きゃんでぃ&らぶ×れもん
「最悪」
高校に入学してからしばらく経ったある日のこと。わたしは、朝のホームルームで渡された『地獄の通達』を眺めた。
担任の「レッドゴリラ(本名:河辺潤一)」自作の、やたらとハイテンションなノリで綴られたお便りの内容は、こうだ。
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クラスのみんなと仲良くなろう! お楽しみ会のお知らせ。
皆、高校生活楽しんでるか~い!? だいぶ慣れてきただろうが、まだ分からないことも多い中で必死に頑張っていると思う!
そこで計画したのがこれだ。高校生と言ったらなんと言っても青春! 皆には友達をたくさん作って、高校3年間の青春を謳歌してもらいたい。
来週の月曜日のホームルーム活動の時間、教室でささやかなパーティーを開く事にした。各自好きな菓子や遊び道具を持ってきても構わん! ただし、他の先生方にはばれないように! 俺が校長先生から怒られちゃうからな!(笑)
それから、ちょっとしたミニゲームも予定しているから、覚えておくように!
質問等は直接俺まで来い! 以上!
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私は手紙を握りつぶした。⋯⋯はあ? お楽しみ会ですって?
ちくしょう。何余計なこと計画してくれてんのよ、この糞まみれゴリラ野郎。小学校の担任にこういう迷惑な人はいたけれど、高校になってまでこんなことになるなんて、思ってもみなかった。
そもそもお楽しみ会なんて、クラスのカースト上位が弾けるだけの時間だろう。底辺のわたしまで巻き込むのは勘弁して欲しい。こういう教師はそういうことを全く考慮しない上に、他人とつるもうとしないことを、まるで信じられないといった感じで心配してくる。人それぞれの考え方を、いちいちとやかく言われたくもない。
⋯⋯まあ別に、友達がいらないと言っているつもりもないのだが⋯⋯。
隣の席に座る「涼」がこちらを向き、わたしに話しかけてきた。
「ねえー、瑠衣。これ出る?」
「んー。あんまり出たくないかも⋯⋯」
「はは、だよね。こんなの興味ないし」
涼はいかにも面倒臭そうに、プリントを丸めてゴミ箱目掛けて投げた。ゴミ屑は空中で綺麗に弧を描き、そのままナイスショット! それが不運にもレッドゴリラに見咎められる。
「こら! 愛須涼! ちょっと職員室に来なさい!」
「嘘だろ。瑠衣助けて⋯⋯」
「無理かな⋯⋯。逝ってらっしゃい⋯⋯」
涼は落ち込んだ様子でよろよろと立ち上がった。レッドゴリラと教室から出て行くのを見届ける。
***
入学式の日からわたしと涼は友達になり、よく行動を共にするようになった。それで一つ気づいたことは、涼はあまり周りを見ずにマイペースに行動してしまう性質があるということだ。
みんなが真面目に問題を解いてる時に、1人で練り消しを作って遊んでいたり、休み時間にプリントを紙飛行機にして1人で飛ばしていたり。酷い時には、授業中に某カードゲームのデッキ編成をしていたこともあった。
もちろん授業中は注意されて、その時はしょんぼり反省した風の素振りを見せる。しかし、5分後にはそれも忘れたかのように遊びを再開させてしまう。
初めのうちは、まさか発達が遅れているのではないか? とまでも考えたのだが、話は普通に通じるし、そこまでの異常性も見受けられないから、恐らくただのばかなのだろうという結論を出した。その時すでに涼にお熱なわたしはと言うと、その馬鹿さ加減とか時折見せる天然さにすら、極度の萌えを感じてしまっていたのだった。恋愛重篤期患者の、典型パターンである。
数分後、涼はぐったりした様子で教室へと戻ってきた。見るとかなり顔色が悪く、ふらふらと足元がおぼつかない。やっと席についた涼に、おそるおそる話しかける。
「涼、大丈夫⋯⋯? 具合悪い?」
「あーうん⋯⋯。担任話長くてさ、タバコ吸ってる時間なくて⋯⋯」
そう言って涼は、ズボンのポケットから取り出した飴を、ばりばりと食べ始めた。涼は極度のヘビースモーカーで、しばらくタバコを吸わないと禁断症状に襲われるそうだ。しかし、授業中に堂々と吸うわけにはいかないため、飴を舐めてごまかしているらしい。
だったら飴噛んだら意味ないんじゃ? などと一瞬考えたが、カバンの中から例の飴専用レジ袋を取り出してきて、今度は違う味の飴を食べ始める。どうやら二個食い前提だったようだ。
そして涼は最後にもう一つ、 袋の中からレモン味の飴を取り出すと、わたしに手渡してきた。わたしは飴業界で一番レモン味が好きなのだが、涼はそれを覚えていてくれて、よくわたしにくれるのだ。もう、優しいんだから⋯⋯きゃっ☆
わたしが貰った飴を口に入れた瞬間。がらがらと教室の扉が開き、数学の白石鈴之助が入ってきた。わたしたちを見つけると、満面の笑みで手を振ってくる。苦笑いしながら、適当に手を振り返しておいた。
授業面倒だな、などと考えながら外を眺める。今日もべたべたとまとわりつくような快晴だ。
♦︎
「瑠衣~⋯⋯。ぼく今日学校行けって言われちゃった。やっぱり瑠衣は来ないの⋯⋯?」
「い、行かないつもりだったけど」
「そっか、残念⋯⋯」
レッドゴリラの計画したクソクラス会当日の朝。落ち込んだような声の涼から電話をもらった。話によると、涼が彼の父親に休みたいと告げると「なよなよするな! 男だろ!」と小一時間熱く語られたらしい。
ちなみにわたしはというと、昨夜、数学教師であるお兄ちゃんに「明日、レッドゴリラ主催のクラス会がある。従って精神的な面から考えるに、学校に行くのが非常に困難を極める」と心底苦悩している旨を伝えると「ああ、そんなもんサボれサボれ」と案外あっさり許可を貰えたのだ。
仮にも教師がそんなに適当で大丈夫なのか? とは思ったが、休めるのだったらなんでもいい。さて、今日はお菓子を食べながら、溜まっているアダルトビデオでも見よう! などと浮かれていたところだったのだ。
「一つ弁解しておきたいのは、別にアダルトビデオが好きだからとか、エロいからとか、そんな理由で見たかった訳ではないということである。わ、わたしは人体の構造をより深く理解する為にありとあらゆる視点や筋肉の動きから我々ヒトという生物界の神秘に迫りたいという崇高な趣味をもっているために少々アダルティックなコンテンツに手を出すというのもやむを得ない⋯⋯と言うことなのだ。分かったかな?」
閑話休題。涼があまりにも辛そうな様子で、わたしとの電話を切りたがらないものだから、わたしは少し可哀想に思い始めていた。
失礼なことを言うが、クラスでわたしの友達が涼しかいないように、涼の友達もわたししかいないのだ。そうなるとなおさら共依存してしまい、学校生活のほとんどを、二人で過ごすという状況になっている。わたしは嫉妬深いタイプなので、涼を独り占めできる今の状況が、心地良いというのが本音だが⋯⋯って、やだ! 何言ってるのかしらわたし? きゃっ、恥ずかしい♡
少し慌てながら受話器の向こうの涼に話しかける。
「あ、あの⋯⋯涼が行くならわたしも行くよ。涼を一人で、地獄の業火に放り込む訳にはいかないもの」
「⋯⋯え、本当? 本当に良いの⋯⋯!?」
「うん、本当本当。なんとか二人で頑張ろう?」
「あ、ありがとう瑠衣。どうしようぼく⋯⋯あんまり嬉しくて涙が⋯⋯ぐすっ」
電話の奥ですすり泣きを始めた涼にかわいいな、萌え、と感じた。涼の為だったらわたしも頑張れるな。つくづくそう思う。少し落ち着いてきた涼は、一つ咳払いをしてこう言った。
「⋯⋯ねえ瑠衣。何かぼくにして欲しいことがあったら言ってね。今日のお礼に、なんでも叶えてあげるから。考えておいて」
「う、うん分かったありがとう。じゃあそろそろ切るね。学校遅れちゃう」
「うん、本当に本当にありがとう瑠衣! だ、大好きだよ」
ガチャンと大きい音がなり、いきなり電話が切れた。わたしは震える手で、ぎこちなく受話器を置く。顔がみるみる熱く火照っていくのが分かって、なおさら冷ます事が出来なくなってしまった。
♦︎
わたしは、今お兄ちゃんの車で学校へと向かっている。正直な話、お楽しみ会など出たくなかったのだが、涼が行くとなると話は別である。どうせ行った所で、隅っこの方で適当に時間を潰すつもりだし、いざとなれば二人で保健室にでも逃げ込めばいいだろう。そこまで考えたところで、不意に先週見た、保健室のベッドで事に励むアダルトビデオの映像が重なり、一人で赤面してしまう。お兄ちゃんに見られたくなくて、わたしは窓を全開に開けた。
学校に到着したので車を降り、教室へと向かった。お兄ちゃんは朝やる事があるらしいので、いつも早めに家を出る。それに伴い、わたしも早めの登校をしているのだ。
重い足取りで階段を上り、教室へと向かう。教室のドアを開けると、たった一つだけ人影があった。涼だ。
涼は椅子に凭れ掛かったまま寝ているのか、わたしが教室に入ってきた事に気づいていないようだ。起こさないようにそーっと近づき、左隣の自分の席に腰を下ろした。
「⋯⋯」
わたしたち以外、誰もいない朝の教室。ふと、あの入学式の日を思い出す。
涼と出会ったあの日。わたしの目には、世界ががらっと変わったように鮮やかに映った。
あの時、あなたがわたしに話しかけてくれたから。
あの時、あなたがわたしと友達になりたいって言ってくれたから。
わたしはあなたとずっと一緒にいたいと思ったわ。あなたの温もりを、この手で感じたいと思ったの。
Heart to heart あなたのこころを教えて。
願わくば、永遠に、寄り添って⋯⋯。
ふふふっ⋯⋯。わたしったらポエムの才能あるんじゃないかしら。さて、天才カリスマポエマーとして一儲け、かましますか。と、まあ、冗談は置いておくとしよう。
わたしは隣の涼の顔を覗きこんだ。すやすやと寝息を立てて、よく眠っている。
涼の顔は、年齢の割には若干幼く、睫毛も長い。全体的に少し女の子みたいな印象を受ける顔立ちである。
しかし180cm越えの高身長である事や、男の子らしい大きい手などを見るたびに、わたしはいつもどきどきしていた。異性であるという意識を、強く持ってしまうのだ。
「⋯⋯」
ふと、涼の口元に目がいった。微かに開かれた、血色のいい薄めの唇。わたしはどうしてもそこから目が離せない。
涼が起きていない事をもう一度確認すると、わたしは静かに顔を近づけた。
ゆっくりと、少しずつ近づいていく。だんだん近づくにつれ、全身が熱く火照っていくのを感じる。そして、気がつくと距離はもう十センチもないくらいまで来ていた。お互いの吐息までも混じるくらい、近くに涼がいるのだ。心臓が激しく打って静まらない。
えっと。わたしは、一体何をしようとしているのだろう。
パニックになる頭とは裏腹に、体は勝手に動く。もはや自制が効かないのだ。涼から僅かにする、大嫌いなはずのタバコの臭いも、気にならないくらいに。わたしの体はどうかしてしまったのか。
そして、いよいよお互いの唇が触れるかといった時だった。机に置いたわたしのカバンがバランスを崩し、ずるりと音を立てて床に落ちる。涼のまぶたが微かに動き、ゆっくりと目を開けた。
ああ、やってしまった。わたしは心臓が飛び出しそうなほどのショックをうけ、咄嗟に涼の体を押しのける。
「やっ⋯⋯! ご、ごめんなさい⋯⋯!」
「⋯⋯っ! 瑠衣!?」
逃げようとしたわたしの手首を、涼が力強く掴んだ。後ろに逃げようとしたが、足に何かがぶつかる。自分の椅子に引っかかったのだ。涼の力は思っていたよりも強く、わたしの力では振り解けそうもない。
終わった。涼はわたしが何をしようとしていたか、おそらく、見当がついているだろう。きっと気持ち悪がられたに違いない。嫌われたかも。嫌だ。大好きなのに。嫌だ、嫌だよ。
ショックと恥ずかしさで、目元に涙が滲んだ。ほんと、何やってるの、わたしってば。こんな夜這いみたいなこと。結局わたしって卑怯な女なのよ。告白する勇気もないくせに。
すごく長い時間のように感じられた。実際はそれから一分も経っていないだろう。涼がポツリと呟いた。
「どうして⋯⋯?」
「わ、わたし⋯⋯ごめんなさ⋯⋯」
涼に拒絶されるのがただ怖くて、彼の顔から目を逸らした。すると、涼は「違うよ」と言って逆にわたしの側に寄ってくる。そして、わたしの耳元に顔を近づけると、優しく囁いた。
「どうしてやめたの? ぼくとキス、したくなくなっちゃった?」
膝から力が抜け、椅子の上にがくんと腰を落とした。涼はいつもより低い声で、わたしに囁き続ける。
「⋯⋯ぼくだって嫌じゃないんだよ。まさかぼくの気持ち、気づいてないなんてことないよね?」
わたしはなにも答えられず、無言のまま赤面した。涼は少し困ったような表情で笑うと、掴んでいた手を離して、こちらに近づくようにかがんだ。そして涼はわたしの顎を持ち上げて顔を近づける。
その日、わたしたちはついに熱いチッスを⋯⋯と言いたいところだが、次の瞬間。がらがらとリア充軍団が教室になだれ込んできた。あまりにも驚いて、飛び跳ねそうになる。涼のことに夢中で、廊下からの物音に気づかなかったというのか。
見ると、それは涼も同じのようだった。慌ててわたしから離れると、自分の椅子の上で突然正座をしだした。さっきは頭の中が混乱しすぎて全然気づかなかったが、涼の顔はゆでダコみたいに真っ赤になっている。
「りょ、涼。顔赤くなってる⋯⋯」
「ばっ⋯⋯! る、るる、瑠衣だって赤くなってるくせに! あ、あんま、こっち見んな⋯⋯」
涼は相変わらず正座を崩さない。平静なアピールのつもりだろうか、全くの逆効果となっている。
「さっきの涼、か、かっこよかった⋯⋯。耳元でイケボで囁くやつ⋯⋯。後でもう一回やって欲しい、かも」
「⋯⋯っ! 瑠衣なんかもう知らねー!」
涼はいよいよ首まで赤くなって、だらだら汗を流し始めた。もちろんわたしも、人のことは言えないぐらい、真っ赤になっているだろう。なんだか急に可笑しくなって、わたしはついに笑い出してしまった。しばらくは拗ねたように口を尖らせていた涼だったが、わたしの様子に堪えきれなくなったのか、ぷっと吹き出す。
それから二人でただ笑い合った。チャイムがなり、担任の『レッドゴリラ』が教室に入ってきても、溢れ出る笑いを止めることは出来なかった。もちろんめっちゃ怒られた。
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さて、ここからは地獄の時間だ。ハイテンションな「レッドゴリラ」の司会によって発表された、本日のお楽しみ会のメインディッシュ。ミニゲームの内容は『人間知恵の輪』。
ルールはいたって単純だ。何人かで丸く並んで、それぞれクロスした手を、隣以外の人とつなぐ。『レッドゴリラ』のスタートの掛け声を皮切りに、それを一つの輪のように解くというゲームだ。勿論、解く際は手を離してはいけない。
約四十名ほどのクラスで、大体八人ずつの五つのグループに分かれた。チームは自由分けだったことが幸いし、涼と同じグループに入ることに成功する。
わたしは隣に立っている涼から一歩離れた。涼も意図を察し、少しわたしから離れる。そんな私たちの間に、眼鏡の男子が入り込んできた。わたしは内心ほくそ笑んだ。
そう、このゲームで手を繋げるのは「隣の人以外の人」なのだ。つまり、涼とずっと隣にいるのでは手を繋ぐことが出来ない。だからわざと隙間を開け、人を入り込ませたのである。瑠衣ちゃんの圧倒的勝利だ。
わたしは手をクロスにして、すぐさま涼の手を握った。繋いだ手の体温がダイレクトに伝わってきて、すごくどきどきしてしまう。
そして、レッドゴリラのゲームスタートの掛け声が、教室に響いた。
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結果を言ってしまうと、わたしたちのグループが圧勝した。チームにいる一人、『緑色まゆ』さんが適切な指示を出してくれたおかげで、開始1分も経たず解けてしまったのだ。
まゆさんは長くてさらさらした黒髪の、気さくで可愛い女子だ。やはり男女共に友達も多い様子。ちなみに肉付きがほどよくてエロい体つきをしている。
わたしから見た初見の印象は「援交してそう(笑)」だったのだが、実はピュアな心の持ち主で、下ネタがあまり好きではないらしい。わたしとはまるで真逆である。ただ本人がそう公言していたのを、教室内でたまたま聞いただけだから、真相は知らない。スクールカースト上位の人とはまず話さない無いから、別にどっちでも構わないのだが。
そんなことよりも、今は自分のことだ。左手に涼の体温を感じるので、わたしは妙にふわふわした気分だった。この点に関しては、レッドゴリラに感謝せねばなるまい。わたしはちらりと涼の方を見た。
「ねえねえ涼くん。まゆたちの圧勝だったね! 先生から景品とか出ないのかなあ?」
「緑色さんが指示出してくれたからだよ。景品あったら、一番多く取ったほうがいいんじゃない」
「きゃっ、そんなに褒めても何も出ないよう、涼くん~! あっ、まゆのことは、まゆって呼び捨てでいいよっ」
わたしは目を疑った。はあ? なんだあの援交女。涼と手を繋いでいるからって、距離近すぎじゃない? わたしだって、涼の右手と繋がってるのよ、分かってるの? そもそもゲームクリアしたんだから、さっさと涼から手を離しなさいよ、手を。おいコラ⋯⋯。
まゆさんがチームの勝利に一番貢献したという恩も忘れ、わたしは心の中で毒づいた。
「ねえねえ、瑠衣ちゃんもお疲れ様っ。そういえばうちら初絡みだよね!気軽にまゆって呼んでね!」
「へっ? あ、ひ、ひゃい⋯⋯!」
まゆさんはにこにこと笑いながらわたしに話しかけてくれた。わ、どうしよう。クラスメイトに話しかけられちゃった⋯⋯ま、まゆさん。良い人か。
まゆさんは私たちをちらちらと見比べると、声を潜めながら言った。
「ねえねえ。涼くんと瑠衣ちゃんって、ぶっちゃけ、付き合ってるのおー?」
涼は慌てたように首を振った。
「つ、付き合ってないよ! ただの友達だし⋯⋯ね、瑠衣」
「う、うん」
「へえ、そうなんだあ」
まゆさんはうんうんと頷いた。まゆさんは涼の手を握ったまま、上目遣いにポツリと話し始めた。
「そうだ。あのね⋯⋯二人にまゆのお話聞いてほしいなあ、なんて。友達として、相談に乗ってもらいたいことがあるんだあ。特に、瑠衣ちゃんには聞きたいことがあって。駄目かな、駄目かな?」
わたしはどきっとした。友達。友達として⋯⋯。クラスメイトにそう言ってもらえて、わたしは正直嬉しいと思った。
「は、はい。わたしでよければ、聞きます。ね、ねえ、聞いてあげようよ涼」
「え? ⋯⋯うーん。瑠衣がそう言うなら、別にいいけど⋯⋯」
涼は、なぜか少し渋るような態度を出した。その理由はよく分からなかったが、あくまで乗り気でないことは明らかだった。しかし、友達と言ってもらえた嬉しさもあって、わたしはどうしてもまゆさんの話を聞きたくなった。渋った理由は涼に後で聞けばいいし、わたしは彼女に即決オーケーを出した。
「わあ、二人ともありがとう! やっぱり持つべきものは友達だよねえ。じゃあ、時間あるときに、また話しかけに行くね」
「あ、はい。い、いつでも来てください」
まゆさんは満足そうに笑うと、私たちに手を振り、別の友達の所へ行ってしまった。風のような人だ。
ふと気になり涼の様子を伺うと、ものすごく不機嫌そうな顔をして、まゆさんの後ろ姿を眺めていた。⋯⋯わたし悪いことしちゃったかな。もしかして、彼女のことで何かあったのかもしれない。
「りょ、涼。まゆさんがどうかしたの? なんか、ごめんね」
「⋯⋯別に。なんでもないよ」
そう言って涼はそっぽを向いてしまった。何かあることは明らかだったが、それ以上追求するのは、怖くてどうしても出来なかった。
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それから二、三のレクリエーションをし、解散となった。今日のお楽しみ会で新たに親睦を深めた者もいるらしく、みんな揃いも揃って、カラオケ行こうぜうえーいなどとはしゃぎながら教室を出て行く。
いつまでもだらだら話していた私と涼が、教室に最後まで残っていることになった。放課後の教室で二人きりという少女漫画的展開に、心臓がとくとくと脈打つ。わたしは顔が見られないように、ロッカーを背に凭れかかっている涼の、すぐ隣に立った。
「瑠衣、今日は本当にありがとう。瑠衣がいなかったらぼく、かなりきつかったかも」
「ううん、全然。それに今日は、涼といっぱい話せて楽しかったし」
そう言って涼に笑いかけると、彼は少し表情を和らげた。きっと、来るつもりのなかったわたしを来させてしまったことが、ずっと気にかかっていたのだろう。わたしはもう一度念を押すように、「楽しかった」と呟いた。涼は少し遠慮がちに、わたしのことを見つめてくる。
「あのさ、今日の朝電話で言ったこと⋯⋯。何かお礼をしたいんだけど、瑠衣、何かして欲しいことある?」
「えーと⋯⋯今の所はあんまり?」
「ふ、ふーん、そっかあ⋯⋯」
涼は不満げに口を尖らせてしまった。わたしは少し慌てた。
「あっ、え、えーっと⋯⋯そうだ! レモンの飴ちょうだい」
「飴⋯⋯飴ね! 分かった、うん」
涼は嬉しそうに鞄を開け、飴専用袋を取り出した。大量の飴の中からレモン味を探し出すと、包装を雑に破る。そして親指と人差し指で飴を掴み出して、わたしの口元に近づけてきた。
「はい、レモン味! ほら口開けて。ぼくが食べさせてあげよう。あーん」
そう言って涼はいたずらっぽく笑った。今日も随分と積極的だな、と考えながら小さく口を開ける。やってみて気づいたが、これ凄く恥ずかしい。仕返しに、涼の指ごと舐めちゃおうかしら。なんて。
しかし飴がいざ口の中に入ろうかという瞬間、涼はさっと手を引いて、なんと自らの口にレモンキャンディを放り込んでしまった。
「ちょっと、涼ー!? もー! なんで涼が食べてるのっ」
「あはは、ごめんごめん! あんまり美味しそうだったから、つい食べちゃったよ」
「ば、ばかばかー! もう、恥ずかしかったのに。お礼のレモン飴、貰わなきゃ気が済まないんだけどっ」
「ごめん、実はレモン味はこれが最後の一個。だから」
一瞬の出来事だった。涼はわたしを抱き寄せると、そのままキスをした。力が抜け、倒れ込みそうになるわたしの体を、涼が強く抱きしめて支える。
五秒くらいの短い時間だったと思う。涼はゆっくり唇を離し、わたしの手を握った。
「⋯⋯じゃあ、帰ろっか。一緒に」
「⋯⋯は、ひゃい」
ファーストキスはレモンの味とは聞いたことがあるけど、まさか本当にそうだったなんて。今後レモン味の物を食べるたびに、勝手に赤面してしまいそう。顔が燃えて、焦げそうなくらい熱かった。
涼の手をぎゅっと握り返す。わたしの口の中で、甘酸っぱいレモンキャンディが、からんと音を立てた。
~つづく〜