66,出発の直前になると、急に必要なものとかやっておくべきことを思い出す不思議な現象について
しばし話した後、これから向かう予定のとりあえずの行き先を告げ、尋ねてきた人がいたら教えてもらうように頼み、冒険者ギルドをあとにした。
フェリペにも一声かけていこうかと思ったのだが、ちょうど留守だったのでしかたない。まあ、どうしても必要な用事があれば気になるならギルドに行けば一応行き先も告げてるしわかるだろうからいいだろう。
「さてあとは……あ」
そろそろかなと思いつつ、宿の近くに来たときだった。
ちょうど宿から出てくるアリーを見かけた。
「アリー、宿に来てたんだ、珍しいね。もしかして俺に用だったり?」
「ああ、エイシ様。ご不在だったので帰ろうかと思ったのですが、いいところで会えました」
アリーは黒髪を揺らしながら、小走りで近づいてくる。
「俺もアリーに会えたらと思ってたんだ。用があってさ」
「用ですか、なんでしょうか?」
「いや、俺はあとでいいよ。そっちからどうぞ」
「いえ、私の方こそあとでいいです。エイシ様から」
「いやいや――って、きりがないよ、さあさあどうぞ!」
強引にアリーに迫り、先に話をさせる。
アリーは小さく嘆息すると、口を開いた。
「実は……私、この町を離れることになったのです」
え。
まさか、アリーも?
「本当はもう少しいたかったのですけれど、故郷から手紙が届いたのです」
というと、持っていた鞄から便せんを取り出し、俺に見せた。封印は破られているので、読んだ後律儀に中にしまったのだろう。アリーらしい。
「なんの手紙?」
「母からなのですが、そろそろ帰ってきなさいと。柔らかく言うと、ですが」
困ったような目で、便せんに目をやるアリーの表情が珍しくて、俺は思わず吹き出してしまう。
「なぜ笑うのですか。はあ、引き延ばしていたのですけれど、これが三度目の手紙で、いい加減に帰ってこなければもう二度と門扉をくぐらせないと、怒った字で書いてありました」
仏の顔も三度ってことか。
でもさすがに娘には仏よりも優しいんだな。
「なるほど、それは深刻だ」
「はい。それに、自由に冒険者をさせてもらっているだけでもわがままを聞いてもらっているのに、これ以上はさすがにわがままは言えませんし、仕方ありません」
「あはは、たしかに。まあ、元気な顔見せてあげたら喜ぶよ、きっと」
「はい、そうですね。そういうわけなので、ネマンに一度帰ります、私は。でも、きっとまた来ますから! エイシ様!」
「あー、アリー……その、来ても俺はいないと思うよ」
「え?」
きょとんとしたアリーに、考えていることを説明する。すると、アリーは驚いたような顔になり、ちょっと声を弾ませた。
「そうなのですか。ここを発って色々な町に」
「うん、まずはプローカイに行こうと思ってる。それからはどうするかはまだ未定だけど、まあ近場からあちこちへ行こうかなあと。一応、王都っていう場所には行ってみたいと思ってるけど。ラインセント、どれくらい栄えてるか興味あるんだよね」
「それなら、ネマンと同じ方向ですね。もしよろしければ、立ち寄ってください。プローカイの先に街道を進んでいけばありますから」
「多分行くことになるかな。一つを目指すというより、あちこち行ってみるつもりだし」
「楽しみにしています、いいところですよ、ネマンもローレルに劣らず。必ずまた会いましょうね。というか、むしろここにいるより早く会えそうですね、そちらの方が」
「たしかに、ある意味いいタイミングかも」
俺たちは一緒に笑う。
「あはは、妙なところで一致しますね、私たち。それにしても、プローカイですか……闘技場が有名なところですね。迫力があって、熱くなりますよ」
「アリーも好きなんだ。へえ、意外……でもないか」
「う、なんだか危ない人だと思われてませんか、私」
アリーが眉を下げる。
「いや、全然。頼もしいってことだよ」
「本当でしょうか? エイシ様の表情がどうもそう思っていないような……笑ってますし」
「まあまあ。それじゃあコールさんにもよろしく言っておいて。色々お世話になりました、また来ますって」
「はい。それでは、お元気で」
俺とアリーは、固く握手をし、そして別れた。
これでだいたいやることは終わった。
荷物をまとめて、馬車の時間を確認して。
「よし、行こう」
俺は部屋を最後に一瞥し、宿のロビーへと向かう。
そこには、マリエと宿親父がいた。
俺は身をかがめ、マリエに目線をあわせる。
「マリエちゃん、じゃあね。ローレルに来た時にはまた来るよ」
「はい。さようなら……」
マリエは俯いたまま、口をぎゅっと結んでいたかと思うと、きっと顔を上げて、俺の目を見た。
「絶対、うちに泊まって……ください。」
「うん、約束するよ」
「絶対ですよ。ちゃんと、畑の世話もしますから」
「それは楽しみだ」
俺は隣に立っている宿親父に声をかける。
いつもどおり、腕を組み、まっすぐに立って強面の顔を俺に向けている。
「親父さん、お世話になりました。それじゃあ、行きます」
そして俺は宿を出ようと振り返る。
とそのとき、声が背中からかかってきた。
「いつでも来い。部屋は空けてやる、今と同じにしてな」
俺は足を止め、顔を親父さんに向ける。
……少し感動だ。
「はい! ありがとうございます!」
そして俺は長い間過ごしてきた、宿をあとにした。
乗合馬車に荷物をのせ、俺は出発と、人が来るのを待っていた。
「遅いな……もう出ちゃうぞ」
「エイシー! いるー!?」
「遅い!」
馬車から顔を出すと、そこにはちょっとよそ行きの町人Aのような、白いブラウスを着たルーの姿が。
こういう格好は見慣れてないけど……アリだな。
「って、違う。服装じゃなくて、遅いよ、ルー。馬車が出たらどうするの」
「おお、エイシもう来てたの。感心感心」
「もう来てたのじゃないよ。まあ、間に合ったからいいけど。ほら、早く乗って」
ルーは身軽に馬車に飛び乗る。
どうやら、買い食いしていて遅くなったらしい。欲望に忠実すぎると思います。
……あ、でも俺も食べておけばよかった、ローレルウリのシロップ漬。あれ美味しいんだよな、ローレルの名物だから他の所じゃ食べられるかわからないし。ああ、なんといううっかりミス。
「何落ち込んでるの、エイシ。食べ物で落ち込むとか欲望に忠実すぎるでしょ」
「ルーに言われたくないよ……っと」
そのとき、馬車が揺れ始め、御者が「出発しますよー」と声をかける。そういうのは出発する前に言うべきだと思います。
「おお、いいねえ馬車の旅」
ルーが馬車の揺れるのに合わせ、体を揺らす。
馬車は街道を進み、ローレルから離れていく。
「ああ、楽しみだよ」
さて、次に行くところでは何が待ってるか――。
俺もルーと顔を並べて外の景色を見ながら、これからのことに思いを馳せていた。