第144話 エレメントマスターVS第八使徒(1)
陽が傾き始め、空が薄っすらと朱に染まり始めた時刻になり、アイは浅い眠りの淵より目覚めた。
「んー?」
パッチリ目を開けると、沈み行く夕陽を背景に、悪魔と妖精と魔女の三人が並び立っているのが見えた。
「いきなり撃ってくると思ったんだけど、んふふ、中々に紳士だねぇ悪魔さん」
明らかに1時間じゃ済まない時間が経過しているが、どうせ自分は寝ていたし、急いでいるわけでもないので文句は無い。
向こうが戦いを始める気になってくれただけで、アイは満足していた。
そして、最初の一発目は‘冒険者らしく’こちらが居眠りしている不意をついての奇襲攻撃に出るだろうと予測していたが、見事に外れてしまったことが惜しくもあり、嬉しくもあった。
「悪魔じゃない、俺の名はクロノ・マオだ」
「そっかぁ、悪魔じゃなくて魔王だったのね、あっはっはっは!」
悪魔改め、魔王改め、クロノは、アイの高笑いに眉一つ動かさず、その凶悪な目つきで彼女の一挙手一投足を見逃すまいと鋭い視線を送っている。
「ついでにさ、そっちの魔女っ娘と、いつの間にやら育っちゃってる妖精ちゃんの名前も聞かせてくれると嬉しいな?」
クロノの両脇に立つ二人の美少女へ視線を向ける。
「フィオナ・ソレイユです」
「リリィ」
割と丁寧な名乗りを上げた魔女フィオナと、すでに並々ならぬ敵意が溢れている妖精リリィ。
三人の名乗りを聞き終えたアイは満足そうにうんうんと頷いてから、木を背もたれに寝そべっていた体勢から勢い良く飛び起きた。
「さっきも名乗ったけど、第八使徒アイでーす。
あ、こっちはツミキちゃーん、カワイイでしょ?」
両手で抱えてつきだされる黒猫のツミキ、前に立つ三人の姿は見えているのだろうが、やはり興味無さそうに小さくニャーンと鳴くだけの薄い反応であった。
「ソイツは使い魔か?」
「ん、ああ、戦うのはアタシ一人だけだから、安心していいよ。
じゃ、ツミキ、良い子で待ってるんだよ? ご主人様のカッコいいトコ見せてあげるから!」
アイの拘束から解き放たれたツミキは、そのまま真っ直ぐ街道脇の茂みに飛び込んで行き姿を消した。
「んもー応援してくれったいいじゃん――まぁいっか、それじゃ、いつでもかかって来ていいよ?」
かくして、街道を左右に挟んでアイと三人が対峙する。
合図も何も無い、だが、この瞬間に戦いの幕は切って落とされた。
「――行くぞ」
最初に動いたのはクロノ。
手にするタクトを一振りした瞬間、アイの視界に夜の闇が広がるような黒い煙が広がった。
瞬時に黒煙が周囲一体に濛々と立ちこめ、一寸先も見えなくなる。
だがアイはうろたえる事は勿論、その煙幕から脱することもせず、その場から一歩も動かずゆっくりと長弓を構えた。
「『光散』でいいかな」
今にも千切れてしまいそうな劣化した弦をギリギリと引き絞ると、雪のような白い粒子が収束してゆき、あっという間に光り輝く一本の矢が形成される。
どうやら彼女にとって物質としての矢は必ずしも攻撃に必要なアイテムではないようである、ただの弓であっても、魔法を行使するに全く不自由しない。
「えいやっ!」
弦より放たれたその瞬間、弾ける様に光の矢は分裂し、黒煙の中を突き進み現れた無数の黒い刃を迎撃した。
白色魔力と黒色魔力が中空で激突し、光と闇を互いに散らす。
「ハルバード? ああ、ライトゴーレムのかぁ、ちゃっかりしてるな~」
敵の攻撃である黒い刃、その正体が重騎士の格好を模倣するためライトゴーレムが装備していたハルバードであることを、砕け散った欠片を見て察した。
ただし、実際の重騎士が装備するハルバードに比べ、かなりグレードが落ちる最低限度の品質である。
クロノは剣などを黒色魔力の付加によって自在に操る攻撃方法を、キプロスとの一戦を携帯食料片手に観戦していたアイが知らないはずが無い。
黒化したハルバードの投擲攻撃の正体などすぐに看破される。
「さぁて次は――」
こちらが攻撃しようか、と思い再び弦を引こうとしたアイだったが、
「おっと!?」
即座にその場を飛び退いた。
直後、1秒前にアイが立っていたその場所に、真上から降り注いだ光の柱、極太のレーザー光線が貫き大爆発を起こす。
恐らくリリィと名乗る妖精の固有魔法だろうと察する。
(上級攻撃魔法並みの威力じゃん、発動も早いし、危ないなぁ)
寸でのところでレーザーより逃れたアイは、飛び跳ねた勢いのまま、視界を塞ぐ黒煙の範囲からも脱した。
反射的に使用した速度上昇の武技『疾駆』によって、数十メートルの距離を瞬時に移動したアイだったが、
「――黒凪」
黒煙を抜け出したその瞬間、目の前には大鉈を振りかぶり、武技を繰り出さんとするクロノが現れたのだった。
「そぉい!」
黒い軌跡を描いて振るわれる武技『黒凪』を、真っ直ぐ飛び込むように前転で回避。
自分の体の上ギリギリのラインを赤黒い禍々しいオーラを纏った大鉈の刃が通過していくのを感じる。
避け切った、と思った次の瞬間、アイの背中に僅かな痛みが走った。
「いっ!?」
斬られた、というのは直感的に分かった、そのすぐ後、何に斬られたのかも判明した。
クロノの左手に握られているのは、白銀の輝きを放つ長剣。
「流石は聖銀の剣、そのオーラもあっさり切り裂ける」
「キプロスの!? ホントにちゃっかりしてんねアンタ!」
シンプルなデザインの剣だが、それは紛れも無くキプロス自慢の『聖銀剣』であった。
そのまま使っているのは、恐らく白色魔力を宿す聖銀との相性が悪い事によるものだろう。
いや、そんなことよりも、とアイは考えた。
(さっきキプロスと戦った時と動きが全然違う――)
『疾駆』を使って移動した自分に追いついてきた速度、そして自分の体に刃を届かせるだけの威力と剣速で攻撃を繰り出した事、どちらも先の戦闘では見られなかったものだ。
しかし、視線の端に長杖を振るう魔女の姿を捉えた瞬間、その回答も得られた。
「なるほど、強化してもらったってワケ!」
「正解だ!」
禍々しい闇を纏う大鉈と神々しい光を放つ長剣、黒と白が交差する二連撃が弓しか持たないアイを襲った。
「――っ!」
すでに人間の膂力を遥かに上回るパワーに加えて、フィオナの『腕力強化』がかかったクロノの剣戟は、達人の域に達するほど鋭く、速く、重い一撃となる。
物理攻撃、魔法攻撃、両方に対して耐性を持つ使徒特有の白銀の魔力オーラだが、クロノの振るう剣は、そこにただの霞しか無いかのように、あっさりと切り裂いてゆく。
オーラの防御力はすでに無いに等しい、アイは己の体捌きと動体視力と直感を駆使して嵐のように繰り出される連続攻撃を回避する。
「おおっ――」
防戦一方のアイ、その柔らかな頬に一筋の傷が走り、鮮血が吹き上がった。
乙女の命とも言える顔を傷つけられたにも関わらず、その顔には喜びの表情が浮かぶ。
「やるねぇ、予想以上だよ!」
そう言い放った瞬間、アイはすぐ背後にまで迫っていたかすかな気配を察知した。
「そう言うくせに、貴女まだ手加減してるでしょう?」
振り向けば、アイの目に飛び込んでくるのは美しき少女の姿。
白金のロングヘアを振り乱し、エメラルドの瞳から殺意の視線を発しつつ、繊細なガラス細工のような手のひらを自分の頭に向かって突き出すリリィがそこにいた。
(あ、コレはヤバい)
背筋を凍らせながら、アイは今出せる全力でもって回避行動に移る。
いったいどれほどの熱量が篭められているのか、紅葉のような可愛らしい手のひらには緑色に輝く眩い光が宿っていた。
致命的な一撃となる可能性が高い妖精の手から逃れることに集中し、正面より斬りかかって来るクロノの攻撃が上手く避け切れないことを許容する。
「くあっ!」
リリィの手のひらが側頭部をかすってゆくのを感じると同時、これまでにない鋭い痛みが手足に走る。
健康的な魅力溢れるアイの白い太腿と二の腕が、クロノの二連撃によって赤い傷跡を刻まれた。
致命傷とまではいかない、だが確実にダメージが入った、明確に認識できるほどの痛みに、どこか懐かしさを憶えると共に、
(これは、評価を改めないといけないね)
この三人の冒険者パーティの戦力評価を、一段階引き上げることに決めたのだった。
「――『白光矢』」
素早く構えた弓を引いた瞬間、番えられるのは2本の白い光の矢。
放たれた光の中級攻撃魔法『白光矢』は、それぞれ別方向にいるクロノとリリィを確かに捕捉し、1本ずつ空中で軌道を瞬時に変化させながら飛翔した。
クロノは軽量で光に高い耐性を持つ『聖銀剣』で、リリィは元より強い光の属性を持つ『妖精結界』で、アイが高速で放った追尾能力付加の『白光矢』を防ぎきった。
二人の目の前で光の矢が眩い閃光を放って砕け散る。
その光によって視界が遮られた一瞬の間に、アイは二人から10メートルほど離れた街道の上に移動していた。
「いやーホントにやるね、たった三人にここまで押されたのは久しぶりだよ」
傷口から血を流したまま、回復もせずにアイは楽しそうに言葉を続けた。
そんなアイに対し、三人は特に驚く様子も無く、注意深く構えたまま。
「これはもう一つ封印解除しないと、相手になんないわ――」
アイは弓を握っていない右手でゆっくりと、ツインテールを形作る髪留めへ手を伸ばした。
彼女の金髪はゴムや紐で縛っているのではなく、銀色のリングで括られている。
つい先ほど己の右腕に装着していた銀の腕輪と全く同じ質感の髪留めに、軽く指先で触れてから、アイは唱えた。
「――封印解除」
そうして、腕輪と同じように、銀のリングの髪留めは弾かれたように外れ――無かった。
「……あり?」
目を白黒させるアイ、それはいつものようなおふざけでは無く、心の底から驚愕していたのだった。
(あれ、どうなってんの、何で外れないのコレ? 故障?)
ツンツンと指先で髪留めをつついてみるが、反応は無い、本当にただのシルバーアクセサリーになってしまったかのようだった。
だがそんなはずは無い、この二つの髪留めは神より供給される無限の白色魔力を抑える為の封印器である、一介の冒険者を演じるアイにとって必要不可欠な‘枷’なのだ。
「封印解除! 封印解除!」
その一言で、簡単に封印から解き放たれるはずなのだが、やはり髪留めは反応を示さない。
(いやいや、このタイミングで故障とか――いや、壊れたんなら封印は自動的に解除されるはず、それでもキーワードに反応しないってことは)
このリングの構造を簡単に知っているアイは、咄嗟に一つの可能性に思い至った。
「――『交信妨害』だ!?」
そして、ソレを行使することのできる術者は、相手のパーティに存在している。
妖精リリィ、彼女は『交信妨害』によって実験部隊のテレパシー連携を無効化して、殲滅を容易にした。
(けど、ソレとコレとは妨害のタイプも異なるし、封印器にピンポイントで合わせてくるって、どういう――)
原因と対策、考えれば自ずと答えは出るのかもしれない。
だがしかし、その時間を与えてくれるほど相手は優しくない、なぜならアイは遊び半分でやっていても、彼らにとっては命がけの戦いなのだから。
「――影触手!」
キプロスの『黒喰白蛇』封じに利用した時と、全く同じ形状、大きさの黒い4本の触手を携えたクロノが、アイに怒涛の勢いで迫り来る。
「うわっ――」
慌てて迎撃のために弓を引く。
封印状態において、瞬時に反撃できる手段は限られる、出せるだけの『光矢』を放つが、
「黒盾!」
防御魔法を構えて突撃するクロノを、高々数十発ほどの下級魔法でとめられる筈も無い。
「もう、ちょっと待ってって――」
止められないなら逃げるしか、相手から距離をおくしかない。
アイは未だ『疾駆』の効果が残る健脚でその場から移動を試みるが、
「お馬鹿さん、逃がすわけないでしょう?」
何時の間にかアイの背後に回りこんでいたリリィが止めに入った。
背後と左右、クロノから逃れる全ての回避経路を、リリィの放った無数の光の玉が封鎖する。
(ヤバっ、逃げ道無い――)
突っ切るか、と考えるが瞬時に却下、今の状態ではリリィの魔力と殺意によって構成される光の玉に触れるのは、そのダメージを思えば危険。
結果、退路を塞がれたアイはその場で弓を引き、もう目前まで迫った4本の触手を生やすクロノを狙うより他は無い。
何十という光の矢を受け止めたシールドはすでに消滅、生身に当たれば足くらいは止められるだろうと放ったが、
「この距離で避けるっ!?」
それは果たして見切ったのか直感か、獣のように四肢を地に着けて伏せったクロノに、アイの放った『光矢』は命中することなくその頭上を虚しく通り過ぎていった。
「捕まえたぜ」
不気味に蠢く4本の触手は、退路を塞がれ、反撃手段をなくしたアイの手足をついに拘束する。
「ああっ!?」
互いの距離約4メートル、クロノの両肩と背より生える4本の触手によって捕らえられたアイは、当然その身をよじって逃れようと動くが、
(うわっ、この触手、オーラの魔力程度じゃ相殺できないくらいヤバい密度だ!)
クロノが大量の黒色魔力を使って作り上げた強靭な腕からは、封印状態のアイでは逃れる手段が存在しない。
「妖精結界全開!」
アイの背後から聞こえるリリィの声、そして展開された妖精結界は、
「今だ――」
クロノの全身を、眩い光の球体となって覆いつくしてゆく。
捕まった自分、防御魔法で身を包む相手、この状況下において予測される答えは即座に導き出される。
そして、その回答が正解であることを、頭上を見上げて判明した。
「――やれっ! フィオナ!」
アイの頭上には、直系5メートルにも及ぶ、金色に煌く巨大な火球。
「『黄金太陽』」
「えっ、ちょ――」
使徒を殺すべく、太陽が落下した。