神の創りたもうた世界
SF=少し不思議
コントローラーを握りながら、僕は画面を注視していた。大きな画面の上では、ファンシーなキャラクターがこちらに迫ってくる。手にはこれまたファンシーな爆弾(丸くて火のついた紐がちょろっとついている、『アイコン』としての爆弾だ)や、剣や槍、はたまた星(これも、いわゆる五芒星だ)が飛び出す銃を持っている。その丸っこい敵たちに、僕が操るキャラクターが<星の剣>(設定は分からないが、一振りすると星が飛び出す上、近接武器としても使える)を振るって敵を倒していく。
剣が当たるごとに、ブーブークッションのような間抜けた音と共に敵キャラクターたちが画面から消える。そして、画面端のポイントが加算されていく仕組みだ。
そうしてしばらくコントローラーを操っていると……。
<GAME CLEAR> の文字が画面いっぱいに踊った。
ふう。
僕は脇に置いてあるコーラの瓶に口をつけた。ちかちかと点滅する画面の毒々しさを、コーラの炭酸で洗い流す。
すると――。
僕の肩を叩く人の姿があった。振り返ると、そこにはブロンドの髪をくしゃくしゃにして、くたびれたワイシャツを着ている熊のような威容の上司・ダニエルが立っていた。
「どうだい、仕事は進んでるかい」
僕はぶっきらぼうに応じた。
「ええ、おかげさまで。でも、仕事している気になりませんよ」
「どういうことだい?」
「いや、今まで、こんな楽な仕事をやったことはありませんでしたから」
「へえ」ダニエルはブロンドの髪を掻いた。「ゲームのデバックっていうのは、そんなに大変なのかい」
仕事の発注側が何を言ってるんだか――。僕は心中でため息をついた。
僕は、テレビゲームのデバッガーを生業にしている。
そう自己紹介をすると、大抵の人はまるで突然猫が喋りはじめたのに出会ったかのような顔をする。だから、そういう人相手にはこう付け加えるようにしている。「要は、ろくに単語も知らない政治家の書いた手紙のスペルミスを指摘するような作業だ」。
テレビゲームというのは一つのプログラム、いうなれば手紙のようなものだ。当然、その手紙の中にはスペルミスや文法のミスだってあるかもしれない。特に、様々な情報を抱えているテレビゲームの場合、チェックすべきところはそれこそ無数に存在する。そこで登場するのが僕らデバッガーだ。実際にゲームをプレイしてみて、製作者側が想定していないバグがないかどうかのチェックをするのだ。
そう言うと、今度は「ゲームするだけで金を貰えるなんて羨ましい」という的外れなことを言う馬鹿もいるのだけれど、そういう奴は一度デバッグ作業をやってみてほしい。僕の体験した例では、アクションゲームで一フレームごとにしゃがみ動作を延々やり続けたこともある。確か五日くらいかけた作業だったように記憶しているけれど、あれは人間の尊厳というものは結局資本主義を前にしてはクソの役にも立たないという現実を突き付けてくれること請け合いだ。
そう考えると、今回の仕事は随分と楽だ。
なにせ、今回のデバッグは普通にプレイしているだけでいい。ダニエルからの指令で、「とにかく普通にプレイしてバグを見つけてくれればそれでいい」と言われている。なので、その日に科せられたステージを精一杯遊べばいいわけだ。しかも、デバッガーとして見たとき、このゲームは恐ろしいほどバグがない。つまり、文字通りゲームで遊んでいるだけの作業ということだ。
ダニエルは画面を覗き込んだ。
「へえ、最高得点か。凄いなあ。このポイントは他のメンバーでも出なかった」
「え、そうなんですか。このゲーム、ちょっとオートロック機能が強すぎるから、このくらいの数字はすぐに出ちゃうと思うんですけどね」
「そうか、開発側にそう伝えておこう」
ダニエルは僕の肩を叩いて豪快に笑い声を上げた。その腕は、ゲーム業界の人間にはない、実用に供しそうな腕をしていた。
「そうだマイク」ダニエルは思い出したように言った。「今日はもう帰っていいぞ」
「へ、まだ勤務時間が……」
「いや、構わない。それに、昨日は随分遅くまで残って仕事をしてもらったじゃないか。その分だと思ってくれ。――それに、今はなんとしても家に帰りたいところだろ?」
にやにやとダニエルは思わせぶりな笑顔を浮かべた。
「戻ったよ」
街の郊外に、僕の家はある。小さいながらも、僕の家だ。
すると、家の奥からとたとたと足音がした。
「お帰りなさいマイク! 早かったのね」
満面の笑みを浮かべて僕の頬にキスをしたのは妻のエリーだ。
「ああ、仕事が早く終わったんだよ。……それより」
「もう!」エリーは頬を膨らませた。「いっつもそればっかり! なんだか妬けちゃうわ」
「そう言うなよ」
不機嫌とうれしさが入り混じったエリーの頬にキスを返して、僕は部屋の奥へと急いだ。
リビングの中、部屋の真ん中にベビーベッドが置いてある。その上にはくるくると回るシャンデリアみたいなおもちゃ(名前が分からないのだ)が天井から吊るされている。ベッドの中を覗き込むと、ガラガラを持ったままスースーと寝息を立てるベイビーの姿があった。眉から鼻にかけてはエリーに似ている。口元の辺りは僕譲りだ。
後ろから僕を追ってきたエリーが、ふんとため息をついた。
「それにしても、親ばかって怖いわね。あなたがそういう風になるとは思わなかった」
「僕もだよ。正直、こんな親ばかになるとは思わなかった」
天使のように微笑みながら眠る僕らのベイビー。その寝顔を横目にしながら、僕らはキスをした。
子供を持つと、男は変わるぞ。あるいは、子供が出来ても変われなかった男の末路は悲しいもんだ。
以前の上司に言われた言葉だ。その上司は子供がいたはずだが、ゲームの仕事に没頭するうちに妻に愛想を尽かされて離婚、親権は向こうに持って行かれた、という絵に描いたようなバツイチ男の経歴だ。それだけに、その上司の言葉は棘として僕の胸に残った。結局、子供が出来たのを機に、勤務時間なんていう言葉がゲシュタルト崩壊を起こしてしまうような前の職場を辞めて、勤務状況のいい職場に乗り換えたのだった。
でも、英断だ。
すうすうと寝息を立てるベイビーの頬をつんつんと指先で押してやる。だあ、とも、むう、ともつかない声を上げて、ベイビーは深い眠りの中にある。
きっと、僕は今、幸せだ。
すると、エリーは僕の腕に手を回してきた。腕の柔らかな感触が僕の二の腕に押し付けられる。
「ねえ、ごはん食べましょうよ」
「ああ、そうだね」
眠るベイビーを抱き上げた僕は、エリーと一緒にダイニングキッチンへと移った。
キッチンには既に夕飯の支度がほとんどできていた。調理台の皿の上にはサラダが出来ていた。電熱線コンロの脇を見れば、丸く固められたひき肉が二つまな板の上に置いてある。
「もう少しでできるからここで待ってて」
うん、と頷いた僕は、ベイビーをあやしながらダイニングテーブルの前に座った。そして、いつものようにラジオの電源を入れた。
ちょうどこの時間はニュースの時間だ。真面目くさった声をしたアナウンサーが、アメリカ国内でのテロ事件や大統領の醜聞、はたまた遠い国の戦争について恐ろしく暗い声で報じていた。夕飯の幸せな時間に聞きたい話題でもないけれど、ベイビーの英才教育のためと諦めて流し続ける。大体にして、僕はあまりにも政治向きのことに興味がなさすぎる。
フライパンで肉を焼き始めたエリーは、ラジオを指した。
「嫌になっちゃうニュースね。どうなっちゃうのかしらね、世界は」
「どうにもならないさ」僕は云った。「国内のテロだって、あれは西海岸の話だろ? それに、大統領の脳みそが足りないのもよくある話だ。で、脳の足りない大統領のせいで戦争を海外に輸出しているのだって、アメリカ建国以来ずっとある光景だよ。どうなるも何も、このままさ、世界は」
「そういうことじゃなくって」エリーは云った。「その大統領のせいで、わたしたちの生活がバラバラにされちゃうんじゃないかって」
「はは、なんだ、そういうことか。心配しなくても大丈夫だよ」
アメリカ合衆国の市民であるからには、アメリカが要請するのならば星条旗の元に死ななくてはならない。それは一昔前のアメリカ市民の倫理観だ。
「今はどの場面でも高度にオートメーション化されている社会なんだ。たとえば、戦争だってそう。無人戦闘機が敵国の基地をじゅうたん爆撃している時代だよ」
僕だってあまり政治向きの事には詳しくない。だから、その辺のことは詳しくないけれど、あの忌まわしき対テロ戦争を経験したアメリカ市民は、明らかに星条旗の旗の下で戦うことに疑問を抱き始めた。その疑問は投票行動という数字に表れ、大統領ですらその市民の意向を無視できなくなった。その結果、戦時中であったとしても徴兵の規模は大幅な縮小を余儀なくされた。そうして、徴兵適齢期である僕はこうしてアメリカ東海岸でデバッガーをしながら家族と暮らしている。
エリーは眉をひそめながら頷いた。
「……そうね」
納得しているようには見えなかった。けれど、反論する言葉が見つからないのだろう、エリーは自分の言葉を飲み込んだ。
と、その瞬間、エリーが悲鳴を上げた。
「ああ、やっちゃった!」
見れば、フライパンからもうもうと黒い煙が上がっている。
「ハンバーグの黒焼きだね」
冗談を飛ばすと、エリーはきっとこちらを睨んだ。
「そんなことを言うとご飯抜きだからね」
「ごめんごめん、謝るよ」
と、僕の腕の中で眠っていたはずのベイビーが突然ぐずり始めた。黒煙にへそを曲げたのか、それとも犬も食わない親の喧嘩の仲裁に入ってくれたのか。
僕とエリーは顔を見合わせて笑った。
きっと、幸せっていうのはこういうことなんだろう。
次の日、オフィスに入ると、いつもなら席に座っているはずのダニエルが青い顔をしてそのあたりをウロウロとしていた。親指の爪を噛みながらもう一方の手で頭をくしゃくしゃと掻いている。どうしたのだろう、と声を掛けると、ダニエルは途端に笑顔になった。
「おお、早いなマイク! 助かった。さっそく仕事を始めてくれ」
「え、あ、はい。じゃあ、コーラを自販機で買ってから――」
「それくらい俺がおごる。早く席について仕事を開始してくれ」
「は、はあ……」
尋常ではないダニエルの剣幕に負け、僕は自分の席に座ってPCを立ち上げて、ゲームのプログラムを開いた。
どうやら今日のゲーム内容は、悪のキャラクターたちから仲間を助け出すものらしい。
このゲームの詳しいストーリーについてはあんまり詳しくは知らない。どうやら主人公の仲間と悪のキャラクターが争っているようだ。したがって、侵攻してくる敵キャラたちを倒したり、敵に捕らわれた仲間を助け出したり、はたまた敵キャラの本拠地に忍び込んで特定の道具を取ってきたりといった小さい任務をこなしていくミッション形式となっている。
僕はコントローラーを握ってスタートボタンを押した。
が、既に始まった光景は最悪に近かった。敵キャラのほとんどはいきり立って主人公に星やナイフを投げまくってくる。周りに仲間はいないようだ。
このゲーム、明らかにゲームバランスがおかしい時があるのだ。こういう風に、既にほとんど勝てる要素のない日もあれば、その逆で敵が一人も出ない日すらもある。一応そういうことがあるということをダニエルに報告はしているが、今一つ制作側の反応は鈍い。
まあ、いい。
僕は主人公を操り始めた。ボタンを押して敵キャラに向けて星を投げる。その星に当たった敵は、ふぎゅるー、と音を立てて爆発し、僕のポイントへと変換される。少し被弾してしまったが、物の数ではない。そういえば、この主人公、やけに防御力が高い。これもゲームとしては面白くない要素だ。今度ダニエルに報告しておくべきだ。
やがて、目の前の敵がいなくなった。僕操る主人公は敵の沢山いた橋を抜けて、西洋風のお城へと忍び込んだ。もちろんそこにも敵はうじゃうじゃいる。オートロッキングのきついこのゲームにあっては、これだけ敵が多いとボタンを押すだけの作業だ。見る見るうちに敵キャラは画面から消える。
「おお」
いつの間にか、僕の横にはダニエルがいた。手のコーラを机の上に置くや、ほお、と声を上げた。
「凄いな。このステージをこうも容易く……」
「楽勝ですよ」コーラの瓶を口につけた僕は口元をぬぐった。「そもそも、この主人公、敵の攻撃に対して硬すぎますよ。これじゃあ面白くない」
「……ああ、そうだな。制作側に話しておく」
ダニエルは僕の肩を叩いて自分の席へと戻っていった。
そして僕は僕で、目の前の仕事をこなす。
丸っこい、ファンシーな敵キャラたちが目の前で爆散していくだけのクソゲー。コーラを飲んで、鼻歌交じりに仕事をこなしていく。
妻のエリーや、愛しのベイビーの顔を思い浮かべながら。
「ふう」
誰もいないオフィス。既に電燈も落ちている。一人、席でパソコンのキーボードを叩くダニエルは、青い画面を見やりながらため息をついた。
「今日も、何とかなったわけか」
それもこれも、あのマイクのおかげだ。あれだけ難易度の高い<ゲーム>をああも簡単にやってのける割に、ほどよく常識人で程よく世間のことに興味がない。そして、今のこの職場について居心地の良さを感じているようだ。あれほどの戦力を手放す理由などどこにもない。
そして、あとは……。
ダニエルが身構えたその時、おあつらえ向きに電話が鳴り響いた。外からの傍受が出来ないという特殊な電話機だそうだ。
「はい」
電話に出る。すると、電話口の向こうから、いつも聞き慣れた声がした。
『ご苦労、ダニエル少佐』
「はっ」
『それにしても驚いたぞ少佐。まさか、君の隊があの劣勢から一気に盛り返すとは』
「ええ、うちのエースのおかげです。彼が投入された途端、一気に戦況はひっくり返りました。それどころか彼、『機体の装甲が硬すぎる、それじゃあ面白くない』とまで言っておりまして」
『はは、それは心強い話だ。――とにかく、貴軍の奮闘により、作戦S-201号は完了した。貴軍の絶対たる星条旗への忠誠に感謝の意を表する』
「ありがたきお言葉」
ダニエルが敬礼を取った瞬間、唐突に電話が切れた。ツーツー、という電子音がダニエルの耳に残る。
その音を遠くに聞きながら、ダニエルは一人ごちた。
「星条旗への忠誠? 馬鹿な。俺たちですら持ち合わせていないものを、いち市民が持っているわけないだろう」
じゃあ、あいつらはいったい何に忠誠を誓っているのだろう? 士官学校時代、同期の仲間に『哲人ダニー』と馬鹿にされていたダニエルは、ふと思索の世界に飛び込んでみた。
金? ライフスタイル? 資本主義? 功名心? いや、そのどれとも違う。
むしろ――。ダニエルの脳裏に、隊のエースであるところのマイクの顔が浮かぶ。
家族、か。
懐からラッキーストライクの箱を取り出し、火をつけた。くるくると渦を巻きながら天井へと上っていく紫煙。その様はまるで、ゲリラ作戦によって壊滅した敵軍キャンプから立ち昇る煙にも似ていた。
「ふん。それにしても、馬鹿な仕組みを考える馬鹿もあったもんだ」
この計画は、アメリカ政府肝煎りのものだ。しかし、その性質上、内容は秘匿されている。
最初は、国益を守る戦争すら世論の変化により継続できないというアメリカという国、ひいては民主主義国の抱える問題から端を発している。結局、厭戦気分の高まりによって戦地に赴く徴兵たちが投票行動を積極的に取るようになったことで、継続的な戦争が不可能になってしまったのだ。
アメリカ軍は当然のことのように軍隊のオートメーション化を進めた。だが、戦場は常に何が起こるかわからない。人間の思考判断が求められる場面は、作戦立案といった根幹部分からアサルトライフルでゲリラや敵勢力を掃討する末端に至るまで、まんべんなく求められるものであることは軍属にいる者ならば自明のことだった。
そこで提案されたのが、遠隔操作による戦場ロボットの使用である。
あくまで戦地には意志を持たないロボットを派遣する。しかし、それを操るのは本国で生活する人間。これならば、国民の厭戦気分を緩和できるのではないか、そう主張された。だが、「職務中に」戦場で人を殺した人間が、仕事終わりには普通の市民として生活する、というこの計画は、従事する人間の心の平衡が図れなかった。人を殺すという非日常と、妻や子、家族たちと笑顔で過ごすという日常の間で、従事者は心を病んでいった。
そのため、今ではもっと巧妙な形で遠隔操作ロボットが使われている。
この、開発中ゲームのデバックに偽装したこの計画も、その一つである。
ロボットのセンサーから得た各種情報を、出来るだけマイルドなものに切り替える。たとえば、敵の姿は人の形を取らず、まるで子供向けアニメのキャラクターのような姿に変換し、飛び散る血しぶきや銃弾もファンシーな星やハートマークに切り替える。そして、さもゲームをやっている感覚で、ロボットの持っているライフルの引き金を引かせるのである。
そう。この会社に勤めているデバッガーたちは、知らず知らずのうちに戦場で人を殺している。ある者は給料日を待ちわびながら。ある者は今日の夜のデートの約束を楽しみにしながら。またある者は妻との甘い時間に恋い焦がれながら。またある者は、自分の家族との日々を活力にしながら。そうして彼らは、敵国の経済活動を破壊し、誰かの恋人を撃ち殺し、家族の絆を引き裂いている。
その様を見て裏でその皮肉を嗤うほど堕ちてはいない。だが、この罪深い行ないを神に許しを請うほど、ロマンチストでもない。
だが、これは何もこの“職場”に限ったことじゃあない。
某発展途上国では貧困層の人々が生身の体で火山の火口近くに硫黄採掘に出かける光景が当たり前のようにしてあるという。もちろん、有害ガスをもろに浴びる危険な作業だ。足を踏み外せばそこで人生は終わるし、そうでなくとも有毒ガスに体をやられて長くは生きられない。彼/彼女らは今を生きるために危険を冒して硫黄を取りに行くのだ。しかも、その硫黄が何に使われているのだと思う? 先進国のご婦人方の化粧品のためだ!
上院議員の何とかとかいう女は、戦場で流される血を憂い、非人道的な戦争というシステムを涙ながらに指弾する。しかし、その上院議員が己の醜い皺を隠す分厚い化粧のせいで、何人もの人間が死んでると思っているのだろう。「遠隔操作ロボットなど導入したら化粧品の原価が上がってしまうではないか」という資本主義的な理由、はたまた、「遠隔操作ロボットが仕事を奪ってしまったら貧困層はただ野垂れ死ぬばかりではないか」という“人道的な”理由によって、彼/彼女らは有毒ガスの煙に巻かれながら、化粧品の材料のために死んでいるわけだ。
誰しもが、誰かを殺すことなくしては成り立たないのが、この世界というわけだ。それを意識する、しないは別として。
「なぜ神はこのような地獄をおつくりになられたのだろう。アーメン」
毎日帰宅前に行なう日課、十字をパソコンの前で切ったダニエルは、ふう、とため息をついてパソコンの電源を落とした。オフィスという名の戦場は、途端に闇の中に沈んだ。