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オトメゴコロ企画 「王子の初恋」

 本番を明日に控えた二月十四日。
 さつきは、最後の稽古が終わって皆が帰った後の部室で、顧問の日下部が来るのを今か今かと待っている。
 部室の鍵を取りに職員室へ行った時、日下部の机に手紙を置いてきた。できるだけ他の先生には見えない、しかし彼には分かりやすい場所に。
 さつきは待っている。
 日下部にとっては数多いる中の一生徒に過ぎないことなど、普段接していれば分かる。だがそんなことは、少女の一世一代の大博打の前では些事であった。

 演劇部の部室には西日が差し込み、大道具や衣装をオレンジ色に染め上げている。
 ショートカットのさつきの影が床に映り、さながら少年のシルエットだ。それを見て、こんな自分がずいぶん思い切ったことをしたものだと、さつきは自嘲気味に笑った。
 演劇部は共学校にありながら、その部員はほぼ女子だけである。僅かな男子は裏方に回ってしまったので、自然、役者は女子がこなさなければならない。
 さつきはその中でも頭ひとつ飛び抜けて背が高かったので、どう頑張っても男役をやらざるを得なかった。しかも傍目には白皙の美少年に見えるさつきであるから、女子からは「王子」というあだ名で呼ばれている。
 性格も、竹を割ったようなとはよく言ったもので、まことにさっぱりとしていてそれが尚更彼女のポジションを決定付けていた。
 そんな自分をさつきは良く良く知っていたので、これからしようとしていることが、きっと日下部を大いに困惑させるだろうと分かっていた。
 それでも、日下部を待ち続ける。



 二月十五日の高校演劇コンクールが半年後に迫ったある日、さつきは日下部から、もっと役の作り込みを深めるように言われていた。
 しかしこの役は今まで彼女が演じてきた正統派の王子ではなく、だいぶ年上の女性に恋をする青年という役柄だ。中々役に入り込めずにいるまま、とうとう大会が目の前に来てしまったのである。
 割と器用なさつきが大スランプに陥ったので、部内は上へ下への大騒ぎになった。このまま大会に出たところで、この部の売りである主演が鳴かず飛ばずでは、全国行きどころか入賞さえ危うい。
 背に腹は代えられない。さつきの次に背の高い女子が代役として立てられ、どちらが出ても良いようダブルキャスト体制になってしまった。
 さつきは恋を『される』方には慣れていたが『する』方にはとんと縁がなく、役作りに苦労していた。だからといって、役を降りるわけにはいかない。さつきが主役になる台本を、日下部自ら書いてくれたのだから。
 しかしその期待に応えようとするあまり、どうやっても台詞が上滑りする。しっくり来る言い方ができない。台詞だけではなく、立ち回りまでぎこちなくなり、いつものさつきならあり得ないようなNGを出すまでのスランプに陥っていた。

「はあ……私、どうしちゃったんだろ……」

 さつきは自身の異変を中々修正できず、それが尚更パニックの元となっている。皆に迷惑を掛けたくない。焦りはピークに達している。
 そんな彼女を見かねて、日下部は集中特訓をすることにした。大会までの二ヶ月、通常の稽古が終わった後さつきのみ居残りで稽古をつけるのだ。それほどまでに、日下部は彼女に期待を寄せていた。
 嬉しくもあり、プレッシャーにも感じる。
 二つの感情の狭間で、さつきはもがいていた。

 居残り稽古は生徒が校内に居られるギリギリまで行われた。
 初めは台本の読み合わせを一からやり直し、主人公の気持ちの流れを確認する。書いた本人直々の指導なので、事細かに抑揚やアクセントを注意される。いつになく厳しい日下部に、さつきはついて行くのが精一杯だった。
 台詞がある程度板に付くと今度は立ち稽古だ。
 相手役の台詞を日下部に言ってもらい、さつきは相手が目の前に居る体で演技をするのだがどうも上手くいかない。
 仕方なく、日下部が台本片手に相手の立ち位置に立って行うことになった。

 主人公・幸太郎はある文筆家の家に書生として居候している。
 その家の後妻が元芸者の評判の美人で、幸太郎もすっかりのぼせているが歯牙にもかけてもらえない。それが尚更恋心を燃え立たせていることを知ってか知らずか、奥方は幸太郎に何かと思わせぶりに接してくる。
 大恩ある文筆家を裏切るわけにはいかないので、幸太郎はギリギリの理性で耐えていたが、若い男の情熱は徐々に奥方の心を動かしていく。世話になった文筆家が亡くなると、いよいよ幸太郎の思いは抑えられなくなり、遂に想いを打ち明ける──というストーリーだ。

 高校生にはやや大人びた筋書きだが、さつきは書生姿がとても良く似合い、それが観客の心を一発で掴むだろうという期待が日下部にはあった。
 履き慣れない袴に悪戦苦闘しながら衣装合わせをし、皆に披露した時、期待は確信に変わった。
 日下部だけでなく、部内の全員が思ったであろう。

「これはいける……!」

 そんな確信を打ち砕くさつきの絶不調に、日下部が自ら徹底指導することにしたのも無理はない。
 日下部はさつきよりずっと年上ではあるが、それでもまだ三十そこそこの若さだ。当然、女生徒からの人気も高い。そんな日下部の、期待と熱のこもった視線に、さつきはいつしか胸の高鳴りを覚えるようになった。

 二人きりの空間。
 恋の話。

 無垢な少女が、目の前の男に心奪われるのに、他には何もいらない。
 さつきは恋をした。

 それからの稽古は今までの不調がまるで嘘のように、幸太郎を見事に演じて見せた。
 その変わりように、部内では驚きと、いささかの噂話が広まった。曰く、『さつきは誰かに恋をしている』。
 それほどに、さつきは恋する青年を自分のものとしており、彼女に対する女生徒達の黄色い声援が増したのも無理はない。
 部員達もようやく安心し、プレッシャーにおののいていた代役も、重責から解放されほっとした。
 それは日下部にとっても同じだ。さつきのために書いた台本が、これほどまでに彼女を追いつめるとは考えもしなかったので、正直さつきには申し訳なく思っていた。しかし彼女がスランプを脱し、以前にも増して舞台上で輝きを放つのを眩しげに眺め、安堵に胸をなで下ろす。
 そんな日下部の表情にさつきもまた、喜びを感じるのであった。



 さつきは待っている。
 春間近とはいえ、まだ太陽は落ちるのが早い。さっきあんなに強かった西日も、時を追うごとに陰り、空は茜色から夜の群青へと移ろい始めている。
 見回りの学年主任に見つかれば、早く帰れとどやされるだろう。中々現れない日下部に、さつきはやきもきしていた。
 もしかして未だ手紙を発見されず、最悪帰ってしまったのではないか。しかし、職員室まで確かめに行くわけにもいかない。
 どうにも身動きがとれないさつきは、ただ、ここで日下部を待つ以外にできることは無かった。
 ふと窓の外を見ると、木の陰に隠れて人の姿が。
 目を凝らすと、一組の男女が居る。と、女子が手に持っていた何かを男子に渡した。どうやらバレンタインチョコのようだ。
 女子から毎年山ほど、さつきももらっている。
 散々悩んで、自分も日下部のためにチョコを用意したが、果たして自分から渡されて日下部が喜んでくれるのか、困惑させるだけなのでは、という不安が尽きない。
 だが、せめて気持ちだけは伝えたい。
 遠く山の端に、夕焼けの残り火があかあかと燃える。
 部室はとうとう、明かりを点けなければ足下が危ういほどの暗さになってしまった。
 これ以上日下部を待つのは難しい。諦めて帰ろうと、コートを羽織ったその時──部室のドアを開ける音がした。
 さつきは学年主任に見つかってしまったかと、身を縮めて怒られる覚悟をしたが、そこにいたのは日下部だった。
 一気に緊張が解けて思わず泣きそうになったが、急に明かりを点けられたので慌てて日下部に背を向ける。
 職員会議で遅くなったのだと言う。手紙は会議のあとに見つけたため、来るのが遅くなったらしい。
 すっかり暗くなってしまったため、さつきは帰ってしまっただろうと思ったが、念のためここに来たのだと言った。

「じゃ、じゃあ、もうちょっとですれ違うところだったんですね。良かった……」

 さつきは己の幸運に感謝する。

「手紙にも書きましたけど、明日本番じゃないですか。だからどうしても、確認したかったんです」

 鞄から、使い込んでボロボロになってしまった台本を取り出す。今までの時間が全て入った、書き込みだらけの台本を。

「先生、最後の方の、幸太郎と奥方の掛け合い、完璧にしたいので稽古お願いします。すみませんが、動きもお願いできますか」

 日下部は言われた場面のページを開いた。幸太郎と奥方、互いの思いがぶつかり合うクライマックスのシーンだ。
 台本を片手に、日下部はさつきの目の前に立つ。日下部の方が十センチほど背が高いので、さつきは顔を見上げる。
 見慣れたはずの日下部の顔が、今日は違って見える気がするのは、さつきがある思惑を抱いているせいなのか。
 それを悟られないように一つ大きく息をして、さつきは幸太郎になった。



 文筆家の家。
 葬儀を終え、祭壇の前で奥方が泣いている。
 幸太郎、上手から登場。

幸太郎:奥様、皆さんお帰りになりました。
 奥方:(座り込んで呆然としている)
幸太郎:奥様?
 奥方:幸太郎さん……私、これからどうしたらいいの……。
幸太郎:……。
 奥方:旦那様が居なくなって、この先どうして生きていけるの?この大きなお屋敷に私一人では寂しくって死んでしまうわ。
幸太郎:……。
 奥方:何故……何故私を置いて逝ってしまったの! (床に突っ伏して泣く)
幸太郎:……僕が……僕が居るじゃないですか。
 奥方:幸太郎さん……?
幸太郎:僕では駄目ですか。
 奥方:だって……あなたは……。
幸太郎:先生の弟子だから? でも先生は……先生はもう、居ない。
 奥方:(首を振る)
幸太郎:(奥方の肩を掴んで)僕が年下だからですか。子供だって言うんですか?

 幸太郎、奥方を抱きしめる。

 奥方:幸太郎さん、駄目よ、離して。
幸太郎:僕はもう、先生の弟子ではない。子供でもない。奥様……僕を見てください。
 奥方:幸太郎さん……こんなのいけないわ。
幸太郎:僕が今までどんな想いであなたを見てきたか。先生があなたを独り占めするのが憎かった。この苦しい気持ちを、あなたは分かっていたはずだ。
 奥方:(幸太郎から目を反らす)
幸太郎:そうやって、僕を弄んで……これ以上苦しめないでください。あなたも、心の奥底で僕のことが……。
 奥方:(幸太郎を見る)
幸太郎:(奥方の顔を見ながら)僕はもう待てない。
 奥方:……幸太郎さん……!

 奥方、幸太郎を強く抱きしめる。

幸太郎:ああ……奥様……!
 奥方:名前を……名前を呼んで。
幸太郎:……小百合さん……!
 奥方:嬉しい……。絶対に、私を一人にしないでね……。
幸太郎:絶対に、片時だって離れるものか……!

 幸太郎、体を離し奥方をもう一度見つめる。
 見つめ返す奥方。手を取り合う二人。



 さつきは、日下部を見つめている。
 日下部も、さつきをじっと見ている。
 さつきが日下部の手を取って何かを置く。
 可愛らしいラッピングの小箱だった。

「……好きです」

 思わずドキリとしたが、台本を見た日下部はその台詞がどこにもないことに気付く。
 このあとには、ト書きが一つ。

 『幸太郎、奥方に口づける。』

 さつきは日下部にそっと、顔を近づけた。

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