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転校少年
作:菜田出ココ太



第二話 星空を飛ぶ時 十


 十

 さくらの手が、携帯電話の音に反応しピクリと動いた。
 彼女は、まだ完全に目覚めたわけではないが、意識と無意識の狭間で伸ばした手が、その音のする物を掴んで開いた。
 ディスプレイには、「お父さん」と、出ている。その上に出ている時刻は……午前五時だ。
 さくらは怒りで目が覚め、ボタンを押していきなり怒鳴った。
「何よ! オヤジ! こんな朝っぱらから!」
 電話の向こうの梅田俊松は、てっきり娘の寝ぼけた声を聞くものだと予想していたので、少したじろいだ。
「すまん、さくら。桃樹を呼び出したんだが全然出ないんだ。あいつ家にいるのか?」
「ええ、いるわよ。桃樹ったら、またケータイ鞄の中に入れっ放しなのよ。メル友もいない、寂しい青春送ってるから……」
「とにかく、いるなら叩き起こして、学校に急行させてくれ!」
「どうしたのよ」
「また生徒が飛び降りた。今連絡が入って、俺も今から現場に向う」
 さくらはベッドから飛び起きた。
 携帯電話を切り、自分の部屋を出て、桃樹の部屋のドアを開ける。
「桃樹! ちょっと起きて!」
 叫んだが、桃樹は無反応だった。
「ちょっと桃樹」さくらは部屋に入りベッドに飛び乗って、桃樹の上に乗り掛かる。
「うーん」しかし彼は寝返りを打つだけで、起きようとはしない。
 さくらは桃樹の顔を覗きこんだ。
「あら、桃樹ったら、ぷくぷくしてかわいい寝顔……」
 さくらの思考は、非常事態でも相変わらずだ。
「おーい、桃樹。起きないんなら、キスしちゃうぞー」
 さくらは顔を近づけて、小声で囁く。
「そうなの、起きないの。じゃあ、お姉ちゃんの目覚めのキッスをあげちゃうわ」
 さくらは桃樹の唇に、自分の唇を押し付けた。
 ――その時だった。
 さくらの頭上に、満天の星空が広がった。
 朝方の空は真夜中のそれに変わり、部屋にいたはずの彼女は、いつの間にか、まるで高い場所にいるかのように周りを星空に囲まれ、その星空は、今まで見たこともない数の星を従え、彼女に光を降り注いだ。
「わわわわわぁー」
 さくらは驚いて、慌てて唇を離し、ベッドから飛び降りた。
 星空が消えた。
 しかし現実に戻った彼女は、床に転がっている雑誌に足を取られて尻餅を付くと、その勢いでタンスに後頭部を強打した。するとタンスの上に積み重ねてあった雑誌が、彼女の頭めがけて次々と落ちて来る。
 ダダダダダダー――
「ぎゃあああぁー」
 桃樹は、あまりに大きな音と声に目が覚めた。
 ゆっくりと目を開けると、そこには、タンスにもたれ、雑誌に埋もれて、白目を剥いた姉がいた。
 桃樹は、まだ寝ぼけているのか、妙に冷静に時計を見て言う。
「ねーちゃん。こんな朝っぱらから、どうしたんだよ。だいじょうぶ?」
「な、なによ今の、ほ、星がいっぱい……」
「えっ、ねーちゃんも星が見えたの?」
 桃樹は身体を起こした。
「そ、そうよ、一体何よあれ!」
「あれが烏丸紗夜からすまさやの催眠だよ。行動を制御する命令は固く封印してるんだけど、幻覚を見せる力はぷかぷか浮いてるんだ、ここに」
 桃樹は自分の胸を指差した。それは桃樹が屋上から飛び降りそうになった時に見つけ、分離した心の中の紗夜の思念の事であった。今それは、ビーチボール大の塊となって、桃樹の心の中に浮かんでいた。
「なんでそんなもの、ぷかぷか浮いてんのよ!」さくらは叫んだが桃樹は聞いていない。
「でも、なんで漏れたんだろ。ねーちゃんおれに何かした?」
「へっ」さくらは痛い所を突かれ一瞬言葉に詰まった。「な、何もしてないわよ。あんたを起こそうとしてちょっと……か、体を揺すっただけよ」
「ふーん。そうか、そんな事で漏れちゃうのか……ま、いいか」
 桃樹はまた寝転がった。きっとまだ寝るつもりだろう。さくらはそれを見て、「ふう」と、安堵の溜め息を付いた一瞬の後、なぜ自分が、こんな目に遭っているのかを思い出した。
「あっ、そうじゃない! ちょっと桃樹、起きなさいよ。学校へ行くわよ! また誰かが飛び降りたの!」
「えっ!」桃樹は飛び起きた。「ねーちゃん、なんでそれを早く言わないんだよ!」
「そうでした……」
 さくらは雑誌の山から脱出すると、四つん這いのまま、モソモソと桃樹の部屋を出ようとする。どうやら腰も打ったらしく、まともに歩けないようだ。
「……ねーちゃん。何やってるの?」
「うるさいわね! 車で送ってあげるから、早く支度しなさい!」
 さくらは四つん這いのまま、首を後ろに向けて怒鳴った。
 桃樹はそれを見ると、頭に、『犬の遠吠え』と、いう言葉が浮かんだが、声に出せる筈もなく、必死で笑いを堪え身支度に掛かった。

 さくらと桃樹が学校に到着した頃には、ちょうど県警の鑑識と捜査一課の現場検証が一段落付き、組織が違う警視庁・科警研の梅田俊松にも、ようやく仏を拝む機会がやって来たところだった。
「お父さん、遅くなったわ」
 さくらは俊松に声を掛けると、ロープをくぐった。桃樹も後に続く。
「おう、ちょうど良かった。こっちに来い」
 俊松が手招きした先には、遺体がまだそのままの状態で倒れていた。
 走り寄った桃樹は、顔の損傷が比較的少なかった遺体を見て、すぐに誰かがわかった。
「そうか!」
 桃樹は、やっと昨日の謎を解く事が出来た。
 その死体は不良グループのナンバー2である新庄孝也しんじょうたかやだった。彼は、桃樹が松尾先生に入部届けを出しに行った時、押し退けられ、体に触れたにも拘らず、思考や記憶を全く読む事が出来なかった男だ。
 その時、彼はもう烏丸紗夜の催眠に掛かって、自分の意思を失っていたのだ。
〈あんなにも、真っ白にされてしまうのか……〉
 桃樹は彼の意思を読んだ時の事を思い出し、改めて紗夜の能力の恐ろしさを知った。
「桃樹、身元はわかるか?」
「ああ、新庄孝也。この学校の三年生、不良グループのナンバー2だ」
 俊松は仏の顔を見てすぐにわかったが、一応桃樹に確認した。
「また、天体観測部員か……」
「仮部員だよ、オヤジ。天体観測は関係ない。不良グループをまとめて管理する為に、仮部員にしていただけだ」
「そうか……で、この仏とは昨日接触したか?」
「した……けど、何も読めなかった」
「何も?」
「ああ」
「どういう事だ」
「さあ」
 桃樹はいつになく言葉少なに答える。それは、昨日のさくらの言葉が、耳に残っていたからだった。
 俊松は、桃樹の態度に何かを感じた。
 立ち上がり、遺体を運ぶように指示すると、桃樹に向き直る。
 俊松は、最初から用意しておいた質問を桃樹にぶつけた。それは、姉の推測を的中させ、桃樹を動揺させるものだった。
「桃樹、烏丸紗夜の事をどう思う」
「!」
 桃樹は、シートを掛けられ運ばれる新庄の遺体を目で追い、そしてそのまま、しばらく沈黙を保っていた。
『彼女の事どう思ってるのか知らないけど、少しでもかばいたいのなら、オヤジには彼女の事を言っちゃダメよ』
 昨日のさくらの言葉が蘇る。
『わたし達みたいなモルモットにされたくなけりゃね』
 桃樹はまだそのショッキングな言葉が心に突き刺さったままであった。少なくとも桃樹は今まで自分が「モルモット」であると感じた事は無かったし、紗夜がそうなるという実感も湧かない。ただ、さくらが自分の事をそう感じていたことが衝撃だった。
 桃樹は姉のさくらを見、ゆっくりと父親の俊松に視線を移す。
〈あんたは、おれに何を言わせたい。そして烏丸紗夜を、一体どうしたいんだ……〉
 そして次に彼が言った言葉は、嘘なのか、単なる希望だったのか、それとも予感だったのか。
「彼女は……星を見るのが好きな、普通の女の子だよ……」
 そう言うと桃樹は、背中を向けて歩き出した。
 俊松は何も言わない。桃樹がそれを自分の意思で言った事ぐらい、父親である彼にはわかっていた。
「桃樹、どこ行くのよ」さくらが声を掛けた。
「教室だよ。向こうの校舎は入れるんだろ。みんなが来るまで寝てるよ」
 桃樹は行ってしまった。
 さくらはまだ痛むのか、腰をさすりながら、「じゃあわたしも」と、言って車に戻ろうとした。
「さくら!」
 さくらは父の険しい口調に、ビクっとして縮み込む。
 普段素直な桃樹があんな態度を取るのは、誰かの入れ知恵があったからに他ならない。その、「誰か」は、自分以外には有り得ないからだ。
「なに? お父さん、どうしたの……」
 ひきつった愛想笑いと共に、さくらは振り向いた。
「お前は、桃樹の事を少しフォローしてやってくれ。あいつ出来もしないクセに、昔っから何でも一人でやろうとしやがる」
「……わかったわ」
 てっきり怒られると思ったさくらは、安堵の溜め息と共に、桃樹の後ろ姿を目で追った。
 視線の先に、彼の寂しそうな背中が左右に揺れて、やがて小さくなっていった。












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