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人魚姫は恋を知らない
作:青柳朔



第二章


「あんた何考えてんの!? こんな可愛い子誘拐してきて! うちは盗みはしても人売りだけはしませんからね!!」
「誰が売り払うって言った!? 救助だ救助!!」
「何よあんたロリコンだったの!? どうみても十五、六歳でしょうその子!」
「なんでそうなる!? 俺が人助けしたら可笑しいか!?」

 ああもう、うるさいなぁ。
 静かに寝させてよ。なんだかすごい眠いんだから。

 男女が言い争う声でリディは深いまどろみから覚醒した。
「――――うるさい」
 眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに呟く。
 見上げるとすぐそこにジンロの顔があって、まだあのお姫様だっこの状態なのだと気づかされた。
「ああ、悪い。起こしたか」
「……なに、なんの騒ぎ」
 まだ重たい瞼を擦りながらリディが辺りを見回す。
 すぐ目の前にいた女性と目が合って、お互いに見つめあった。
「――――どうも」
 たぶん先ほどからうるさかったのはこの人とジンロが言い争っていたんだろう。
 すると女性は急に真剣な顔つきになり――リディの両手を握り締めて問う。
「この変態に何かされてない!? 正直に言ってくれていいんだからね!! あたしが代わりにしばいてあげるから!」
「だから何もしてない!!」
 人聞きの悪いことを言うなとジンロが怒るが、女性は完全に無視してリディの答えを待っている。
 何かと言われても――急に荷物のように抱えられたり、海に飛び込まされたり、お姫様だっこされたり――けれどこの人が聞きたいことはこういうことではないだろう。
「何もしてないならどうしてこの子こんな格好してるのよ! あんた手ぇ出したんじゃないの!?」
「こんなガキに誰が欲情するか! 目のやり場に困るからこっちは親切心で上着着せてやったんだろうが!」
「目のやり場に困るってことは少なくともその気になるってことじゃ――」
 どうやら自分の格好は大いに誤解される姿らしいことだけは理解できた――予定を狂わされた恨みはあるが、無実の罪を着せるのは忍びない。
「あのー……ジンロは私が着るものなかったから上着を貸してくれただけで、どうこうされたわけじゃありませんよ」
 控えめなリディの援護に女性は追及の手を止める。
 じろりと一度ジンロを睨みつけて、リディに向き合う。
「まさかとは思うけど嘘をついてまでこいつを庇ってたりしてないわよね?」
「嘘をついても私に利益はないじゃないですか。この人がどうなろうと知ったこっちゃないけど、無実の罪を着せるのはさすがに良心が痛むんで」
 さらりと言い返したリディの顔をじっと見つめて、どうやら女性は納得したようだ。
「本人がそう言うなら信じるわ。もっとまともな服を貸してあげるから、一緒においで。……えと」
「リディよ」
 答えながら、リディはゆっくりと地に下ろされる。
 忘れかけていた足の痛みが一瞬蘇ったが、ひどくはない。
「リディね、あたしはセナよ。よろしく」
 にっこりと笑うと太陽みたいな人だ。セナの亜麻色の髪が風に揺れる。
「……ここは?」
 リディは周囲を見回し、前を歩くセナに問いかけた。
 周りには背の高い常緑樹があり、まるで家を隠すかのように包み込んでいる。
「隠れ家って言えば分かるかしら。堂々としているわけにはいかない職業だしね」
「ああ、泥棒なんだっけ」
 木々に隠されるように建てられた数軒の家はジンロの仲間のものなのだろうか。
「できれば盗賊って言って欲しいわ。その泥棒って言い方嫌いなのよね。または義賊とか」
「義賊?」
「そうよ、あたし達は金のあるところからしか盗みはしないわ。昼になったら見てみればいいけど――ここにいるのは子供ばかりよ。皆親がいないの。道の隅で死んでいくしかなかった子達なのよ。なのに金持ちは毎日贅沢三昧で、たった一つのパンさえあれば死ななくてすんだ子供に唾を吐き捨てて生きてるのよ。不公平だと思わない?」
 リディは黙り込むしかできなかった。
 人魚の王の孫娘として――リディは何不自由なく生きてきた。飢えることなんてなかった。それでも人魚の世界は人の世界よりも優しかったのだろう。親がいなくても、助けてくれる人はたくさんいた。人のように地に満ちるほど大勢いるわけではないから、皆が家族のようなものだった。
「だからあたし達は奪われたものを奪うわ。生きていくために」
 しっかりとした意思を感じさせる声だった。
 セナは家の扉をゆっくりと開ける。もう夜は更けている。ここにいる子供達を起こさないように気を遣っているんだろう。
「ちょっと待ってね――……ああ、これなんかでいいかしら? 髪の色にも合うと思うし」
 そう言いながらセナが引っ張り出したのは赤いワンピースだ。服に関しては特に要望のないリディは素直にそれを受け取った。
 手早く着替え、セナの私室から出るとすぐそこの居間にはジンロがいた。
 用意周到に温かい紅茶が用意されている。思いのほかに気配りの良い男らしい。
「ああ、やっぱりそういう格好の方がいいな」
 ジンロはリディを一目見てそう感想を述べる。
 かぁ、と自分の顔が熱くなったのを感じて、リディは俯いて赤い顔を隠した。どうしてだろう。赤くなるようなことなんて言われてないはずなのに。
「髪の色にも似合うでしょう? 瞳に合わせて青とかでも良かったんだけど、やっぱり若いうちは明るい色を着ないとね」
 嬉々としてセナがリディの服について語り始める。
 そして話題が髪に触れたところで、セナが肩に届かないほどに短いリディの髪に触れて残念そうに呟く。
「せっかく綺麗な金髪なのに――どうして切っちゃったの?」
 切りたくはなかった――けれど、価値のあるものはそれしかなかったのだ。
「……仕方なかったの、代償だから」
「代償? なんの?」
 ジンロのそれは好奇心からというよりは純粋に話の流れからの質問だったのだろう。
 リディは少しだけ沈黙し、口を開く。
「――復讐の、道具を手にいれるために」
 リディの長い金髪はどの人魚の髪よりも美しかった。かつて叔母が美しい声と引き換えに人間の足を手に入れたように、リディは長い金の髪を魔女に与えることで足を手に入れた。
「……子供が復讐なんて考えるもんじゃないわよ」
 セナの声色が変わる。怒っているような、諭すような、そんな声だ。
 母もこういうだろうかとリディは頭の隅で思った。
「私の育ったところでは十五歳はもう大人よ。子供じゃないわ」
「そういう年頃のガキこそ子供じゃないって言い張るんだよなぁ」
 明らかに馬鹿にしたようなジンロのセリフに、リディはむっとする。すぐに言い返さなかったのはわずかばかりの理性のおかげだ。ここで怒って言い返せばジンロはますます子供だと言い張るのだろう。
「……セナはさっき、世の中は不公平だから盗むって言ったよね? 私だってそうよ。私の大切な人は恋をして、そして結果的に消えてしまった。でも相手は生きてるの。不公平じゃないかしら?
その男は恩人の顔も分からず勘違いして他の女と結婚したのよ。本当に助けたのはお姉ちゃんだったのに! そんな馬鹿な男に復讐することくらい神様だって許してくれるんじゃない!?」
 ただ恋をした。それだけだ。
 それなのにどうして泡になってしまうのだろう? 相手の男は幸せに暮らしていけるのに、生まれ変わることも出来ず、あの残酷で優しい海の一部になってしまって。
「……大切な人って、リディのお姉さん?」
 セナはリディの肩にそっと触れ、椅子に座るように促した。リディは力が抜けたようにすとんとそのまま腰を下ろす。
「正確には叔母様よ。年が近かったから姉妹同然だったけど」
 ジンロがリディの向かいに、そしてセナがリディの隣に腰を下ろした。
 言ってしまってもいいだろうか――リディが人魚だということを。
「その人は、死んでしまったの?」
 遠慮がちに、問いかけてくるセナ。
 死んではいない――死よりも残酷な仕打ちであることに違いはないが、それを説明するにはやはりリディが人魚であったことを話す必要があった。
 別に、この人達に化け物と呼ばれようと拒まれようと、心は痛まない。
「死んだんじゃないわ……消えたの。海の泡になって」
 何故か上手く口が動かない。
 誰に否定されようと、怖くなんてないはずなのに。
「海の泡? お伽噺の読みすぎじゃないのか?」
 茶化したようなジンロを、リディはただ静かに見つめた。
 その真剣な目にジンロは思わず黙った。
「――あれがお伽噺なら、これはその続きでしょうね。そしたらジンロもお伽噺の登場人物の一人だわ」
 年相応でない、静かな呟きにセナもジンロも苦しげに眉を顰めた。
「……人魚の世界には、時々いるの。人間になりたくて海の魔女と取引する人魚が。私もお姉ちゃんもその中の一人よ」
「人魚?」
 信じられないと言いたげにジンロがリディを見つめた。セナも言葉にはしないが、その目を見れば分かる。
「信じてくれなくてもいいわ――お姉ちゃんは人間の男を偶然助けて、そいつに恋をした。側にいたいからと声と引き換えに人間の足を手に入れた……けれど男には婚約者がいて、その恋は叶わなかった。足はまやかし。目的を果たしたその時に、本当の足になる。目的を果たせなかったその時は……海の泡になって、消えてしまう」
「その男は自分を助けてくれた女に惚れたが、本当に助けたのはリディの叔母さんだったってことか?」
 化け物と罵る声を覚悟していたリディは拍子抜けした。
 ジンロは今までとまるで変わった様子はなく――優雅に紅茶を飲んでいる。
「……信じるの?」
「信じる信じないは俺の自由だ。リディが素っ裸で歩き回ってたのも元は人間じゃないっていうなら納得できるし」
「怖くないの? 人魚は人を殺すことだってあるのよ」
 人魚と同一視されるセイレーンは歌声で船を難破させる海の魔物だ。人魚の中にはそういう人もいるから、人間は化け物と呼ぶ。
「どうして怖がらなくちゃいけないんだ? リディは今人間で、非力な女の子だろ? リディ相手だったら俺が勝つに決まってる」
 断言されてリディは少し腹が立ったが――実際に人魚の時に、地に利がある海でならばまだしも、痛む足を持った人間の状態の今ではまるで勝ち目がない。ジンロはリディより十歳近く上に見える。
「リディは――その髪を引き換えに人間になったのね」
 見ている方が苦しくなりそうなくらいに、痛々しい顔でセナが呟いた。質問というより、もはや確認のような呟きだ。
「……それくらいしか、無かったから」
 苦笑しながらリディは短くなった毛先に触れる。
 その無理に大人びた表情に、ジンロもセナも切なくなった。本当なら、もっと大人に甘えていい年頃だろうに――彼女は、そういう子供でいることを選ばなかった。
 それが哀れだと思われるのことを、彼女は望まないのだろう。
「おまえが復讐しようとしている男が、あの城にいるんだな?」
 ジンロの問いに、リディは一度深く頷いた。
「――明後日、俺を含めた数人で、本格的に盗みに入る。……ついてくるか?」
 正確にはもう明日というべきなのだろう。あと数時間で朝日が昇るような時間だ。
 今日の騒ぎで数日間は城内の警備が厳しいだろう。しかし盗賊集団が入ったなかでならリディはそれほど目立たないだろう。
「……いいの?」
 どうしてそんなに親切にしてくれるのか、リディには分からなかった。
「ついでだからな」
 そう言いながらジンロが横を向いたのは、照れ隠しのためでもあったのだろう。
 くす、と微笑みながらリディは小さくありがとうと呟いた。
 その笑顔は幼く、年相応の愛らしいものだった。














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