96、二人の吸血鬼
俺は二人の話をしっかり聞こうと、抜き足差し足忍び足で近づいて行く。
近づくとたしかにリサハルナだ。
さきの口ぶりからすると知り合いのようだが。
「どうして、あなたがここに」
エピの声は、震えているようだった。
いや、体も微かにだが震えている。そんなに動揺するような相手なのか?
「旅行中の身さ。ここにいるのは偶然。だからここでエピに会えたことは素直に驚いているし嬉しいよ。いつ以来かな、もう正確に思い出せないほどだ」
「……ヒガン様!」
不意に、暴発したようにエピが声を高くした。
「よくそのようなことを言えますね! 私たちの元から姿を消し、地上へ行くなどと言うことをしておいて、そんなことを!」
リサハルナはまじまじと、怒りを露わにしたエピを見つめるが、動かない。
むしろゆったりとした調子で返事をする。
「素直な気持ちだからな。それに姿を消したというのは適切では無い。私はちゃんとそう言って出てきた。人の世で生きると」
「それが裏切りだというのです! ヒガン様ともあろう方が、その力を捨てて人に交じるなんて! お姿もあの頃と変わってしまっているじゃないですか!」
さっきからヒガン様、といってるけど、エピと話しているのは間違いなくリサハルナだ。
ということは、ヒガンというのは吸血鬼同士での愛称、いやむしろそっちが本名で人間用の名前がリサハルナなのか?
たしかに、リサハルナは昔は吸血鬼として暮らしていたというし、その時の知り合いの吸血鬼だったのか。世間は狭い。
しかし、あんまり久しぶりに友人にあって和やかムードという雰囲気じゃないが……。
「力などなくとも普段生活する上で特に困りはしないさ。実際、私は特に不便を感じたことはない」
「私が気に入りません。あの絶対的な強者として君臨してた、完全な存在だったヒガン様が失われてしまうなんて――。あれほど憧憬と畏怖を抱いて見上げられていた力をヒガン様が簡単に捨てさり、いなくなったとき、我々が、いや私がどんな思いだったか――」
「私は好きにする。エピも好きにする。それでいいじゃないか。そうだろう?」
「……そういう方です、あなたは。だから」
エピは、大きく深呼吸をすると、体勢を低くし、リサハルナを睨み付ける。
「だから、いつまでも自分が上に立ってると思うなよ、ヒガン! 今や私の方が上にいる、その余裕の表情を歪ませて、跪かせてやる!」
「そのためにここに?」
「うぬぼれるな、ここに来たのは別の理由。でも会った以上は無視なんてできない。できるはずない。今の不抜けたお前の姿を見てそのままにしておくことなんて。絶対的な存在として見上げられていたのに、それをあんなにも簡単に捨てるような愚か者は、許せない」
エピの声には、憎悪がこもっていた。
学校を占拠したときでも、なるべく人間を傷つけないようにしていた人物とは思えないほどに。
今すぐにでも跳びかかりそうな臨戦態勢に入っている。
大丈夫なのかな、リサハルナは。
と思いつつ、口出さない方がいいのかなと思いつつ、どうするか決めかねていると、エピの肩越しにリサハルナと目があった。
リサハルナはにぃっと笑い。
「エピ、君の相手をしたがっているのは、私よりも彼のようだ」
俺を示した。
「はい?」
エピが、胡乱な様子で振り返り、俺と目が会う。
「人間、ここまで追ってきたの? しつこい奴ねー。いや、それより、どういうこと、どうしてヒガン様が人間のことを?」
「彼とは少し縁があってね。エイシ君もエピに用があるんだろう? 少し頭に血が上っているらしい、冷ましてやってくれ」
「なんで俺が――」
「なんでこいつが――」
思わず、エピと俺の声がシンクロする。
そして同時に、リサハルナの方に向いていた。
「今の私ではエピにかなうような力は無い。だから戦いたくはないな、あまり。ちょうどいいことに、エイシ君がいる。彼の力、私は信頼しているんだ。頼むよ、エイシ君」
「信頼? ヒガン様に?」
ぴくり、とエピの表情筋が一瞬痙攣した。
あ、これ、やばい流れだ。
リサハルナに向けていた目を、ゆっくりと俺に向ける。
その表情は、地下保管庫出会った時とは違い、明らかに怒りに満ちていた。
「人間がヒガン様に信頼されている? 私以上に力があると?」
「いや、ちょっと落ち着こう、ね」
ぐ、と拳を握り込むエピは、牙をむき出しにする。
あ、だめだこれ。
「ふふ……ふふふ、いいよ、だったらやってあげる。ヒガン様に信頼されてるあんたをぼろぼろのぎとぎとにぶっ飛ばして、私こそが一番だって思い出させてあげるんだから! そしてヒガン様……じゃなくてヒガン! 私がこいつに勝ったらあんたも私に跪かせて好きにしてやるんだから! わかったか!」
「ああ、好きにするといいさ。わたしには君に逆らえるほどの力はない」
リサハルナは続けて俺に言う。
「というわけで、私の命運は君に託されたわけだ。頑張ってくれたまえ」
「いや、勝手に――」
「いくぞぉ! 人間!」
抗議の声も無視して、エピが俺に突っ込んできた。
右手を大きく振りかぶって、力任せに「魔法障壁!」振り下ろしてきた手を、魔法の盾で受け止める。
止めたものの、勢いに俺の足は後ろへと下がっていく。
「ぐっ……と、なんてパワーだよ」
「へえ、この一撃を止めるなんて、どうやら適当なこと言ってたわけじゃなさそうね。ふっふ、面白いじゃない。せいっ!」
次は滑らかな足を大胆に上げてキック!
普段なら見とれたいところだけど、今はそんな余裕はない。
バックステップでぎりぎり回避し、マジッククラフトで剣を作り出す。
「一目散に逃げたから戦いには自信ないのかと思ってたよ」
「能ある吸血鬼は牙を隠すものなの。そっちこそ、吸血鬼のパワーを受け止めて、吸血鬼のスピードを避けるなんて人間とは思えないね。褒めて使わすぞ」
巻き髪を揺らしながら、偉そうにエピが笑う。
調子にのってんなーと思うが、実際調子にのれるほどの力はある。
リサハルナは魔元素の薄い地上に長くいて、力をほぼ失ったと言っていた。それでもあれだけの力がある理由がよくわかった。
これが弱体化してない本来の吸血鬼の力なんだな。
「とはいえ、やられるつもりもない。今度はこっちから行くよ!」
作り出した剣で斬りかかる。
と、エピは左手で受け止める。
連続剣を発動しもう一太刀。
今度は右手で受け止める。
「わお、素手で」
「ふふ、驚いたか。人間の柔らかいお手々とは違うのだよ」
「かわいい言い方するね、お手々って」
「か、かわいいだとう? 人間が生意気なことを」
「生意気ついでに、もう少し生意気に行くよ」
「どういう……あれ、体の動きが鈍い――うっ!」
呪術によって弱体化をかけたところに剣をたたき込む。
さらに今度はあえて峰打ちをして内部に衝撃を浸透させるようにすると、バーサーカーのスキル【防御貫通】が効果的に働き、ダメージが入ったらしくエピは顔を歪めた。
「小細工したな、お前」
「うん、得意なんだそういうのが」
「奇遇だなあ、私も得意なんだよ」
にやりとエピが笑った瞬間、朱色の瞳が怪しく輝いた。
まずい――本能的にそう感じた時にはもう、俺の足が動かなくなっていた。
歩こうとしても、地面に根を張ったみたいに微動だにしない。
そんな俺に、エピが勝ち誇ったように歩み寄ってくる。
「ふふっ、どう? これがヴァンパイアの邪眼。相手に言うことを聞かせるチャームの力だ、いい気分でしょ、人間」
「……そうだね、とっても爽快な気分だよ」
「ふうん。減らず口は叩けるんだ。でもたしかに結構やるかもね。自分を自分でボコボコ殴らせて笑いながら見てやろうと思ったのに、動きを止めるところまでしかできなくて、自由にこっちが操るところまではできないんだから。まあ、同じ事か。止まってれば、私がやっちゃえばいいんだしね」
なるほど、邪眼。
馬鹿みたいに身体能力が高いのに、こんな絡め手まで使えるとか反則だなヴァンパイアって種族は。
これをなんとかするには――うん、俺には【神官】のスキルがある。
ディスペル、耐呪障壁を全力で使用し呪いに対抗、マジックエンハンスやマジカルチャージにより魔力消費を増大させる引き替えにその威力は高まり――。
「食らえ!」
「よっ!」
ボディブローをみぞおちに食らう直前で、俺は体の自由を取り戻した。
「嘘! 人間が私の魅了を破った!?」
「言ったよね、小細工は得意だって。これで、終わり!」
オンディーヌを召喚し、相手の顔面に大きな水のボールをぶつける。
最初の動きからすると避けられるところだが、動けないはずの俺が動いたことによる隙がある。
見事勢いある水球がエピにぶつかり、ダメージはないが、一瞬目や耳が十分な働きができなくなる。
そこに、先ほどと同じ要領で、連続攻撃よりも、防御力を貫通する、一撃に重きを置いた強撃を腕を狙って加えた。
「あ――うっ!」
ひるんだところに、さらにもう一撃、脇腹に加える。
「つうっ――」
確実な手応え。
骨にまで響いたとわかる手応えとともに、エピはなんとか距離を取るが、その場にうずくまった。
左手はだらりと力なく垂らし、右手は脇腹を押さえ、奥歯を噛みしめて俺を睨み付けている。
「勝負あり、だね」