第140話 私に教えて
安らかな表情で気絶しているクロノだが、その口元から上半身にかけては大量の血液によって赤黒く汚れている。
人の喉笛を噛み千切るという正気の沙汰とは思えない殺害方法を実行したクロノの姿は、頭のイカれた殺人鬼の様相を呈しているが、
「ふ、ふふふ、すっごくカッコ良かったよ、クロノぉ」
リリィにとっては、白馬の王子様すら霞むほどの魅力を、血塗れたクロノに感じていた。
「もう、素敵! チュッ、チュ!」
気絶しているのを良い事に、額へキスの雨を降らせるリリィ。
「リリィさん、早くクロノさんを治癒してあげないと手遅れになってしまうのではないですか?」
そんなリリィの行動を何とも思ってないのか、呆れているのか、それとも羨ましいのか、感情の読めないジト目で見つめながら、フィオナが止めに入った。
街道の真ん中に死体同然の男二人と4匹の大蛇の死骸が転がるこの光景はとてもキスシーンが似合うロマンチックなものではない。
キプロスの使い魔である『黒喰白蛇』はさも当然のように息絶えているが、それは術者が倒されたからではなく、単純にリリィが撃ち殺したからだ。
もっとも、必死の攻防を演じるクロノとキプロスは、どのタイミングでリリィが大蛇の頭部をレーザーで撃ち抜いたのかは分からないだろう。
「――ん、それもそうね」
すでに慣れたと言わんばかりに手際よく、クロノの大きな体をリリィは軽々と抱え挙げた。
「本当に残念でならないけど、クロノの治癒は貴女にまかせるわ、まだ『妖精の霊薬』は残ってるでしょ?」
「構いませんけど、良いのですか?」
「いいの、私はアイツに――」
リリィの視線の先には、首を両手で抑えたままの格好で動かなくなったキプロスの姿。
もう命僅かといった様子だが、未だ死んではいなかった。
「――聞きたい事があるから」
目が覚めた瞬間、キプロスは未だ自分が生きていることを理解した。
「は、はは――」
その奇跡に心の底から歓喜の念が湧きあがる。
(そうだよ、俺が、この俺が、こんなところで死ぬはずがねぇんだ!)
そう、自分が死ぬなどという最も忌避すべき事態が、自分の身に起こるはずがない。
なぜなら、これまで自分の思い通りにならなかったことなど無いからだ。
整った容姿にすぐれた身体能力、剣の才能も魔法の才能も事欠かない、そして資産家の両親、自分は生まれながらのエリート、他のヤツらとは違う、正しく神に愛された男。
それが自分だ、こんなところで、脱走した実験体に返り討ちに合うなどという無様な死に様を晒すような存在ではない。
「はぁい、お目覚めかしらゲスヤロウさん?」
九死に一生を得て全能感に浸るキプロスを、小鳥がさえずるような麗しい声でゲス呼ばわりされ、己の内から外へと意識を移した。
「――あ?」
その時点で、ようやく周囲の状況に気づく。
緑溢れる森の中、木々のざわめきと共に爽やかな初夏の風が頬を撫でる。
どうやら自分は木を背もたれに足を伸ばして座っている体勢にあり、見上げれば生い茂る深緑の葉から木漏れ日が漏れ、今がまだ日中であることを示す。
「貴方に聞きたいことがあるの、正直に答えてくれると嬉しいわ」
目の前に立つのは、プラチナブロンドの長髪とエメラルドグリーンの瞳を持つ絶世の美少女。
「テメェっ!」
一目見た時から己のものにしたいと欲して止まないその圧倒的な美貌を持つ少女が、どのような立場にあるのかキプロスは忘れていない。
(49番の女、あのいきなりガキの姿になった妖精か)
どういう理屈か子供の姿をとっていたはずだが、如何なる魔法を使ったのか、その姿は最初に見た少女へと戻っている。
「あまり大声出さない方がいいわよ、自分の喉がどうなったか、まさか忘れたわけじゃあないでしょう?」
「ちっ……」
脳裏に浮かび上がるのは、正しく悪魔の形相で、凶悪な顎を開き己の首に喰らいつく49番の姿。
確実に致命傷だったはず、即座に治癒を施したところで完治はしばらく時間がかかると、魔法をよく知るキプロスが傷の回復具合を察する。
大声を張り上げれば恐らく傷口が開き、再び鮮血を噴出すことになるだろう。
「まぁ、貴方が喋れなくなっても、別に困らないんだけど」
(くそっ、舐めやがってこのメスガキが――)
命は助かったが捕虜となったか、と今の状況について考えをめぐらすが、
「だって、貴方の‘心’に直接聞けばいいんだからね」
少女の無邪気な笑顔と共に、キプロスの鼻先に白い輝きを放つ一本の大きな針が突きつけられ、思考が止まりかける。
実験施設で注射を始めとして様々な針を目にしてきたキプロスだが、今目の前にあるモノは、これまで見てきたどんなものよりも大きく、太い、針というより串、あるいは細めの杭と呼べるほど。
恐らく彼女の魔法で創りだされたであろう巨大な白い針、そして「心に聞く」と言った台詞から、この少女がこれから何をするのか瞬時に連想できた。
「自分達が同じことをやってきたんだものね、気づかないワケないか、うふふふ」
楽しそうに片手で針をクルリと回してから、少女は腕を目一杯に伸ばして振り上げる。
思い浮かぶのは、脳に直接針を突き刺して心神に干渉する『思考制御装置』の仕組み。
「さて、まずは貴方のお名前、教えてちょうだいな」
「止めっ――」
静止の言葉を吐く暇も無く、少女の眩しい笑顔と共に、極太の針先が魔法の加速度をもって振り下ろされる。
ドズっ――
キプロスは自分の頭の奥で、そんな鈍い音を聞いた。
「あ……おぉああ……」
脳天に突き刺さる巨大針、白魚のような細い指先が一本だけ針の頭に軽く添えられているだけだが、針先は固い頭蓋をゴリゴリと削りながら‘心’を目指して突き進む。
不思議と痛みは感じないが、それでも自分が何をされているのか不幸にも理解してしまっているキプロスは、脳を侵されようとしている事実に身の毛がよだつほどのおぞましさを憶える。
「おぉお……止め……止め、ろ……」
少女はニコニコと実に楽しそうな笑みを浮かべながら、より一層の力を指先に篭める。
ついに針先が頭を守る強固な頭蓋骨を突破し、一切の防御力を持たない無防備でデリケートな器官へと、その鋭い先端を侵蝕させてゆく。
「――キプロス・ヴェルマーニ、あら、随分とお金持ちのお家ね、羨ましい、私もこんな豪邸でクロノと暮らしたいわ」
個人の情報が全て集積される脳は、強力な精神感応能力を持つ者であれば、直接‘触れて’そこにある情報を引き出すことが可能だ。
ただ人間一人とはいえ、その脳内に納められている情報量は膨大、欲しいデータを効率よく引き出すにはストレートに質問して、そのことを本人に考えさせるのが一番である。
「貴方の個人情報なんてどうでも良かったわね、私が知りたいのは‘貴方達’がクロノとどういう関わりがあるかってコト。
どうやってクロノをこの世界に‘召喚’したの?
クロノに何をさせるつもりだったの?
クロノに何をしたの?
クロノに――」
脳内に自分とは違う‘何か’が駆け巡り、グチャグチャにかき回される恐ろしい不快感を覚える。
乱暴に、強引に、頭の中を、心の中を、その‘何か’が蠢く度に記憶の欠片が壊れてゆく。
それはきっと、彼女にとって必要が無い情報だから、49番に関わらない全ての事象は全て不必要、ゴミ、クズ、存在する価値も無い。
「さぁ私に教えてよ、クロノのコトをもっと、もっと!」
再び頭の奥底で響く不穏な音、頭蓋を貫く破壊の音、脳を突き刺す蹂躙の音。
キプロスはすでに認識することはできないが、自分の頭部に突き立つ針は2つ、3つ、と次々に増えてゆく。
ただ分かるのが、脳を侵す‘何か’がどんどん勢いを増して、怒涛のように押し寄せてくるという絶望の感覚のみ。
「私はクロノのコトが知りたいの、クロノのコトなら何でも知りたいの、だから、クロノも知らないクロノのコトを、もっと私に教えなさいよっ!」
最早キプロスの耳に少女の声は届かない。
白目を向き、舌を出してだらしなく開かれた口元からは涎が止め処なく流れ続けている廃人状態の彼に、人の言葉の意味など分かろうはずもない。
「ああ、分かる! クロノのコト分かるよ、今ならもっと分かってあげられる!」
すでに言葉を認識できていないことに気づいたのか、テレパシー本来の使い方である意思の疎通を用いて、キプロスの脳内に直接メッセージが叩き込まれる。
「クロノにこんな酷いコトして、ホントに許せない、徹底的に苦しませて殺してあげる」
頭に響き渡る、刻み込まれる残酷で純粋な殺意。
壊れゆく記憶の代わりに、殺意、敵意、侮蔑、罵倒、嘲笑――ありとあらゆる負の感情が詰め込まれてゆく。
ついに己の人格すら崩壊しかかってくる中で、キプロスは理解する。
(ああ……心が壊れるって……こういう、コトだったのか……)
彼に残されたのは、
(神様……助けて……)
決して救済することのない神に向かって助けを請うことのみ。
(助けて……助け――)
「あははは、そうそう、しっかり神に祈って自分を保ってなさい。
だってぇ、ホントに苦しいのはこれから、貴方の大好きな絶望ってヤツを、たっぷり味合わせてあげるんだから、ね?」