第三十五戦:狩る者・狩られる者
足が動かない。
足だけじゃない、腕も、指も、目も、心臓でさえも動いている気がしない。
体全体が石像になったかのように重たくて、言うことを聞いてくれない。
それは多分、僕の生物としての本能がそうさしているんだろう。
目の前にいる生物は自分と比べるまでも無く巨大すぎて、既に捕食関係が成り立っている。
僕の本能は、ただ目の前の化物に対して抵抗することを諦め、轟く咆哮を聞いて潔く食されようとしている。
でも僕はそれに抗う。
「グォォォオオオオオオオ!!!!」
化物が鋭すぎる爪を備えた前足を高く振り上げる。
どんな種類のモンスターか分からない以前に、本当に生物なのか、なんと呼べばいいのかも分からない
化物は、両方の口から涎をたらし凶暴な四つの眼をこちらに向けていた。
どうやら完全に僕達を獲物と認識したらしい。
{動け! 動け動け動け動け! 動けよ!!}
化物の前足がひどくゆっくりに見えた。
その間にも僕は、脳からの信号を拒み硬直し続ける自分の足に必死に力を入れる。
やっと信号を受諾した足を練り上げた煉と共に身体強化を最大まで増幅させ、隣で硬直する零ちゃんの
腕を掴んで横に跳ぶ。いや、吹っ飛ぶと言ったほうがいいだろう。
入れ替わるように僕達のいた場所を襲った爪が、寄りかかっていた木ごと辺りの地形を吹き飛ばしたのだから。
「―――――ッ! 走れ!!」
木に大きすぎる爪痕を残し、土を巻き上げて粉塵を撒き散らす。
衝撃は紙一重で爪を避けた僕達にも襲い掛かり、着地もままならず転がるように起き上がり、駆け出す。
一瞬でも力を抜けば膝の力が抜けて二度と走れなくなりそうだ。
着地はおろか、起き上がることも出来ずにいる零ちゃんを半ば引き摺るように走る。
死が後ろから襲い掛かってくるような圧倒的な圧迫感。心臓が悲鳴を上げる。
しかし、このまま一方的に襲われるワケにはいかない。逃走を確実にするために時間稼ぎが必要だ。
『粉塵回収』
目をつけたのは、化物が爪で巻き上げた粉塵。
死ぬ気で走りながら、あらかじめ生成していた煙の塊で巻きあがる粉塵を全て回収する。
バスケットボールぐらいだった煙の塊が、粉塵を吸収して巨大に膨れ上がる。その巨大な塊が合計3つ。
手元まで移動させ、手を突っ込んで更に煉を注入する。準備完了。
走りながら顔だけ後ろを向いて化物を確認する。奴は何故かその場を動いておらず、二つの首だけこちらに向けていた。
否、ゆっくりと巨体が揺れるように動き出す。前足から順に筋肉がしなるように力がこもってゆく
纏う雰囲気はまるで草食動物に狙いを定め、襲い掛かる寸前の肉食動物そのもの。
――――――――そして地面が爆発し、化物が高速で迫る。瞬発力と言ったレベルではない。
{ッ速い!!}
『巨人の手袋』
僕の周りに滞空する巨大な三つの粉塵の塊が結合し、更に大きな塊になる。
直径にして3メートルの球体。そして、その球体が、僕の創造を元に巨大な”拳”へと姿を変える。
「行けッ!!」
拳を内部の煉を運動エネルギーに変換し、射出する。
真っ直ぐに化物に向かって直進する巨大な拳は唸りを上げて化物を迎撃する。
そしてお互いの距離は一瞬で詰まり、巨大な物体同士が激突する。化物は回避行動を取らなかった。
鈍い轟音と共に粉塵が辺りに飛び散る。
「す、すごい…」
零ちゃんが背後で起こる鈍い轟音に無意識に足を緩めようとする。
しかし、それを許さず、更に引き摺るように出来るだけ距離を取る。
「グォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」
背後からの咆哮が耳をつんざく。
走りながら後ろを伺うと、化物がその場で前足を力いっぱい踏ん張り、二つの首をしきりに左右上下に振り回して錯乱していた。
眼に見える傷は見当たらない。それどころか、あの巨大な拳と正面からぶつかったにも関わらず、ダメージを受けた様子もない。
零ちゃんは目を見開いて驚いている。僕も少なからずそうである。
大の大人一人をゆうに握りつぶせるほどの巨大な拳だ、対人戦ならば当れば正に一撃必殺と言ってもいい。
ただし、今回の狙いは”攻撃”ではない。
化物の二つの頭の周りにだけ濃い霧のような靄が掛かっていた。
「…煙幕、ですか?」
「あぁ、奴の周りだけの誘導性煙幕だよ」
零ちゃんが尋ねるが、そちらを見る余裕もなく走りながら説明する。
「本来は攻撃用の技なんだけどね、衝突の衝撃で粉塵を拡散させて相手の周りに滞空させてる。指定した場所から離れないように設定してあるから、暴れても暫くの間は相手の視界を奪い続けるよ。…けど、急ごう」
化物は視界を奪われ暴れ始めた。これである程度の時間稼ぎは出来た。
距離もある程度は稼げた。走るのを止め、近くの段差に二人で飛び込み息を整える。
『巨人の手袋』の足止めがあるとは言え、いつまで持つかは分からない。
一瞬、下山することも考えたが、早々にその考えを放棄する。この山の下は住宅街が広がっている。
万が一化物を撒くことができずに下山してしまったら…その後の想像はとても簡単だ。
息が整わないまま、耳にある通信機に向かって現状で頼れる唯一の人に連絡を取る。
『ジャック、聞こえますか? こちらエアロゾル。応答願います』
『こちらジャック。咆哮が聞こえた、今そちらに向かっている。…何があった?』
通信機の向こうから緊迫した声と地面を蹴る音が聞こえる。
先輩の予想以上早い判断には驚いたが、例え咆哮が聞こえた時点でコチラに向かったとしても到着にはもう少し掛かる。
それまで煙幕が持てばいいのだが…。
『未確認生物による襲撃を受けました。現在逃走中です』
『未確認生物? …特徴は?』
『全長10m、ライオンの頭が二つに背中に蛇、尻尾は恐竜の化物です』
『…何だその笑えない冗談』
『雰囲気はギリシア神話のキマイラを思わせますね』
『…え、マジで?』
『命掛けて冗談言うほど笑いに飢えてませんよ。てゆーか早く来いコラ』
『りょ、了解』
そのまま一旦通信を切る。
最後の方は若干上下関係が逆転していたが、それだけ切羽詰っている状況なのだ。
バクバクと胸を打つ鼓動を抑えながら、横にいる零ちゃんに向き直る。
「走れるかい?」
「……はい」
気丈に答える零ちゃんだが、ここからでも見えるように足腰が震えている。
これでは走れたとしても速度が出ない。ヘタしたら煙幕が解けたキマイラに追いつかれてやられるだろう。
いっそのこと僕がまたおんぶして全開に身体強化して走ろうか、と半分本気で考えている時に後方でまた咆哮が聞こえた。
「な…煙幕がもう解け始めてるのか!?」
後方を見れば、キマイラに濃くまとわり付いていたはずの粉塵が薄らいでいる。
予想以上に早い。早すぎる。
零ちゃんがまともに走れない今、これで逃走の選択肢が取れなくなった。だとしたらこれしか方法は無い。
「…僕が時間を稼ぐ、零ちゃんはここにいて」
「え!? わ、私も戦えます!」
驚愕する零ちゃんを無視してキセルを大きく吸い込み煙を生成する。
「キミが戦ったら死んじゃうからここにいなさい」
「で、でも一人でなんて…」
「一人だと流石に無理だね」
後方でまた咆哮が聞こえる。
双頭のキマイラにかかる粉塵はほぼその意味を成していない。
このままでも見つかるのは時間の問題だろう。
「だから零ちゃんはココで援護してくれないかな?」
「え?」
「キミには『魂炎』があるだろう?」
「………」
「頼んだよ」
まだ戸惑っている零ちゃんを残して段差から飛び出す。
飛び出す前に何かを言っていたようだが、聞こえなかった。
キセルから出来るだけ大量の煙を生成し、右手は太腿のホルスターに指してある拳銃に手を伸ばす。
スライドを引いて初段を装てんし、段差からなるべく離れるよう走り出す。
(勝利条件は…浜田先輩の到着まで生存すること。その後は、キマイラを振り切って全員で帰還すること。『魂炎』の援護があれば5分ぐらいなら持つ…かな?)
ある程度段差から離れた位置に付くと、拳銃を構え引き金を引く。
耳に響く炸裂音を出しながらキマイラに向かって、弾切れになるまで連射した。
「グォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
弾が当ったから気づいたのか、音で分かったのかは分からないが、キマイラがこちらを向く。
当然のように、銃撃によるダメージは微塵も感じられない。
キマイラと眼が合うのは、今日で二度目だ。
「接近戦は苦手なんだけどな~…まぁ、僕も死にたくないし」
ベルトから予備弾倉を取り出し、素早く交換して装填する。
倒す必要は無い。出来るだけ時間を稼げばいいのだから。
「窮鼠猫を噛む。…まさか鼠になるとは思わなかった」
化物を前に軽口を言える自分が可笑しかったが、
笑う暇も無く、両者は激突する。
おまけ: 眼の色を変える。
翔:「薫ちゃんの能力ってさ、使う時瞳が銀色になるじゃん」
薫:「そうやね」
翔:「何で銀色になるんだ?」
薫:「それは………無いと地味やから?」
猿飛:「テキトーでござるな」
薫:「アンタには言われたない」
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