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黒の魔王  作者: 菱影代理
第10章:魔王と勇者
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第152話 悪夢(2)

 その少女は、唐突に現れた。

 淡い桃色の頭髪に、一見すると魔術士のような白い服装ではあるものの、丈は短く太腿や肩を露出する少々過激な格好。

 よく整った顔立ちに、自身の美貌をよくよく理解しているかのように飾り立てる煌びやかな装飾品の数々を身に纏っている。

 派手好きな貴族の子女、という表現が一番しっくりくる姿。

 だが、

「第十一使徒ミサ、まぁ、魔族如きがこの名の意味なんてわかんないだろうケドね――」

 彼女は、人の皮を被った化物だった。

「う、あ……」

 気がついた時には、うつ伏せに倒れていた。

 何らかの攻撃魔法の余波に巻き込まれ、軽々と吹き飛んだ自分は、全身を強く地面に打ち付けられたのだと、ボンヤリとした頭の中で理解した。

「……シモン」

 自分の名前を呼びかける聞きなれた声で、シモンは意識が戻り始める。

「スース、さん?」

 周囲の状況がハッキリと認識できるほど意識が回復すると、自分がスースに抱えられて、引っくり返った馬車の残骸の影にまで移動させられていることが分かった。

 だが、それ以上に気になったのは、普段は飄々として常に余裕を感じさせる彼女の表情が、焦りに、いや、苦痛に満ちていた。

「あの、大丈――んぐっ!」

 気遣いの言葉は、咄嗟に彼女の手で塞がれる。

「声を出しちゃダメだ、気づかれる」

 背後から抱きしめられるような体勢で、耳元に口を寄せて小さく囁いたスースの言葉に、シモンは頷いた。

「アイツには、勝てない――」

 スースはシモンを抱いたまま、音を立てず器用に転倒している馬車の隙間へその身を滑らせた。

 狭く暗い、僅かに蓋が開いた棺桶に押し込められたような感覚。

「このまま隠れてやり過ごすしか、生き残る道は、無い……」

 その声音には、どこか諦めに近い響きがあった。

「ん、んー!」

 口を塞がれたまま、シモンが抗議の声を挙げた。

 外では激しい戦いの音と、冒険者達の絶叫が響き渡ってきている。

 まだ戦っているのだ、あの絶望的な強さを持つ少女と、諦めることなく、命の限り抵抗を続けている。

 それにも関わらず、自分だけ隠れていることに、勇敢な戦士ではない脆弱な錬金術師であっても、激しい抵抗感を覚えた。

「不覚にも、コアに一発くらってしまってね……すまないが、私にはもう君を擬態で隠すくらいしか、力が残ってないのさ……」

 それを聞いて、シモンは体を硬直させる。

 彼女の種族がスライムであることなど自己紹介の時点で知りえている情報、そして、ランク1冒険者のシモンでも、スライムの急所がコアであるということも知っていた。

 コアは人体において脳と心臓を併せ持つような、スライムにとって生命を司る最重要器官であり、その損傷は避けがたい死を意味する。

「……」

 かける言葉が見つからない、いや、例え何かを言おうとしても、未だ口を塞がれている以上は喋ることができない。

 だが言葉など無くとも、スースにはシモンが思っていることなどお見通しという様子。

「大丈夫、必ず君を守り通してみせる、から……」

 シモンは、足の先から水に浸かっていく様な濡れた感覚を覚える。

 それは、下半身をスライム化させたスースがシモンの体を覆いつくすような動きを見せているためだ。

 それに嫌悪感など、感じるはずもない。

 彼女は己の死を前にしても、ただシモンを守ることだけを考えて行動しているのだから。

「……ん、んっ!」

「ふふ、優しいな、心配してくれるなんて……君が気に病む事はないさ、好きな人を守って死ねるなんて、そう悪い死に様じゃないだろう?」

スースの胸元から下にまでスライム化は進み、シモンの体をもう首元に届くまで覆いつくしている。

 人の形が完全に残っているのは、平凡な容姿の女性の顔と、シモンの口を塞ぐ右手のみ。

「それじゃ、さよならだシモン、愛してるよ――」

 スースはシモンの口から右手を離すと、代わりに唇で塞いだ。

 いや、それは紛れも無く恋する女性の熱烈なキスだった。

「んっ!」

 唇に触れる柔らかな感触は、僅か一秒にも満たない。

 ついにスースの体は全てスライムへと戻り、シモンの全身を足先から頭の天辺までその半透明の液体で覆いつくす。

「……!」

 守られている本人には分からないが、それは完璧な隠蔽技術であった。

 まずスライムの表皮は周囲の風景と完全に同化するほどの擬態能力を発揮、実際に触れてみなければ、そこに何かがあるとは分からない。

 次に、音と匂い。

 シモンが僅かに身じろぎしても、物音一つ外に漏らす事無く吸収し、また体全体を覆っている為、嗅覚の鋭い獣でも察知できないほど完璧に体臭を遮断する。

 そして『影渡ハンゾーマ』の加護によってもたらされる、完全な気配の隠蔽。

 五感は勿論、第六感までも欺くスースの技術スキルは、


「おーい! 誰かー、生きてたら返事してくれー!」


 その言葉通り、見事に使徒の脅威から、シモンを守り通したのだった。

 だが、クロノが現れる頃には、スースの体は生命の輝きを失った、くすんだ赤いコアの残骸と成り果てていた。

 シモンは、あまりに寂しい彼女の遺骸を抱きしめながら、己の無力感に打ちひしがれている。

 そして、それは戦いから一週間たった、今も変わらず――




「ん……」

 夢を見ていた気がした。

 それは僅か一週間前の記憶、何も出来ず、ただ守られて生きながらえた、役立たずでしかない僕の記憶。

 このまま考え続けても、どうしようも無く暗い深みに嵌ってしまうことが分かりきっている。

 意図的に思考を打ち切って、多少無理にでも動き出すことにした。

「……暑い」

 今日は初火の月の13日、いよいよ本格的な夏に向かっているらしく、昨日よりもずっと気温が上がっている。

 僕は嫌な寝汗をかいてベトつく体を引き摺るようにしてベッドから抜け出す。

 真っ白いシーツのかかったキングサイズのベッドはただでさえ小さい僕にとって、持て余すほどに大きすぎる。

 それも、ただ大きいだけではない。

 天蓋こそ付いてはいないものの、シンプルな作りながらそこに使われている素材はどれも一級品。

 僕のようなランク1冒険者が身を横たえるものではない。

 そして、身分に不相応なものはベッドだけで無く、この寝室そのものがそうだ。

 ギルドの客室や研究室という名の物置とは、比べるのもおこがましい。

 広さや造りは勿論、そこに置いてある家具から調度品のどれ一つとして平凡なものなどない。

 まるで貴族が住まう部屋のような――いや、ここは正真正銘、貴族の屋敷、その一室なのである。

「何時になったら、ここから出られるのかな」

 思わずそう呟く。

 それ以上の独り言は、止め処ない姉への文句にしかならないので止めておく。

「助かったのはよかったけど、こんなことになるなんて……」

 はぁ、と大きく溜息をつきながら、僕はスパーダ軍第二隊『テンペスト』の隊長にして、スパーダ貴族である義理の姉、エメリア・フリードリヒ・バルディエルと三ヶ月ぶりの再会の時を思い返した。




 スパーダ軍第二隊『テンペスト』は、馬の嘶きと蹄が力強く地を蹴る音を響かせて、闇夜の向こうからその堂々たる威容を現した。

「おーい!」

 大声を上げて、両手を振るうのはシモン。

 クロノとリリィとフィオナの三人は、シモンから一歩離れた後ろで黙って立っている。

 今やってくるスパーダ軍の部隊、その隊長が姉であるというシモンを表に立たせて接触することで、妙な面倒事を避けようという魂胆であった。

 そして、それは見事に功を奏す。

 警戒されることも、攻撃魔法をいきなり撃たれることもなく、鎧姿の騎士軍団は、シモンの前で静かに停止した。

「シモン? シモンなのか!?」

 夜空に凛とした女性の声が響き渡る。

「うん、リア姉――」

 シモンが答えると、キングサイズの一角獣ユニコーンから鈍色の全身鎧フルプレートメイルを纏った重騎士アーマーナイト、いや、より正確に言うならば将軍ジェネラルが軽やかに舞い降りた。

 手にする槍斧ハルバード大盾タワーシールドを隣の騎士に押し付けるように預け、自由になった両手を広げてシモンへ走りよった。

 完全装備の女騎士が迫る様子は、さながら鋼鉄の壁が押し寄せるような威圧感である。

 思わず背中を見せて逃げ出しそうになったシモンだったが、この状況で引けるはずも無い、甘んじて姉である巨大な鎧兜の突進を受け止める。

 その瞬間、クロノは小学生の交通安全教室で見た、ダミー人形が10tトラックと正面衝突して交通事故の恐ろしさをアピールする映像が思い浮かんだ。

「シモン! この大馬鹿者が、あんなババアにたぶらかされてスパーダを離れるからこんな事に――」

 シモンは頑強なガントレットを装着した二本の腕に絞め落とされて、否、抱きしめられて、姉から突然の説教を浴びせかけられた。

 衝突して一瞬意識の飛んだシモンは、台詞の後半部分で目を覚まし、

「あの、リア姉、今はそれよりも、助けて欲しいんだけど――」

 本来の役目である救助を主張するのだった。

 その様子を、一歩離れて立っているクロノは余計な口出しをせず黙って見守ると同時に、シモンの姉である女騎士を観察していた。

(すげぇ、母さんより大きい女性なんて始めて見たぞ、というか俺よりもデカいんじゃないのか?)

 そんな感想を抱いたクロノの見立ては正しい、彼女は重厚な鎧冑を装備しているとはいえ、その身長は確実に190センチを越えていた。

 150センチ+αの小柄なシモンを抱きしめる様は、姉弟というよりも完全に親子のソレだ。

 しかしそんな巨躯を誇りながらも、その兜から覗く素顔は男かゴリラか見紛うような厳ついものでは無く、エルフ特有のシャープで整った顔立ちをしていた。

 蜂蜜色の濃いブロンドヘアはシモンの灰色の髪と異なっているが、その瞳は同じエメラルドグリーン、典型的なエルフの髪色と目の色である。

 その切れ長の目は美しくもあるが、それ以上に冷酷さを思わせる鋭い容貌となっていた。

 そんな冷たい美貌を持つことよりも、クロノはシモンを抱きしめつつ武器を手放した状態である彼女が、全く隙を見せない方が気にかかる。

 自分よりも格が一つ上の実力を持っているとクロノは直感した。

(今ここで敵対されたら、俺達は確実に死ぬな)

 シモンがいるので恐らく大丈夫だろうとは思うが、クロノの頬を冷や汗が一筋流れた。

 そうして緊張状態の続く、シモンと姉の話し合いであったが、

「――おおよその事情は、こちらでも把握している。

 安心しろ、ダイダロスからの避難民は全て受け入れると、レオンハルト陛下は仰せだ」

 その言葉に、クロノとシモンは安堵の息を吐いた。

 レオンハルトという名はクロノも知っていた、『剣王』の異名をとるスパーダの国王である。

 敵国であるダイダロスの民であっても、寛大に受け入れてくれたスパーダ王にクロノは心の中で感謝した。

 しかし、

「我々が動くのは、少しばかり遅かったようだ、避難民と思われる集団が列を成してガラハド山中で死に絶えていた。

 ここも随分と酷い有様だな、一体何があったんだ?」

 冒険者だけでなく、やはり避難民までも全滅の憂き目にあっていたことを、これからガラハド山脈を越えてスパーダへいたる道中で、クロノは自分の目で見て思い知ることとなるのであった。




 朝の身支度を整えて、朝食をとるべく寝室を出ると、

「あ、おはよう、ございます……」

「おはよう、もう起きていたか、まだ寝ているようなら叩き起こしてやろうかと思ったのだがな」

 そら恐ろしいことを朝一番で言うリア姉と出くわした。

 彼女は本当に‘叩いて’起こすから始末に終えない、しかもパーでは無くグーだ。

 みんなは口を揃えて美しいというけれど、僕にとっては人喰い竜にしか見えないリア姉の顔。

 今はその美貌から汗が玉となって流れている。

 肩口で切りそろえられたブロンドのストレートヘアも、どこか濡れているように見えた。

 薄手のシャツ一枚に簡素な脚絆レギンスを穿いた体からは、オーラのように湯気も立ち上っている、きっと早朝から武技の鍛錬をしていたんだろう。

 強制的に付き合わされなくて良かったと思う。

 何をやっても体力も筋肉もまるでつかない僕の体質を分かっていながら、鍛錬という名のイジメを子供の頃から繰り返し行ってきた姉である。

 僕がバルディエル家を出て冒険者やっている理由の何割かは、この恐ろしい姉から逃れる為なのだ。

 本当に恐ろしい、最狂最悪、傍若無人、人を人とも思わない姉、お兄さんみたいに少しは理解を示してくれる紳士的な態度がとれないものか――

「ん、何か失礼な事を考えていないかシモン?」

 光の攻撃魔法でも出てるんじゃないかと思えるくらい鋭い視線が突き刺さる。

「え、いや、何も……」

「お前は動揺がすぐ顔にでるな、全く、男の癖にオロオロと情けないヤツだ」

 そんな罵倒と共に、両肩を掴まれグイと引き寄せられる。

 40センチ強の身長差があるため、前かがみになって身を乗り出すリア姉の顔が、息がかかるほど近くまで寄せられる。

 こ、これは、威嚇の体勢だ、やられたのは三ヶ月も前だった所為で勘が鈍ったのか回避できずあっさり捕まってしまった。

 緑の眼光を湛える鋭い目が、僕の瞳を覗き込むように映る。

 それと同時に、僕の薄い胸板に圧し掛かる柔らかい超重量の山が二つ、リア姉の規格外のバストが自然と押し付けられる。

 一瞬でも気恥かしい反応を覚えてしまう自分に少しばかりの嫌悪感が湧く。

「シモン、やはりお前は(ウチ)にいないとダメだな、戻ってこい」

 そうしてかけられる否定の言葉は、さらなる嫌悪を僕の心の奥底から引き出した。

「子供の家出じゃないんだよ……僕はもう成人したし、一人で生きて――」

「お前は弱い、冒険者として大成することは出来ない。

 そこらの凡夫なら低ランク冒険者のまま一生を終えるのも良いだろう、だがお前は養子とはいえバルディエル家の者だ、ならば家格に見合った人生を歩むべきなのだ」

 リア姉の言い分は、もし僕が長男だったら素直に頷くことができただろう。

 けれど、バルディエルの跡継ぎである男子、つまり義理の兄は存在している、しかも三人もだ。

「お義父様だって納得してる、リア姉がどうこう言う義理はないはずだよ」

「父上はお前に甘い、ただ我侭を許されているのだと何故分からない?」

「そんなことっ――」

「錬金術などという下らない研究など止めて、家に戻れ。

 今からでも遅くは無い、私がバルディエルに相応しい‘仕事’を与えてやる、いいか、お前のためを思って言っているのだぞ」

「リア姉は、家の体裁を気にしてるだけでしょ、僕のことなんて……」

 分かってくれとは言わない、放っておいてくれるだけでいい。

 ただそれだけなのに、この人は事あるごとにこうして口出ししてくる。

 やっぱり、リア姉の屋敷にいるのはダメだ、これなら実家の方がまだマシだ。

「魔法も武技も使えないお前は、冒険者としては役立たずだ。

 ‘戦’を一度経験しても、それがまだ分からないのか?」

 それは、これまでの勝手な姉の言い分と一蹴できない、致命的な言葉だった。

「錬金術は戦う為の術ではない、とでも言い逃れるか? それでも、お前が守られて無様に生き残った事実に変わりは無いぞ」

「や、やめてよ……」

「身の程を弁えろ、お前は誰かを守れるほど、強くない、決して強くなれない」

「やめてよっ!」

 咄嗟に腕を振り払って拘束から逃れようとする、けれど、僕の非力ではビクともしない。

 それが尚更、僕の弱さを象徴しているようで、途轍もなく情けなくなる。

「ふん、まぁいい」

 軽く突き放すように姉の両腕から解き放たれる。

 振り切るように身を離すと、勢い余ってたたらを踏んで、そのまま尻餅をついて倒れこむ、益々情けない。

「この話はまた後で‘ゆっくり’するとしよう」

 無様に倒れた僕を心底見下すような視線を送った後、そのまま踵を返して背中を向ける。

「そうだ、お前が気にかけていた避難民の生き残り、彼らの処遇が決まった」

「え、ホント!? どうなるの、っていうか、何処にいるの!?」

 僕らを襲った‘少女バケモノ’が、アルザス村で戦いが始まる前の段階で、すでに避難民を襲っていたことは知っている。

 惨憺たる有様がガラハド山中に広がっていたが、僕のように奇跡的な生存者がいた。

 その数は全部合わせて50人いるかどうか、元が一万人近い大人数だったことを思えば、その生存率はきわめて低い、たったの0,5%だ。

 それでも生き残ったことに変わりは無い、彼らがスパーダでどのような扱いになるのかは大いに気になるところ。

 これは恐らく一介の冒険者扱いでしか無いお兄さんはすぐ耳にはできない情報だろう、僕が伝えてあげなくちゃいけない。

「そう焦るな、朝食の折にでも話してやろう」

 それだけ言い残して、リア姉は僕になど興味が失せたように、さっさと立ち去っていった。


 キャラ紹介を久しぶりに更新しました。第9章終了時点での情報が反映されています。

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