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とある英雄の物語・表裏

作者: 飛鳥

若い美形の兄ちゃんばかりがチヤホヤされる異世界に絶望した!

まあそれはそれで好物なんですが、私はおっさんが活躍するのが良いと思います。

 龍人国セレネスタ。文字通り、龍人と呼ばれる「あいのこ」が納める、世界の頂点に立つこの国には英雄がいる。名を、ツラヌキという。


 彼は人間である。

 この世界においての人間とは、その無限の想像力から生み出す様々な品物、またはノウハウを売る、研究者、兼、商人の別称に他ならない。

 基本的に、彼らは戦闘に必要となる最低限の能力を持たないのだ。

 物理的な筋力は勿論のこと、何より魔力を持たない。時に炎を生み出し、氷塊を射出し、雷により四肢を撃つ。肉弾戦よりも圧倒的に有効な魔術という技は、龍という神に愛された生物の血を引く龍人のみが使役できる神の御技だ。


 しかし、異世界から召還された希人なる彼は違う。

 ささやかながらも手に火を起こし、生み出した火から水を呼び出す。ときには龍人の力を先導し、最大の力を発揮できるよう誘う。

 また、魔術を扱うのみならず、ツラヌキは自らの肉体をもって長大な岩石をも動すことすらしてみせた。


 彼はセレネスタを救うべくとして一方的な理由により理不尽に呼び出されたこの国を救ってくれた。

 非難することなく、取り乱すこともなく、異常発生した魔物に侵略されるところであった我が国、この世界を、ただ完璧に救ってくれたのだ。


 恩賞をせびることすらしなかった。自分は自分のできることをやっただけだ、と彼は言う。

 自分にできることすら行動を臆していた我らに、その言葉は痛烈だった。

 けれど、彼に批判の意志はない。それはとても、とても尊い言葉だった。


 200セランチはあろうかという身長と、頑強な肉体。太い首の上に乗った強面の顔は、己を戒めているかのような無表情だった。

 無表情に加えて、ツラヌキは多くの言葉を語らない。率直に言えば、無口である。


 無表情で無口であり、最初は彼が何を考えているかわからなかった。

 ぞっとするほどの意志を持つ瞳と視線を合わせるのを躊躇ったのは、初めは純粋に怖かったから。その後は、後ろめたかったからだ。


 彼は妻帯者だった。光の中からこちらに現れた、随所から血を流した彼は、少しだけ目を見張った後、一言呟いた。

 妻は、と。

 地鳴りのように低く響く声に安否を気遣う色があったのだと気付いたのは、遠巻きに彼を観察して、彼が恐ろしい人間ではないのだと薄々わかってからだった。


 それからは更に声をかけるのが怖くなった。

 何故なら彼を召還したのは、他の誰でもない、自分だったのだ。


 あの低い声で責められたら、あの瞳で断罪されたら。そう思うだけで発狂しそうだった。

 むしのいい話だ。彼にはそうする当然の権利があったし、普通の人間であれば、発狂するのは現実を転換された被召還者の方なのだから。


 彼は、彼にはいっそ小さく見える剣を片手に魔物に立ち向かう。自分は、それに罪悪を覚える。

 そうして日々やつれていく自分に、彼はすれ違いざま、低く低く、声をかけた。


 おまえがおれを呼んだことで、救われた命がある。


 膝が崩れて落ちたのは、自分の咎ではないだろう。

 目から涙が溢れて止まらなかった。幼子のように声を上げて泣き喚いた自分の頭を、彼はゆっくりと撫でた。

 皺の刻まれた目尻は、厳しい彼の顔を優しく見せはしなかったけれど、彼の目はとても優しい色をしていた。

 黒い黒い、吸い込まれそうな色の目には、確かな慈しみがあった。


 一見ゴーレムのように見える、存在自体に畏怖を覚える彼という人間は、実のところ誰よりも優しい。

 それに気付いたとき、何故もっと早く気付かなかったのだと自分を責めた。

 もっと早く気付いていれば、もっと多くを語ることができたのに。


 自分は王女である。

 王家の龍の血は濃い。その中でも自分はこの国の誰よりも強い魔力を有していた。だから召還者となった。


 ならばと彼の戦いに勇んで並んだ。

 相変わらずの無表情でこちらを見る目には、そのとき少しの困惑が見えたと思う。齢16の娘が戦場に赴くことに、優しい彼は賛成しかねたのだろう。


 城にいろ、と言われた。断る、と突っぱねた。

 問答はそれで終いだった。軽い溜息と共に、彼は自分の少し後ろを陣取った。


 彼とあって初めて背筋が震えるほどの歓喜を味わったのは、このときだ。


 魔法は全面には圧倒的な威力を発揮するが、背面はてんで弱い。

 前は任せる、後ろは俺が守る。そんなことを彼が口にすることはなかったが、そういうことだった。

 彼は、自分を認めてくれたのだ。


 無論、この上なく張り切った。

 等身ほどもある業火を連発し、部下に諫められるほど張り切った。

 彼の役に立てている自負があったし、言葉を持たないのかと思うほど無口な彼が、よく頑張ったなと褒めてくれた。天にも昇る想いだった。


 彼は強く、賢い。

 鋭い爪とクチバシが脅威となる魔鳥タッカを一刀両断し、突進力は岩をも貫くイシノシシを巧みに誘導して谷に落とす。堕ちた龍たる、翼を持たぬ龍、コウモドドラゴンを見事倒してみせたときには誰もが彼を英雄だと讃えた。

 魔物の異常発生源を突き止め、誰も手出しのできなかったどこか荘厳さすら覚える金属質の物体に、気負うこともなく触れて、止めて見せた。

 そうして、この国を、ひいては世界を救った。






 そんな彼は、本日、貴族の位を授与された。


 召還は一方通行である。二度と彼は元の世界に帰れない。

 しかしこれは罪滅ぼしではなく、単純に世界の感謝の証である。自分はそう信じているし、彼もそう受け止めてくれているだろう。


 謝罪や謝礼で済む問題ではないのだ。

 自分は一生、彼の人生という重みを受け止める。決して自分が彼の人生を変えてしまったのだという事実を忘れない。

 彼がそれを望む、望まないに関わらず。


 勘違いしないで欲しいのは、自分がそれを悲壮なものであると受け止めていないことだ。

 これは決意である。彼の人生が本来幸せだったかどうかはわからない。しかし、彼は幸せであるべきだ。他の誰でもない、自分が幸せにする。自分本位の決意である。


 「ニーア様、ご挨拶を求める御仁がみえるようですが」

 「捨ておけ、わらわは忙しい」

 背後に立つ執事が苦笑をこぼす。

 何か文句があるのかと視線を送れば、滅相もない、と柔和な笑みが返された。何もないのなら黙っているのが良かろう。


 視線を再び前に向けて、魔術を再発動。100メーラトル先の蟻の子を発見できる視力を固定化する。


 「お忙しいと。お手伝いできることがございますか?」

 「何も」

 「執事を授与式に連れてくるなど、本来なればあり得ぬことですよ。何かさせて頂かなければ、私がここにいる意味がございません」

 「わらわがルールじゃ。文句などどこからも出ぬわ───セルベール、お主、何が言いたい」


 この程度の会話で途切れる集中ではないが、執事のいつにない口数の多さには少々の煩わしさを感じた。折角の組み上げた術式が勿体ないものの、再度解除して向き直る。


 老域に足を突っ込んだ白髪の男が、静かな笑みを湛えてニーアを見ていた。

 ツラヌキは無表情がデフォルトであるが、この執事は笑みがデフォルトである。この男が表情を崩したところを見たことがない。執事、セルベールがいきなり無表情になったら、恐らく自分は泣くだろう。得体の知れなさで。


 睨み付ける青い瞳をセルベールが意に介することはない。申し訳程度に会釈をして口を開いた。

 「老婆心が出まして」

 「言葉は正しく扱え」

 慇懃無礼というわけではないのだ。彼は、執事の鏡のような男である。

 ただ、自分に対しては自分のわがままから、親しげにするように言い付けてある。その結果、ちょっと扱いにくい執事になってしまった。

 後悔しているわけではないが。


 「彼を、お呼びして参りましょうか」

 「・・・・・・・・・」

 言葉に詰まってそっぽを向いた。


 彼、というのが誰なのか理解しないはずもない。

 無意識にまたも視界に入れてしまった彼である。疑いもなく、ツラヌキだ。


 「お覚悟を決められたのでしょう?お言葉を、決められたのでしょう?」

 決めた。昨夜、徹夜で決めた。

 王女としてあるまじきことだが、ベッドをゴロゴロと転げ回りながら、術式を編むように慎重に言葉を選んだ。彼に告げる言葉を。

 残念ながら、誠心誠意を込めて言葉を選んだつもりだが、結局気のきかない一言になってしまったが。


 「テラスから見つめるだけなど、行動派のニーア様らしくもないことでございます」

 「・・・・・・・・・そうだな」

 自分がイシノシシ王女と噂されていることを知っている。真っ直ぐにしか突き進めないんだそうだ。

 屈辱的だが民はよく見ている。否定はすまいよ。本当だからな。


 魔術を行使してまで見つめていた。窓際で、一人食事をする大きな人を。

 その姿はどこか寂しい。


 誰も彼に近付かないのは、彼が英雄であるからだ。

 初めは皆が怖がっていたから近付かなかった。畏怖と恐怖。どれほど差があるのだろう。

 誰も傍にいない。孤独。彼にとっては同じであるに違いない。


 自分の性格が良いとは思わなかったが、こんなに醜いとは思わなかった。彼に話しかける者がいないのに安堵している。

 本当は、皆近付きたい。話をしたい。でも、畏れおおいから近付けない。


 だから、自分が一番に、傍に行ける。


 「ほとほと嫌になる。ツラヌキといると様々なわらわが顔を出しよるわ」

 「悪いことではございません」

 「そうだな」

 行ってくると捨ておいて、2階から身を踊らせた。


 階下より聞こえてくる悲鳴と、優雅な演奏の途切れ。気にせず風を纏い着地する。

 真っ直ぐに視線を上げて、こちらを見る黒い瞳を直視した。


 もう、彼の目を見れなかった自分とは違うのだ。


 「ツラヌキ」

 目の前に立つと、彼の大きさがよくわかる。顔を見続けようとすると首を痛める高さだ。それでも目を逸らすなど言語道断だった。


 彼は返事をしない。かわりに、促すように静かな視線をこちらに送った。

 平静な彼は、貴族の身分を手にした本日も平常運転である。その鉄面皮が崩れるところが見てみたい。


 短めに刈られた硬い髪には白いものが混じっている。

 頬には傷跡。太い首にも、逞しい腕にも、厚い胸板にも傷があることを知っている。召還時にも傷だらけだったが、今は当時より更に増えた。


 この世界を救うために負った傷だ。何より尊く、愛おしい、傷だ。

 「ツラヌキ」

 心音が早まる。のどが渇く。

 これが緊張というものか。初めて正式な場で国民の前に立った8歳の時分ですら、こうも口が重くなることはなかったのだが。


 自分を奮い立たせるのは簡単なことだった。

 一瞬だけ落とした視界が、彼の大きな手のひらを映した。それだけで、決意はぐんと大きくなった。

 ニーアを守るために彼が負った、傷。


 「ツラヌキ」

 三度、声を上げる。


 「わらわの、夫となれ」

 声は、高らかに響き渡った。空間を静寂が支配する。


 言葉は実にシンプルなものになったが、これくらいが良いと思う。

 長々と語ったところでツラヌキには響かない。一言、一言。真っ直ぐにぶつかる言葉に、彼は答えを返す人だから。


 沈黙は長かった。真っ直ぐに引き結ばれた薄い唇は言葉を忘れたかのようだった。

 彼の口が本来の用途を思い出したのは、観覧者のざわめきが静寂を押し戻そうとした矢先のことだった。


 「おれは」

 魂を震わす重低音。どんな名匠が作成した楽器ですらこの音には届かない。

 たっぷりと置かれた間。

 持ち上げられた手のひらを、彼はじっと見つめて言った。


 「おまえには、似合わん」

 周囲から上がる悲鳴に頓着はしなかった。王女の告白を跳ね除ける暴挙は、誰が許されなくとも、彼には許されるのだ。


 そして、返事に絶望もしなかった。彼の言葉には続きがある。

 「おれに、おまえは、眩しすぎる」

 その手のひらに何があるというのか。その傷跡に何を見ているのか。


 彼は刹那眉をひそめ、あとは無言できびすを返した。

 重い足音を、皆が呆然と見送る───否。


 「なんという・・・」

 「ニーア様」

 駆け寄るセルベールの声は、すまないが今の自分には届かない。

 ゆっくりと持ち上げた手で口元を押さえる。震える吐息をできるだけ殺して、胸元に置いた手で心臓を強く押した。

 「ニーア様、あまり気を落とされ」


 「なんという、いじらしい・・・!」


 「ます───は?」

 ───陶然と、見送った。授与式の参加者の内半数を占める、女性が。


 「何だ、あの、母性本能をくすぐる寂しそうな顔は!キュンとするではないかッ!ああ、抱きしめたい、今すぐに抱きしめてやりたいッ!」


 「はあ」

 何だセルベール、そのやる気のない返答は。お主らしくもない。


 見ただろう、無表情の中にかいま見える孤独を寂しがる気配。ニーアを眩しいと表現したあの短い言葉。

 自分の手を見つめ、血にまみれていることか、あるいはありもしない力不足でも感じたのかで辞退した、あのいじらしさ!


 「セルベール!わらわは、どのような手段を用いてもツラヌキを夫にしてみせるぞッ!」

 「さようでございますか」

 「そうだな、まずは今ツラヌキにときめいた女を国外に追放することから始めるか」

 「貴族から娘が消えますのでご自重なされませ」

 「む、そうか。ならばとりあえず、ツラヌキにときめいた男を追放することにする」

 「さようでございますか」


 燃えてきた、燃えてきたぞ!

 まずはイシノシシ王女らしく、前言通り彼を抱きしめに行くことにしよう。

 ドレスの裾を翻し、テラスを駆け抜けて彼の大きな背中を追った。


 自分がそんな可愛らしい言葉で身を引くと思ったら大間違いだと知るが良い!










side 裏


 はあーい、みんな、こんにちは、ツラヌキだよ!

 ツラヌキというか、本当は貫之(つらゆき)なんだ。貫之ってこの世界では言いづらいらしい。訂正って作業は非常に難しいからそのままにしてる。何か格好良いし。

 だから以降はツラヌキ固定でよろしく。


 キャラが違う?軽い?

 何のことだかよくわからんが、もしかして外面のこと言ってるんだったら謝る。すまん。


 昔から、どうも思ってることが表面に出にくいんだ。

 表情筋がオリハルコンでできてるんだと思う。舌はガンダリウム合金製なんだ。

 嘘みたいだけど本当に嘘。でも真面目な話、人間としてあるべき体組織ではないと思うんだ。


 何せ、表情が変わらない。長文が喋れない。おまけに顔はやたら恐くて、仁侠に出てきそうな強面。朝起きて顔洗おうと思って洗面所行くと、鏡に映った自分の顔見て、未だに心臓止まるかと思うレベル。


 もう40年もご一緒してるんだから慣れろと思うだろう。

 違うんだなー。人って成長するんだよ。顔が変わるのに精神が対応できてないんだ、凄いだろ。

 笑っても良いよ、おれは泣くけど。心で。


 内面はこんなにフレンドリーなのに、表面に出るのは言葉も表情も皆無なんだ。いっそ清々しい。両親が普通にニコニコ夫婦だという事実から考えると、神様の嫌がらせによる突然変異なんだろう。


 さて、先ほども言ったが、生まれて40年になる。

 色々あった。幼稚園の先生には顔が恐いと引かれ、同級生には顔が恐いと引かれ、近所の人には顔が恐いと引かれた。

 おお、何だ、舌は関係ないじゃないか。顔面の恐さを払拭できないという残念な事実は顕著になるが。


 友人はいない、両親は他界した。そんなおれだが、何の奇跡なのか妻ができた。

 リア充死ね?これを聞いてもそんなことが言えるのかな?


 初めて顔を合わせたのは結婚式だった。妻は、なんというか、非常に言い難いことにその、売れ残りの人だったので、それなりにお金があって結婚してくれれば誰でも良い、という人だったのだ。


 会場で顔を合わせた途端、悲鳴を上げて倒れた。慌てて支えたら、気絶した。

 別室に放り出されて、結婚を止めるかどうかをあちらの親族が確認したところ、彼女はどうも変なところでチャレンジャーだったらしい。もしかしたら顔が恐いだけかもしれないし、という有り難いお言葉により、極力顔を逸らされたまま結婚式は終了した。


 当然、夜の営みなどあるわけがない。意を決して震える声で話しかけてくれた彼女に普通に返事した刹那、またも悲鳴を上げて気絶した。

 そうそう、おれの声って地獄からの呼び声って言われてるんだ。おとうさん、まおうがくるよ!って、落とした鍵拾って上げた見知らぬ子供に叫ばれたこともあるよ。


 彼女は、まあ、頑張ってくれたと思う。1週間も同じ家にいてくれたんだし。


 おれの存在に脅えすぎて、彼女の精神は崩壊間近だったらしい。

 おれが帰宅すると悲鳴が上がっていた。できるだけ遅くに帰るように心がけてはいた。彼女が就寝した後にこっそり帰って、彼女が起きる前に起きて出て行くようにしていた。

 でも、駄目だった。


 彼女には理想があった。信念と言い換えても良い。

 妻は旦那が帰るまえ起きてて、ご飯作って一緒に食べて、片付けして、旦那が風呂入った後に風呂入って、寝る。妻は旦那が起きる前に起きて、朝ご飯作って、一緒に食べて、お出かけ見送る。

 そういう立派な想いがあった。


 心遣いのつもりが裏目に出てたのはすぐ気付いたので、3日目くらいからは普段の生活に戻した。


 やっぱり駄目だった。おれの顔が恐いからだ。

 小動物みたいに脅えっぱなしで、おれが少しでも動くと可哀想なくらい震えて、喋ると悲鳴を上げて、一杯一杯だった。


 ある日帰ったら、包丁を振り上げた妻と目が合ってびっくりした。びっくりしたって言葉で終わらせる自分にも今凄いびっくりした。伊達に年は食ってないんだなあ。


 危うく避けた目に向いていた一撃目は頬を掠った。それなりに深かったらしく、猛烈な痛みに襲われたのは言うまでもない。

 二撃目、三撃目は胸やら首やらに傷を残した。あの、この人、何で急所ばっかり的確に狙ってくるの。


 抵抗しても勿論良かったんだけど、殴るのは以ての外である。

 だって女の人だよ。体長200cm体重120kg体脂肪率7%のおれが殴ったら、ケンシロウがアタァ!ってやったみたいになるじゃない。

 女の人と子供は絶対殴らん。おれが体格良くなくても殴らんけど。


 で、これ、まだおれのことリア充って呼べる猛者はいるのかな。


 結果から言えば助かったんだ。抉るようなボディブローが鳩尾に突き込まれる直前のことだった。

 決まってれば、おれは多分地獄という名の故郷に帰るところだったんだろう。閻魔さん何か、きっとおれより恐い顔してるに違いない。鬼とかね。

 それはそれで見てみたい気もしたけど、拷問怖い。地獄怖い。


 突然、包丁から閃光が迸った。

 おれを殺すために、妻がフラッシュライトまで用意してたのかと思った。


 浮遊感に襲われて、一瞬の目眩にふらりとして、次の瞬間にはきらきらしいどこかの一室にいた。

 一室というか、大広間だ。落ちてきたら一巻の終わりというクソでかいシャンデリアがぶら下がっていた。足下には妙な光を放つ魔法陣。魔法陣だよねこれ。すげえ。


 唐突な変化に戸惑ったが、それより大事なことを忘れていた。

 思わず口から飛び出た言葉はスムーズだった。単語だったけど。


 妻は、という言葉に、視界の端の女の子が身体を震わせた。震わせたのはその子だけじゃなかったんだが、その子が一番顕著な反応だったんだ。

 うら若き乙女が魔王の声聞いたら、まあ怖がるよね、普通。

 とりあえず、妻の姿がないことに心底安心した。


 彼女はニーアといった。

 正確にはニーなんたらかんたらアという名前だったと思うが、覚えられませんでした。仕方ないね、日本人だもの。


 王女だという彼女は、見た目からして王家の人だった。ドリル金髪に海のような蒼い目。わかってるだろうから言う必要はないだろうけど、超絶な美少女。

 口調はワガママ王女だった。本当は思慮深くて凄い良い子なんだけど。


 彼女は、おれを物凄く怖がっていた。

 できるだけ近寄らないようにしたけど、どうも遠巻きにでも視界に入れてないと余計怖いみたいで、微妙な距離を保ってウロチョロしていた。


 おれは彼女に召還されたらしい。この国を救って欲しいとか何とか、女王様に聞いた。

 凄いんだよ彼女。おれのことあんまり怖がらないの。おれにそんな力ないよって言ったら笑ったくらい。

 いや、冗談じゃないんだけど。冗談言ったわけじゃないんだ。


 剣を持たされた時はめっちゃめちゃ驚いた。勿論無表情だったし声も出なかったけど、内心ははわわわわってドジっ子みたいな声上げてた。

 そんなに重くなかったし切れ味も良いわけじゃなかったから、鉄パイプみたいに振り回したりって動きが躊躇なくできたのは良かったと思う。

 もしこれが薄っぺらい剣だったり、長期連載漫画に出てくる狂戦士のガッツありそうな名前の人みたいな鉄塊渡されてたら困ってたよ。


 城の兵士にどうぞどうぞと連れて行かれた森は、恐怖のオンパレードだった。どうにかなったのは奇跡だと思う。

 タッカとかいう巨大な鷹は、こえー!こないでー!と思って剣を前に突き出したら、勝手に刺さって絶命した。

 カウンター攻撃ってやつですね。超格好悪いけど。

 イシノシシとかいう巨大なイノシシは、いやー!こないでー!と思ってサイドステップ踏んだら、勝手に崖下に落ちてった。

 イノシシだもんね、仕方ないね。

 ちなみにコウモドドラゴンとかいうでけえトカゲは、背中に乗ったら攻撃し放題だった。

 手が届かないもんね。


 そうそう、この世界ではテコの原理とか、ライターとか、雨を呼ぶ知識とか、そういうのがないみたいでやけにありがたがられた。

 人から歓声貰ったのって初めてよ、おれ。こちらこそありがとう。


 そんな感じでまんざらでもない異世界生活を楽しんでいるおれとは逆に、ニーアは憔悴する一方だった。

 多分、こんな強面を呼び出したことで、皆から苦情が寄せられてるんだと思う。あとおれが怖いんだと思う。


 逆効果かもしれないなあと思いながら、すれ違いざま声をかけられたのは、これもまた奇跡だった。


 おまえがおれを呼んだことで、救われた命がある。 


 他でもない、おれの命だよ、ありがとね!ということである。

 比較的長文を喋れたと内心小躍りするおれを尻目に、彼女が泣き出したのは予想外すぎた。

 基本的に人は気絶するものだと思い込んでいたのだ。

 驚きすぎて、泣き止めという願いを込めてうっかり頭を撫でてしまった。恐怖で死んだらどうしよう。


 しかし彼女はびくりともしなかった。涙に濡れた目をしっかりとこちらに向けた。

 声を上げて泣き出した彼女は、王女というか、近所の子供みたいな身近さだった。鼻水まで垂らしてんだ。微笑ましい。

 つうか、嬉しい。15歳だっけ、16歳だっけ、この子。おれの目真っ直ぐ見たよ。


 散々泣いて、赤い目をして去って行った彼女に、おれは盛大に感謝した。

 子供が目をあわせてくれるとか、初めてじゃなかろうか。両親を除くと、人間としては4人目だ。女王様と王女様、やっぱり親子なんだなあ。


 しかし、一人ホクホク顔で、最近ちょっと楽しくなってきた───元の世界のどの動物がどんな風になってるか見るのが楽しみなの。殺されそうになるのは決して楽しくないよ───魔物ウォッチングに出かけようとしたとき、満面の笑みで現れたニーアには愕然とした。

 彼女も魔物ウォッチングに行きたいらしい。

 女の子は危ないよという言葉に、やだやだ行くのー!と駄々をこねる様は愛らしかった。

 実際には一言でばっさり切り捨てられただけだったが、神様が与えてくれたらしい優しい子供には、そんな感じのフィルターがかかって見えた。


 まあいいかー、別に戦いに行くわけじゃないし。

 いざとなれば、おれ、逃げ足は早いし。抱えて逃げられるように背後のポジションを陣取ってOKした。

 あ、護衛さんもくるの?ご苦労さまです。


 ところがどっこい、彼女は強かった。そして戦いに行く気満々だった。

 通りすがる魔物を業火で焼き払い、鎌鼬で千切りにし、サンダガでビシバシと神の雷を───いや、これは世界が違うな。でもそんな感じ。

 ううむ、おれの安全性が思わぬところで確保された。危なく見えたから手を出して庇ったけど、もしかしてあれも余計なお世話だったかな。余計なお世話だったんだろうな。悔しそうな、泣きそうな顔してたし。


 そんなこんなで森を抜けた先、発電所みたいな場所に出た。

 えっちらおっちら進んで行くと、一番奥の制御装置付近からわらわらと魔物が生えていた。


 え、えー、何、魔物の異常発生って、発電装置のせいなの?何だか夢がない。せめて核の力とか。

 まあいいや、任せて。おれ、電力会社で働いてたの。

 コンソールはまたも夢のないことに、元の世界のものと同じだった。発電装置の電源を切るって、あんまりできないことだよね。ちょっとワクワクした。






 そして今日、おれは何故だか貴族の位を授与される。


 ほんとに、何でだかわかんないんだ。普段は魔物ウォッチングしてただけだし、発電所に行けたのは謙遜なしにニーアのおかげだし。電源は正直、誰でも切れたよ。

 何故救ってくれたのか、という王女の言葉に、おれはできることをしただけだよ、と答えた。

 当然続きがあった。おれは特にできることなかったからしなかったけどね!と。

 途中で大歓声に遮られたんだからどうしようもない。


 授与式の後は、特にすることもなかったのでひたすら食べ物を口に運んだ。うまいんだ、これが。さすが王宮だよね。このとろけるような舌触りが絶品ですなあ。


 相変わらず、おれの周りには人は寄ってこない。

 ひょっとして、新手のいじめか何かなのか、貴族位の授与って。

 庶民が声かけづらくなって、更に貴族はおまえみたいな怖いのに声なんかかけないぞっていう。


 ふはは無駄なことを。そんなことしなくとも、誰も声なぞかけやせんわ!

 ・・・泣いて良いかな。あ、今なら泣けるかもしれん。涙腺がじんわり、じんわり・・・こないか。無理だな。


 空しい気分に浸るおれを現実に引き戻すかのように、人の垣根から悲鳴が聞こえた。

 視線を向けると、2階から飛び降りるニーアの姿。

 うわ、おま、神聖なスカートの中身が。見え。


 人垣が割れた。モーセの十戒みたい。

 蒼いドレスがお姫様みたいだった。いつも美少女だけど、今日はいつもに増して美少女だと思う。

 蒼い瞳に、いつもよりずっと強い光が灯っている。


 「ツラヌキ」

 はいすいません。スカートの中身は見えてません。


 「ツラヌキ」

 ぱぱぱんつなんて見えませんでしたよ、フリフリのカボチャみたいなんは見えたけど。


 「ツラヌキ」

 すいません、見ました。ドロワーズっていうんだっけ、あれ。違うかな。その下からちらっと。見ました。

 男だもの。人間だもの。みつを。

 だからそんな、名前だけ呼んで責めるようなマネしないで。

 一瞬視線落としたのはアレ?おまえも見せろ的な。いや、はしたないわ、ニーアちゃん!


 「わらわの、夫となれ」

 え?


 何それ、どういう。

 もうちょっと、具体的にですね、言って欲しいかな、とか。

 別に長文が聞き取れないとかじゃないんですよ、おれ。ただ、長文に対しては長文で返さないといけないかなという義務感から、どうも返事しなくなる傾向にあるだけで。

 今までの人生で最高に狼狽したと思う。当然表には以下略。


 普通に捉えれば、捉えれば───なんだろう。プロポーズじゃないよな。

 言葉だけ聞けばそうだけど、40歳のオッサンにピチピチの16歳が向ける言葉ではあり得ないし、そもそもおれに向けるのはないないない。大事なことだから3回言ったよ。


 もしかして、ぱぱぱんつ見た男と結婚しなきゃいけないとか。

 でも、おれ以外にも皆見てると思うよ。だって、全開だったもん、スカート。


 ひもぱんつ。

 「おれは」


 おれは嫌いじゃないけど、という言葉を危うく飲み込んだ。

 こんな公衆の面前でぱんつ批評とかド変態である。面前じゃなくてもド変態だけど。

 というか、こういうときだけ口が軽くなるおれって何なの。もしかしてド変態なの?


 生けども生けども、我が男のサガ悟ることなし。じっと手を見る。

 「おまえには、似合わん」


 ほらまた!勝手に口が動く!

 ごめん、テレ隠しなの!ひもぱんつ似合わないとか、そんなことないよ、セクシーだったよ!


 じゃなくて。

 周囲からは悲鳴が上がってるし、ニーアは顔真っ赤にして怒ってるし、やばい、まずい。何という変態カミングアウト。もう嫌。


 「おれに、おまえは、眩しすぎる」

 もう見てらんない!と言い捨てて、きびすを返した。

 若さ溢れる太股も眩しかったです、という内心も混ざった気がする。後悔後に立つ。


 やばい、今泣きそうだった。眉毛がピクってなった。

 顔面筋が働いてくれるのは嬉しいけど、ここで泣いては大変な変態っぷりに拍車が掛かるだけだ!


 早足に広間を出た後はダッシュだった。

 おれもう駄目。部屋に引きこもる。二度とニーアと顔合わせらんない。誰とも顔合わせらんない。


 ベッドに伏してめそめそと泣き言を───内心ね───こぼすおれは、でも、と思う。

 罰ゲームでも、ぱんつの掟でも、誰かが必要としてくれるのは、嬉しいことだ。

 夫になってって、つまり、隣にいても良いってことだ。それを告げてくれるのは、嬉しいことだ。たとえ、娘のような年齢の子だろうと。


 本気だったら良かったのになあと思う自分はもう、死んだ方が良いんだろう。

 父さん、母さん、ごめんな。おれ、変態な上にロリコンだよ。だって可愛いんだもん、ニーア。顔も、性格も。

 でも父さんと母さんの年齢差も20だったよね。祖父さんは23だったっけ。

 何というロリコン父息子。血筋だね。でも記録更新しちゃった。24歳差だよ。

 両思いになれたらの話だけど。


 ニーア、おれのこと嫌ってないと良いなあ。


 ベッドに腰掛けて重い溜息を吐いたおれの希望が、まさか10秒後には叶うなんて思ってもみなかった。


おっさんといえば、やっぱり口数の少ない渋いのが良いよね!

でもへたれなおっさんも萌える。

ガタイは良いのが良い。

強面で心優しいのも捨てがたい。


と、色々詰め込んだ結果がこれだよ!

あれ、おかしいな、何だか私の中の需要が満たされていないような…おかしいな…。


どうでも良いけど、勘違いもの大好きです。

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