某月某日、外へ出たら神を名乗るものに会った。
某月某日、外へ行くことにした。
某月某日というのは、こちらの暦の見方がよくわからず、そう述べるしかないからだ。
どうやらこちらには人間しかいないようなので、人間に見えるよう……ついでに、人間たちの髪と目もどうやら黒ばかりであるようなので、色も合わせて姿を変えた。
姿を変えた私に、子供……モトイはこれならという様子でひとつ頷き、私に服を寄越す。袋に入ったままのものもあり、封を開けてみるとこれは……下着だろうか?
取り敢えず着ていたものを脱ぎ捨てて、渡された袋の中身を取り出してはみたものの、どうやって身につければよいのか。後ろを向いてしまったモトイの肩を揺らし、「着方を教えろ」と尋ねたが、モトイは私を見ると顔を真っ赤に染めて逃げ出してしまった。
彼くらいの歳であれば、この程度、つまり女の裸などさほど珍しくないだろうと考えていたのだが、どうやらそうではなかったようだ。
しばらく経って戻ってきたモトイは、何かを呟きつつも観念したかのように私を後ろ向かせた。足を片方ずつ順番に持ち上げて小さな布切れに空いた穴に通し、ひといきに腰まで引き上げる。
さらに、私の手を上に持ち上げ、下着らしき何かを頭からすぽんと被せた。なるほど、生地が伸びるから見たままに着られるのかと、感心してしまう。目を逸らしたまましばらく考え込むように躊躇した後、恐る恐る手を伸ばし、私の胸を動かしてその着衣の中の収まりがいいような位置に直した。
着てみればすぐになるほどと納得のいく構造だ。小さいのにかなりの伸縮性があり、とても動きやすいし着心地も悪くない。
それから上衣に下衣と思しき服を私に着せ終わったところで、彼は風呂場へと引きこもってしまった。
こちらの服は男女差がないようである。窓から道行く者たちを見れば、髪の長さも服装も性別に関わりなく皆好きにしているようだし、着せられた服は簡素で動きやすく、しかしどれも綺麗な染色がされている。いったい何で染めればこのような鮮やかな色になるのか。おまけに、布地の織も緻密で細かく、こんなものがたやすく手に入る国なのかと感心する。
鏡に映る私の姿も、これで外の人々とほとんど変わらないものとなった。
「モトイ」
風呂場の扉を叩き、中に篭ったモトイに声を掛けると、慌てたような、ガタガタという音が立った。
「外に行く」
「……?」
モトイが何かを言っているが、相変わらず意味はわからない。たぶん私の言葉も通じてはいないだろう。正味2日で言葉を理解するなど、魔術師でもないのに無理な話なのだ。
がたがたと大きな音を立てて扉が開き、モトイが顔を出した。もういちど「外に行く」と述べて外を指さすと、待てと言うように手を差し出される。
この国では、皆丸腰で外に出なければならないらしい。身振りで剣を持ってはいけないと示されて困惑したが、再度道行く人々を観察すると、誰も武器は携えていないことに納得する。これは、この町はありえないほどに治安が良いということなのか。
簡素な外履きへと履き替えてモトイの差し出した手を握り、外へと踏み出す。気になるものを指差し尋ねると、モトイはひとつひとつ丁寧に答えを返してくれる。幼かった彼に逆の立場でやっていたことだと思うと、非常に感慨深い。
モトイが「ばす」と呼ぶものに乗り、人の多い場所へと移動した。馬車よりも早く、たくさんの人が乗れる乗り物だった。中の座椅子は自分の知っているどんな馬車よりも座り心地がよく、目に付くもの何もかもが珍しい。ついあちこちへと目をやっているうちに、目的地へと到着した。
そして、この「ばす」を出る際、モトイがコインらしきものを数枚、じゃらじゃらと箱に入れたことにも気付いたのだ。
……あれは、この国での通貨ではないのか?
「モトイ」
道端で慌てて呼び止める私に、モトイが不思議そうに目を向ける。
「モトイ、これから先、お金が必要になるのではないか。この国で、この金貨は使えるか?」
私が腰の袋から取り出した金貨を見て、モトイは目を丸くする。この国の物価がどういうものなのかはさっぱりわからないが、金が同じように価値を持つものであれば、なんとかならないだろうか。
モトイは私の押し付けた数枚の金貨をじっと見つめ、難しい顔で考え込む。ぶつぶつと呟きつつ、それから顔を上げて私に何かを告げようとして、はっとした表情になった。その視線を追うと、小さな店のような建物がひとつ。
モトイはまた少し考えて、それから「いすか」と私の手を引いてその店へと向かった。
じっくりと店頭を眺めた後、何か難しい顔で逡巡し、それから思い切ったように店の扉を開ける。ちりんちりんと鈴のような音が鳴り、奥から「いらっしゃい」と声がした。
奥への入り口に垂れ下がった布を掻き分けて顔を出したのは、年齢のよくわからない男だ。モトイのような黒髪黒目で、けれど、若くはなく、年寄りでもない。
男はじっと目を細めて私を見つめると、「これは珍しい」と呟いた。
そうして、数瞬後、男の言葉が理解できたことにようやく気付いて、私は驚きのあまりに勢いよく顔を上げる。
「……言葉が? わかるのか?」
彼は私と同じ場所から来たというのだろうか?
男は目をぱちくりと瞬くと、商売人らしい当たり障りのない笑顔を浮かべて、「そうですね」と頷いた。
モトイが「いすか?」と驚いたように私の顔を見て、首を傾げる。
「西方から来たんですか? 新参者のようですが、きちんと協定のことは聞いているんでしょうね?」
男の話している内容がなんのことかこれっぽっちも理解できず、私はモトイと顔を見合わせた。
* * *
「それで、その質店の店主にこちらの社へ行くように申し付けられたと言うのですね」
新参者を向かわせたとの知らせを受け、我が主人の住まいである本殿を出てみれば、拝殿の前で所在無げにふたり組が立ち尽くしていた。人間の男と、妖の女。本性は見慣れない姿であるところから察するに、海を渡ってきたのだろう。
私の言葉にふたりはこくこくと頷いて、少し困惑したような表情を浮かべていた。
この様子ではろくに説明もされず、とにかくこちらへ向かえと言われたのだろう。私は、はあ、と溜息を吐く。
「私はこちらの水神様にお仕えしております、洪と申します」
「ええと、俺は基です」
「私はイシュカだ」
一礼するふたりを見る。私は、妖が海の向こう……特に西方から来たのであれば最初に申し付けておかねばならないことがあるなと思い出した。
「まずお断りしておきますが、あなたが聖であるか魔であるかは、あまりこちらには関係がありませんのでご承知おきください」
「そうなのか?」
ぽかんと惚けたように私を見返す女……イシュカに、私は頷いた。西方からこちらへ渡った妖は、聖だの魔だのいう概念にやたらと拘るものだ。なかなか受け入れ難いのであろう。
「そもそも、私どもに聖だとか魔だとかの概念はないのですから、あなたがどちらであるかなどは問題にはなりません。ただひとつ、厳守して戴きたいことはこの地に穢れを持ち込まないことです」
「穢れ……というのは?」
「要するに、血や死などの不浄と、それに繋がるような諍いです。特に、聖魔の争いなどは絶対にこの地へは持ち込まないでください。どうしてもやりたいのであれば、お国に帰ってから存分にどうぞ」
「……はい」
深妙な顔で、ふたりは頷く。
「その、もし、破ったらどうなるのだろうか」
それでも、恐る恐る“もしも”と口に出すイシュカを、私はじろりと睨めつける。
「我が主人たる水神様がキレます」
「……は? キレる?」
唖然と呟く基と名乗った男に、私は大真面目に頷いた。ここ数十年もの間、水神様はすっかりおとなしく、ずっとうとうとと微睡んでおられるままなのだ。まだ若い人の身であれば、わが主人が本気でキレて荒ぶっていた時代のことなども知らず、想像も付かないのだろう。
「それはもう、見境なくキレます。
こちらに祀られるようになった数百年で随分と落ち着きましたが、もともとは些細なことで荒ぶっては、大雨だの洪水だのとやりたい放題にやらかしていたお方なのですよ。万一キレてしまったりしたら、ここら一帯、すべて水で押し流しておしまいになるでしょうね」
「……押し流す? 信者ももろともに? そんな神が神として祀られている?」
イシュカがまた呆然と口に出した。
「そんなことをするのに、どうして神としてこんな風に堂々と信仰を集めているんだ」
その言葉に呆れてしまう。西方では、人間に益をもたらさないから神ではないと決め付けるのだと聞き及んでいるが、そのような風習はいい加減改めたほうがよいのではないか。
「そういうものだからです。この地域の住人たちが人柱や生贄を出してまでここに奉ったのですから、立派な神であらせられますよ。
ともかく、この地域は我が主人たる水神様の管轄となります。くれぐれも神の逆鱗に触れぬようお気をつけなさい」
それから、私はもういちど基へと視線を戻し、釘を刺すことにした。
「人の子よ、お前はこの妖の後見となったのですから、心するように。この者が何か問題を起こせば、お前も連帯責任を負うことになりますからね」
「は、はい」
ますます深妙に頷く彼の姿に、これだけ脅しておけば水神様の機嫌を損ねるようなことはやらかすまいと思う。
私はようやくひと息吐いて、「では、最後に」と目の前のふたりを順番に見やった。私の視線を受けてふたりの背筋が無意識に伸びる。よい心掛けだ。
「もし何か、お困りのことがあった時には、ここを教えたあの店のものを頼りなさい。あれでも私の兄弟ですし、この地域の妖たちを纏めているものでもあります。
代価は必要ですが、あなた方の力にはなるでしょう」
* * *
こうして、某月某日、神と名乗るものに会った。正確には神の使いと名乗るものだ。
どうも、こちらの国の神は、私の考える神とは随分違っているらしい。
ちなみに、神の使いが話す言葉はわかったものの、相変わらずこちらの言葉はわからない。
基が絵を示しながらひとつひとつ教えてくれる単語を、今必死に覚えているところだ。