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コバルト新人短編小説

687日目、弥生さんのリフレッシュ逃避行

作者:棔いち哉
 洗面台の蛇口を全開にして、勢いよく出てくるそれが冷水になるのを待つ。
 とはいえ、ぼうっと待ってる訳じゃない。

 普段流している前髪をポンパドールに、スタイリング剤揉み込んだ後ろ髪をポニーテールに。高すぎか?もういいや時間ないし。

 洗顔フォームのポンプを押して手に取って、泡を顔に乗せて適当にくるくるして一気に洗い流す。
 顔についた水滴をタオルで抑え、化粧水でパッティング、乳液でマッサージ、カバー力の高い下地のボトルを手に取り―――ポーチの中に戻した。

 どうせ落ちるから化粧は後でいい。眉毛くらい書こうかと思ったけれど、めんどうだからやめた。
 洗面所を出て階段を駆け下り、下りた先にまたもやある洗面台で手を洗う。
 肘まで石鹸をつけて、爪は爪ブラシで。
 ペーパータオルを三枚取り、洗い終わった手の水けを完全にふき取って、ボトルのポンプを押して、出てきたアルコールを洗った箇所に揉み込む。そのまま家の奥へ。

「おはよー」

 廊下から既にそんな気がしていたが台所はすごい熱さだった。
 窓を開けていて、風は通るけれど、それでも逃しきれないこの熱気。

 キッチンのコンロはフル稼働、六人掛けのダイニングテーブルはいつもと違いビニルのクロスがかかっていて、各種道具が鎮座している。

 私の声に反応して、その場にいた三人がばらばらに「おはよう」を返してくる。

 母と父と兄だ。

「早くない?」
「いつもこんなんだけど」
「最近はこれくらいなの。前より量が多いの」
「へー」

 就活、就職、職場近くで一人暮らしという理由で四年、これから離れていたもんなあ。中学生が高校生になる時間だよ。

 長いわ。そりゃ変わるわ。

「熱いの通るぞー」

 父がせいろを持って、テーブルの上に置く。
  兄がその蓋を取ると、湯気が部屋の温度を更に上げた。
「もー私にばっかり」と言いながら母がせいろの中のものを包んでいるさらしを、火傷しないようにそっとつまんでほどくと、白くてふわふわして柔らかそうなものが現れた。

 最近見た映画にこんなん出てきたな。
 まあ、あっちは食べられないけれど。

 私はせいろをひっくり返してすり鉢に入れる為に、乾いた布巾を二枚、手に取る。

 ※※※※※※

 (まどか)米穀店は今年で創業八七年、身内が言うのもなんですが、地元で愛されているお米屋さんです。

 最近は各地のこだわり米を置いてセレクトショップ化している一方、色んな理由で買い物が難しいお家に宅配サービスをしていたりもしているらしい。
 四代目の父曰く。
 普段はお米屋さんなのですが、今日は普段扱わない――厳密に言えばそうでもないんだけど、まあ、いつもとちょっと違うものを製造、販売するのです。

「弥生何ぼっとしてんの、固まっちゃうわよ」
「母さん、うちのはそんなヤワな上新粉じゃないってあたし、知ってる」
「おま相変わらずバカだな」
「こら、食物(たべもん)を扱っている時は喋るんじゃないよ全く」

 ごもっとも。
 父にたしなめられた三人が作業に戻る。
 すり鉢ですった白い塊から、適量をちぎって丸める。サイズは大玉飴くらい。
 三人が丸めたものを、手際よく父が串にさしていく。
 ひと串に五玉。
 
 なんという事でしょう。
 いわゆる串のお団子が出来上がったではないですか。

 そう、何故か当店は一年に一度、お団子を作って販売するのです。
 それも実店舗ではなく、お祭りの出店として。

 前日にもち米を精米して砕いて上新粉にし、他の粉も配合しておいて、翌朝お団子を作り始め、出来上がってお昼食べて、一息ついてから出店。

 という、まあまあゆるいスケジュールなんだけど、結構大変。本職の人はもっと大変なんだろうな。

「弥生これ、はじかみさんとこ持ってって」
「もう?」
「あとはあとで持ってく」

 まだお団子丸め作業は終わっていなかったが、指示通り両手いっぱいくらいの大きさの金属製バット三段を抱えて持ち上げる(そういえば昔は普段使ってるお盆とかだったな。買ったのかこれ)中身は勿論お団子だ。

「落とすなよー」
「誰に物言ってんの」

 軽口を叩きながら台所を後にする。
 台所に比べれば廊下は格段に涼しくて、思わず頬が緩む。
 速足で階段と洗面台を通り過ぎる。
 廊下の先には藍染の暖簾がかかっていて、それをくぐるとなかなか見やすく、小ぎれいなお米屋さんの店舗が。

 あ、しまった。
 両手塞がってるから外に出るドア開けらんない。

 と思ったけど改装して引き戸から自動ドアになったんだった。
 でも電源入ってないんじゃない?スイッチどこか知らないよあたし。
 おそるおそる自動ドアのマットの上に立ったら、静かにドアが開いた。

 誰だかわかんないけどナイス。でも店に人いないのに盗難とか心配じゃない?
 こーいう所なー。後で言わなきゃ。

 まだ通勤時間帯じゃないので、店の前の道路は車通りが少ない。
 心の中でお巡りさんに謝りつつ、片側一車線の道路を渡る。
 道路挟んではす向かいの目的のお店には既に電気がついていた。

「あ」

 こっちは引き戸のままなんだった。
 どう開けようかとまごまごしていたら中から戸が開かれた。

「おっ、弥生ちゃんだ。久しぶりだねえ」
「おはようございまーす、毎年すいません」

「やや、毎朝精米してもらってる事に比べたら、こんなんちょちょいのちょい」
「おじさん、おかわりないですね」
「や、気を遣わなくていいよ。一気にハゲたよ……!」

 その一点部分以外はあまり変わらないお店のご主人とそんな話をしながらお店の奥へ。
 厨房と客席の間のカウンターにバットを置かせてもらう。

「お、(いも)やん」
「どもー。お久しあ、網忘れた!」
「大丈夫、昨日のうちに薫が持ってきてる。ほら!」

 厨房奥にいた、この店の若旦那的な立ち位置にして、兄の同級生が網を掲げてチャラいピースサインを決める。
「道具を雑に扱うんじゃない」と、ご主人に軽く頭をはたかれた。

「……何か手伝いますかね」
「座ってお茶でも飲んでなよ。今日忙しいんだし」

 毎度の事なんだけどそう言われてもー。

 困っているうちに二人はてきぱきと、それなりに年季の入った網を焼き台に、バットを作業台に並べ、作業を始める為の準備を始める。
 サイズが合っていない焼き網の下、炭の内側で炎が静かに燃えていた。

「さて、始めますか」

 休日は二時間待ちがざらの鰻の名店で焦げ目をつけてもらえるなんて、お団子もお団子冥利に尽きるよなあ、と思いながら、私はその作業をぼんやりと見守る。

 ※※※※※※

「出来たら後で持ってきますねー」
「しくよろー!」

 お団子に鰻のタレつけたら美味しいのでは、と去年試したがまずかったとか、誰が結婚したとか、小学校のプールが建て替えとかそんな話をしていたら焦げ目つけはあっという間に終わってしまった。
 途中兄が追加分のお団子を持って来て、出来上がった分を家に持って帰って行った。

 あ、私だってその間メニュー拭いたり、お店の掃除したりとか、貢献しましたよ。

 さすがに車通りが激しくなってきたので、バットを抱えたまま遠回りして信号渡って家へ戻る。台所の熱気は大分ましになっていた。

「ただいまー」
「あらおかえりー」

 こちらの作業も小休止中。
 出来上がったものの粗熱を取るために、お団子がそこここに並べられている。
 三人は台所の隅で固まっておむすびを食べていた。

「あっ、ずるい」
「お前作楽んちでうな茶食ってただろ」
「あらやだお礼言わなきゃ」
「帰ったらなんか向こうからお菓子送るよ。私にも一個」
「高菜めんたいか?」
「はいはい喜んでー!」

 ガス釜炊きのうちのおむすび。いつもの塩加減。変わらないなあ。

「染みわたるわ……」
「ガード下のおっさんか」
「るさいなー」

 相変わらずの兄との会話。

 今日、この作業に参加するために有給を取ったのだけれど、昨日は仕事。
 それが終わってからこちらに来たので、到着時刻が遅くて、家族の誰とも顔を合わせていなかった。

 その為、今初めて、まともな家族の会話の時間になる。
 お互いに近況報告などをしながらおにぎりとおみそ汁とお新香を平らげ、ぞろぞろと廊下の洗面台に並んで手を洗い、中断していた最終工程に取り掛かる。

 と言っても、お団子をたれの入った鍋に突っ込んで、引き上げるだけなんだけどね。

 円米穀店プレゼンツ、一日限定のお団子屋さんのメニューは一種類。
 それは、香ばしい焦げ目がたまらない、みたらし団子なのです。

 たれにくぐらせ、粗熱が取れたものから手際よくパックに詰めてゆく。
 その前に、
「うん、今年もおいしい」

 スーパーで売っているやつより醤油が強めで、昆布で出汁もとるからうまみもあって、なかなかだと思うんだよね。五本で四百円って値段も大分良心的だと思う。

「おいこら」
「いや提供前に商品チェックは必須でしょ。兄貴もほら」
「さっき食った」
「じゃ、何で今叱られた?」
「食い過ぎだろ、握り飯とうな茶と団子は」
「お兄ちゃんからかわないの、あんたたち本当いつまでたっても」

 本当、いつ大人になれるんだろうか。
 変わらないこのやりとりにちょっとほっとする。

 まあでも、まったりしている時間はないのでてきぱきと手を動かす。
 二人がパックにお団子を入れ、一人がそれに輪ゴムをかけ、一人が出来上がったものを積んでいく。

 子供の頃は「食べ物だから」と、このお団子作りに参加させてもらえなかったんだよなあ。いつ手伝わせてもらえるようになったんだっけ。
 初めて「いいよ」って言ってもらえた時はうれしかったな。
 あの頃に比べれば大人か。
 ……大人になったんだよなあ。

 うれしい様な、ちょっとさみしい様な気持ちになりながら、あたしは手を黙々と動かす。

 ※※※※※※

 出来上がったものをはじかみさんの所に届けて、早めお昼を食べたら出発の準備開始。

 髪をまとめ直して高い位置でお団子に。
 後れ毛はみっともないので髪の毛用のスティックのりではっつける。
  化粧はベースしっかりめ、その他は気持ち程度のナチュラルに。
 ジーンズとTシャツの動きやすい格好で準備万端。

「ほらこれ」

 兄に布を渡される。広げると黒の前掛けで、うちの店名がついていた。

「何これ」
「去年作った。今店でもこれ使ってる」
「へー」

 丁度いい深さのポケットがついていて小銭とか入れておける。便利だ。
  腰の位置で前掛けの紐を締めると、気持ちも引き締まるような気がして、ちょっとテンションが上がる。

 家から今回の出店場所の並木大通りまでは歩いて一五分くらいなのだけど、商品を持って歩くにはキツイ道のりなので配達用の車を出してもらう。
 通りの歩道には既にたくさんの屋台が出ていて、人手もけっこうある感じだった。

「あ、弥生ちゃん。おっきくなった?」
「何言ってるんですかー。成長期はとっくに終わりましたー」
「何言ってんだ、横にですよね?会長」
「うるさいバカ兄」

 出店場所はこのお祭りを主催?する商店会の本部テントの脇。

 お祭りは今日と明日あるんだけど、うちは今日しか出店しないので、ここでちょろっとやらせてもらうのだ。

 本部のおじさんたちも相変わらず元気だ。
 まあ、お互いに仕事があるので挨拶もそこそこに、今日一緒に販売担当の兄と、用意してもらっている長机に向かう。

 足のゴムが一個取れているからガムテで補強されているいつもの机。このまま売るのは味気ないので、ちょっとデコる。

 白い布にグラデーションの青い糸で青海波の刺し子が入ったテーブルクロスを広げ、お金の置き場所を作り、「団子、五本四〇〇円」と書かれた、A5くらいのサイズのミニチュア黒板をセット。
 見本用に一パック表に出したら、あとの商品は日が当たりすぎないように作った覆いの中に入れて、準備は万端。

「いらっしゃいませ、お団子は如何ですか?」

 あとは小さい頃から仕込まれた、商人モードのスイッチをオンにするだけですとも。

 ※※※※※※

 のっけから大忙しだった。

 うちのお団子、地元の方からは「月いちで売ってくれてもいいのに」とリクエストされる人気商品なのだ。
 待ち構えていた常連さんが絶え間なくやってくる。毎年買ってくれる人と、この人見た事あるなくらいの人と、顔しらないけど適当に話しとこう、みたいな人たちが入り乱れて、結構てんやわんや。

 さすがに在庫を一気にここに持ってくるのは衛生的に宜しくないから、こっちの分が足りなくなったら家から父が補充にくる手筈になっているのだけれど、出店三〇分後から電話をして追加を持って来てもらう羽目に。

「つかれたー!」

 お得意様の喫茶店の奥さんが持って来てくれた特製氷珈琲(アイス珈琲の中に入っている氷もアイス珈琲を凍らせたものなので、最後まで味が薄まらない、という素晴らしい飲み物)をひとくち飲んで休憩。

  しみる。

 時計を見たら二時間ノンストップで接客していた事になる。そりゃ喉も乾く。

「どっか回って来てもいいぞ」
「いいよ別に。何優しくて気持ち悪い」

「あんま寝てないだろ?倒れられると困る」
「来るときの電車でめっちゃ寝てきたから大丈夫です―」
「ならいいけど」

「すいませーん」

 やって来たのはお客様、ではなく道を尋ねる人だった。

  このへんでは有名なフレンチのお店の屋台はどこですかって。
 そんなの出てたっけ?戸惑っていたら、兄が迷うことなく、解りやすくその人に説明をした。お礼を言って去って行くその人の背中を見送る。

「……あるんだ」
「一昨年からかな。代替わりしただろ」

「そうなの?」
「オーナーさん歳だったし。味は落ちてない」
「へー。ていうか、なんか人多いよね」

 観光客がどっとくるようなお祭りの本番は明日で、今日は屋台の設営がてらの肩慣らしというか、前夜祭というか。
 今日は地元の人だけが知る、みたいな、そういう日なのだけれど、ガイドブックを持っている人がやけに多い。さっきから色々聞かれる。

「喫茶店の通りの、あのへんの店も屋台出し始めて、そしたら取材とか来て前日が穴場、みたいになって、いつも当日しか来ないテキ屋の人も前倒しで来るようになったりしてる」
「そうなんだ」

 接客していてよく見えていなかったけど、今見渡せば、確かに出店数がいつもより多い気がする。
 記憶の中のお団子の日のどれよりも、今日は賑やかで、華やかだ。

「……何か、変わっちゃったんだね」

 なのに、どうして少しさみしいのだろう。ちくりと痛むものをごまかすために、私は氷珈琲の残りを一気に飲み干した。

 一度目につくと、もうだめだった。

  人間って同じくらいの強さのいいものと悪いものを目にすると、悪い物のほうが目につきやすいっていうのは本当なんだな、ということを再確認させられる苦行が始まってしまった。
 いい人とか普通の人の方が多いのに、ちょっとあれれなお客様に引きずられそうになる。

 パックで売ってるのに三本だけ売って、でも持ち歩くのは嫌だからパック頂戴(じゃあパックから出された二本はどこに置けばいいの)とか、一万円出されて、おつり全部千円で下さいって言われて出来かねますって答えたら「使えねえな」って吐き捨てられるとか、「子供が怪我したら危ないじゃない」とか言って、焼鳥みたいにお団子の串を引き抜いて、引き抜いた、お団子でべたつく串を渡してくる(ゴミ箱脇にあるし、先っぽのとがっている方を向けて渡してくるし何か色々もう……)とか。

 今の仕事も、大きなくくりで言えば接客業だし、もっととんでもないのいるから、笑顔キープはお手の物だけど、キープしている時点で本当は笑顔の状態じゃないんだよなあ。とかそんなやさぐれた事も頭をよぎったり。

「え、お団子とか意味わかんなくない?」
「暑いのに更にのど乾きそうなモン売って、完全に間違ってる」
「だよね余ってるもんね」

 余ってません、今補充したの。
 間違ってません、売れてます。
 なんでお団子なのかは、そういえば知りません。

 道行く人のそんな会話にちょっと反論したくなる。

 その声がきっかけって訳じゃないと思うけれど、客足は落ちた。
 思い返してみれば買い逃したくない常連さん達は皆買って行った気がする。
 いつもなら帰りのチャイムが鳴るこの時間は、残りあと何パックとかで、それから売れて、早仕舞いして帰る感じだったもんなあ。

 今日はまだ在庫、結構残っている。

 なんでだろう。味は変わっていないのに。

 そういえば、いつも同級生とか買いにきてくれてたのに、あんまり来ない。
 なんか勝手に会えると思ってたから、誰にも連絡しなかったしな。皆仕事とか色々あるか。

「あーあ」
「なんださっきから微妙に辛気臭い」
「すいません気持ち切り替えますー」

 軽く屈伸して、その場で体を捻じる。
 辺りはちょっとだけ暗くなってきた。並木道にぶら下げられた提灯にあかりが灯って、とてもきれい。道行く人はみんな笑顔だ。

「……仕事、なんかあったん?」
「何いきなり」
「いや微妙に変と言うか。今忙しい時期って言ってたし」

 伊達に二〇年以上兄やってる訳じゃないか。
 そうです。
 志望通りのお仕事について、バリバリやってたんですが、ちょっと低迷中なんです。

 それで、有給とって慣れ親しんだお祭りに参加して、元気をもらおう!と思っていたら、色々前と違う事が起きて、出鼻をくじかれて思いのほか元気じゃないというか。

「……うんまあ、あった」
「愚痴くらいなら、聞くけど」
「言う訳ないじゃん、コンプライアンスあるし」

 どこで誰が聞いてるかわからないですから。
 内内に処理するしかないんですよ。

「あ、よかったーまだあったー」

 風で揺れる提灯に視線を合わせていたら、それを遮られた。
 遮った人はそのまま私の前を通り過ぎ、兄と「よっ」みたいな挨拶をしている。

「三つで。あ、三パックね」
「えっお前一人暮らしだろ」
「去年のリベンジっていうか。野菜室に入れといてレンチンすればいいんだって」
「当日中にお召し上がれよ」
「なんかあってもクレームとか出さないから」

 仲良さそう。兄の友達にこんな人いたっけ。
 思い出そうとしてその男の人を見つめていたら、目が合った。
 気付かれてしまった。

「おや?彼女?」
「いや、妹」
「へー。なんにも似なくて、美人さんで良かったね」

 いない。
 兄の友達でこんな事言える奴、いなかった。
 いやまあお世辞だろうけど、なんか言い慣れてる感じだけど、そう言われるのは悪い気分じゃない。そして顔はタイプだ。

「もう、早い。何で先いっちゃうの」

 ちょっと不機嫌そうな声と共に、女の人が私の前に立った。
 こっちに落ち度がなくても、そんな風に咎められたら思わず謝ってしまいそうなくらいの美人さん。
 兄の友人(推定)の服の端をつまんで、彼を見上げている。

「ごめん。でもほら確保できた」
「何お前、まだふられてなかったの」
「あ、どうも、こんばんは」
「いいよ挨拶とかしなくて」
「考え直した方がいいすよ。今こんなんですけど、こいつ遠足の時、ウミウシをガン見し」
「余計なこと言わなくていいよ」

 そうだよね。そりゃこりゃ彼女いますわ。

 女の嫉妬は女に行くらしいけど、全然そんな気が起きません。
 大変お似合いです。
 彼女さんは不思議そうに私のことを見ている。
 私を、というか兄と私を見比べている。そう、似てないんですが、兄妹ですよ?

「あの」
「あ、はい。はいはい」
「前、こちらの屋台でよく鼈甲飴を頂いていたんですが、その時いたご年配の女性って」
「あ、それ、多分祖母です」

 因みに飴はまだ、子供限定で配っている。これも毎年恒例なのだ。
 この人も見覚えないけど、常連さんなのか。

「そうなんですね。お元気ですか?」
「――元気ですよ。ただもう歳なんで、こういう所で立ちっぱとかは出来なくて」

 そう答えたのは兄だ。
 彼女さんは「よろしくお伝えください」と品よく会釈して、兄の友人は兄ともう二言三言交わして、二人並んでお祭りの雑踏へ消えて行った。

「……友達に、あんな人いたっけ?」
「あー小学校だけ一緒。彼女は知らん」

「へー。兄、最近浮いた話は」
「あるか。あっても言うかバカ」
「あそー」

 それから会話は途切れた。人の来る間隔も微妙になった。
 さっきのカップルが来たころから、一時間くらい経っただろうか。

「……あーもー……なんかなー」
「愚痴言う気がないなら、何も言うな」

「……仕事の話は出来ないけど、違う愚痴ならいいじゃん」
「なん、めんどくせーな」

「こうさー、久々に、地元帰ってきたら、色々変わっちゃってて、なんとも言えないの」
「変わったか?」

「変わってるじゃん。うち自動ドアになってるし、はじかみさんのおじさんいきなりハゲたし、客層は若干悪くなってるし、お団子微妙に売れ行き悪いし、商店会の会長があのめんどくさい、あ」
「バカ聞こえるわ」

 テーブルの下で腕にでこぴん(でこじゃないんだけど)される。兄のは相変わらず上手いっていうか痛い。

「……すみませんでした」
「……変わるって、誰かが物事をより良くしようとして動いた結果、そうなってんだから、あんまぶーたれるなよ。……まあ、おじさんのハゲはびっくりしたろうけど」

 言葉足りてないけど、兄の言いたい事はわかる。
 現会長は超絶酒癖悪いけどバイタリティあるから、この前夜祭の規模が拡大したんだろう。客層悪くなったけど、きっと全体の売り上げは上がってる。

「……でもさあ、きっと望んで変わりたくないのに、変わっちゃうこともあるじゃん」
「……例えば」
「……おばあちゃんの事とかさ。嘘つき」

 そう。祖母はもう元気ではない。

 明るい人だったが、一昨年祖父が亡くなってから、すっかり塞ぎこんでしまっている。
 話しかけても反応は薄い。「気分転換になるかも」と、今は叔父の家に滞在しているが、そちらでも同様らしい。

 私の仕事も、働き方を変えたくないのに、変えたほうがいいのかも、と迷っているのが低迷の原因。

 初心忘れずにやってるだけなのに、お褒めの手紙とかお客様から頂くから、空回っている訳ではないと思うのに、周りから「何かさ、うちらが頑張ってないみたいじゃん」「やりづらいわー」とか、言われて、思われてしまっているらしい。

 私の存在で他の人の労働意欲がなくなるなら、私が思いついた事を口に出さず、マニュアルを順守し、仕事量をセーブした方が職場全体の士気が上がって、結果的にお客様のプラスになるのかな。

 じゃ、私って要らないのかな、と思ったり。

「仕方がない、一個食っていいぞ」

 兄に子供用の飴を渡される。
 そんなもんじゃ元気になりませんよ。両端を引っ張ってほどいて、口に放り込む。
 実に懐かしい、紅茶味だった。

「……嘘じゃないし、嘘じゃなくなるかもしれないだろ」
「……意味わかんない」

「訳知り顔で、ていうか、ばあちゃんの限界を、お前が勝手に決めるなよ。お前が仕事にかまけてろくすっぽ帰って来ない間に、皆色々試してんの。微妙に効果は出てる。まあ、超微妙だけど」
「そうなの?」

「そうなの。そうするのがばあちゃんにとっていいのか、わかんねえけど、変わって欲しくなかったら、頑張って方法探して色々試して―――足掻くしかないんだよ」

 変わって欲しくない。
 そんで変わりたくない。
 今はなんにも方法は思いつかないけど、それだけは確かに私の中にある。

「あと、団子は売れてない訳じゃねえの。去年完売したから、調子載って去年の1.5倍量作っちゃったの。もう前年比は達成してる」
「……え、それ勝負出過ぎじゃない?」
「……おとん、はしゃぎ過ぎた。俺は止めた」

 普段慎重な父だけど、たまに冒険するんだよな。
 少しおかしい気持ちになる。
 両の踵をくっつけて、一度深呼吸。

「しょーがないなー、売れ残ったらかわいそうだから、娘頑張っちゃおうかな」

 顎を引いて、口角を上げる。
 じっと見つめると逆に近寄りがたいから視線はさりげなく。

 売り文句は短くキャッチーに。
 つっかえると不格好なので、途中で止まらないようにその言葉を頭の中で反芻する。

 続いて発声の準備。
 人の耳が聞き取りやすくて、不快感を抱かないのは「ソ」の音だ。
 一オクターブ下の「ラ」の音から順に思い浮かべて、一緒にテンションも上げていく。
 あまり間をおかず、身体の奥、音と意識のチューニングがぴたりと合った。

「こんばんはー。おうちへのお土産に、お団子はいかがですかー?」

 大きすぎないけど通る声が出て、雑踏を行く人の視線が私に集中する。
 一瞬だけ、一人と目が合った。

 あ、あのひと、多分買う。

 あとは、その人に対して元気に丁寧な対応をしていれば、興味を引かれて人が寄ってくる。
 売るには、買いたい、と思わせる魅力的な商品が必要。既にある。
 そして、売り逃さない為には、てきぱきと素早く人を捌かなくてはいけないが、兄はそれがとても上手だ。

 うちの店って、結構無敵。

 頑張って売り切って、早く帰ろう。祖母に電話したい。
 祖母の為にというよりは私の為。
 四代続く当店ですが、お団子を売るようになったのは祖父と祖母の代から。

 そこにはどんな理由があるのだろうか。

 ちょっと聞いてみたくなったのだ。
 理由は、あってもなくてもどっちでもいいや。とにかく、祖母の声が聴きたい。

「こんばんは、いらっしゃいませ」

 とりあえず、今は目の前の事に集中。
 狙った通りにさっきの人が来てくれて、よっしゃっ!て気持ちになるけど、そこに「ひっかかった」「ちょろい」みたいな驕りはない。


『芯には常に謙虚を。お客様にありがとう、という気持ちを持って接する事が、何より大切だよ』

 そんな、当店の創業者の教えがしみついているので、調子に乗ったりできないの。
 ああ、刷り込みって本当にこわい。

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