ずっと好きだった幼なじみからの突然の愛の告白と、マジでいっさい空気を読まない異世界転送装置
「順一郎、あのね、私、順一郎のことが――」
瀬戸つぐみはそう言ったきりもう三分ほども黙ったままだった。彼女の、栗色の前髪の奥にほのみえる視線は忙しなく泳ぎ、胸元で固く握られた拳の付け根は力をこめすぎて赤い。それでもつぐみは動かない。俺も動かない――というより、動けない。
放課後、急に呼びだされたときは気づかなかった。
中学生の頃、つぐみの筆箱から消しゴムを勝手に借りてそのまま返さなかったのが今さらバレたと思った。
人気のない屋上に連れて行かれてもまだ気づかなかった。
小学生の頃、カッピカピになった給食のパンをつぐみの机の中に入れたのを今さら責められると思った。
紅潮しきったつぐみの頬を見ても、まだ気づかなかった。
幼稚園の頃、つぐみの家に遊びにいったとき、干してあったつぐみのスポーツブラの裏側をちょっと舐めてるところを彼女の母親に見られたのを、今さら告げ口されたのかと思った。
「順一郎、あのね、私、順一郎のことが」
はいここ。ここでようやく気づいた。バカか。遅すぎる。いや自己弁護になるがしかたない。つぐみとは大分長い付き合いになるが、これまでそういう雰囲気になったことは一度もなかった。無論俺はつぐみを異性として意識していた。スポブラの裏側をちょっと舐めてるところからも明らかだ。
しかしまさかつぐみが、彼女の方が俺をそういう風に見ていたとは。
確かに俺はつぐみに対しては人一倍優しく接した。しかしそれは恋心というよりはむしろ、ブラペロの負い目によるものだ。現場を目撃していた彼女の母親からしてみれば、俺はつぐみの幼なじみの遠藤順一郎というよりはむしろ、無差別スポブラ舐め太郎だ。いつブラ以外のものをペロしだすかわかったものではないと。少しでもつぐみが不愉快になるようなことがあれば、母親はすぐさまつぐみにブラペロ事件を密告するに違いない。そんな罪の意識から、俺はつぐみに優しくしてきたのだ。
それがまさか、こんな結果になるとは――。
よし、とつぐみは小さく呟き、勢いよく顔をあげた。ついに覚悟を決めたのだろう。俺も背筋を正す。つぐみの思いをまっすぐ受けとめよう。こんな変質者一歩手前の俺を、彼女は好いてくれたのだから。
つぐみは瞼を固く閉じ、一息に叫んだ。
「ずっと好きでした、私と付き合っ――『救世主よ! ようやくあなたを見つけました、どうか我々の世界を救ってください!』
「ありがとう。つぐみが俺のことを、そういう風に思っててくれたなんて、すごく嬉しいよ。俺も自分のことちょっと救世主みたいだなって思ってたけど、まさか――」
「えっ」
えっ?
あれ? 違うな。今、なんかおかしくなかった?
俺、つぐみになんて言われた? 予想していたのは、ずっと好きでした、とか、付き合ってください、とかだけど、何か違うのが聞こえたぞ。救世主? 救世主って言った? なに? 救世主ってなに?
俺は同じくキョトンとしているつぐみに恐る恐る聞く。
「あの、つぐみ。えっと、いま、なんて」
つぐみは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「こ、こんなこと、何度も言えない、よ」
「いや、そうじゃなくて、救世主、って言った? いま」
「……きゅう、せい、しゅ?」
ハイ言ってない。コレ言ってないね。じゃあ確かに聞こえたアレはなんだ。頭の中につぐみ以外の女の声が聞こえた。つぐみじゃないとするなら、あれは一体誰なんだ?
『私です。救世主よ』
なんだお前か……。
『申し訳ございません。本来であれば不干渉の時空ではあります。しかし我々の』
……いや、待て。
『属する重力漏斗の中心宙域に、かつてないほど巨大な悪意の芽生えが観測』
待て待て待て。
『救世主よ、どうか我々と共に、世界を救ってください!』
待てっつってんだろこのクソ幻聴! 時空とか重力とかわかんねーし知らねーし興味ねーしこれ以上俺の頭で勝手にしゃべくりやがったらテメェの親に基本料と回線使用料と通話料請求すんぞボケが!
女の声は小さく、申し訳ありません……と呟いた。
なんだ、なんなんだこれは。そりゃ一人寂しい夜に脳内彼女に「あれ、チーク変えたね?」とか話しかけることはしょっちゅうあったけど、向こうから喋りかけてくるなんてのは初めてだぞ。そもそも本当に幻聴なのか。『いえ、これは幻聴などではなく』幻聴と会話ってできるものなのか『同位物質干渉と申しまして、つまり我々の世界とあなたがたの』つぐみの告白に興奮しすぎて頭がどうにかなってしまっ『決してそんなことはありません! あなたは高潔な魂をお持ちなのです』
「うっせーっつってんだろうが超時空メンヘラブスが!」
「じゅ、順一郎……?」
はっと気づいて顔をあげると、怯えた眼差しのつぐみと目が合った。まずい。
「あ、いや、違う、違うんだ。ほら、はは、せっかくつぐみと二人きりなのに、グラウンドで部活してる奴らがうるさいからさ」
「超時空メンヘラブスって、私のこと……?」
「違う違う違う! あの……あいつ、あいつらだよ! グラウンドの超時空メンヘラブス部だよ! おーい! お前らいつもうっせーぞ! ハハハハ!」
グラウンドで部活に励む野球部を怒鳴りつけ、何とかその場を繕った。これでごまかせたかどうかはわからないが、つぐみはホッとしたようだ。
「それで、あの……返事、聞かせてほしいんだけど」
「あ、そ、そうだよな。返事、そうだ、返事、うん」
そうだった。謎テレパシーに動揺しすぎてつぐみの告白に返事するのをすっかり忘れてしまっていた。よし、言う。言うぞ。なんて言うのがいいかな。はい付き合いましょう、じゃ余りに普通すぎる。もう少しカッコつけてもいいんじゃないか。もちろん、ずっと君を離さない、とかどうだろう。
『うれしい! そこまで我々の世界のことを思ってくださっていたのですね!』
お前じゃねえ。
『えっ……』
えっ、じゃねえよ。お前はさっさと俺の頭から出てけよ。幻聴だかテレパシーだか知らないけど『同位物質干渉です』知らねーつってんだろ。何でもいいからさっさと出てけ。俺は救世主にはならないし異世界転生とかもマジで興味ねーの。それよりもっと片付けなきゃいけないことが目の前にあるんだよ。
『そんな、なぜ、我々を見捨ててしまわれるのですか、クリフォトの予言ではあなたこそが確かに――』
あーはいはいうっせーうっせー。
俺は頭を振ってぎゃあぎゃあ喚く幻聴に無視を決め込んだ。
「つぐみ」
俺の声に反応してつぐみが恐る恐る顔を上げた。
「ごめん、なんかこういうの慣れてなくてさ。戸惑っちゃって……でも、ちゃんと言うよ。つぐみも言ってくれたんだから。俺、つぐみをガッカリさせたくはないから」
「え、それ、って……じゃあ、私と、付き合ってくれる、の?」
俺は大きく頷いて「もちろん。これから、よろしくな」と言った。
……はず、だった。
「きゃあ!? 順一郎? 順一郎、大丈夫!」
耳の奥でつぐみの悲鳴がくぐもって響く。ぼやけた視界に徐々に鮮明になり、目の前につぐみの足と、屋上の床が見えた。「順一郎、順一郎!」つぐみが必死に俺の身体をゆする。上体を起こすとひどい立ちくらみで、再び倒れそうになった。
『……あー、もう少しだったのに』
おい。
『やっぱ出力最大にしとくべきだったんじゃない? 今ので気づかれたかも』
おい、クソバカド迷惑異世界ビッチ。
『あっ、はい! なんでしょう救世主さま!』
救世主さま! じゃねえよ。お前何したよ。何かしたろ。一瞬とんでもない立ちくらみに襲われたぞ。意識が無理やり引っぺがされるかと思ったわ。何かしたろ、したよな。『いえ、我々はぁ、別にぃ、何もぉ』嘘つけ。さっきの会話も聞こえてたんだよ。出力最大とかなんとか、何の出力だよ。お前俺の身体に何しやがった。
頭の奥で小さく舌打ちが聞こえた。こんのクソアマ。
『いえ、その、救世主さまをいち早くお迎えするために、同位物質干渉の際に肯定型アティテュードが認められた際は、すぐさま可逆性フィードバックによる同位物質転換を行えるよう、救世主様の普段お使いになられる言語に最適化していただけで……』
わかるように言え。わかるように。
『つまりその、簡単に申しますと、我々の問いかけに対し、救世主さまの同意が認められた場合、すぐさまその身体とお心を我々の世界に転送できるように、と』
つまりアレか。俺が頷いたり肯定的な言葉を発したら、その時点で強制的にお前らの世界とやらに転送されるってことか。
『でも、イエスと言ってるから強制ではなくて……』
ほお、じゃあ俺が何に対して同意したかどうかをそっちで判断できんのか?
『それは、ちょっと、できかねますが……』
じゃあやっぱ強制じゃねーか! 俺の意志とは無関係じゃねーか! 「ちょっと醤油とって」って言われて、俺がそれに対して、わかった、って答えた瞬間異世界にに飛ばされるってことだろーが! パジャマ着て寝癖のままお前らの世界に召喚されるってことだろーが! どこの世界にメシと箸もったまま召喚される救世主がいるんだよ!
『しかし我々はたとえ救世主さまが聖なる箸と聖なるメシをもったまま召喚されたとしても、きっと世界をお救いくださると信じております!』
うるせー! 無理やり箸とメシを救世主っぽい感じに言ってんじゃねえ!
『ではどうすれば我々のもとに来ていただけるのですか!』
行、か、ねーつってんだろうがさっきから! そんなに誰か連れて行きたいなら二年C組に田山吾郎ってやつがいるからそいつにしろ! 俺よりよっぽどスケベでバカで救世主に向いてっから絶対お前らの世界救ってくれっから、わかったら喋りかけるな黙ってろいいな!
「ねえ、大丈夫? さっきからうずくまったままぶつぶつ独り言いってるけど……倒れたとき、頭、うっちゃった?」
うずくまる俺を後ろからつぐみが覗き込む。
俺は、なんでもないよ、と笑って立ち上がった。俺の剣幕に恐れをなしたのか、脳内はやっと静かになってくれた。
「そう、よかった。それで、あの、返事なんだけど……」
返事。そうか、さっきは答える前に倒れたから、結局言えてなかったのか。俺は一つ咳払いをして、つぐみの肩を優しく掴んだ。「じゅ、順一郎?」掌にすっぽり収まる小さな肩が小刻みに震える。俺は深呼吸をした。言う。言うぞ。
――肯定意志が認められた際、すぐさまお体とお心を我々の世界へ異動される。
脳裏にさっきの異世界オンナの言葉が蘇り、俺は固まった。そうだ。俺がつぐみの告白にイエスと言ったが最後、俺の身体は強制的にあいつらの世界とやらに転送されてしまう。さっきはすんでのところで踏みとどまれたから良かったものの、次はない。
つぐみの告白に、肯定的な返事が、できない。
「どうしたの?」
肩を抱いたまま固まる俺を見て、つぐみが首を傾げた。
かわいい。絶対付き合いたい。
こんなかわいい子からの告白を断ることなんかできるものか。向こうの世界に行ったとして、つぐみよりかわいい子がいるだろうか。いや、さっきから頭の中で喚き立てるオンナの身勝手さからいって、ろくなもんじゃないだろう。そう考えると段々腹が立ってきた。いいだろう。やってやる。一切肯定的な言葉を使わないで、告白を受けてやるよ。イエスを言わずに、イエスを言ってやる。
「つぐみ」
言って、俺はつぐみの瞳をじっと見つめた。好きです。付き合います。もちろん付き合っちゃいます。そう一心不乱に念じた。声に出してイエスと言えないのなら、まずは心と心のコミュニケーションだ。テレパシー的なものが伝わる可能性にまず賭けた。
「ど、どうしたの。そんなに見られると……その、私の顔に、何かついてる?」
……ダメか。いや、気持ちは伝わってるのかもしれないが、決定打にはなっていない。
やはり声に出して言わないとダメか。それなら次の手だ。
「つぐみ、俺は」深く息を吸い込む。「……芋けんぴが好きだ」
言ったあとすぐ眩暈に備えた。目を固くつむり、足を踏ん張る……が、何も起こらない。ここまでは大丈夫、か? しかしまだ油断できない。
「好きだ。芋けんぴが何よりも好きだ。芋けんぴといつまでも一緒にいたい。芋けんぴがいない世界なんて、俺には考えられないんだ!」
やはり眩暈は起こらない。どうやら「好き」というワードは大丈夫なようだ。
しかしつぐみは、唐突に芋けんぴに対しての情熱を語り始めた俺を、珍獣を見るような目で見ている。芋けんぴ=つぐみ、に置き換えてみたつもりだが、やはり伝わらないか。こんなことなら常日頃からつぐみのことを芋けんぴと呼んでおくべきだった。
だが「好き」というワードが使えるならゴールは目前だ。この告白、もらったぜ。
「つぐみ、俺は、つぐみが好――」
言いかけた途端目の前が真っ暗になった。首に括られた縄を、誰かに思い切り引っ張られているような感覚に襲われる。「す……す、う……」俺はつぐみの肩を掴み、倒れないように耐えた。クッソ。なんでだ。好きって言葉、さっきは大丈夫だったじゃねえかよ!
――問いかけに対して肯定的意志が認められたとき――。
また脳裏にオンナの言葉が蘇った。そうか。【問いかけ】に対しての返答だからまずいのか。もし俺がつぐみでなく、芋けんぴから告白されていたら、さっきの言葉もアウトになっていたということか!
「ぐおっ!」腰と膝から力が抜けた。後ろに引っ張る力がさらに強くなっている。まずい。好き、という言葉を撤回せねば、このまま異世界に連れ去られてしまう!
「す――、す、酢飯握ってるところが見たい! つぐみが! 酢飯を! 握っているところが見たいんだ!」
眩暈はウソのように消え、目の前につぐみの呆れた顔が現れた。……危なかった。しかし好きという言葉すらダメだとは、万事休すじゃないか。このままだと俺はつぐみの告白に応えることはおろか、彼女と日常会話すらままならない。ちょっとでも頷いたり肯定的な返事をしたが最後、俺の魂は異世界へと強制連行される。まさか一生このままなのか。一生、一生……?
いや、待てよ。
だったらなんであのオンナは、あそこまで返事を急かしたんだ。肯定的な態度を感知して強制的に連れ去るシステムなら、放っておけばいいだろう。まるで時間制限でもあるかのような――。
俺の脳裏に稲妻めいた閃きが走った。
時間制限。それだ。あるのだ。そうに違いない。何らかの理由で、同位なんたら転送装置には限界があるのだ。つまり俺は焦って決着をつける必要はない。その装置の限界が来るのを待ってから告白すればいいんだ!
「つぐみ! 悪いが少しばかり俺に時間をくれ! 今日の返事はまた今度、必ず――」
「もういいよ」
つぐみは放り投げるように言った。
うつむいているため表情は見えないが、告白する前とは違い、指先は弛緩しきってだらりと垂れ下がっていた。「もういい。もういいよ」つぐみはもう一度、少し強く言い、俺に背を向けた。
「おい、つぐみ。おい、どこいくんだよ、ちょ、おい」
ふらふらと歩きだすつぐみに声をかけた。足下に置いたカバンも持たず、ただ脱力しきった様子で、しかし迷いのない様子で彼女が向かった先は、屋上と空とを区切る柵だった。彼女は柵に手をかけ、おもむろに足を上げ柵を跨いだ。
「つぐみ! ば、何やってんだ馬鹿! 戻れよ!」
「もういいって言ってるでしょ!」
つぐみは叫んだ。大粒の涙が頬を伝った。
屋上を流れる春風が、彼女の涙の軌道を少し歪めた。
「私、順一郎のこと好きだったんだよ。本当に、本当に好きだったんだよ。馬鹿でスケベでワガママだけど、他の人より少しだけ私に優しい順一郎なら、私の告白も真面目に受け止めてくれるって。茶化したり、ふざけたりしない、そう思ってたんだよ! 私のことがそんな嫌いなら、鬱陶しいなら、最初からそう言ってくれればよかったじゃん!」
「違う、違うんだ、つぐみ、聞いてくれ。それは誤解だ。俺がうまく返事できなかったのは、えっと、なんだ、邪魔が入ったっていうか、頭の中で声が響いたというか」
「いい加減にしてよ!」
おい。
おいおいおいおいおい。
知らない。聞いてないぞこんな展開。あいつマジか。あいつマジかよ。そんなに俺のこと好きだったのかよ。いや問題はそこじゃない。つぐみは完全に誤解をしている。異世界メンヘラクソ身勝手バカビッチとのゴタゴタを、つぐみの告白に応えたくないがための茶化しだと思われている。それは違う、断じて違うんだ。
「落ち着け、落ち着いてくれつぐみ。これだけは言える。俺はお前の告白を鬱陶しいとか、そんな風には少しも思っていない! 本当だ! 信じてくれ!」
「だったら、いま、言ってよ」
えっ。
「いま、この場で、返事をして。そしてもう一度、私に順一郎のことを信じさせてよ」
まずい。まずいまずいこれはまずい、非常にまずい。
こんな状況で告白を断ったりしてみろ。それこそつぐみはお空に真っ逆さまだ。かといって告白にイエスと応えれば、今度は俺が異世界へ真っ逆さまだ。
なんだよこの二択。告白ってこんなエクストリームスポーツじゃないだろ。もっと照れくさくて甘酸っぱいもののはずだろうが!
なんとかせねば。告白するしないはともかく、まずはこの状況をなんとかせねば。
「……つぐみ。卑怯だよ、お前は。そんな風に、つぐみ自身を人質にとるようなことされて、俺がちゃんとした返事なんかできるわけないだろ」
口をぱくぱくさせるつぐみ。俺はさらに続ける。
「お前の告白を茶化そうなんて思っちゃいない。いや、逆だ。むしろ俺はお前のことを、お前の告白を何より大事に思っているからこそ、カンタンに返事できないでいるんだよ。それを、そんな風に、つぐみ自身を人質にとるような真似をされちゃあ……何より、つぐみ自身がそれでいいのかよ。お前は、自殺を止めるために告白を受ける、そんな俺が見たいのか?」
つぐみの目が泳ぎ始めた。よし、いいぞ。もう一押しだ。
「そんなところにいないで、こっちに戻ってこいよつぐみ。そんなつまらない柵なんかない、いつでも手の届く位置にいて、俺の言葉を聞いてくれ」
つぐみの俺に対する気持ちを利用するようで我ながらクズいとは思うが、四の五のいってはいられない。重要なのはこの場を丸め込んで、とりあえずは告白を保留に持って行くことだ。俺もつぐみも助かるにはその手しかない。
「順一郎、そこまで私のこと……それなのに、私、私……」
よし、いける、いける! こっちに戻ってこい! そして告白を保留にさせてくれ、このクソッタレ装置の効き目が切れるまでいったん老いとかせてくれつぐみ!
「順一郎、順一郎!」
「つぐみ、そうだ! 戻ってこい、こっちだ!」
「なあおい遠藤! なんかお前救世主になったんだって? 聞いたよ俺の頭の中に響く声のオンナからさ! すげーなお前! あとこの頭のオンナにエッチなこと言わせたいんだけどどうしたらいいかお前わかる!?」
屋上の扉を勢いよく開け放ち現れたいがぐり頭に、俺とつぐみは互いに固まる。
「あっ、あれ? 遠藤……と、瀬戸!? え、あれ、瀬戸なんでそんなとこいんの? ま、さか、まさか遠藤お前……」
指先を小刻みに震えさせていたかと思うと、吾郎は一目散に元来た道を引き返した。
「みんなー! やべー! 遠藤が瀬戸を殺そうとしてるー! みんなー!」
はっ――はあああああああああああああ?
あのクソバカ、いったい何言ってやがる! いやそもそも吾郎がなんでここに俺がいることを知ってるんだ、いったい誰に聞いて――。
『あのーせっかく推薦して頂いたので声をかけてみたのですが、あの吾郎という方は救世主としての素養が……一応、彼からもジュンイチロウ様を説得して頂けるということだったのですが』
テメェかこのクソ泥主食ボケナスブスが!
「おい遠藤何やってんだお前!」「遠藤! 瀬戸を犯した挙げ句突き落とそうとしてるって本当か!」「遠藤! 瀬戸に保険金かけたってきいたけど!」
イヤーン思春期特有のパパラッチ体質アタシ大嫌いー!
さらに耳を澄ますまでもなく、つぐみの背後からいくつもの悲鳴めいた声が聞こえた。おそらく他クラスの生徒がベランダからつぐみを見上げてのことだろう。「つぐみ、つぐみ、こっちへ」手を差し伸べるもつぐみは首を横に振った。
「順一郎、やっぱり答えて。私のことを、好きか、そうじゃないか、はっきり答えて!」
つぐみの背後と俺の背後から同時に歓声が上がった。つぐみのバカ野郎、こんなところでヒロイン力発揮しなくていいんだよ!
「遠藤答えろ!」「遠藤いけ!」「やれ、やっちまえ!」「結婚しろ!」
各々が勝手にエールを投げてくる。自分の命と引き替えに告白を敢行するつぐみのヒロイックさに、全校生徒が泥酔してやがる。なんだ、なんなんだ、一体俺はどうすりゃいいんだよ!
『どうかお答えください! 救世主となり我々の世界をお救いくださるか、否か!』
どいつもこいつも勝手なことばかり言いやがって! どうすりゃいいんだ。どうしたらいい。「はい」を言わずに「はい」を言う方法、そんな方法なんかあるわけ、あるわけ――ある!
ある、あるぞ。
この異世界オンナどもの装置は、俺の普段使っている言葉に最適化されていると言った。つまり、俺が普段使ってない言葉には、反応できないということ! 見えた、見えたぞ、このバカ騒ぎを収める唯一無二の策が!
「Tsugumi」
「じゅ、順一郎……?」
「I,I love you.I hold you forever,never leave you alone」
「順一郎、なんで、なんで英語……」
「照れくさいからさ、でも言葉にウソはない。つぐみ……I LOVE YOU」
「順一郎……順一郎、順一郎!」
つぐみは感極まったのか、柵を乗り越えこちらに戻ってくるなり、俺の胸に飛び込んできた。
「順一郎! 私も、私も」
「わかってる。わかってるよつぐみ」
「私も順一郎のことサンキューベリーナイス! サンキューオッケースーパグッド!」
「大丈夫だ、無理するなつぐみ」
胸の中で泣きじゃくるつぐみの稚拙な英語を聞きながら頭の奥に意識を集中させた。眩暈が訪れる様子はない。俺の予想は当たっていたようだ。
『それが、あなた様のお答えなのですね』
頭の中で、深い溜息が聞こえた。装置の制限時間とやらが来たのだろうか。俺みたいな人間に頼らざるを得なかったことは不幸に思うが、同情はしない。
『我々は、感動いたしました。やはり我々の目に狂いはなかった、貴方こそ、真の救世主です!』
――は?
疑問を差し挟む間もなく、意識は遙か後方に引っ張られた。吾郎も、屋上も、オーディエンスたちも丸ごと景色がくしゃくしゃに歪んだかと思うと、それら全てを置き去りにして、俺の視界は光に包まれた。
次に目を開けたとき、俺とつぐみは抱き合ったまま、聖堂のような場所にいた。
「お待ち申し上げおりました、救世主様」
目の前に白い修道服を着た女が数人、俺に向かってうやうやしく頭を下げた。
「……えっ、なにこれ、あ、やだっ」
人の気配に気づき恥ずかしくなったのか、つぐみが弾かれたように俺から離れた。
「私たちは信じておりました。あなた様がきっと世界にお救いに来てくださると!」
その声には聞き覚えがあった。散々俺の頭で勝手にわめきたてていた、あの女の声だ。
「……おい。これ、どういうことだよ。俺は言わなかった。お前らの言葉にいっさい同意なんかしなかったはずだ。なのになんでここにいるんだよ! どういうことだよ!」
修道女たちが顔を見合わせ首を傾げた。
「いえ? 我々は確かにこの耳で聞きました、ジュンイチロウ様が『アイラ・ヴュ・ユー』と仰るのを」
「言った、それは言ったけど、それがなんで同意したことになるんだよ!」
「『アイラ・ヴュ・ユー』は我々の古代言語で『この身を世界に捧げる』という意味ですが……?」
「――はぁ!?」
おいおい聞いてねえ、知らねえ、なんだよそんなのありかよ! 反駁する間もなく、テレパシー女が俺に抱きついてきた。
「私本当に感動いたしました! あの言葉は永遠の献身を意味する誓言! そのような覚悟で我々の世界に来て頂けるだなんて! 私どものことは従者としていかようにもお使いくださいませ、なんなりと!」
「バカ、おい、離れろ! 俺は救世主じゃねえ、おい!」
「順一郎……その女の人、だれ?」
ふと見ると、目尻に涙を浮かべたつぐみが立っていた。声は僅かに震えている。
「あ、いや違うんだつぐみ、こいつはそういうんじゃなくて」
「そう、だったんだ。そういうことだったんだね」
「つぐみ? あの、つぐみさん?」
「もう付き合ってる人がいるなら、そう言ってくれればよかったのに! 私をもてあそんだのね順一郎! ひどい、もう知らない!」
つぐみは叫ぶように言い捨て、聖堂の出口に走り去った。
「つぐみ! 待ってくれ、誤解だ。つぐみ、つぐみいいいいい!」
「あ、彼女ですか? んもう、スミにおけませんね救世主さまったら、このこの~!」
「うるせーーーー!」
俺の声はだだっ広い聖堂の中でやけにむなしく響いた。
こうして俺の幼なじみの誤解をとくついでに世界を救う旅は幕を開けた。