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童話・児童小説風

旗守りのグロリア

作者:霧島まるは
「今日を持って白百合騎士団は解散します」

 王女からの一言は、雷のような衝撃でグロリアを打った。

 八年間、側でずっと王女に仕えてきた彼女は、その言葉により役目を終えたことになる。グロリアは父に似た、人というよりはゴリラ族に近い顔を悲しみとともに歪めた。黒くずっしりと重い自分の髪が、なお重くなった気がした。

 彼女の目の前には、背の高い銀の髪の王女。その隣に、更に背の高い金髪の公爵の娘が立っている。ドレス姿の美しい王女、騎士服の凛々しい公女。瞳の色は王女がサファイヤ。公女はエメラルド。対照的な二人であったが、どちらも八年前とは比べ物にならないほど強く美しく成長した。ずっと側で見ていたグロリアが言うのだから間違いない。

 そんな二人の姿を、視界がにじんでグロリアはうまく見られない。「お前の泣き顔は良くない」とむかしむかしに金の公女に言われたことを思い出し、彼女は顔を伏せた。

 そのまま「お別れの…ズビッ…挨拶をさせていただいて……ズズッ…よろしいでしょうか」と、声を絞り出す。

「よく尽くしてくれた」と近くに寄る許可と共に王女にねぎらわれては、グロリアはその場で号泣してしまいそうだった。床に視線を落としたまま片膝をついて彼女の右手を取り、自分の額を近づける。女性の手にしては大きく、剣ダコさえ出来ている。王女が鍛錬に励んだ結果だった。

 引き続き、隣の公女の手を取る。こちらは王女よりもっと大きくもっと傷だらけだった。強くなる苦労を厭わなかった健気な手だとグロリアは思った。公女からのねぎらいの言葉はない。彼女は喉を悪くして、おおやけの場で声を出すことをやめてしまった。

 だから、ここでグロリアはみっともなくとも顔を上げなければならなかった。公女が彼女に話しかける時は、唇の動きだけで伝えるからだ。 涙でぐしゃぐしゃの顔をグロリアが上げると、公女の唇はゆっくりと音を見せるように動いた。

 それは──「さよなら」の形ではなかった。


 ※


「お前が、ゴメス将軍の娘? お前は剣が強いそうね。わたくしの作る騎士団に入れてあげてもよくてよ?」

 銀の髪の王女は当時十二歳。あつらえてもらったばかりと思われる喉元まできっちりと覆われた緑と白の騎士服を着て、腰には細身の剣を佩いていた。やや身体が左に傾いているのは、剣の重みに慣れていないからだろう。

「個性的な顔だね……南の大陸の大きな猿にそっくり」

 王女よりひとつ年下の金の公女は、最初の頃は大変意地が悪かった。

 グロリアが彼女に返事をすると、よく聞こえなかったらしく首を傾げられた。さらりと肩にこぼれる長い金の髪。

「それはゴリラ、という生き物かと思われます」

 グロリアは、今度はちゃんと聞こえるように言い直した。

 顔がゴリラに似ていると言われるのはこれが初めてではない。正確に言えば、王宮に出仕している父と兄二人が周囲にそう言われているらしい。南の大陸への猛獣狩りが貴族の遊戯となり、その地の珍しい動物の図鑑などが都でも売られるようになった。そんな本の中で、グロリアはゴリラと出会った。

 描かれたゴリラの顔は、確かにグロリアの父親によく似ていた。要するに、兄たちにも自分にも似ているということだった。ゴメス家では、唯一妹だけが母に似て違う顔をしていた。

 そんな経緯があったため、金の公女に大きな猿と言われて、彼女はそれが何を指しているかにすぐ気づけたのだ。

「何それ……ゴリラって……お前、面白いね」

 鈴を転がすような声で、騎士服の公女は笑った。隣の王女に「おやめなさい」と叩かれるまで笑い転げていた。王女より年下の公女は、その当時はまだ背も低く子供っぽかった。

「アル、お前は補佐官よ。グロリア…お前は私の旗を守ってちょうだい」

 王女は、自分の二人の部下に役目を命じる。

「旗、でございますか?」

「そう、私の旗。その旗がたなびいている限り、私は戦場に立っているということだから、お前の使命は重大よ」

 十二歳の少女の口から戦場という言葉が出ることに、グロリアは戸惑った。一体どこまで本気なのか、と。

 結果的に言えば王女は──全て本気だった。

 ※

 王女の騎士団に誘われた翌日から、グロリアは王宮へ出仕することとなる。

 おかげでゴメス家の馬車は、親子四人でみっちりすし詰めだ。将軍職の父、文官職の長兄、騎士職の次兄、そしてグロリア。三頭のゴリラが四頭に増えたと、出仕風景が見所になってしまうほど王宮は退屈なところらしい。

 しかし、この顔はある意味グロリアにとっていい方向に働くこともある。誰もが彼女の顔を一度で覚え、そしてどこの家の娘であるかすぐに理解してもらえるという意味で、だ。

「何てみにく…あら、宰相補佐官の妹さんね」「動物を放し飼いにしないでちょ…あら、将軍のお嬢さん」

 そんな中。

「おはよう、ゴリ子」

 金の公女だけは、面と向かって口さがなくグロリアをそう呼んだ。「グロリアと申します」と訂正するも、「目の前で呼ぶのと陰で呼ぶのとどっちがいい?」と返され、彼女は呼ばれ方を諦めることにした。

「おはよう、グロリア」

 銀の王女は、きちんと顔を見て彼女の名を呼ぶ。グロリアは、それが嬉しかった。

 お遊びかと思った騎士団だが、すぐに真面目な訓練が始まった。本家の騎士団から師範を呼び、剣、体術、馬術、マスケット銃の使い方まで習うことが出来た。自宅で親兄弟と剣の稽古をしてきたグロリアだったが、本格的な訓練に驚きながらも鍛錬に励んだ。

 その当時、十六歳のグロリアは二人の少女に対して無敗だった。年齢、経験、体格、どれも二人より勝っていたのだから当然だろう。

 王女は器用さに長けていて技を磨く方に力を入れ、公女は最初の頃こそひ弱だったものの、次第に力と体力をめきめきと伸ばした。二年もたてば、グロリアが負ける日も出てきた。

 ちょうどその頃、公女が病に伏せって騎士団にしばらく顔を出さなくなった。グロリアは心配して何度となく見舞いに行ったものの門前払いをくらうだけ。

 幸いにして、病から立ち直り公女は戻ってきた。だが、戻ってきた時にはもう、グロリアのことを「ゴリ子」と呼ぶことはなかった。彼女は喉を痛めて静寂の公女となっていたのだ。

 まったくしゃべらないわけではない。公女が何かを語るときは、必ず王女の耳元に手を添え、囁くのみ。グロリアはおいたわしいと公女に同情した。あれほど弁がたつ彼女が、思い通りにしゃべることも出来ないのは、どれほど苦しいことだろうかと。

 ゴリ子と呼ばれてもいいから、もう一度公女の声を聞きたいと願ったものの、その願いは叶わなかった。ただし、その日から公女は静かに唇だけで彼女に言葉を告げるようになった。

 最初に気づいたのは「おはよう」の唇。

 これまで、何日も自分がそれを見逃していたかも知れない事実に気づき、グロリアは慌ててしゃきっと背筋を伸ばし「おはようございます!」と大きな声で敬礼をした。それに公女は小さく笑っていた。少し大人びた笑みだった。

 たとえ公女の声がでなくとも、再び白百合騎士団が三人に戻ったことは、グロリアにとって嬉しいことだった。

 病の後から、ぐんぐんと金の公女は武芸の才を伸ばしていった。グロリアも負けが増え始め、ついには力では公女にかなうことはなくなった。唯一のとりえを追い越され、彼女は少し落ち込んだが、グロリアもまた剣だけではなくマスケット銃の腕前を伸ばすことで置いて行かれまいと必死に努力した。

 特に馬上でマスケット銃を撃つという、竜騎兵顔負けの射撃の腕は上達し、指導者に女性でなければ竜騎兵団に推薦するのにと言われるほどになった。

 だが、その評価をグロリアの家族は誰も喜びはしなかった。

「お前は女なのだから、武芸もほどほどにしなさい」と父にたしなめられた。「そろそろ騎士団ごっこはやめて社交界の方に顔を出すのはどうだ」と長兄に説得された。「兄さんは妹のお前が心配だ」と、次兄に頭を撫でられた。家族はみな、当たり前のことだが彼女を女性として扱ってくれる。

 それはグロリアにとってはささやかながら嬉しいことでもある。王宮では陰で自分が「ゴリ子」と呼ばれていることを知っていた。ヒソヒソクスクスと囁かれる遠い声を振り払い、それでもグロリアが王宮に向かえるのは、銀の王女と金の公女がいるからである。

「うるさい蝿は叩かれるわよ」

 三人が共にある時にグロリアが嘲笑われるようなことがあれば、王女は冷ややかな叱責を口にし、公女もまた低い温度の視線を向ける。

 グロリアは公女にまで救われるとは思ってもみなかった。

 しかし、いまにして思えば公女が「ゴリ子」と呼んだことは、何と可愛らしいものだったのか。彼女がグロリアをそう呼ぶ時は、いつも笑顔だったことを思い出していた。

 そんな二人から伝わってくる信頼感により、グロリアはなお一層忠義を尽くし、自分の仕事に励んだ。

 馬にまたがりマスケット銃をぶっぱなす淑女は、この国では白百合騎士団だけである。正確には、王女は演習の際に落馬して禁止を申し渡されたため、グロリアと公女だけである。馬上では王女の旗を背負うグロリアは、頭の後ろにバタバタとはためく旗の音を王女の号令のように聞いていた。


 白百合騎士団は、あくまで王女のお遊び──その暗黙の了解が崩れたのは、隣国との戦争の激化が発端だった。戦況が劣勢になった時、戦場の士気を高めるための旗印として王女が駆り出されたのである。

 若干十七歳、銀の王女は不敵に笑ってこう言った。

「白百合騎士団の初陣よ」

 金の公女十六歳、グロリア二十一歳のことだった。

 彼女は王女の白百合の旗を背負い、戦場に立つこととなった。とは言っても、いきなり前線に出されるわけではない。王女は士気高揚の象徴なのである。決して陥とされてはならない旗印。その旗を背負うグロリアは己の責任重大さに心臓が飛びださんばかりだった。

 しかし、不利な戦況である。常に安穏と構えていられるわけではない。伏兵、側面攻撃。戦線の崩れにより、時として旗印の王女が狙われることもある。

 遠目の敵はグロリアの銃が。それをかわして飛び込んできた強敵は、沈黙の公女の剣が守った。これまで訓練してきたことは何ひとつ無駄ではなかった。

 不利な戦線を押し返すまでには至らなかったものの、それでも戦況を沈静化するまで持ちこたえることが出来た。一年、戦場で共に戦い抜いた白百合騎士団も、都へと戻れることなる。その頃にはもう、グロリアにとって王女と公女は一生仕えても良いと思えるほど大きな存在になっていた。

 帰都した白百合騎士団を待っていたのは、戦線を救ったという広告塔の仕事だった。人心を集めるカリスマ的存在に、銀の王女はうってつけだったのである。その場に付き従うのは金の公女と、王女の旗持ち。国民が遠くから白百合の旗を見ては「王女さま」と熱狂の声をあげた。

 王女について国のあちこちにひっぱりだこになったため、忙しくてなかなか家へも帰れなくなったグロリア。そんな姉が人気者であると誤解したグロリアの妹が、ある日王宮に訪ねて来た。

 妹はようやく十六になり、社交界にデビューしたばかり。グロリアと一緒に王宮を歩く妹の顔にゴリラの遺伝子のかけらも見出せないことに、周囲はどよめいていた。

 姉の仕事に興味津々の妹は姉が何をしているか知りたがった。

「王女様の旗を掲げています」とグロリアが答えると、妹は物足りなさそうな顔をした。もっと華々しい仕事をしていると思ったのだろう。戦場でマスケット銃を撃っていたと言うと妹の教育に悪そうなので、グロリアは黙っていた。

 しかし、姉の真似をしたがるのが妹の常。その旗を私も掲げてみたいと言い出す。薄布で作られた旗ではなく、厚い布と刺繍で彩られたずっしりと重い旗である。とても妹に任せられない。グロリアはダメだと拒んだ。妹はすっかりふくれてしまったが、諦めたと彼女は思っていた。

 しかし、目を離した隙に妹は旗立台にかけられていた白百合の旗を持ち上げようとしていた。年の離れた妹は剣の稽古もしたことがなく、旗の想像以上の重みによろよろとよろける。旗もろとも倒れようとする妹を、慌ててグロリアは後ろから身体を支え、そして旗棒を両手でがしっと掴んだ。

「妹よ…ぐぬぬ…この旗は決して降ろしてはならぬ、地につけてはならぬ。そんな大事な旗なのです。王女様の命そのものなのです」

 顔を真っ赤にして妹と旗の体勢を立て直し、グロリアは腹の底からの声を絞り出した。尋常ならざる姉の様子に、妹はぽかんとした後ごめんなさいと小さく呟いた。


 ※


 王女の気まぐれから始まった、たった三人の白百合騎士団。

 それが終わる理由もまた、王女だった。隣国との和平が結ばれた後、和平の証にと、かの国の王子が銀の王女を妻に望んだのだ。

 戦場に出た王子は、あの戦いでたなびき続けた王女の旗を覚えていた。顔を見たことがなくとも気高くはためいていた王女の旗に、彼は敵ながら敬意を抱いた。

 そして、

「アル、私のわがままに最後まで付き合ってくれてありがとう。グロリア……私の誇りを最後まで掲げてくれたこと心より感謝します」

 銀の王女の言葉を最後に、グロリアの愛した白百合騎士団は解散となった。

 やりがいのある仕事を失い、グロリアはすっかり腑抜けになった。銀の王女が輿入れする際に国境まで見送る一団の中に名前を連ねる栄誉をたまわったものの、前のように毎日王宮に行く必要もなく、家でその大きな身を持て余していた。

 グロリアはもう二十四歳。八年間騎士団にいたために、すっかり嫁き遅れとなってしまった彼女だが、縁談は日々雨あられだった。しかし、その多くを兄たちがゴミ箱に叩き込んでいた。王女の覚えめでたき将軍の娘という肩書きは「容姿さえ目をつぶれば」、うだつの上がらない者たちにとってはおいしい条件だった。

 兄たちが好いた男はいないのかとグロリアに聞くも「ございません」と答え、選び抜いた見合いの絵姿を見せてどの男がいいかと聞くも、ちらりと見もせずに「どなたでも」と答える。

 グロリアの意気消沈ぶりに、家族もほとほと困り果てた頃──末の妹が姉の手を取った。

「お姉さま、夜会に参りましょう。そして素敵な殿方を捕まえましょう。折りしも今度の夜会は王女様がお輿入れの前にご出席なさる最後の夜会です。お姉さまもご挨拶されたいでしょう?」

 姉が騎士団に入っている間、妹はいつしか社交界の華となっていた。

 腑抜けになっても「王女」という名には反応するグロリアは、妹に操られるままに不慣れなドレスを身にまとい、ついに夜会の場へと馳せ参じるのだった。心はまだ王女の騎士のまま。

 しかし、華やかな社交界の場はあまりに彼女にとって眩しすぎた。

 騎士団の旗を持たぬグロリアにとって、ここでの彼女は頼りない存在だった。ヒソヒソと囁き笑う声が、一体何を指しているのか知っていながらも、「気になさらずに」という強気な妹に引きずられ、グロリアはついに一番奥まで歩を進める。 そこには、誰よりも輝いている王女が立っていた。

 横に背の高い殿方をはべらせ談笑していた王女は、グロリアを見るなり目を輝かせた。

「まあグロリア、よく来てくれたわね。こういうところにお前は来たがらないから、もう会えないのかと思ったわ。嬉しくてよ」

 最後の一言で、グロリアは不慣れなことをして本当によかったと思った。

「ご挨拶を」と、騎士の形でひざまずこうとする彼女を、「今日は淑女なのだから」と王女が押し留めようとする。

「私はこの挨拶しか知らぬのです」と、グロリアは頑なに王女にその挨拶を乞うた。勿論それは嘘だったが、苦い笑みを浮かべながらも王女は、わざわざ手袋をはずして手を差し出した。騎士団の頃からグロリアは、王女に直接触れる栄誉を賜っている。騎士団がなくなっても、それに何の変わりもないのだと伝わってきて、彼女は胸が熱くなった。

 剣ダコのある愛おしい手を見つめながら、グロリアは己の額に近づける。あと何度、この挨拶が許されるだろうかと彼女が感傷にひたりかけた時、隣から同じく手袋の外した手が差し出された。

 王女と談笑出来る身分の男である。さぞや高い地位に違いない。そんな人に挨拶もせず素通り出来るはずがなかった。

 さっき、騎士の挨拶しか知らぬと嘘を言った手前、他の人にも同じ挨拶をしなければ体裁が取れない。やむを得ず、グロリアはその男性の手を取った。

 その瞬間。 ぞわっと、何か言葉に出来ないしびれが彼女の身体を走った。

 そんなはずはないと、グロリアは己の目を疑った。だが、彼女が「それ」を見間違えるはずがなかった。

 いま彼女が掲げ持っている手の、その大きさ形、傷は、毎日のように彼女が見てきたものだったのだ。

 グロリアは、挨拶を最後まで出来ないままおそるおそる顔を上げた。

「やあ、ゴリ子」

 それは、低い男性の声だった。彼女に面と向かってその呼び方をする青年は、さっぱりとした短い金の髪をしていた。 動けないグロリアに、男は声を出さず唇だけを動かして見せた。

 それは──金の公女がいつも彼女に見せる動きとまったく同じだった。

「公女……さま?」

 呆然としたまま、グロリアはそう呼びかけていた。襟元まで詰まった騎士服ではなく、髪も長くはなく、声も男のものではあるが、この手は、この手だけは間違いなくこれまでグロリアと共に戦った金の公女の手だった。

 グロリアの魂の抜けた呼びかけに、銀の王女がぷっと笑う。

「お姉さま、何をおっしゃっているの。公子様に失礼でしょう?」

 慌てたのはグロリアの妹だ。焦って姉をその場から引き剥がす。力がないはずの妹に簡単に引きずられながら、彼女は二人を振り返っていた。

 銀の王女と、金の──公子とやらを。

 金の公子とやらの唇が、騎士団の解散時と同じ形を作った。

”ま・た・ね”

 少しずつ離れながら、グロリアはその光景を必死に過去と重ねていた。

 背の高い銀の王女。それより更に背の高い金の公女。グロリアはずっとそれが当たり前だと思っていた。三人とも大柄なだけなのだと。

 手もそうだ。力もそうだ。鍛錬の結果だとグロリアは信じて疑っていなかった。自分の手も大きく傷だらけで、そして力も強かったので公女もそうだと信じていた。

 いつから公女は声が出なくなったか。出会った時の公女は十一歳。鈴を転がすような高い声だった。

 二年ほどして病に伏せってから公女は王女に耳打ちする以外、一切しゃべることはなくなった。

 グロリアの兄たちがそうだったように。世間の少年らが大人になる通過儀礼のひとつとして通る「声変わり」──公女が声が出せなくなった時期は、それと完全に一致していた。

 何故そんな偽りの姿をせねばならなかったのか。それはグロリアには分からない。

 もはや夜会どころではなかった。騎士団の解散と同じほど衝撃を受けたグロリアは、壁にもたれてすっかり魂が抜けてしまった。

 妹はグロリアのために気つけになる飲み物をもらってくると離れて行ったが、途中で誰かに捕まってしまい身動きが取れないようだ。そんな遠い光景をぼんやりと見ていたグロリアは、自分に向かって歩いてくる存在にすぐには気づけなかった。

 金の公子だった。

「一曲どう?」

 何度聞いても低い声。顔立ちや表情に公女の面影はあるものの、どうにも慣れることが出来ずにグロリアは目を伏せて「踊れませんから」と答えた。

「知ってるよ」と、それでも強引にあの手がグロリアの手を取る。

「あの公女……公子……様」

 フロアに引っ張られながら、グロリアは彼を何と呼ぶかもあやふやなまま声をかけた。ざわめく周囲の声が耳に入る状態ではなく、ただ存在そのものもあやふやに感じられる男を見る。

「聞きたいことは踊りながら教えるよ……ダンスも、ね」

 運動神経のいいグロリアだが、ダンスの練習はしてこなかった。そのため、最初の何度かは彼の足をぎゅむと踏みつけることになった。「やるな」と笑ってそれでも公子は彼女の手を離さなかった。

「僕は愛人の子でね」

 足を動かすのに頭を使っていたグロリアに、彼はそう切り出した。

「本妻にはその時、娘しかいなかった。母は僕が生まれた時に女だと偽った。そうしなければ本妻に僕が殺されると思ったんだろう。まあ育ってく途中で、自分が男だって自力で気づいたけどね」

 王女は全てを知っていて、強く生き抜く鍛錬が出来、ドレスを着ずに済み、家の外に居場所を作るために公子を騎士団に誘ったという。

 秘密を知る者は少なければ少ないほど良い。しかし二人で騎士団を名乗るには少なすぎると、王女は忠義に厚く愚直な将軍の娘に目をつけて呼び寄せた。そしてグロリアは彼女らのお眼鏡にかなった、と言うわけだ。

 だが、秘密を共有するどころか、グロリアはまったく疑うことなく二人に尽くした。

 これは、ある意味王女らの誤算でもあった。本来であれば、早い内にバレることを覚悟していた彼らは、逆に全てを信じきってしまったグロリアに本当のことを打ち明けるタイミングを完全に逸してしまったのだ。それゆえ、彼は最後まで男であることを隠し続けることとなった。

 王女の結婚で騎士団は解散することになったが、実はもうひとつ事情があった。結局、公爵の正妻に息子が生まれなかったため、彼は公子として生きる道を選ばねばならなくなった。

 これまで正妻を気遣って隠されていた後継者が、遅まきながら十九歳で社交界にデビューしたという筋書きである。

 存在したはずの金の公女は、病気により遠方で療養という形になっているが、人が忘れた頃に死んだことになるだろうと、公子は過去の自分の葬式でも思い浮かべているような苦い表情になった。

「長く苦労なさったのですね」と、グロリアが言葉をかけると、その表情が笑みに変わる。

「そうでもないよ。楽しい八年間を過ごさせてもらったからね。本当に……夢のような八年だった」

 金の公子の言葉に、グロリアも涙が浮かびそうになった。まさに、彼女が抱いていた気持ちと同じものを、彼もまたあの場所に抱いていたのだと思うと嬉しくてじんわりしてしまうのだ。

「私のお仕えした方は、この手の持ち主でいらっしゃいます。それだけは変わりません」

 涙目でグロリアがそう告げると、

「お前の泣き顔は良くないね」と、むかしむかしに言われた言葉が、男の声で囁かれる。

「だから、笑っているといい」

 ただ──あの頃にはなかった言葉が付け足された。


「ところで……」

 涙を引っ込めようとしたグロリアに金の公子がそう続ける頃、一曲目が終わった。ダンスが終わったのだからまた壁際に戻ろうとした彼女を、公子はやはりあの手で引きとめて、そのまま二曲目に入る。

「ところで……見合いの話をお前は見たのか?」

 公子の話は、先ほどまでとは打って変わった奇妙なものだった。

「いろいろ来てはいるようです。父や兄が良いところを決めてくれるでしょう」

 確かに縁談の話は来ているので、グロリアは正直に現状を告げる。しかし、彼女の想像を大きく越える言葉が、次に投げかけられることとなった。

「よその話ではなくて、僕がお前に送った見合いの話だよ」

 思わず踊りの足が止まり、勢い余った公子がぶつかってくる。慌てて彼は、グロリアの身体が倒れぬよう身を支えてくれた。

「はっ!? ぞ……存じませぬ」

 頭が真っ白になりながら、しどろもどろに返事をすると、公子はぐいと強い力でグロリアを踊りに引き戻す。そして、まっすぐに彼女を見詰めた。戦場で剣を構えた時のような本気の気配に、グロリアはぞくっと背筋を冷たくする。

「では夜会から帰ったら、僕の名を探して父君に言うといい。『この方に致します』、と」

「え、あの」

「僕はね、ずっとお前の名を呼びたかった。最初の頃は子供過ぎてひどい呼び方しか出来なかったからね。でも、ちゃんと呼ぼうと思った頃にはもうこんな声だよ」

「先ほども……ゴリ子と呼んでらっしゃったような……」

「あれは……だって、ああでも言わないと気づかないと思ったんだよ。一緒に過ごした八年間をなしにされるなんて、とんでもないからね」

 公子は低い声で少し悔しそうにそう言うと、彼女の腰を支えて大きくターンした。

「勿体無いお話です」

 遠心力で遠くに持っていかれないように、反射的にグロリアもまた彼にしがみつく形になっていた。

「親が決めたら誰でもいいと言っていただろう? 僕にしなよ。そうしたら、ずっと二人であの八年間の話が出来る……王女のことも語らえる」

 それは何と甘美な誘いであったか。他の誰とも共有することの出来ない日々が、グロリアの目の前にぶらさがったのだ。王女という、これから遠く離れてしまう大事な人の存在と共に。

 思わず、彼女は握り合っている手に強い力を込めた。

「大丈夫、力ならもう負けないよ」

 もっと強く握り返されて、グロリアは自分の頬が赤くなるのを感じていた。


 ※


 かくして、隣国への王女の輿入れの日。

 騎上の王女のすぐ側につき従ったのは、金の公子と白百合の旗を背負うグロリア。 国境で王女が隣国に預けられると、旗は降ろされることとなる。

「その旗……お前にあげるわ、グロリア」

 最後にそう笑って、王女は嫁いで行った。

「おおおじょざばあああああ!!」

「もう泣くのはおよしよ……ほら」

 帰り道。あまりにグロリアが泣くので、騎馬では危険だろうと公子に馬車に乗せられた。どうしても涙を止められないグロリアの顔に絹のハンカチを押し当てて公子は涙を止める手伝いをしてくれる。

「王女殿下はお強い方だ。隣国でもきっとすぐにのし上がっていつの間にか旗印になってらっしゃるだろうよ。その矛先がこっちに向かってこないことを祈ろう」

「王女様はそんなごどはぼすあそヴぃchsぢお」

「冗談だよ。分かってるから、ほら泣き止んで」



 それから十年の時は流れて。

 隣合う二つの国に、同じ名を持つ騎士団が出来ていた。白百合の旗を掲げ、女性だけが所属している。 片や王妃自らが率い、片や公爵夫人が率いていた。

 一年おきの合同演習の日を、互いに心待ちにして日々精進し続けているという。



『終』


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