C、鉱山都市ネマン
「それでね、ココ。私は吸血鬼の館に果敢に――あ、どこ行くんですか」
「お姉ちゃんの話もう飽きた」
「そうでしょうか? 冒険譚は何度聞いてもいいものだと思うのですけど」
「それお姉ちゃんだけだから。ボウケンオタクの変人以外はそんな話より宝石の一つでも見せてくれる方がよっぽど嬉しいものなの」
豪奢な家具に彩られた部屋の中、柔らかそうなクッションを、ココと呼ばれていた一人の少女が投げ捨てた。
深い群青色の髪を二つにくくり、気の強そうな目もとと、悪戯っぽい口元の少女は、部屋の端にある宝石箱を無造作にざらざらとあさりはじめる。
「ほら、アリーお姉ちゃんもこういうのに興味を持っていい年頃じゃないの」
「わわ。そんな風に投げちゃだめですよ、傷がつきます」
放り投げられた、赤色の宝石がついたネックレスを受け取りながら、ネマンの貴族アリー=デュオは妹のココ=デュオをたしなめる。
だがココは馬鹿にしたように笑うと、ソファに座っている姉の隣へ勢いよく腰を下ろした。
「いいのいいの、どうせ世の中の奴らなんて、そんなこと気付かないから。それっぽいガラス玉がついてりゃありがたがるのよ、あんな連中」
「ずいぶんな言いぐさですね」
「事実だもーん。ほら、お姉ちゃんにも……うん、似合う似合う。ほら、この前話してたでしょ、グラエル=トレースの話。あいつも、名前とかうわべに騙されて何も見えないタイプ。何せお姉ちゃんをお気に入りにして何度もデートに誘うくらいだもんね。人間の本質がわかってない」
「まるで私の本質がだめみたいですね」
「だめでしょ。もういい歳なのにフラフラ冒険だーとか言ってる貴族の子女なんて。明らかにココの方が魅力的ね。それなのにグラエルはお姉ちゃんにご執心でココのことをスルーしやがって、何様かしら」
腕を組み、憤慨したように鼻息を荒げるココ。
アリーはテーブルに手を伸ばし、一口紅茶を飲んで、ココに尋ねた。
「グラエル様に気に入られたかったのですか?」
「んなわけないじゃない。あんな傲慢大王」
「だったらいいではないですか。むしろ私も正直なところ迷惑でしたし」
ちっちっち、と指を振り、ココはぐびぐびと自分の砂糖をたっぷり入れた紅茶を飲みほした。
「たとえ嫌いな奴でも、自分を無視されると腹が立つ。ココの魅力に気付いた上で、拒否されるべきなのよ」
「はあ」
やれやれいつもの調子だなという調子のアリーは再び紅茶に手を伸ばす。と、ココがその顔をのぞき込んだ。
「本当典型的古典的愚かな貴族様よねーあいつって。まあ牢屋に入れば少しは頭も冷えて、お姉ちゃんも面倒臭いことに巻き込まれないですむでしょ。よかったね、お姉ちゃん」
「うん。ありがとう、ココ」
にぃっと口を大きく弓なりにしてココは笑った。
ここライン王国では貴族というのは基本的には名誉を表す称号である。規則の上では貴族という地位に特権は記載されてはいない。
だが実際には政の中枢に携わるためには貴族であることが必須とされているのが実情である。つまるところ、それだけ国が信用する人間、あるいは家であるという証のようなものだ。
それは代々の有力者が貴族となっているが、新たになるものももちろんいる。国へ大きな貢献をした者や、大金を支払った者。その両方を満たす者など。
簡単になれるものではないが、絶望的というほどでもなく、割と簡単に増えている。近年では能力主義の風潮も高まり、新たな貴族が続々と登用されることも増え、かつてに比べると平民と貴族の垣根は大幅に縮まった。
貴族にはグラエルのように中央で活動するものもいるが、その多くは地域の有力者であり、その地域に多くの土地と財と発言力を持つ者である。
アリー=デュオの家もそのようなネマンに古くから根付く家系であり、幸いにもどこかの代で没落することなく今も力を維持している。
基本的にはその地域や国家の公的な仕事の幹部クラスとして動くことが多いのだが……アリーは今のところその気はないようだった。
と、そのときノックの音がした。
「はい、どうぞ……あ、スアマン兄様」
「なーに、お兄ちゃん。乙女のお話してるの」
入ってきたのは、濃紺のさらさらの髪をした青年。デュオ家の長子スアマン=デュオだった。
家の中だというのに、頭の上からつま先まできっちりとした格好をしている。
「母様がお呼びだ、アリー。用件は言っていなかったが、心当たりはあるんだろう」
「あ、はい。しばらく家でゆっくりいたしましたので、そろそろ旅立とうかと父様とお話をしまして」
「その時母様は家にいなかったから、ということか。狙ったな?」
「う”。いえ、そのようなことは。私が話す前に父様がうまいこと言ってくれたらいいなどと思ってい、いませんよ」
「お姉ちゃん、目泳ぎすぎ。相変わらず嘘つけないね」
ココがからかうように笑うと、アリーは狼狽するように体をひねるが、特になんの意味もなさない。
その様子を見てココがひひっと笑う。
「笑ってる場合じゃない、ココ。僕が勉強を教えると言ったよな? もう時間だ」
「え、もうそんな時間!? んーでも今日は気分が乗らないからまたあとで」
「だめだ。デュオ家の者がネマンの歴史と経済について知らずにどうする。外から呼ぶと適当にサボるからな、僕がみっちりと仕込んでやる」
スアマンは部屋に入ると、ココの腕をつかんでずいずいと引っ張っていく。
ココは「鬼教官~自由の侵害だ~」などと言いつつ書斎へと引っ張られていった。
久しぶりに見た兄と妹の様子が前に帰ってきた時とちっとも変わってなかったことに安心して笑みを浮かべながら、アリーも部屋を後にした。
***
「いないじゃねえか」
鉱山の都市ネマン。
闘技場の都市プローカイよりさらに南東に街道を進んでいった場所に位置する大きな町で、魔道具職人フェリペはぼやいた。
「奴はどこにいるっていうんだ、まったく」
フェリペが言う『奴』とはもちろんエイシ=チョウカイのことである。とっくに追い抜いているのだが、そんなことはつゆ知らず、はるかにネマンまでやってきてしまっていた。
そして町をぷらぷらと歩き探しているのだが、目的の人物はいない。
さてどうしたもんかと思っていると――。
「あれ、あいつはたしか見覚えが――おい! あんた、アリーだよな!」
フェリペが見つけたのは、ローレルで何度か顔を合わせたことのある冒険者にして貴族、アリーが道を歩いている姿だった。