迫しているフィオナを放っておいて、リリィはそんな提案をする。
「買い物か、確かに色々と……」
考えてみれば、クロノが一連の戦いで失ったモノはあまりに多すぎた。
愛用の黒ローブ『悪魔の抱擁』に始まり、黒色魔力のみの扱いに長けた珍しいタクト『ブラックバリスタ・レプリカ』、魔剣用の剣、各種ポーション、等等。
結局、手元に残っているのは、矢が貫通し穴が空いただけですんだ『呪怨鉈「腹裂」』とキプロスから鹵獲した『聖銀剣』の二つのみ。
およそ戦いに必要な全ての装備は、綺麗サッパリ使いきって、もしくは壊れてしまったのだった。
「色々と、必要なモノが多いな、下手したら30万なんてすぐ飛んでしまう」
装備の破損が無い二人に対して、クロノは少々申し訳なく感じてしまう。
「別にいいわよ、30万くらいすぐに稼げるわ」
どうせ‘はした金’だ、とまではリリィは言わなかった。
「そうだな、頑張って稼がないとな」
クロノは、このまま何もしないでいることに、どこか焦りを覚えていた。
スパーダの軍事力に、国境線を守るガラハド山脈に構える難攻不落の要塞、十字軍が攻め込んできたとしても防衛できるほどの戦力があるという事は、数日前にスパーダ冒険者ギルドで事情説明した折に聞いた。
しかし、ダイダロス軍の前例がある為、いくら大丈夫だと言われても不安は拭い去ることは出来ない。
だからと言って、一介の冒険者でしない自分に一体何ができるのか、その立場からやれることの限界も自ずと理解できてしまう。
ランク1と最低ランクな上に余所者の冒険者、そんな自分がスパーダ軍に対して注意を促すことなど不可能、戯言以上の対応がされないだろうことは明らか。
今回の緊急クエストの報告と、ダイダロス陥落の情報を得たスパーダの上層部が、十字軍に対する警戒を強めてくれることを祈る以外に出来ることは無い。
それが分かっているからこそ、クロノは何も言え無いし、リリィも十字軍の対策などすでに自分達の手を離れた事柄であると思い、忘れてしまったかのように話している。
しかしながら、クロノは十字軍の事を忘れることなど出来るはずも無いし、気にしないことも出来ない。
現実的に自分が出来ることと言えば、十字軍がスパーダへ攻め込んできた際に、冒険者として再び戦に参加することだけである。
それを思えば、十字軍との戦いに備えること、いや、より正確に言うならば、もう自分の無力を嘆かないよう‘強く’なっておくことが、自分の責務のようにクロノは思っていた。
「それじゃあ、今日は買い物に行こうか、早くこの街にも慣れておきたいし」
それでも、クロノは今すぐ悲哀も後悔も振り切って、己が強くなる為にアクティブな行動が出来るかと言えば、NOと言わざるを得ない。
人はそこまで単純なものではないのだから。
今はやはり、リリィが考える通り、クロノには休息が必要なのであった。
「うふふ、楽しみだな、私こんな大都会に来たのって初めてだから」
リリィは見た目相応の実に愛らしい笑顔をクロノに向ける。
「ああ、確かにスパーダは広い――」
「失礼します、お客様」
と、その時クロノの後ろから声がかけられる。
そこまで煩く騒いでいたわけではないのだが、と思いつつ振り替えると、そこに立っていたのはエプロン姿の小柄な猫獣人、格好といい発言といい、間違いなくこの宿の店員である。
「お客様、クロノ様、で間違いありませんね?」
「はい」
「お手紙が届いております、どうぞ」
ありがとうと礼を言いつつ、一体誰が自分に手紙などを寄越すのか、と疑問を感じながら書面を見ると、すぐに得心がいった。
「シモンからか」
シモンとはスパーダに到着してから、すぐに別行動となっている。
救助に現れた部隊の隊長である姉に連れられて、その後は忙しいのか会うことが出来ないでいた。
どうやって自分の居場所を特定したのか少々疑問に思うが、あの姉のようにスパーダのお偉いさんと関わりがあるなら、冒険者一人の消息くらい調べることは出来るのだろうと予想した。
「それで、シモンがどうしたの?」
「ん、ああ、えーっと……」
リリィに急かされる様に促され、クロノは書面に目を走らせる。
そこに書かれている内容を読み取ったクロノは、真剣な表情になって伝えた。
「避難民の生き残りが、何処に居るのか分かった」
そう、とリリィは短く返事をすると同時に、今日の買い物が中止になったことを悟るのだった。