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転校少年
作:菜田出ココ太



第三話 鬼の棲む島  十四


 十四

 稲野誠いなのまことは、着物の帯を硬く締めると、鏡の前に正座した。
 彼は目を閉じ、深呼吸をする。そして、また目を開けた。そこには、いつもと同じ自分の顔が映っている。
 それが、鬼の顔に変わる時が来るまで、あと少しの猶予しかない。
 誠は、桃樹達が神庫じんこに閉じ込められた頃、自宅の部屋にいた。一応ペンションにも自分の部屋は取ってあったのだが、消灯時間と同時にそこを出て、自宅の部屋に移ったのだ。それは儀式の準備の為である。
 彼は、鏡の前に横たえてある、長さ三十センチ程の木の筒のようなものを両手で持つと、おもむろに左右に引き抜いた。それは短刀で、右手の柄から刃が伸び、銀色の鋭い光を放っている。誠はその輝きを確かめると、左手の鞘に戻し懐に仕舞った。
「こんなもので、どうなるものでもないが……」
 彼は、独り言を呟くと、静かに立ち上がった。

 さっきまで月明かりで青く満たされた境内は、今は神楽殿かぐらでんの入口にある大きな松明の炎によって、赤く、その地面を照らされている。
 誠はその境内を横切り、松明の間を抜け、神楽殿へと入った。
 その奥、祭壇の前に一人の少女がいた。
 その少女は、長い髪を後ろで束ね、薄く白い単衣ひとえを身にまとい、祭壇の前に正座している。四年前のように、薬で眠らされている訳でもなく、少女が自分の意思を持ってそこに座っている事に、誠は少し動揺した。鬼のイレモノである彼は、生贄について今迄も何も聞かされる事はなかった。ここに来て、初めて知る事となるのだ。
 その生贄が、自分の教え子の一人であるという事実も。
「先生……」
 綾音あやねは、後ろに気配を感じ振向いた。
 その横顔に、誠は再び動揺した。
「石橋……なぜ、お前が……どうして……」
 彼女は立ち上がり、振り返った。
「先生……わたしは、あなたの生贄になる為に、ここへ来たんです。先生にわたしの身体を捧げる為に……」
 綾音は帯を解き、一瞬のためらいの後、白衣を脱ぎ落とした。その下には何も着けていない。全裸になった綾音は、恥じらうように胸の前で手を組むと、誠に一歩近づく。
 その乳房は、緊張の為か少し震えていた。
「先生……」
 しかし誠は、首を横に振りながら後退る。
「だめだ。よりによって教え子に手を掛けるなんて、私には出来ん。やめだ! 今日の儀式はやめだ。早くペンションに戻るんだ!」
 動揺する誠に、綾音は抱きついた。
「どうして! どうしてわたしじゃダメなんですか。わたし先生の事がずっと好きでした。あんずちゃんの所に遊びに来たとき、たまたま島に帰っていた先生の姿を見たときから、ずっと……」
「石橋……」
「それでわたしは、先生を追い掛ける為にこの高校へ入学したんです。そしてこの地区に伝わる、鬼の伝説を小耳に挟んだんです。そして、今日がその日である事を。わたしは先生に、この身を捧げる為に来ました。お願い、わたしを抱いて下さい!」
 誠は綾音の腕をそっと解くと、その目を見て言った。
「石橋、よく聞いてくれ。お前の気持ちはわかった。それだけ想ってくれるという事は、人としては嬉しい。しかし、この儀式で生贄が捧げられるのは、鬼になんだ。お前の身体を鬼にやる事は出来ない」
「誤魔化さないで! 先生が鬼なんでしょ。杏ちゃんも言ってたわ。あなたが鬼に変わるって。あたし先生なら、鬼になっても構わないわ!」
「違うんだ石橋、私は、鬼のイレモノに過ぎない。鬼は……鬼は本当に……」
 その時、入口の松明の炎が倍近くに膨らみ、その炎を振り乱して、何かの気配が疾風と共に入って来た。
「しまった! もう来たのか!」
 誠は天井を振り仰いだ。そこには鬼の気配が、風と共に渦を巻いている。誠は懐から短刀と取り出し鞘を捨てると、その短刀を、床に力いっぱい突き刺した。
「石橋! 早く逃げろ! もう私には止められん!」
 綾音は、尋常ならざる誠の気迫に、この事実が自分の想像を超えている事に、やっと気付き始めた。
 しかし、もう遅い。
 鬼が神楽殿に入った事を知り、神主は入口の扉を閉め錠前を掛けた。朝まで、その扉が開かれる事はないのだ。
 綾音はどうする事も出来ず、天井を見上げた。
 すると、回転を続けていた天井の渦の中心が、誠に向って急降下を始めた。
「うがああああああー」
 誠は奇妙な叫び声を上げ、その渦は、彼の身体に次々と吸い込まれてゆく。
 その度に誠の全身は波打ち、顔の表情は消えて無くなっていった。
 そして、渦の全てが誠の身体に吸い込まれると、彼はその場に崩れ落ちた。
 風がやみ、辺りは静まり返る。
「せ、先生……大丈夫?」
 綾音がその肩に、恐る恐る手を掛けた瞬間――
「ぐがあ!」
 それが、突然顔を上げたと思うと、飛び出しそうな程大きな目が開き、綾音を見つめた。
 もうそれは誠の顔ではない。いや、人間の顔ではなかった。
「いやあああああああー」
 綾音は絶叫した。
 思わずその場に尻餅を付いて後退る。しかし彼女の身体は腰が抜けてしまったように、思い通りには動かない。目の前のものから逃げるには、余りにも緩慢過ぎる動きだった。だが、いくら俊敏に動けたとしても、閉ざされたこの神楽殿で、彼女にはもう逃げ道はなかった。
 ボコッ――
 誠、いや誠だったものの背中が膨れ上がると、手足が伸び、身体が膨張し始めた。綾音の目の前で、それは次々と伸び、膨らみ、天井に届きそうなほど身長が伸びていく。
 そして、その頭には、一本の角が生えていた。
 杏の言った通り、それは鬼の姿だったのだ。
「鬼になっても構わない……」綾音は自分の言った言葉が、ただの戯言に過ぎなかった事を、身に染みて感じた。それが、他愛もない妄想だった事を。自分はバカだった。身を案じてくれた友達の言葉も信じず、逆に裏切ってしまったのだ。
 綾音は、「助けて」とは叫べなかった。それは余りにも身勝手な言葉に思えた。これは自分が望んだ事なのだ。自分自身が、この鬼と結ばれる事を望んだのだ。
 ドスン――
 鬼はその姿を完全なものとし、目の前の生贄を認め、一歩前進した。
 綾音は恐怖でパニックになった心の隅で、妙に冷静に自分の運命を受け入れる気持ちが生じていた。それは彼女の強い責任感と杏を裏切った罪悪感で生じた、自戒の念であった。
 ドスン――
 鬼はもう一歩前進し、綾音に手を伸ばした。
 しかし鬼の身体の中心に、そそり立つ巨大な物を認めた時、彼女の本能がそれを拒絶した。
「い、いや、やめて、お願い……」
 その腕が鬼に掴まれた。そして一瞬で引き寄せられると、もう一方の腕も掴まれる。彼女の足は宙に浮き、顔が鬼の目の高さになるまで、持ち上げられた。
「だ、だめ……」
 彼女は力なく顔を背けるが、鬼は構わず、その耳まで裂けた口から舌を出し、彼女の乳房から頬に掛けてなぶり上げた。
「ああっ……」
 その瞬間、綾音の全身を今まで経験した事のない快感が襲った。その人外のもたらす感覚に、彼女の頭の中は真っ白になり、ほんの少し残っていた抵抗心も溶けてなくなってしまった。
 ドサッ――
 鬼は綾音の反応に満足したのか、手を離し、乱暴に彼女をその場に落とす。
 そして、今度は彼女の両足を掴み、それを左右に大きく開いた。

 一方の神庫の中、閉じ込められた三人は、神楽殿の方角から綾音の叫び声を聞いた。
 ひなたは振向き、桃樹と杏は立ち上がる。
 ドン!――
 桃樹は助走を付け、扉に体当たりをした。自分で無駄だと言って置きながら、それしか方法が浮かばないのだ。何度もぶつかる。杏よりは扉の揺れも大きかったが、それでも、その重い扉が開く事はなかった。
「くそ!」
 桃樹は、拳を扉に打ちつけて下を見た。
〈どうする事も出来ないのか……〉
 その時だった。杏が扉の前に転がしていた薙刀なぎなたが、淡く光った気がしたのだ。
 気のせいか? ――桃樹はもう一度目を凝らす。
 しかし、錯覚ではない。確かにその薙刀は、淡い光を放っていた。まるで、鬼の気配に反応するかの様に。
「桃樹、そこをどけ!」
 杏の叫びに、桃樹は振向いた。
 そして彼女の姿を見た途端、息をのみ、ゆっくりと扉の前から横に下がる。
 杏の身体は、その薙刀と同じく、淡い光に包まれていたのだ。
 杏は右手を開き、前に出す。
 すると、扉の下にあった薙刀がひとりでに飛び、杏の手のひらに吸い込まれた。
「な、なによ今の!」
 ひなたは思わず叫ぶ。
 ビュゥン!――
 杏は薙刀を一回転させると、両手で構え、一気に扉を突き刺した。
 桃樹は、杏の薙刀が扉を突き破り、貫通したかに見えた。しかし、そうではない。薙刀は左右の扉の間、ほんの数ミリの隙間に突き入れられたのだ。
 そして杏は、それを下に薙ぐ。
 ガシャーン!――
 錠前が壊れる音がして、扉が左右に開いた。
 三人は神庫を飛び出し、神楽殿へと走った。

 その入口の左右には、大きな松明の炎がごうごうと燃え盛っていたが、扉は硬く閉ざされ、その前の階段には神主が座っている。
 彼は、誰か数人が走ってくる足音に気付き、その中に杏の姿を認めると、慌てて立ち上がった。
「貴様ら、どうやって抜け出し……」
 ビュゥン!――
 彼の言葉が終わる前に、杏は階段の一段目に足を掛け、薙刀を横に振った。
 風と共に、狩衣の袖が裂かれる。
「い、いきなり何をする!」
「そこをどけ!」
 杏は階段を上り、容赦なく次の一刀を構える。
 神主は、松明の灯りで照らされた、その杏の顔を見た。
「ひっ! お、お前は! うわああー」
 横に下がった神主は、驚きの余り階段を踏み外し、転げ落ちた。
「お、お前は……やよい!」
 振向いた杏の顔を、桃樹も見た。彼はその顔を知っている。仏壇にあった写真。そして誠の記憶で見た、あの少女の顔であった。
「ひっ、ひいいいい!」
 神主は腰が抜け、立ち上がれず、ただ、声にならない叫びを漏らす。
 桃樹は一瞬その姿を見、そして視線を上げると、顔はもう杏に戻っていた。
 今のは錯覚だったのか。いや、そうであれば、この神主の驚きは一体何だ。
 杏は、訳もわからず叫ぶ神主に構わず、薙刀を振り上げると、扉の錠前に叩き付ける。
 ガシャーン!――
 錠前は見事に真っ二つに割れ、地面に落ちた。
 そして杏は、神楽殿の扉を開け放った。












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