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無事サークルの部誌に入稿することができました。ありがとうございます!
※7月13日にちょこっと修正を施しました。
初夏のにょろんぱ
作:森下里虎


「暑い……」
 友則とものりは悄然と呟いた。染み出す汗が瞬時に蒸発するような、それでいてネトネトと肌に絡みつくような、想像するだに不快な空間。
 教室には誰も居らず、そこに並ぶ椅子や机と同じくして、彼はまんじりともせず西日に晒されていた。
 カーテンは、ある、しかしそれを縛める紐がきつく、大分前に使用を諦めていた。
 またひとしずく、煮えた汗がしたたり落ちる。
 極限を超えた熱が、全ての輪郭をおぼろげにする。
「……は」
 焦点の合わない瞳が、ふいに何かを捉えた。
 黄ばんで薄汚れたスピーカー。よく見れば、その中央には握りこぶし大の虚空がある。
 どこまでも続いていそうで、きっとどこにも通じていない場所。
 網の目からも窺えるその黒いへこみが、急速にぶわっと盛り上がった。
 違う。何かが網を押し上げているのだ。
 緑色をしたそれは、勢いに反して網を突き破ることなく捻り出された。
 ぼとぼとと教壇に積もり、やがて一つの形を成す。
 声もなく見守る彼の前に、それは立ちふさがった。
「――っ」
 身の丈二mの巨大ゼリー。
 小刻みに震えるそれには目があり、口があった。しかし鼻はなく、その代わりに愛嬌のある困り眉がバランスよく並んでいる。
「……何?」
 それが素直な感想だった。ゼリーが熱を吸着したのか、脳を溶かす暑さは引いていた――が、あまりの出来事に考える意欲が湧かない。
「にょろんぱだよ」
 思いがけず返事があったので、友則は思わず一歩身を引いた。
「にょろんぱだよ」
 ゼリーは繰り返すと、言いようもない動作で床をすべり、ぴっとりと密着してきた。
「うわっ! ……あっ? 冷たい――」
 やや冷えすぎの感もあるが、心地よい感触に思わずほおずりをする。
「涼しいだけじゃないよ」
 にょろんぱはそう言うと、ずりずりと教室を這い出していく。
 その後姿を見送りながら、友則はひとつあることを確信した。
(これは夢だ)
 そうと気付いてしまえば、あの非常識な生物の存在も受け入れることができる。
「待ってくれよ」
 むしろ愉快な気持ちで、彼は巨大ゼリーの後を追った。

 にょろんぱは廊下の汚れを巻き込みながら、ゆっくりと前進していった。彼の通った床は張り替えたように真っ白になっている。
「どう?」
 と自慢げにその胸を張るので、
「凄いや」
 と友則は応えてやった。
 にょろんぱはますますやる気になって、校舎中を這い回った。
 汚れを取り込んだ身体はだんだんと変色し、薄汚れていく。
「どう? 綺麗?」
 再度にょろんぱが訊ねたとき、友則はさりげなく距離をとった。正直なところ、埃まみれのゼリーは汚らしい。
 応えずともよいらしく、にょろんぱは再び上機嫌に進み始めた。
 友則がこれについて回るのには理由がある。
 それは涼しさだった。
 どういう構造になっているのか、ひび割れる程の熱空間の中で、にょろんぱの周囲だけが適温である。
 その温度差を考えると、にょろんぱは異常なほどの冷気を溜め込んでいるらしい。
「涼しいな」
 何とはなしに呟いた一言に、にょろんぱはぐにんと首をかしげた。
「涼しいのより暑いほうがいいよ?」
「馬鹿、何言ってるんだ。涼しいほうがいいに決まってるだろ」
「寒いのはきらいだよ」
 最後は空気に溶けるような声音だった。
 しかし意見を曲げるつもりはないらしい。
「……ふん、なんだよ」
 それきり口を利くこともなく、気まずい雰囲気の中、気付けば水飲み場にたどり着いていた。
 恐る恐る蛇口に手を伸ばす。
 結果、焼け付くこともなく握り締めることができた。
 友則はふっと息を漏らすと、意を決して声を張り上げる。
「おうい、にょろんぱ。こっちへ来いよ。体洗ってやるよ」
 既に見るに耐えない姿となったそれはぐにんと振り向いた。
 しかし意に反して動こうとしない。
 戸惑ったようにその場でぽよぽよと留まっている。
「おい、どうしたんだよ……」 
 ダイレクトな拒絶に、友則の不安感が募る。
 と同時にこちらの気遣いをふいにする態度に、言いようもない苛立ちを覚えた。
「体、綺麗にしてやるって言ってるんだよ」
 言い聞かせるように声を区切ると、様子が違うことに気付いたのか、それは困惑した様子でぐにぐにと伸び縮みした。
「だめだよ、溶けちゃうよ」
「はぁ? ゼリーに水かけても溶けないだろ」
「だめだよ、だめだよ」
 少し語調を強くしたが、生意気にも屈する様子はない。
 その左右に揺れ動く動作すらいちいち癇に障る。
 イライラが募り、募り、募って――爆発した。
「てめぇ!」
 叫びざまに蛇口を半分塞ぎ、容赦なくコックを回す。
 鋭く細めた水流が、一直線にかの表層を直撃した。
「ぴゃっ!」
 水をぶっかけられたゼリーは、真っ青になってその場から逃げ出した。
 途端に周囲の温度が急上昇する。
 数秒と経たず灼熱の世界と化した校舎で、友則はうなじが焦げ付く思いがした。
 暑さのためではない。
 後悔のためであった。
 にょろんぱの逃げ去った跡には粘つく粘液が残されていたのである。
 今までに巻き込んだゴミや埃を絡ませたそれは、だんだんとこそげた粘液の割合を大きくしながら、非常階段へと続いていった。
「にょろんぱ!」
 踏み出した足が床に張り付く。
 見れば上履きのゴムが溶け出していた。
「ちっ!」
 反対の足に力を込めて、なんとかそれを引き剥がす。
 すると今度は踏ん張った方がめり込んでいる。
 彼はあえて上履きを捨て、焼け付く足で強引に追った。
 気の遠くなるほどの痛みにくいしばる歯列がかみ合わない。
 蒸発する汗すら乾ききった頃に、ふと身体が楽になった。
 だんだんと気温が和らいでいき、駆ける足も速くなる。
 あれほど長く感じた距離も実際にはこんなものだったのだろうか、非常階段を半ばまで降りたところで、友則は彼に追いついた。
「にょろんぱ?」
 最初はそれが目に入らなかった。
 しかし粘液の跡を追う目が、緑色の物体を捕らえたのだ。
 身の丈二メートルのゼリーは、今では両手に納まるほどの大きさにまで削げ落ちていた。
「おい!」
 なおもよろよろと進もうとするにょろんぱを、友則はためらいなく手に掬った。
 その衝撃で、指の隙間からまたひとかけらのジェリーが零れる。
「あ、友則くん……ごめん。逃げて」
 見るからに衰弱しきった体で、にょろんぱは心底申し訳なさそうに頭を下げた。
「あやまんなよ……ゴミを取ろうと思って……まさかこんなことになるとは……」
 声が震える。
 心臓がばくばくと脈打った。
 その手が汗に濡れたのか、にょろんぱはさらに崩れつつも、そのつぶらな瞳でじっと友則を見詰めていた。
「ごみは、取れないんだよ」
「じゃあ……じゃあなんで! なんで床掃除なんかしたんだよ!」
 悲痛な声を上げる彼に、にょろんぱはぐっと言葉に詰まった。
「答えろ!」
 黙すことを許さず、友則はなおも食い下がる。
 心音で狂いそうな耳元が、ちいさなちいさな囁きを拾い上げた。

「きらわれたく、なかった」

「ばかな……ことを!」
 そうしている間にも、にょろんぱはだんだんと小さくなっていく。
 もう片手ほどの大きさもない。
「友則くん……僕のこと、どう思ってる?」
「そんなこと言ってる場合じゃ――」
「それがずっと気になってたんだよ」
 にょろんぱがあまりにも真剣に話すので、友則には答えることしかできなかった。
「そりゃ……悪いことしたって……」
「……」
 こちらを見上げるにょろんぱの目が、痛いくらいに悲しげだった。
「そうじゃなくてさ……もっと、別の……」
「言えるかよ!」
 怒鳴って友則ははっとなった。
 視界の隅で水滴が舞う。
 やけに熱いと思ったら――
 痺れる目頭をぐっと寄せ、雫がにょろんぱに垂れないように、慎重にその手を伸ばした。
「友則くん、お願いだよ……」
「駄目だ。こんな、取り返しの付かないことしておいて……無理だよ」
 直視できずに俯いた。それは止まる気配を見せず、後から後から溢れてくる。
 ふいに、その涙が掬われた。
 にょろんぱの、手だった。
「馬鹿!」
 慌てて振り払おうとするが、にょろんぱはまるで神聖な儀式をほどこすように、丁寧にその涙を拭いていく。
 見る間に涙に侵蝕され、ぐずぐずに崩れるにょろんぱを、友則はただ見詰めることしかできなかった。
「こうしてさ、友則くんの涙を拭くのが、夢だった……」
「にょろんぱ――」
「ありがと……ね」
 云い果てぬうちに、世界が揺らいだ。
 突き崩すような律動に、非常階段だけが闇に浮かび上がる。
 あとはもう何もない。
 最後の砦であるその階段すら、凄まじいスピードで蝕まれつつあった。
「おい……!」
 声をかけてはっとする。にょろんぱは友則の手の中で急速に枯渇していた。
 バリバリと音を立てながら収縮し、最後にはその質感を失う。
「……」
 何事か囁いたにょろんぱの声を、季節外れのブリザードが攫う。
 異常なほどの寒さが覆い、全ての水分を奪い去る。
 そ う し て つ い に 
 世 界 が 閉 じ た。

「にょろんぱ!」
 飛び起きて当たりを見渡す。
 夏の日差しが差し込む、そこは友則の寝室だった。
「……」
 彼は無言でベッドから抜け出すと、リビングまで一直線に進んでいった。
 扉を開けると、妹がソファーでアイスキャンディを口にしている。
「わ、兄ちゃんどうしたの」
 ただならぬ気配を感じて、彼女はすっとそちらに寄った。
 それには答えず、彼は速やかに冷蔵庫に向かう。
「兄ちゃん、アイスなら私が最後の食べちゃったよ?」
「……」
「わ、何それ?」
 彼が開けたのは冷凍庫ではなく、冷蔵庫だった。
 そうして取り出したプラスチックのカップ。
 乱雑なラップを施されたそれの内側には、こびりつくようにしてある物体が付着していた。
「えー、もしかして何年か前に文化祭で作った奴? もうカサカサじゃん」
「……にょろんぱだ」
「え?」
 友則の言葉に応えるようにして、それはぱっと粉に散る。
 答えは簡単なものだった。

『友則くん……僕のこと、どう思ってる?』

□□□

「ただいま。あらあら、どうしたの友則は?」
「あ、お母さん! なんかお墓つくるらしいよ? うちの庭に」
「え? 動物かなんか死んだの?」
「ううん。スライムだって! 愛着もって名前までつけてたし、なんかショックだったらしいよ?」
「……?」
「えー、覚えてないのお母さん!? やばいよそれボケのはじまりだよ」
「お、覚えてるわよ! 何年か前の――文化祭のあれでしょ?」
「そうそう、兄ちゃん気持ちいからって、一日中スライムこねて遊んでたじゃない」
「それであっというまに汚れちゃって、冷蔵庫に入れっぱなしにしなったじゃないの」
「うん。でもお墓だって」
「まぁ……」
 呆れ果てた母親は、庭の息子と屋内の娘を交互に見比べた。
「まぁ汚れようがなんだろうがさ、夏は涼しいんだよ? スライム」
 妹は眩しそうに手を翳すと、光りの中に立ち尽くす兄を見やったのだった。
「ねぇお母さん、せんたくのりある?」

□□□

 その何時間か後。
 友則はしゃがみ込み、ほお杖をついて自作の墓を眺めていた。
 空は赤く染まり、むき出しの腕は蚊に食われて正直辛い。
 しかし、彼はこの時間を待っていたのだ。
 夕闇のきらめきが夏の風景に重なり合い、交じり合うこの時間。
 ふいにその髪が揺らめき、墓と彼との間を僅かな流れが通り抜けていく。

「ほらにょろんぱ、涼しい風が吹いてきただろ。寒いのは嫌だろうけど、涼しいってのはいいもんなんだぞ」

 友則はしばらく空を見上げていたが、そのうち緩やか微笑んだ。

「好きだぞ、にょろんぱ」

 そうして限りなく優しげな瞳をして、また照れたように上空を仰ぐ。
 夏はまだ始まったばかりである。


[おわり]


読んでくださって本当にありがとうございました!
評価・感想等よろしくおねがいします!

突然ですが友則の名前は洒落です。
スライムは洗濯のりから作り出されるので、糊のお友達……のりとも……とものり……友則!
ひぃ! すみません! 石投げないでください!













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