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転校少年
作:菜田出ココ太



第三話 鬼の棲む島  十八


 十八

 昔、まだ鬼が肉体を持っていた頃、この島で、鬼は好き放題に人を犯し、喰らい、殺していた。
 そこにある日、海を渡り、島に男が現れた。
 男は、鬼との三日三晩の死闘の末、その武器である薙刀なぎなたで、遂に鬼の心臓をえぐり取り、殺した。
 男は勇者として称えられ、彼が死んだ後は、神と崇められる様になり、この地に祀られた。
 しかし、滅んだ筈の鬼は、その魂を、まだ現世に留めていたのだ。
 勇者の死を待っていたかの様に、鬼は姿を変え、再び島に現れる様になった。
 肉体を失った鬼は、年に一度、自分が死んだ日――その肉体を失った日に島に現れ、人間に乗り移るのだ。
 鬼はまるで、自分の新たな身体を捜すように、次々と人間に取り付いては、取り付いた人間を鬼に変えた。
 しかし、人に取り付いた所で、鬼は自分が望むような肉体を得られず筈もなく、不満足な肉体の憂さを晴らすかの様に鬼は暴れ、人を殺し、鬼に乗り移られた人間も、その変化に精神も肉体も耐え切れず、鬼が抜けた後は絶命してしまった。
 それから数年が過ぎた頃、鬼の「イレモノ」と呼ばれる人間が、現れるようになった。
 その「イレモノ」と呼ばれる人間に取り付いた鬼は、まるで、昔肉体があった頃の様に、その力を遺憾なく発揮出来、取り付かれた人間も、鬼が抜けた後は、また元の人間に戻る事が出来た。
 その人間は昔、鬼が人間に産ませた子の子孫だと言われていた。
 やがて、したたかな人間は、鬼と契約を結んだ。年に一度、イレモノを用意し、生贄を捧げる代わりに、ほんの少し、自分達の言う事を聞いてもらう事であった。
 それは、島に攻めて来る外部の者たちを追い払う事であったり、
 島の邪魔者を、殺す事であったり、
 島内部の権力争いの為、相手方の要人を殺す事であったりした。
 鬼にとっては、満足な身体を得られ、暴れる事が出来ればそれで良かった。そこに、人間の作為が加わっていたとしても、鬼にとっては、ほんの些細な事であったのだ。
 そして、鬼と人との利害関係は保たれ、そのしきたりは破られる事なく、この島で、脈々と現代まで引き継がれて来た。
 十六年前、杏の母親、やよいが現れる迄は――
 彼女は、昔から家に伝わる薙刀が、鬼を殺した伝説の薙刀である事を知り、ある日、自分がその勇者の末裔まつえいである事を悟った。
 そして彼女は、本能的に知っていた。
 人間に取り付く鬼の魂を、完全に葬り去る方法を。
 鬼がイレモノに入っている時に、そのイレモノごと鬼を殺すのだ。
 そうすれば、鬼はイレモノごとあの世に送られ、現世に還る事はない。
 ただ、鬼の身体は不死身で、殺すのは容易ではない。
 手首を切っても戻り、腹を割いても戻った。
 しかし、弱点はあった。
 鬼は、肉体を持っていた時に勇者にえぐり取られた、その心臓だけは、復活する事は出来ないのだ。
 イレモノに取り付き、自分の身体を取り戻したかに見える鬼も、心臓だけは、イレモノである人間のものなのだ。
 その心臓を射抜けば、鬼とイレモノである人間は同時に死に、鬼の魂もあの世へ逝く。
 だからやよいは自ら生贄となり、鬼に犯されながら、先代のイレモノであった誠の父を殺した。
 やよいは、昔、鬼を倒した勇者のように、称えられる筈であった。
 しかし、村人の目は冷たかった。
 いつしか鬼は、村人にとって、彼らの邪悪な願いを聞き入れてもらえる存在。神同様、崇められる存在になっていたのだ。
 村人はやよいを非難し、やよいの家である川西家は村八分となり、その上、鬼の復讐を恐れ、彼女を殺す事まで計画された。
 ただ、その計画は実行されなかった。やよいが、鬼の子をはらんでいたからだ。
 翌年、やよいはあんずを産んだ。
 そして、その年の夏から、鬼はもう来ない筈だった。鬼の魂は、完全に滅んだ筈だった。
 しかし鬼は、またもやよいの前に現れた。イレモノを先代から誠へと変えただけで。
 彼女は、絶望の縁に立たされた。
 彼女は村人の許しを請い、自ら生贄となり鬼に喰われる事で、自分の裁きと家の復権を村に願い出た。
 その願いは聞き入れられた。
 そして……。

 桃樹は、薄っすらと開いた目で鬼を見ていた。
 鬼の記憶、いや、やよいの記憶とその壮絶な運命を見た桃樹は、肉体的な痛みも、快感も感じることはなかった。
 彼はただ、やよいの悲し過ぎる運命を、自分の心に横たえ、放心していた。
《桃樹……》
 その時、やよいの声が聞こえた。
 桃樹は意識を集中する。
《桃樹、聞いて。わたしが鬼の身体を一瞬止めるから、その隙に薙刀で鬼の心臓を突き刺して。あなたなら出来るわ。お願い》
 その声が消えた直後、桃樹は鬼の手が離れるのを感じた。
 桃樹は、素早く後ろに一回転して起き上がると、鬼を睨み付ける。
 しかしそこで、彼の動きは止まった。
 すぐに身体の制御を取り戻した鬼は、桃樹を逃がすまいと、首に手を掛ける。
 手が触れたと同時に、またもやよいの声が伝わった。
《どうして動きを止めるの? ためらったらダメよ!》
 やよいの心の声に、桃樹は声を出して答えた。
「ダメだ。あんたの気持ちは分かる。でも、その身体は杏のものだ。いくらあんたが杏の母親でも、おれには杏の身体を、勝手に傷つける事は出来ない!」
《いいんだ。桃樹、あたしを鬼と一緒に殺してくれ》
 今度は杏の声が聞こえた。
「杏か……なぜだ。なぜ死のうとする。じいさんが言ってたぞ。死んだら全ておしまいだって」
《いいんだ。あたしこのまま、鬼の姿で桃樹と交わるのも、桃樹を喰うのも、絶対イヤだ。どうせなら、桃樹に殺されたい。それで鬼も死ぬのなら、それが本望だ。あたしはその為に生まれて来たんだから……》
「うわあああああー」
 桃樹は叫び、渾身の力を込めた。杏の抵抗と桃樹の力で、鬼の手を自分の首から引き剥がすと、彼はさらに一回転して鬼との距離を取る。
〈やよいも杏も、こんな事の為に生まれて来たんじゃない!〉
 桃樹は心の中で叫んだが、その目はむしろ冷たく、口からは静かに言葉を吐いた。
「わかった。今度こそ、お前を冥土へ送ってやる」
 桃樹の決意と、やよいと杏の力が重なった。
 布団の横に転がっていた薙刀が、光を帯び、桃樹のいる方角へ飛ぶ。
 桃樹は、その気配を背中で感じた。
 彼は振り返らず、手を後ろにかざす――その手に、飛んで来た薙刀が吸い込まれた。
 ブウーン!――
 その瞬間、桃樹は掴んだ薙刀を横殴りに振り、切先をピタリと鬼の心臓に向け、構えた。
 鬼の動きが、止まった。

 少し前、誠はペンションの部屋で微かな叫び声を聞いた。
「あの声は、もしかして……」
 誠は短刀を持ち部屋を飛び出した。今日は、母から儀式はないと聞いていた。それなのになぜだ――鬼の気配がする。彼は表の靴を取り、勝手口へ回った。
 裏へ出ると、誠は人影を見つけた。
「い、石橋、何してるんだ!」
 そこには、綾音あやねがパジャマ姿のまま立っていた。
「あっ先生。いま、杏ちゃんの声が聞こえた気がして……」
「綾音、やっぱり杏ちゃんいないよ。それに桃樹まで……あれ、先生」
 後ろから、ひなたが出てきた。どうやら彼女は、桃樹達の部屋を見に行っていたらしい。
「お前達は部屋へ戻ってろ。私が上の様子を見てくる」
「は、は……」「だめよ!」
 うなずき掛けた綾音の腕を、ひなたが引っ張り丸太の階段を上がる。
「おい、お前達!」
 誠も階段を上る。
「お前達は危険だ。ペンションへ戻れ!」
「イヤよ! 杏ちゃんと桃樹を助けなきゃ!」
「ダメだ! 昨日お前達も見ただろ、鬼に敵う訳がない。死ぬぞ!」
「先生――」ひなたは叫ぶのをやめて、ゆっくりと話し出した。「確かに鬼には敵わない。でも、あたし昨日思ったの。みんな鬼のせいにするけど、猛獣のオリに人間を投げ込むのは、いつも人間なの。人が、人を陥れるのよ。猛獣は、そこにある餌を食べるだけ。必ずそこには、人の意志が係わっている。鬼は止められなくても、人を止めることは出来るわ」
「中山……」
 誠の心に、ひなたの言葉が突き刺さった。そうだ、この村も自分の家も、そして自分自身も、みんな今まで何事も鬼のせいにして来た。そうじゃなかったんだ。伝統、しきたり、掟――言葉を変えても、人を陥れるのは、いつも人。彼女の言う通りだ。
「よし、行くぞ」
 三人は、階段を上り境内へ出た。
 境内を横切り、神楽殿かぐらでんへと走る。その入口は硬く閉ざされ、左右には松明が燃えている。儀式が行われている証拠だった。そしてその前に、神主と誠の母、静子が立っていた。
「あなた達、何をしに来たの?」
 鋭い視線で三人を見る静子に、誠が言った。
「母さん。あんた、今日は儀式はないって言ってたんじゃないのか! この中で一体、何が起こってるんだ!」
「ふふふ。あなたがイレモノとしてあまりにも腑甲斐無ふがいないから、替わりに杏にやってもらったのよ。生贄は梅田君。二人、仲良かったそうだから、きっと今頃うまくやってるわよ。心配しないで」
「そんな、杏がイレモノだなんて……」
「あなたには言ってなかったかしら、イレモノの能力は、女の初めての子が持つものなの。杏も、あの女の初めての子。だから彼女にもちゃんとあるのよ、イレモノの資格が」
「バカな……」
 驚く誠の脇をすり抜け、ひなたが扉に向った。
 しかし扉には大きい錠前が掛けられており、叩いても引っ張っても開くことはない。ひなたは振り向き、神主に叫んだ。
「おっさん! 鍵を渡せ!」
「はっはっはっ。開けた所でもう遅いわ。既に鬼は中に入っておる。朝になったら開けてやるで」
「このヤロー」
 ひなたは神主に殴りかかったが、彼はひょいっとそれをよける。以外と俊敏な老人であった。
「クソ、ぶっ殺すぞ! おっさん!」
 ひなたは切れた。
「はっはっはっ。その顔、鬼より怖いのお。ほっほっほっ」
 神主は、全くひなたを相手にしない。
 しかし、そこに別の人影が現れた。その人物が、向こうから歩いて来るのは分かったが、松明の周りにいるみんなは、暗い所から来る影が誰なのかは見えない。やがてその影が、灯りが届く所までに来ると、それが正雄じいさんである事を知る。それだけではない。彼は薪割り用のなたを持ち、真っ直ぐに神楽殿の扉へと歩いてゆく。
 彼が、何をしようとしているのかは、誰の目にも分かった。
「待ちなさい! 正雄さん。あなた、また儀式の邪魔をするつもり。また村を裏切るつもりなの!」
 神楽殿の階段を上りきった正雄は、叫ぶ静子を振り返った。
「村のしきたりでは、儀式は、イレモノの資格を持つ者の意思が尊重されなければいかん。先代が死んで誠さんにその資格が移った時に、既に儀式も村の運命も、彼ら若い者に委ねられなければならなかったんじゃ。静子さん、いつまでも出しゃばるんじゃない。もう我ら年寄りの出る幕じゃないんだ。ワシは彼らの望む通り、この扉を開ける」
 正雄は鉈を振りかざし、錠前に叩き付けた。
 錠前は壊れ、扉がゆっくりと左右に開く。
 誠とひなたは、走って正雄じいさんの横に立つ。綾音もその後ろに立った。
 四人は見た。
 そこに杏だったであろう鬼の姿と、その前に、袴を履き、上半身裸の桃樹が、薙刀を持って構える姿を。
 桃樹は今にも、その薙刀を鬼に振るおうとしていた。












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