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闇の十字星

闇の召喚者

作者:小倉蛇
 休暇明けの早朝、矢島は殺人事件の捜査へ駆り出された。
 現場は宮下公園。男性が二人、頭部を鉄パイプのようなもので殴られ死亡していた。
 所持品から被害者の身元が判明した。
 一人は、石崎政也、三十八歳。逢空市を縄張りとする暴力団《銀門会》の構成員だった。もう一人は、小野田六郎、四十歳。この男は麻薬密売人として四課からマークされていた。
 状況から判断して、売人が元締めである銀門会の組員から薬を受け取ろうとしたところを襲われたものと見られた。襲撃の際、容器が破損したらしくピンク色の錠剤がいくつか周囲に散らばっていた。最近市内に出回っている危険ドラックで通称《ジャム》と呼ばれるタイプだった。現場で発見されたのはほんの数粒で、残りの大半は犯人が持ち去ったものと推測された。
 犯人はいまだ逃走中である。
「おおい矢島」と、課長が彼を呼んだ。「朝早くからすまんが、犯人の足取りが割れた。お前はそっちを調べてくれ。詳細はユウラに聞け」
「え、彼女とですか?」
「お前の相棒だろうが」
「あ、はい」
 安藤由宇良という女刑事が矢島の新しいパートナーだった。彼女は実家が紀伊半島の山奥の神社で、子供のころから巫女になるべく修行をさせられていたのだが、それがいやで家を出て警官になったという話だった。矢島は彼女がハンドルを握るスバル・アウトバックの助手席に乗り込んだ。由宇良は待ちかねたように車を出した。
「で、犯人の足取りっていうのは?」
「犯人は、公園の外で携帯電話で話していた会社員から車を奪って逃走しました。この会社員は頭を殴られて、軽傷でしたけど一応病院で検査を受けています。で、その車、マツダ・デミオなんですけど、それが冨吉町の市役所の裏近くに乗り捨てられてるのが見つかったんです」
「じゃあ、その会社員は犯人の顔を見てるのか?」
「ええ、金髪のポニーテールで、二十代後半。グリーンのアーミージャケットを着ていたそうです」
「金髪?」
「顔は日本人か、そうじゃなくてもアジア系だったということですから、染めたんでしょう」
「なるほどね、で、これから?」
「市役所で周辺の防犯カメラの映像を見せてもらいます」


 市役所に着く前に犯人が車を乗り捨てた場所に立ち寄った。その青いデミオでは、すでに鑑識課員が指紋や毛髪の採集を行っていた。目立った遺留品などは見つかっていなかった。
 そこから市役所までは二百メートルほどの距離だった。まだ朝も早い時間で道は空いていた。市役所の業務も始まる前だったが警備員がドアを開けてくれた。
 二人の刑事は警備員の詰所で防犯カメラの記録を調べた。犯人逃走時に会社員が車を奪われたのが深夜零時半ごろ。その十分ほど後からの映像を再生した。市庁舎から裏通り側へ向いたカメラは一台きりで、犯人が車を止めた地点の映像はなかった。それでも犯人が他の車に乗り換えたならば、このカメラに映像が残っている可能性は高かった。
 二人は、街灯の下に浮かんでは去っていく長距離トラックやタクシーを眺めていた。
「ん! 今の」
 と矢島が声を上げた。
 由宇良がパソコンを操作して映像を止めた。
「何ですか?」
「少し戻してくれ」
 映像が逆回転する。
「ストップ」静止した画面を矢島が指差した。「これだ、ドアに文字が書いてある」
 それは白の日産マーチで、営業車らしくドアにオレンジの文字で会社のロゴが入っていた。
「遠くて読めませんね」
「同じ車が二三分前に手前を走ってただろ」
「そうでしたっけ」
 映像をさらに巻き戻すと、逆方向に走る白のマーチが見つかった。今度はドアの文字がはっきり読み取れた。
「テンザン製薬……」由宇良がその文字を読み上げた。「元町に本社がある企業です」
「丁度、デミオを乗り捨てたところで犯人を拾って戻ってきたタイミングで往復してる」
 映像を再度確認した。
「この映像では車の中まではわかりませんね」
「こんな時間に営業車がうろついてるのは妙だ。説明してもらいに行くか」
 それから先の映像もチェックしたが、他に怪しげな動きをしている車は見つからなかった。
 二人はテンザン製薬へ事情を聴きに行くことにした。由宇良は署に連絡を入れてから、車を出した。
「テンザン製薬で思い出したんですけど」
 運転しながら彼女は言った。
「何だ?」
「そこの今の経営者は天山三兄弟の次男ですよね」
「天山三兄弟って何だ?」
「元市会議員だった天山光一の息子の三兄弟ですよ。祖父の天山宗義がテンザン製薬の創業者ですけど」
「ふむ、それで」
「で、その三兄弟の長男門樹が宗教団体の教祖で、次男智法がテンザン製薬の社長。そして三男の傑が、いま二十五、六ぐらいですけど定職にもつかずチンピラのようなことをやってるんです」
「二十五、六のチンピラね」
「ええ、われわれが追ってる犯人の特徴と一致します。私、前に天山傑を見たことがあるんです。その時は黒髪でしたけど、長髪を後ろで結んでポニーテールみたいにしていました」
「犯人が天山傑で、兄の会社の車が逃走を助けたわけか……」
「そういう可能性はありますね」
 由宇良は車をテンザン製薬の敷地に乗り入れた。駐車場には防犯カメラで見たのと同じロゴをつけた営業車がならんでいた。
 車を降りようとすると由宇良の携帯に着信があって、彼女は電話に出た。
 しばらく会話をして回線を切ると、矢島に言った。
「今の、課長からで、テンザン製薬には立ち入るな、すぐ戻れって言われました」
「理由は?」
「言ってませんでしたけど。また、あれじゃないですか、麻薬Gメンの縄張りだからとか」
「おれたちは殺人事件の捜査だぞ」
「でも上からの指示じゃあ……」
「立ち入るなって言われたんだな」
「ええ」
「おれたちもう敷地に入ってるよな」
「えっ、そうですけど」
「なら今さら言っても遅いってことだ」
 矢島はそう言い捨てて社屋の方へ歩き出した。
「もう、知りませんよ、どうなっても」
 と由宇良もあとをついていった。


 社の入り口で警備員に止められたが、警察の身分証を見せて押し通った。
 警備員によると、まだ通常の出社時間ではないが、一部の社員は昨日から徹夜で残っているとのことだった。
 秘書課の青山という女性が応対にあらわれ、二人の刑事は応接室に通された。
「警察の方が何のご用でしょうか?」
 彼女は言った。ショートカットの髪に尖った顎、大きな目には意志の強そうな光が宿っていた。
「昨夜遅く、宮下公園で殺人事件がありまして、捜査にご協力願いたいのですが」
 そう言って矢島は、逃走中の犯人が車を捨てた地点近くの防犯カメラに、この会社の車が写っていたことを説明した。
「その時間でしたら、新製品に関する重要な書類を静岡の工場へ届けるために社員が車で出たのですが、その直後にデータに誤りがあることが判明して、すぐに呼び戻したのです。カメラに写っていたのはその時のものでしょう」
 秘書の青山は、すらすらと淀みなく返答した。
「ずいぶん遅くまで仕事をしているんですね。いつもそんな時間に?」
「いつもというわけではありませんが、今は新製品の開発が追い込みで」
「ところで、社長の天山氏はいまこちらに?」
「いえ、まだ出社しておりませんが」
「そうですか、じゃあ、いずれまた社長のいる時に話をうかがいに来るかもしれません。その時はよろしく」
「お役に立てませんで」
 青山は席を立つと、両手を腹にあてて深々と頭を下げた。
 矢島と由宇良はテンザン社を出て車に戻った。
「書類を届ける車がちょうどあの場所で引き返したなんて、本当でしょうか?」
 由宇良が言った。
「さあな、偶然ということもある」
「天山傑が、犯人の特徴と一致しているってこともありますし」
「うむ、偶然でないなら……」
「偶然でないなら、何なんですか?」
「秘書があの答えを用意してたってことは、会社ぐるみで工作してるってことだ」
「会社ぐるみで……?」
「例えばだ、あの危険ドラックの“ジャム”てっやつ、あれの製造にテンザン製薬がかかわっていて、それがバレそうになって、あわてて回収してるとかな」
「なるほど、それで社長がチンピラの弟を使って」
「しばらくここに張りつくぞ」
「えっ、でも、課長がすぐ戻れって」
「いいんだよ放っときゃ。緊急の用がありゃまたかけてくるだろ」
「えー、知りませんよ本当に」
「いいから車を出せ。とりあえず社屋のまわりを一周するんだ」
 由宇良がアウトバックを発進させた。
 社の裏手に回ると、そこに地下駐車場からの出口があった。ちょうどシャッターがゆっくりと上がっていくところだった。
「ん、車が出てくるぞ。徐行して先に行かせるんだ」
 スロープを上ってきたのはバルカンヘッドの黒いシーマだった。スピードを落としたアウトバックを追い越していく。
「尾行しろ」
 シーマの車内を覗きこんでいた矢島が言った。
「何か見えたんですか?」
「ああ、後部座席に金髪ポニーテールでグリーンのアーミージャケットの男がいた」
「じゃあ天山傑が……、逮捕しますか?」
「いや、外見が似てるというだけじゃあな。親父が元市議となると腕の立つ弁護士も出てくるだろうし。とりあえず行き先を確かめておこう」
 シーマはしばらく制限速度を守って走行していた。だが、市街地を抜けたあたりで急にスピードを上げた。
「おっ、撒く気だぞ。見失うな!」
 前方の車は、信号が赤に変わった直後の交差点に飛び込んで直進した。
 由宇良もアウトバックのアクセルを踏み込んだが、すぐにブレーキをかけたのでがくんと前のめりになって止まった。
「ばかっ、こっちはパトカーだぞ。赤でも突っ込め!」
「だめですよ、ほらっ」
 と彼女は前方を指差した。横断歩道を黄色い帽子の幼稚園児が列を作って渡っていくところだった。
「くそっ、奴らタイミングを計ってやがったな」
 信号が変わって追跡を再開したが、もはや黒いシーマは影も形もなかった。
「どうしましょう」車を止めて由宇良は言った。「応援を呼びますか?」
「課長からは手を引けって言われてるしな、戻れと言われるのが落ちだろう」
「ええ……」
「この辺にテンザン製薬の関連施設か何かないのか?」
「調べてみます」由宇良はカーナビを操作した。「無いみたいですけど」
「だが、妙だな、奴ら動きが派手すぎる。こっちを撒いたりすればやましいことがあると認めたようなものだ」
「あ、囮だったんじゃないですか。私たちを引き付けておいて、本物の犯人は別のところへ……」
「まあその可能性もあるが、それでも結局、犯罪者を匿っていると疑われることに変わりはない」
「そうですね。まるで会社がどうなってもいいみたい」
「会社がどうなってもいい……か、待てよ、さっき三兄弟の長男は宗教団体の教祖だとか言ってたな?」
「ええ、たしか天界大門教とかいうんです」
「その教団の施設はこの辺にないか?」
 由宇良は右手でスマホを、左手でカーナビをと同時に操作した。
「ありました。近くに空の樹劇場っていうのがあって、教団の所有です」
「劇場か?」
「ええ、この天界大門教は、信者を役者にして教義を広める演劇をやってるんです。と言っても観に来る客も大概信者らしいですけど」
「とにかく行ってみよう」
 由宇良がカーナビの指示どおりに車を走らせると、すぐに空の樹劇場に到着した。それは宗教施設にしては小ぢんまりとした印象の五角形の建物で、ゆるやかな傾斜の屋根には金色の奇怪なオブジェが各所に取り付けられていた。
 この日は公演もないらしくエントランスは閉鎖されていた。裏へ回ると、駐車場の何台かの乗用車に混じって黒いシーマも止められていた。
「あれか?」
「間違いありません。ナンバーを記憶してますから」
 アウトバックを近くに止め、二人の刑事は劇場の裏口に近づいた。
 窓のないスチール製のドアだった。矢島はノブをつかんで廻した。
「鍵がかかってる」
「一度署に連絡した方がいいんじゃないですか?」
「その前にここに奴らがいるって確証が欲しい」
「車があるじゃないですか」
「ここで車を乗り換えただけって可能性もある」
「ああ、なるほど」
 ドアの横にはインターフォンがあった。
「適当なことを言ってドアを開けさせてくれ」
「ええっ、そんな無茶ですよ」
 矢島はかまわずボタンを押した。
「はい」
 と、かん高い男の声が応えた。
 由宇良は腕をつかまれ無理矢理インターフォンに顔を寄せられた。
「あ、あの、お届け物です」
 ロックを外す音が響いてドアが開けられた。顔をのぞかせたのは生白い皮膚をした坊主頭の若者だった。痩せこけた身体に白い作務衣のようなものを着ていた。
 矢島は若者をドアから引きずり出した。
「お前らの教祖がここに来てるのか?」
「えっ、えっ、な、何ですかあなたたちは!?」
「警察のものです」
 由宇良が身分証を示して言った。
「えっ、警察……」
「ま、教祖はどうでもいいが、今から十分ほど前、誰かここに入ったか?」
「いや……、そのようなことを聞かれましても……」
「ちゃんと答えないと逮捕するぞ」
「そ、そんな横暴な……権力の乱用じゃないですか」
「ちっ」矢島は手錠を出すと若者を引っぱっていって窓の鉄格子に手首を固定した。「ここで待ってろ」
「ちょっとお、何するんですかぁ」
 矢島と由宇良は劇場の内部に入った。ドアを閉めると若者のわめき声も聞こえなくなった。
「もう、ほんとどうなっても知りませんからね」
「しっ」
 と人差し指を立てて矢島は相棒を黙らせた。
 前方には薄暗い廊下が伸びていた。二人は足を忍ばせて進んだ。
 最初の角を曲がったところで、いきなり二人組の大男と出くわした。一人は茶色のスーツ、もう一人は灰色のスーツを着ていた。二人とも格闘技で鍛えた体格なのは一目でわかった。
「何だお前たちは!?」
 茶色のスーツが言った。
「あ、いや……」
 弁明も聞かずに茶色の方が矢島につかみかかってきた。
 矢島は空手の構えで間合いを取ろうとしたが、相手は素早く接近し、足払いで彼を転倒させた。
 受け身を取ったのでダメージは少なかったが、茶色はすかさず押さえ込みをかけてきた。
「イヤーッ!」
 由宇良が叫び声を上げた。悲鳴ではなく、気合の発声だった。
 灰色のスーツの男が宙を舞った。
「何だその技は?」
 矢島は茶色に絞め技をかけられながら聞いた。
「私、合気道五段なんです」そう答えて、由宇良は倒れた男のみぞおちに正拳を叩き込んだ。「ちなみに空手は初段です」
「こっちも何とかしてく……れ……」
 そう言いながら首を絞められ、矢島は失神した。


 ………

 ……らあん=てごす……らあん=てごす……

 何人もの声が重なって聞こえ、矢島は意識を取り戻した。
 目を開けると、闇の中から照明が向けられていて眩しかった。
 周囲の暗がりには、彼を取り囲むように輪になって人々が胡坐をかいて座っていた。みな同じ白い衣装を着けて、一心に呪文のようなものを呟いていた。
 目が慣れてあたりの様子がわかってきた。そこは劇場の内部で、半円形に客席へ張り出したステージの上らしかった。
 矢島は両手を背後で手錠につながれていた。そして誰かと背中合わせの状態で床に座らされていた。背に寄りかかっているのは相棒の女刑事だった。彼女も気絶していた。
「おい、由宇良」
 小声で呼んで、肘をぶつけたが目を覚まさなかった。
「ふふふ、お目覚めかな刑事さん」
 ステージ奥の暗闇から声が響いた。
「誰だ!?」
 三人の人物が横並びに照明の当たったところへ歩み出てきた。
 一人は、縁取りが金の白い貫頭衣を着た宗教家風の男。一人は黒いスーツ姿のスマートな男。もう一人はグリーンのアーミージャケットで金髪を後ろで束ねた男だった。三人とも顔も体型もばらばらだったがどこか似た雰囲気があった。同じ冷たい目つきで矢島を見下ろしていた。
「そうか、お前たちが天山三兄弟というわけか」
「その通り。以後お見知りおきを、とでも言いたいところだが、残念ながら君らとは間もなくお別れだ」
 スーツの男が言った。
「何だと」矢島が思わず前へ乗り出すと、ぐったりとした由宇良がもたれかかってきた。「おい、由宇良! いい加減目を覚ませ!」
「無駄だよ。彼女は君より狂暴だったのでね。薬で眠ってもらったのだ。当分意識は戻らんだろう」
「薬か……、お前の製薬会社も終わりだ。危険ドラックなんかに手を出すようではな」
「危険ドラック? ふふ、何か誤解してるようだね刑事さん。私の会社はいたって健全な経営をしていますよ」
「では、おれたちをどうする気だ?」
「ふふ、君らには生贄になってもらう」
「生贄……」
「そう、まったくいいタイミングで忍び込んでくれたよ、君たちは」
「どういうことだ!?」
「たしかに、私はこの弟の傑に街に出回っている危険ドラック“ジャム”を手に入れるように指示した。それはジャムには、化学的には精製できない、ある特殊な成分が含まれているいることがわかったからだ。その特殊な成分が、儀式を行うのにどうしても必要だと兄上が言うものでね」
「儀式……だと」
「われわれは《発狂する唇》の召喚を行うのだ」
 と貫頭衣を着た長男、門樹が言った。腹に響くような低い声だった。
「何だそれは?」
「有史以前、この地球を支配していた神々、すなわち旧支配者の一柱、ラーン=テゴス……その召喚の方法を私は、世界中から取り寄せた古い魔道書の研究を重ね突き止めたのだ。特殊な薬物により引き起こされる集団トランスでの呪文の詠唱、これがその方法なのだ。この儀式が成功すれば、われわれは計り知れない力を得ることになろう」
「その特殊な薬物ってのがジャムに含まれてたってわけか?」
「うむ」
「おかしいじゃないか。やくざが流してる危険ドラッグに何だってそんな物が入ってるんだ?」
「なぜかは知らん。だが、必要な時に必要なものが現れる、それは《強壮なる使者》のお導きということだ。ちょうど生贄が必要な時にお前らが飛び込んできたように」
「くだらん、たわ言だ」
「強がっていられるのも今のうちだ」門樹は両手を高く掲げると声を張り上げた。「さあ、信者たちよ、約束の時は近い。しっかりと呪文を唱えるのだ!」
 暗がりから響く詠唱の声が高まった。
 それはこんな呪文だった。

  うざ・いぇい! うざ・いぇい!
  いかあ はあ ぶほう――いい
  らあん=てごす くとぅるう ふたぐん
  らあん=てごす
  らあん=てごす
  らあん=てごす!

 呪文はえんえんと繰り返された。
 そのうちに暗闇の空中に異様な色彩が浮かび上がった。
 はじめ矢島は照明が目に当たったことによる残像効果だと思った。だが、それにしてはおかしかった。目の動きとは無関係にうごめきながら少しづつ大きくなっていった。まるで異次元に通じる穴が開いているようだった。
 何か異常な現象が起こっていた。これが召喚ということなのか。
「来るぞ、もう少しだ」
 天山智法が上ずった声で言った。 
 その時、劇場内にガラスの割れる音が響いた。数か所同時に、窓を覆っていた暗幕を跳ねあげて何かが転がり込んできた。
「な、何だ!」
 それは異様な生物だった。昆虫のような六本の肢があり、前の二本には大きな鉤爪がついていた。頭部は剥き出しの脳髄のような渦巻状の器官に覆われていた。背には蝙蝠のような翼があった。まるで今生まれてきたばかりのように濡れた身体でぶるぶると震えていた。
「あれはミ=ゴってやつだぜ、アニキ」
 傑が言った。
 新聞やテレビでは、謎の生命体ミ=ゴの目撃情報が連日報じられていた。
「ミ=ゴだと……」と門樹はふらふらと舞台前方へ歩み出た。「お前たちが、私の邪魔をするのか」
 侵入してきた六体のミ=ゴはバランスを回復すると、空中を飛び一瞬で距離を詰め、三兄弟に襲い掛かった。
 二体がコンビになり、それぞれ前後から鉤爪を胸に突き刺し、引き裂いた。天山家の三人の息子たちは叫び声をあげ、血液をまき散らしながら絶命した。
 それでも信者たちは、薬物でトランス状態にあるらしく呪文を唱えつづけていた。ある者は叫ぶように、ある者はよだれを垂らしながら。
 虚空の穴はゆらめきながら広がりつつあった。
 ミ=ゴたちは、信者の輪のさらに外側を取り囲むように等間隔の位置で静止した。その直後、キィンという高音を一瞬発すると、信者たちは全員意識を失って倒れた。呪文の詠唱が途切れると、同時にゆらめく色彩も消失した。
 宇宙生物は包囲の輪を縮めて矢島に接近してきた。気絶した由宇良と手錠で繋がれているので動きようがなかった。
「う……」
 いきなり、矢島の脳内に一つのイメージが流れ込んできた。
 星が輝く宇宙空間、そして「夜の心臓」という言葉。それが彼の脳に直接伝えられたメッセージだった。
 ミ=ゴたちはつぎつぎと窓を突き破り飛び去っていった。あとには異様な臭気だけが残されていた。


 それから間もなく、矢島と由宇良は駆けつけた警官らによって救出された。窓ガラスの割れる音を不審に思った近所の住人が110番通報していたのだった。
 意識を失った信者らは病院に搬送され、しばらくすると正常に回復した。信者たちは一様に怪物に襲われたと証言した。だが、その出現の仕方や、姿かたちはそれぞれ述べることが違っていたため、すべては薬物による幻覚と判断された。
 死んだ三兄弟をべつにすれば、あの場で正気を保っていたのは矢島一人だけなのだった。しかしその矢島も終始気絶していたということにして、自分が目撃したものを証言することを避けた。それというのも、これまでの陣野晴嵐や松本定夫が殺害された事件で、矢島がミ=ゴの件を報告すると、その途端に何らかの圧力が働いたかのように捜査は打ち切られてしまうからだった。
 今回の事件も、捜査本部には宗教団体による麻薬使用だけを問題にして早々に幕引きをしようという気配が濃厚だった。
 ミ=ゴに関しては一課は頼りにならない。調べるならば自分だけで何とかしなければ、矢島はそう確信していた。
 だが、なぜあの時、ミ=ゴは自分を殺さなかったのか、矢島にはそれが疑問だった。ミ=ゴは秘密を知った者を殺しているだけなので、矢島は標的にならなかったのか。いや、それだけではないはずだ。あの時、ミ=ゴは彼の脳内にテレパシーのような方法でメッセージを送ってきた。「夜の心臓」という言葉。この言葉の意味は何なのか。それを探り出さなければ、と矢島は思った。
《闇の十字星》第四話です。
次回第五話は「闇の調停者」の予定です。
さて、いつ書くか……

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