「おれは、たんていになりたいんだ! ホームズのような、めいたんていに」
幼稚園に上がったばかりの子供の耳には、聞き覚えのない言葉の羅列。
「……たんてい? ほおむず?」
初めて聞く言葉に、幼い蘭は首を傾げた。
「たんていは、とけない『なぞ』なんかない、すっげーひとのこと! そしてシャーロック・ホームズは、せかいいちの、めいたんていなんだ!」
幼い新一は、新しい宝物を見つけたかのように瞳を輝かせている。
それにつられて、蘭も笑った。
「うん! しんいちなら、きっとなれるよ! めいたんていに!」
新一の言葉の意味はよく分からなかったけれど。
だけど、彼ならできる……と、当たり前の事のようにそう思った。
「一晩中そこで本を読んでたの?」
目の前の光景に、蘭は溜め息をついた。
ここは工藤家の書斎。そこにある大きな机で新一は書物に埋もれていた。
「とにかく、朝ご飯作るから顔洗ってきなさいよ」
新一の両親は不在だった。
彼の父・優作の仕事の関係で海外に行っていて、この数日間、家を留守にしている。本来ならば新一も付いて行くべきだったが、彼は一人、家に残っていた。
中学生になったばかりの少年にとって、家族旅行は煩わしいだけだったのだろう。
こんな時頼りになる隣人も、昨夜からいない。
それで今朝は、蘭が朝食を作りに来たのだ。
新一を洗面所に追い立て、蘭は机の上の書物に目をやった。
また推理小説でも読んでいたのかと思ったが、違うらしい。これらの本はどれも小説ではなさそうだ。
何かの専門書なのか、難しい題名の本ばかり置かれている。中学生が読むような本ではない。ここにある本のジャンルが一つなのか複数なのか、それすらも蘭には見当がつかなかった。
新一はなぜ、こんな本を読んでいたのだろう。
用意した朝食を新一と二人で食べた。
思えば、新一と二人きりというのは随分久しぶりかもしれない。
昔はよく二人で遊んでいたが、小学校に入って何年か経つうちに遊びの系統が異なってしまい、ありがちな事だが最近では互いに疎遠になっていたのだ。
「ねえ、いつもあんな難しい本を読んでるの?」
だから気になった。書斎の本から垣間見えた、知らない新一の姿。
「まあな」
食後のコーヒーを飲みながら、新一は事もなげに答えた。
「どうして?」
「探偵になる為さ。探偵に求められるのは推理力だけじゃない。幅広い知識が不可欠なんだ」
「探偵って……新一まだ本気でそんな事思ってたの!?」
「何言ってんだよ? オレは本気だ。ずーっと前からな」
「ホームズのような名探偵?」
「ああ」
蘭は本気で呆れた。
架空の人物のようになりたいだなんて、子供の夢だ。中学生にもなって言う事ではない。
「……本当になれると思ってるの?」
「なれるか、じゃない。なるんだ」
新一は、きっぱりとそう言った。
「オレは探偵になるんだ。ホームズのような名探偵に。そう遠くない将来、必ず」
いつかも聞いた言葉。
抱いているモノは、あの日から変わっていない。しかし『それ』を見据える目は、ひどく大人びている。
本当に、なってしまうかもしれない。新一なら……
子供の夢だと、まだ半信半疑なのに。
それなのに確信に満ちた新一の目につられて、蘭はいつかと同じように、そう思った。
『お手柄! 高校生探偵 工藤新一』
大きな文字と共に新一の写真が新聞を飾る。
あれから数年後、新一は名探偵として世間に知れわたっていた。
顔も知らない大勢の人間が、新一の活躍を耳にしている。
「……本当に、探偵になったんだね」
子供の夢なんかでは、なかった。
彼も、もう子供ではない。同じくらいだった身長はいつの間にか越され、新一の目線は自分よりも高くなっている。
その真っ直ぐな目が、自分はずっと好きだったと気付いたのは、いつの事だったか……。
「ん?何か言ったか?」
「新一、本当に名探偵になっちゃったんだな……って」
「いや、まだだ」
「え?」
新一はちょっと上を見上げ、にやりと笑った。
「まだまだ、ホームズには及ばねぇよ」
シャーロック・ホームズは架空の人物。
探偵になる事は実現できても、架空の人物は大きすぎて、それを追い求める事は、いつまでも終わらない夢なのかもしれない。
しかしそれを知ってか知らずか、新一はとても楽しそうだ。
蘭も、一緒に笑った。
例えそれが、終わりのない夢だとしても
いつか『そこ』に辿り着くあなたが見たいから……
だから、
「新一なら、きっとなれるわよ」
夢を追うあなたを、これからもずっと隣で見させてくれませんか?
夢はまだ、始まったばかり……
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