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転校少年
作:菜田出ココ太



第二話 星空を飛ぶ時 十二


 十二

 次の日桃樹が起きた時には、時計の針は既に十一時を回っていた。
 今日は土曜日で学校はなかったが、休みとは言え、彼がこんなにも遅く目覚める事は珍しい。彼は昨日の夜、烏丸紗夜からすまさやの事を考えて眠れなかったのだ。
 屋上で不良達にしていた事、そして松尾先生の記憶。あの記憶はきっと妄想などではなく事実だ。だとしたら、紗夜は、今度は松尾先生を呪いに掛けようとしているのか?
『松尾先生っていい先生でしょ』しかし彼女の言葉はそれと矛盾する。
 桃樹は目覚めた後も、そんな事を考えながらベッドに座り、ぼんやり壁を見ていた。
 ばん!――
 いきなり部屋のドアが開いた。
 振り向くと、姉のさくらがジーンズにタンクトップ姿で立っていた。肩にはボストンバッグを掛けている。
「ちょっと寝ぼすけ、早く起きなさい。出掛けるわよ!」
 いつも寝ぼすけの姉に言われるのは心外だったが、桃樹はまだ眠そうな目をこすり、言い返す気力もなかった。
 相変わらず、ぼーっとしたままの桃樹に向ってさくらは言った。
「あら桃樹、なんかエッチな事でも考えてたの?」
「な、何言ってんだよねーちゃん!」
 桃樹は別に考えていた訳ではないが、松尾先生の記憶にあった紗夜の姿が、どうしてもまぶたの裏から離れなかったので、姉の言葉についつい過剰に反応してしまった。
「あんたって、わかり易いわね。もしかして自分で慰めてたの? 可愛そうに、お姉ちゃんがしてあげようか?」
「うるさい!」
 桃樹は枕を投げつけた。
 それをさくらは、片手で、「ポン」と、キャッチすると、
「そうそう、そんな事より早く支度しなさい。着いたら夜になっちゃうじゃない。お泊りの用意して直ぐに駐車場に下りて来なさいよっ!」
 そう言って、さくらは枕を桃樹に投げ返した。
 桃樹は顔面にそれを受けてもう一度ベッドにひっくり返る。
「と、泊りって……」
 桃樹は訳がわからなかったが、飛び起きると、とにかく姉を怒らせないようにバタバタと用意をし始めた。
 桃樹がマンションの階段を降りると、下には既に姉の赤いセダンがハザードランプを点けて停車している。
「遅いじゃない。男が支度に何分掛かってるのよ!」
「ごめんねーちゃん。でも急に泊まりだなんて言われても……」
 桃樹は助手席に座り、しっかりとシートベルトをする。
「なに、その鞄。きんちゃく袋? 小学生の給食当番みたいじゃない」
 さくらは桃樹が持っている鞄を見て笑った。確かにそれは大きなきんちゃく袋で、下の方には革で出来た目付きの悪いネコのワッペンが付いている。
「だって慌ててたもんだから、鞄見つからないし……それよりねーちゃん、一体どこ行くんだよ」
「フフフフ。温泉よ、お・ん・せ・んっ」
 そう言うと、さくらは今時珍しいマニュアルミッションをローギアに入れ、車をゆっくりと発進させた。
 ドドドドド……
 控えめとはいえ、低い排気音を響かせて、二人を乗せた車はマンションを後にした。
 住宅街を抜けると、車は一気に加速し郊外をひたすら走った。そして高速道路の入口へ分岐すると、さくらは車を料金所で止めた。
「あれ、ねーちゃん。この車、新車なのにETCってヤツ付いてないの?」
「甘いわね桃樹」
 姉の声は低くなり、目はなぜか燃えていた。
 さくらは料金を払い、ミッションをローに入れ直したと思うと、アクセルを一杯に踏み込みクラッチを繋いだ。
 ドゥオオオオーン!――
 車は急発進した。
 三百馬力を超えるエンジンは唸りを上げ、駆動力を伝えられた四つのタイヤはアスファルトを掻きむしり、桃樹はシートに張り付けになった。
 一瞬でレッドゾーン手前まで吹き上がったエンジンは、さくらがギアを二速に入れても、直ぐにレッドゾーンめがけて跳ね上がる。
 既に法定速度を軽くオーバーし、二速からゆっくり五速に入れ車を流れに乗せると、さくらは、「ふう」と、溜め息をついた。
「ねっ。わかった? 桃樹」
 さくらはチラりと助手席を見たが、桃樹の顔はまだシートに張り付いたようにのっぺりとしていた。
「だって、初速ゼロからの加速なんて、人に迷惑を掛けずにやろうとしたら、高速の料金所の発進ぐらいしか出来ないでしょ。ETCも付いてるんだけどね……」
〈『迷惑掛けない』って言っても、料金所のおじさんは『ぎゃあ!』って言ってたけど……〉
 桃樹の顔はだいぶ立体的に戻って来た。
「でも、凄いでしょ、この加速。やっぱブースト圧上げて三百馬力超にして良かったわ。だって今時、二百八十って、自主規制も無くなったのにおかしいでしょ。そう思わない?」
 桃樹は、姉が何を言っているのか良くわからなかったが、楽しそうな姉の気分を害さないように、「そうだね」と、言うと窓の外を見た。
「でもさ、こんな蒸し暑い日に温泉なんて、別に嬉しくないよ」
「うるさいわね。それしか観光がないんだから仕方ないじゃない。水下村みなしもむらって……」
「えっ……」
 桃樹はその地名がどこかを知っていた。水下村、そこは烏丸紗夜の生まれ故郷だった。

 二人が宿に着いた時には、既に夕方の六時を回っており、途中パーキングエリアでそばを食べただけの彼らは、早速、夕食を摂る事とした。
 その宿は古いが一応旅館で、部屋で食事を摂る事が出来る。二人の目の前には今し方運ばれた料理が並んでいた。
「はい、桃樹」
 さくらはおひつからご飯をよそい、桃樹に手渡す。
「ありがと。でも、ねーちゃん。こんな所に来て一体何調べるんだよ」
「決まってるじゃない。烏丸紗夜の事でしょ」
「でも何を……」
「お父さんに言って、彼女の身辺を調べてもらったのよ。と、言うか調べてた事を教えてもらったって言う方が正しいかも知れないけど。桃樹が言った通り、彼女を産んだ母親は彼女を産んだ時に亡くなってて、父親も彼女が十一歳の時に事故で死んでるわ。継母はその後直ぐに失踪、彼女は中学卒業まで父方の祖父母に育てられ、高校生になって母方の実家に移り、現在に至っている……」
「そうだよ、おれが彼女から聞いた通りだろ」
「でも、彼女が中三の時に目の前で自殺したって言う大学生。それがわからないのよ。三年前の記録を調べても、大学生が死んだなんてのは無いし、彼女の記憶違いもあるかも知れないから、その前三年間の記録も調べたけどそれも無し、相手が大学生と偽ってたかもと思ったんだけど、その前後の年齢で死亡したっていう記録が全く無いんだから、どう考えてもおかしいのよ」
「じゃあ、彼女はウソを……」
「わかんないけど、そんなウソ付いたってどうしようもないし……とにかく桃樹が彼女の記憶を全く読めないから、こうやって外堀から埋めて行くしかない訳よ!」
「そうですね……」
 桃樹は、さくらにご飯をおかわりするタイミングをすっかり逸して、空の茶碗を持ったまましばらくぼーっとするハメとなった。
 それからは料理の話や温泉の話をして、二人はすっかり普通の観光客になっていた。
「あー、結構おいしかったね」
 料理を全部平らげると、さくらは座椅子に持たれてお茶をすすった。
 なんとかご飯のおかわりをもらえた桃樹も、満足そうだった。
「さあ桃樹、どうせ調査は明日だから今日は温泉に入ってお決まりの卓球でもしようか?」
「えーっいいよ、どうせねーちゃんには負けるし……」
「何よ、意気地なしね!」
「あっ」
 桃樹は急に思い出した様に言った。
「ねーちゃん。どうせなら行きたい所があるんだ。そこに行こうよ」
「えー、今から?」
「んー、もう少し暗くなって、星がいっぱい出てからの方がいいかな」
 桃樹は立ち上がり、窓を開けて、暮れて行く空を見上げた。

 桃樹とさくらの二人がそこに着いた時には、辺りはもう真っ暗になっていた。
 桃樹が行きたかったのは、紗夜が自殺した恋人とよく星を見たという「ゲレンデの頂上付近の管理棟」だった。
 しかし、その場所は彼女の言葉にしかなかった為、二人は宿の人にそれらしい場所を聞き、地図と車のナビを駆使してここまで来た。
 この辺りは尾根沿いに道があり、さくらはそこから少し奥へ入り、広くなったところに車を停めた。
 ここから林を抜けると、ちょうどゲレンデの頂上付近に出られるハズだ。
「ちょっと気味悪いわね」
 さくらは懐中電灯の灯りを見ながら、灯りも無しに、てくてく前を歩く桃樹の背中に言った。
 彼女は街ではヤクザにも全く臆さないが、お化けや幽霊といった類には弱かった。それは彼女が結構そういったものを見てしまう……彼女の場合はよく聞こえる体質であり、得意の格闘技も通じないそれらの物には、どうしても恐れを憶えるのだ。
「ちょっと桃樹! そんなスタスタ歩いて、道に迷ったらどうするのよ!」
「大丈夫だよ、ねーちゃん。ほら、林って言っても人が通って道になってるだろ。間違いないって」
 桃樹が言った通り、今歩いているところはよく人が通るのか、草がぬけ、道になっていた。彼女はこれ以上弟に弱みを見せられないと奮い立ち、必死で桃樹の背中を追う。
 すると突然、林を抜けた。
「うわー」
 桃樹は夜空を見上げ、思わず声を上げた。
 彼の頭上には、満天の星が広がっていた。
 そのゲレンデが降りる方角には、民家はなく真っ暗だった。今走ってきた道路の明かりも、林に遮られ、ここ迄は入って来ない。
 ここには星以外、光を成すものは無かった。
 こんな星空を見たのは、紗夜の催眠術に掛かったあの時以来だろう。いや、あの時は幻を見ただけで、現実に見たのは今日が初めてだった。
 彼は、こんなにも星がたくさんあるものだとは知らなかった。
 彼は、こんなにも星が輝くものだとは知らなかった。
「すごい、天の川って、本当に星で出来た川見たいね」
 さくらも星空を見上げていた。
 それからしばらく、二人は言葉もなく、ただ星空を見上げ立ち尽くしていた。
「桃樹あれじゃない?」
 さくらが指差した方角には、闇に慣れた目にぼんやりと建物の影が映っていた。
 二人は歩いて、その鉄筋コンクリートで出来た三階建ての建物の前に立った。そして桃樹が入ろうとドアを引いたが、そこには鍵が掛かっている。
「ね・え・ちゃん」
 桃樹は、にっこり微笑んで姉を促した。
「もう、しょうがないわね。あんたもこれぐらいの鍵、開けられるようになりなさい!」
 そう言ってさくらは、ポケットから何やら細い針金状や平たい棒状のピッキング用工具が付いたキーホルダーを取り出すと、ろくに鍵穴も見ずにその内の一本を突っ込んで回した。
 カチャ――
 一瞬で鍵が開いた。
 桃樹は関心するよりも、呆れてその様子を見てドアを開けると、一気に階段を上って屋上に向う。
「ちょっと桃樹! 置いてかないでよ! もう、建物の中って、なんか気味悪いのよね。それに自殺した大学生の幽霊でも出たらどうするのよぉ」
 さくらは桃樹とは対象的に、恐る恐る階段を上った。
 桃樹は屋上に出ていた。
 ここの屋上にも柵はなく、縁が三十センチ程高くなっているだけだ。さらにその縁の奥行きも三十センチ程しかない。桃樹はその縁に上がる事にした。
「わっ」
 桃樹は足を踏み出すと、何かにつまずいてコケそうになった。暗くて見えなかったが、そこだけコンクリートが割れて窪みになっているようだ。
「どうしたのよー」
 下の方から聞こえたさくらの声に、「何でもないよー」と、答えて、桃樹は縁に上がり正面を見た。
「!」
 桃樹は何かを感じた。さっきの景色じゃない。それはこの方角でしか感じない何かだった。
「あっ!」
 今度は声に出た。桃樹はわかったのだ。
「これは学校だ……学校の屋上の、あの場所だ!」
 桃樹は目の前の星空が、学校の屋上で桃樹が飛び降りそうになり、仮部員二人が転落死したあの場所から見た星空と、とても似ている事に気付いた。
 星の数も星の明るさもまるで違う。しかし、左に見える山影、正面の谷、そして右に続く林とその奥に連なる山影、星空の輪郭とも言うべき周りの景色が、学校のあの場所から見た感じと、とてもよく似ているのだ。
 きっと烏丸紗夜は、学校の屋上に、この景色を重ね合わせていたんだろう。
 桃樹は、彼女の心に触れた気がした。そしてそれは、彼女自身もまだ、気付いていないのかも知れない。
「ちょっと桃樹ひどいじゃない。わたしを置いて一人で先々行っちゃって!」
 さくらは、やっと屋上に上がって来た。
「それに、『わっ』とか『あっ』とか変な声出すもんだから……わっ!」
 さくらは、さっき桃樹がつまずいた同じ窪みに足を取られた。
「わっとっとっとっとっ……」さくらの勢いは止まらない。
「えっ!」桃樹がさくらの声に振り向いた時だった。
 どん!――
 バランスを崩したまま、さくらは桃樹にぶつかった。
 振り向く途中の不安定な姿勢の桃樹は、その勢いで足を踏み出す。
 しかし、そこは空中だった。
「うわーあぁぁー」
 桃樹は屋上の縁から落下した。
「も、桃樹ぃー」
 さくらは叫ぶ。
 バサバサバサー――
 木の枝が揺れる。
 彼女は懐中電灯を下に向けた。しかし生い茂った木の枝が重なり下の様子は見えない。
「た、大変だぁ!」
 さくらは下へ走った。
 飛び降りる様に階段を駆け下りる。
 一気に一階まで下り、鍵を開けた入口から出て、建物の裏へ回った。
 しかし、そこにも木が生い茂っているだけで、桃樹の姿は見えない。
「桃樹ぃー!」
 再び叫んだが、声は闇に吸い込まれるだけだ。
 彼女は懐中電灯を上へ向けた。やはり木の枝が何重にも重なり上の様子は見えなかった。
〈枝に引っ掛かったの?〉
 彼女の希望的観測は、しかし案外的を得たものだった。
「桃樹ぃー! どこ行ったのー!」
 その叫びの答えは、さくらの直ぐ後ろから返って来た。
「ひどいよ、ねーちゃん」
「わあ!」さくらは驚いて振り返る。
 桃樹は、そこに普通に立っていた。とても今屋上から落ちたとは思えない。
「どういう事よ、桃樹」
「こういう事だよ、ねーちゃん。あの大学生は死んでなんかいない。記録にも残らないハズだ」
「えっ?」
「あそこの下には、枝で覆われて見えないけど、三階の大きなベランダがあるんだ。よっぽど遠くにジャンプしない限り下までは落ちない。そのベランダのドアは鍵も無くて、そのまま階段を降りてここに来たんだ」
「そ、そうなの……」さくらは力が抜けた。
 しかし桃樹の顔は怒っていた。それは突き落とした姉にではなく、三年前、紗夜を騙した大学生に対してであった。
「なんでこんな芝居をしたんだ。それに友達もグルになって……」
「その辺は、明日ゆっくり調べましょ」
 さくらは桃樹の肩を叩いた。
 桃樹はこの星空をもう一度心に刻むと、宿へと戻る道へ向った。












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