Side:健人
妻の死の知らせを受けた時、俺は自分に三歳になる息子がいるとも知らぬまま、すぐ病院へ向かうことになった。
彼女が俺に対して、角膜移植を希望しているということがわかったので――いづみさんの遺志を無駄にするなと、両親が俺のことを執拗に説得したためだった。
臓器移植法の改正により、親族に臓器を残したい患者がいる場合、その人物に心臓・肝臓・腎臓・膵臓・肺・眼球……といった臓器を残せるようになったということは、俺ももちろん知っている。そのために、俺の父や母や兄は、常に財布の中にドナーカードを携帯していたし、また親戚のうちの何人かも、俺の目がいつか見えることを願って、同じようにしてくれている人がいた。
でも俺は……自分の目が見えない状態を不幸だと思ったことは、生まれてからほぼ一度もなかった。
それだけ環境や人に恵まれたせいかもしれないけれど、とにかく俺が「自分の目がもし見えていたら」と思うことがあったとすれば、それはいづみさんという女性に出会ってからかもしれない。
俺は彼女のことを心から愛していたし、いづみさんがある日突然なんの前触れもなくいなくなってからも――彼女のことだけをずっと愛し続けていた。
置き手紙に「わたしの母を名のるゆり子という人が訪ねてきたら、警察に電話してください」とあったことから、俺の両親は何度も「いづみさんは健人やわたしたちに迷惑をかけまいとして姿を消したんだろう」と繰り返し言った。でも俺は内心……自分との結婚生活に嫌気がさして、彼女はいなくなったのではないかと疑っていたのだ。
彼女は優しい人だから、本当の本音というか、腹の底にたまった不満を俺に見せることが出来ずに姿を消したのかもしれないし、もしかしたら他に誰かいい男が現れたのかもしれない、とさえ。
疑心暗鬼の苦しい日々の中、奇妙な話、実際にいづみさんの母を名のるゆり子という女性が現れてはじめて――俺は両親の言っていることが本当なのだと信じることが出来た。
彼女は「いづみがどこへ行ったかわからないけれど、その手のことを調べるプロの知り合いがいるから、自分が捜してもいい」というようなことを最初に言った。そして遠回しにいわゆる<先立つもの>の要求をしてきたのだ。
この時、いづみさんの母親に金を渡すべきなのかどうか、俺も悩んだし、父さんや母さんも相当悩んだと思う。何故なら、金を巻き上げるためにいづみさんの母親が自分で自分の娘を隠したという可能性もなくはなかったから……でも結局俺は、彼女の母親の言葉よりも、いづみさん自身の言葉を信じることにしたのだ。
いづみさんはかつて、何十人もの老人を介護してきた自分だけれど、血の繋がった実の母のことだけは絶対に面倒を見ることが出来ないと言っていたことがある。そして「どうしようもない人間」、「悪魔が取り憑いているとしか思えない人間がこの世には存在する」と彼女が言っていた言葉の意味が――俺はこの時、初めてわかったような気がしたのだ。
いづみさんと結婚する一か月ほど前のこと、ホテルのバーの帰り道、ヤクザに絡まれたことを俺は父さんや母さんに話すことにした。いづみさんの母親のバックにはそうした存在がついているから、金を渡すのだけは絶対にやめたほうがいいと。何故なら、そういう事態になるとわかっていればこそいづみさんは姿を消したのだろうし、そうした彼女のせっかくの気持ちを無駄には出来ないと、俺は銀行から金を下ろしてきた両親を、言葉を尽くして説得した。
けれど、何故いづみさんが自分の実の母に対し「悪魔が取り憑いたような」と表現したのかを、俺や父さんや母さんが知るようになるのは、この時以降だったといっていいかもしれない。
「いづみには実は闇金融から借りた金があって、今では利息含めそれが一千万円にもなっている」、「あの子は十代の頃、麻薬や売春をやって、本当に仕様のない子だった。そんな過去がこの御近所に知れ渡ったら、お宅としてはさぞ大変なことでしょうねえ?」、「うちのいづみと離婚したかったら、離婚損害金として最低二千万円は支払ってもらわないと」……などなど、あの手この手を使っていづみさんの母親を名のるゆり子という女は、とにかく父さんや母さんから金を巻き上げようとした。
二階堂病院のほうにその手のヤクザ者がやって来て、営業妨害のようなことをしたこともあるし、その段になって初めて――父さんはいづみさんの置き手紙にあったとおり、「警察に電話する」ということにしたのだ。
それ以降、何かの嫌がらせの電話といったものはかかって来なくなったとはいえ……一時期、俺や父さんや母さんが電話ノイローゼになっていたということは確かだった。
警察の人から、いづみさんの母親は詐欺の常習犯で、逮捕歴が一度ならず数度あると聞いた時、俺は本当に自分のことが情けなくて仕方なかった。彼女が姿を消した時、妻の不貞を疑ったこと、性生活を含め、いづみさんが自分に不満を持っていたのではないかと想像したりしたことなど――男として、自分の器の小ささを思い知らされるような気持ちでいっぱいだった。
治療院のお客さんなどは、てっきり俺が盲目なばかりに女房に逃げられたと思う人もあるようだったけれど……俺はその日以来、とにかくいづみさんを<信じて待つ>ということに決めたのだ。
俺が専門学校の二年生だった時、先に別れを言い渡したのはいづみさんのほうだった。
でもそのあと、俺は自分が「一人前である」と感じたのちに、彼女に会いにいったわけではない。本当にちょっとした偶然から、俺はいづみさんと再会し、彼女は俺とつきあってもいいと言ってくれるに至ったのだ。
その時、俺は自分の人生に生まれて初めて<奇跡>が起こったと感じたし、いづみさんが俺と結婚してもいいと言ってくれた時も……信じられない奇跡がまた起こったと、そう感じていた。それから初めて結ばれた夜も、いづみさんはその前に俺のみっともないところをこれでもかとばかり、見せつけられていたにも関わらず――とても優しくしてくれた。
それから、いづみさんが死んだことで、俺にとっては悲しい<奇跡>がまた起きたといえる。
俺はいつか自分の目が見えたらいいとは望んでいなかったけれど、妻が夫のためにと角膜を残してくれたそのお陰で、俺の目が見えて初めて知ることになったのは……妻いづみの美しい死に顔だった。
「即死でしたから、苦しみはなかったでしょう。おそらく、助手席の赤ん坊のことを庇い、思いきり右にハンドルを切ったのだと思います。そのお陰で、赤ちゃんのほうは奇跡的に――ほとんど無傷で無事だったんですよ」
病院の医師にそう説明されても、俺は自分の両親とは違い、涙に暮れるということは出来なかった。
いや、父や母のように俺も涙を流してはいたけれど、両親が流している涙とはまったく別の意味で俺は泣いていたのだ。
子供がいたのに、どうしていづみさんは俺の元へすぐ帰ってきてくれなかったのか、俺は両親が自分に似ているという赤ん坊のことなどどうでもよく、とにかくいづみさんの死にだけ執着していた。
もし彼女がもっと早くに帰ってきてくれていたら、こんなひどい事故に遭うこともなかったかもしれないのに……俺にとっては、目が見えてもいいことなど何ひとつなかった。
何故といって、以前から感じていた不条理で残酷で無慈悲な世界の輪郭が、闇の中から現れ出でて、その輪郭線をよりはっきりさせたという、「目が見える」ということは、俺にとってただそれだけのことでしかなかったからだ。
それでもやはり、妻の死のショックから除々に立ち直るにつれて、俺は次第に自分の息子を可愛いと感じるようになり……いづみさんが残してくれた形見ともいえる義愛のことを、心から愛するようになっていった。
そしてこの子を彼女に代わって無事育て上げるためにこそ――いづみさんは俺に「目」を残していってくれたのだろうと、次第にそう思えるようにもなってきた。
俺は、角膜の移植手術を受ける時、整形手術のほうも同時に受けていたので、今ではかつて他の誰かが言ったように「ゾンビ」でもなければ「化け物」ということもなかった。
自宅にある目が見えなかった頃の自分の姿を写真で見るたび……俺は自分のことながら、つくづくゾッとしてしまう。
人が俺のことを「ゾンビ」というくらいであれば、それはまだ可愛いもので、俺にもし手を握られた女性が「キャーッ!!化け物!!」と叫んで逃げたとすれば――それはもう本当に、仕方のないことだったといえる。
何故といって、間違いなく俺はそういう容貌をしていたし、いづみさんと結婚する一か月前、バーの帰り道で絡んできた男が言っていたとおり、「自分の顔が鏡で見えない」というのは、恐ろしいことなのだ。
そして、俺は今でも時々、いづみさんと自分が結婚した時の写真を見て……涙を流すということがあった。
いづみさんにはたぶん、俺ではなくても彼女がそうと望めば、他に相応しい男などたくさんいたはずなのだ。それなのに、彼女は何故自分のように醜い男と結婚することを選んだのか……俺は彼女の優しさのことを思うと、いづみさんが死んで何年が過ぎたあとも、胸が熱くなるあまり涙を流すということがあった。
そしてそのことについての答えは、点字で書かれた彼女の手紙の中に残っていたといえるかもしれない。
――健人へ。
一月ほど前、あなたの子供が無事、生まれました。
わたしは本当は、健人の名前から一字とって、「健○」とか「健○○」といった名前をつけるつもりでいました……でも夢の中で、「その子を義愛と名づけなさい」というお告げを聞いたから、そう名づけることにしたの。
勝手におかしな名前をつけてと、もしかしたらいつか、健人は怒るかもしれないね。
そしてそれ以前に、ある日突然姿を消したということで、あなたは今この瞬間も、わたしのことを許せずにいるかもしれない。
子供が生まれた時から、わたしは忙しい時間の合間に育児日記をつけることにしました。
何故といって、いつか義愛があなたに会いにいくということになったら――空白の時間を埋める術が、他にどこにもないように思えるからです。身勝手なようだけれど、わたしは義愛がいつか「自分には何故父親がいないのか」と疑問に思うようになったら……あなたのことを話そうと思っています。
そしてお父さんとお母さんがどこでどう出会って互いに愛しあうようになったか、彼に説明しなくてはならないでしょう。
だから、この手紙はそんな日が来た時のための、ちょっとした予行演習です。
いつか、わたしが健人と再び出会って和解し、この手紙をあなたに見せることなく破り捨てられたらいいのにと思いながら、今続きを書いています。
健人は、わたしと初めて出会った時のことを、覚えていますか?
初めて会った時、健人は車椅子に乗っていましたね。それでわたしは、あなたは目が見えないだけでなく足にも障害があるのだと思いこみ――とても胸が熱くなりました。
でも公園から帰ってくると、あなたはケロリとした顔をして立ち上がり、わたしのことを心底驚かせました……健人はいつもわたしのことを、「いづみさんいづみさん」と慕ってくれて、わたしは態度には見せないながらも、そのことが本当に嬉しかった。
何故なら仕事のこと以外で、そんなにも誰かに「あなたのことが必要だ」と求められたことなど、ただの一度もなかったからです。もちろん、健人と出会う以前にも、恋愛のようなことはありました……でも、健人のようにただひたすら真っ直ぐに何かの利益を求めるでもなく、純粋に<わたし>という存在を愛してくれたのは、あなた以外誰もいなかったと思います。
その気持ちを突き放すしかなかった時……わたしがどんなにつらかったか、もしかしたら健人にはわからないかもしれません。
これまで一度も、健人にこのことを話したことはないけれど、次に本屋で出会うことになる二年という空白の時間、わたしはよく健人のことを考えていました。
わたしはそれまで老人を相手に介護という仕事をしてきたけれど、自分の暗い子供時代のことや、十代の頃にあった惨めな事件のことを思いだすのが嫌で、小さな子や若い人と接するのは、意識的にずっと避けていたような気がします。
でも、他でもない健人、目の見えないあなたが――わたしの心を<光>で照らし、そこを満たしてくれたことで、わたしは過去の可哀想な子供である自分と、向きあうことが出来るようになったのだと思います。
こんなふうに書いても、もしかしたら健人にはいまひとつ事情が飲みこめないかもしれないね。
でもわたしが言いたいのはとにかく、あなたとの出会いがわたしの人生を180度変えたという、そういうことなの。
そして本屋さんで再会し、その後つきあうようになったあとも……もしかしたら健人にはずっとわからないままだったかもしれない。
わたしがあなたにショッピングセンターで「商品知識」をひけらかしたり、すぐ隣で色々なことを補助するのを――健人はいつもただひたすら、「悪いなあ」とか「申し訳ないなあ」と感じ続けていたかもしれません。
でもね、健人。どちらか一方がひたすら一方的に献身的に尽くすであるとか、そんな関係はこの世界では長続きしないものなのです。一応表面的には、わたしが目の見えないあなたのことを助けていると、周囲の人には見えていたでしょう。
でも本当はあなたの存在こそが……わたしにとっては眩しいほどの<光>であり、何をいくら代わりに差しだせと誰かに要求されても譲れないほどの、かけがえのない愛情の対象でした。
わたしは健人と同じで口ベタだから、こうした種類のことを口で言い表すのは、いつもとても苦手だったの。だから、いづみさんは何故自分と一緒にいてくれるのかとか、いつか離れていってしまうんじゃないかとか、健人は不安に思ったことがあったかもしれない。
でも本当はそんなこと、あなたが不安に思う必要は何もなかった。
わたしはたぶん、出会った瞬間から健人のことが好きで――その気持ちに気づいていながらも拒否しようとしたのは、あなたの目が見えないからとか、容姿がどうとかいうこととは、まるで関係がないのです。
わたしは自分の過去の暗い生い立ちなどから、健人の純粋な性格や優しさには相応しくないように感じていたし、そのことがあなたとの間で壁になって……自分が一番欲しいと願うものを遠ざけようとしていたという、ただそれだけだったの。
そして自分勝手な置き手紙だけを残してあなたの元を去った時も、そうした自分の「運命」のようなものからは逃れられないのかもしれないと、わたしはそう感じていました。
自分が妊娠しているとわたしが気づいたのは、健人と別れて三か月ほどした時のこと。
正直、生活のほうも苦しかったし、あなたの元に帰りたいと思う気持ちは、わたしの中で強いものでした。
でも――母のゆり子がどんな人間であるかを知っているだけに、わたしは自分にそうした甘えを許すわけにはいかないと思いました。それで、当時看護助手として勤めていた産院で、義愛のことを生むということにしたんです。
あの子が赤ん坊の時に、父親であるあなたが横にいないということで、わたしはこれから健人に対してもあなたの両親に対しても、この子自身に対しても「申し訳ない」と感じながら生き続けていかなければならないでしょう。
でもいつか、もう一度健人と親子三人で再会し、一緒に暮らすことが出来たらと……わたしはそのことだけを自分の心の希望として、生きていきたいと思っています。
――この手紙は、ここで終わっているけれども、他にも似たような俺に対しての断片的な手紙というのがいくつも残っていて……俺は彼女がつけていた育児日誌と合わせて、その手紙を読むたびに今も涙を流すことがある。
何より、俺は自分がもしいづみさんに1与えたとしたら、彼女がその十倍、百倍ものものを返してくれているように感じていたけれど、実際はいづみさんも俺に対して同じように感じてくれていたこと、そのことを思うたび、もうこの世の自分のことなど捨ててしまい、彼女がいるであろう死後の世界へ行きたいと感じることさえよくあった。
でも、いづみさんが残していった息子の義愛のことを思うと――そういうわけにも当然いかなかっただろう。
彼女は俺が彼のことを立派に育てていけるよう、そのためにも目を残していってくれたのだし、息子が「化け物の父親」を持って不幸になったりすることがないよう、整形手術を受けるようにさせてくれたのも、俺はいづみさんの母親としての力がそうさせてくれたのだと感じていた。
「ヨシュア、そろそろ母さんの墓参りに出発するぞ」
「はあ~い。でもね父さん、母さんのお墓の上には十字架が描かれているのに、彼岸の日にお参りするなんて、おかしくはない?」
――今年、十歳になるヨシュアは、頭のいいとても活発な子だった。
今日は九月二十日で、日本ではいわゆる彼岸入りと呼ばれる日だ。だが、いづみさんはクリスチャンとして洗礼を受けているので、彼岸の日にお参りするというのは、キリスト教式ではないということになるだろう。
「まあ、そう深く考えることはないんだよ。彼岸であろうとなかろうと、母さんの魂に話しかけたいと思ったら、いつでもヨシュアは母さんの眠っている場所まで行けばいいんだ」
「ふう~ん。なんかよくわかんないけど、ヨシュア、了解しました~!!」
そう言って父親に敬礼たのち、PSPの電源を入れてゲームをはじめる息子を見て、俺は(やれやれ)と思った。
義愛には、母親に対する記憶といったものが、まったくといっていいほど残っていない。
そのことを思うと、俺は自分の息子に対して不憫に感じるのと同時に――何故か不思議とそのことについても、(いづみさんらしいな)と近頃では思うようになっている。
俺という人間に、ただひたすら無償で与えたように、彼女はたぶん、息子に対してもまったく同じようにしたのだ。いづみさんが亡くなって数年は、「何故」という思いの消えない俺だったけれど、今では少しずつ、妻の死に対して、考え方のようなものに変化が生じていたかもしれない。
「善い人というのは、若くしてなくなる」とか、「清い人間のことは天使がすぐ連れ去ってしまう」とよく言うけれど……いづみさんほど、その言葉にぴったり当てはまる人は、他にいないだろうとさえ俺は思っている。
彼女の人生は、自分でそうと気づいていないながらも――人に与えて与えて与え尽くすという人生だった。
たぶん、俺や他の凡人と呼ばれる人間などは、五十年とか八十年くらいかけてようやく、いづみさんのように「人に無償で与える」ということを学べるようになるのかもしれない。でも彼女はまるで、最初から真っ直ぐ天国にでも向かおうとするかのように……一生分の善行を、たったの三十七年で成し遂げてしまったのだろう。
それで、神さまが「あなたの善行はこれで十分。あとは天国で憩いなさい」と天使を遣わしたから――妻のいづみは若くして亡くなったのではないかと、俺は最近、ようやくそんなふうに思えるようになっていた。
もちろん、ただの人間的な気休めといってしまえばそれまでかもしれない。
ニュースを見ればいつも暗い気分になることばかりだし、この世界が残酷で醜くて無慈悲な、寒々とした場所であるということに、俺は目が見えるようになってから、見えない頃より余計敏感に気づくようになっていたとも言える。
でも、そんな残酷な世界にも……優しくて美しい花はいくつも咲くのだ。
車で二時間半ほどかけて、いづみさんが最後にいた場所である教会で礼拝を守ったあと――俺はヨシュアを連れ、近くの墓地までいくと、そこに白い百合の花束を置いた。
彼女のお墓は、俺と息子のヨシュアがいつ来ても、まるで誰かが毎日磨いてでもいるように、とても綺麗だった。
牧師の茅野さんの話によると、孤児院の子供たちのうち何人かが、そう大人に言われたからというわけでなしに、しょっちゅういづみさんのお墓を掃除したり、彼女の墓のまわりに花を植えたりしているということだった。
「ねえ、父さん。このお花の名前はなんていうの?」
俺が心の中で亡き妻に話しかける言葉を遮って、ヨシュアがすぐ隣でそんなふうに聞いた。
「それはね、シオンっていう名前の花だよ。確か花言葉は『あなたを忘れない』だったかな」
「ふう~ん。ねえ、一本もいでもいい?」
「駄目だよ。自然の内にそのまま、ただ黙って咲かせておくんだ」
俺はピカピカの御影石をさらに磨きあげるように――もっというなら、それが神聖な妻の体であるかのように、十字架の描かれた墓を磨いていた。
そうしている間も、ヨシュアは落ち着かなげに近くの墓に書かれている言葉を読み上げたりしている。
「『神のなさることは、すべて時にかなって美しい』だって!ねえ父さん、そんなの嘘だよね。だって、神さまのなることがすべて時にかなって美しいんだとしたら――なんでぼくの母さんは死んじゃったの?そんなの変だよ」
「その人はきっと、自分が神さまの時にかなったと思える時に亡くなった、とても幸運な人だったんだよ。いいから、おまえもこっちに来て少し、お墓の前で母さんと話でもしなさい」
「あっ、こっちのは『主はわたしの羊飼い』だって!!神さまはさ、なんで羊なんてわざわざ飼うのかな。ぼくはカブトムシかクワガタムシでも飼ったほうが面白いと思うけど」
「まったく、おまえって子は……」
以前から薄々気づいていたことではあるけれど、ヨシュアにはどこか、母親の死と向きあいたくないと思っているところがあるらしい。
交通事故で母親が自分を庇って亡くなったと、俺の母が極めて婉曲な言い方で遠回しに説明した時――彼の両の瞳には涙があった。そして治療院で仕事をしている俺のところへ一目散にやってきて、「母さんはぼくのせいで死んだの!?」と泣きじゃくったことがある。
周囲の人間曰く、ヨシュアは遺伝子鑑定の必要がないくらい、顔が俺にそっくりなのだそうだ。
けれども、唯一彼の瞳だけは……俺は写真で見て、いづみさんにそっくりだと感じていた。
「神さまはね、羊も豚もカブトムシもクワガタムシも、地球上にあるものはみなすべて飼っておられるんだよ。いつだったか、ノアの箱舟の話を父さんがしたことがあったろ?この地球はちょうど、そのノアの箱舟みたいなものなんだ。そして神さまの選んだ人間だけがそこに乗りこみ、洪水の難を逃れた……」
そこまで言いかけて、俺は不意に言葉に詰まった。
いづみさんが残した手紙にあった、短い文章の一節を思いだしてしまったからだ。
――健人、わたしがあなたと過ごした日々は、まるでエデンの園にいるかのようでした。
でも、旧約聖書の創世記にあるみたいに、アダムとイヴの楽園での生活というのは、長く続かないものなのですね。
あのお話の中に出てくる蛇……あの蛇の顔はきっと、わたしの母と似た顔をしているに違いないと、わたしは時々思うことがあります。
でもわたしは健人、あなたに誘惑の林檎の実を食べさせたりはしたくなかったのです。
それがわたしがあなたの元を去った理由だと言ったら、あなたはわかってくれるでしょうか?
「父さん、でもノアの箱舟ってね、実際に聖書に書かれているとおりに作った人が言ってたけど……すぐにゴキブリがたくさん発生しちゃって、とても箱舟の中には住めたものじゃないって話だよ。父さん?ねえ父さん、もしかして、泣いてるの?」
俺は、息子の前でなんとか涙をふいて誤魔化すと、彼の頭を撫でてから教会のある方角へ戻ろうとした。
ヨシュアは、最後の最後にようやく、お墓の前で少しだけ祈るような仕種を見せ――それから俺の元まで戻ってくると、屈託なく純粋な、澄んだ笑顔を見せていた。
「ねえ父さん。ぼくは母さんのいづみと父さんの健人が愛しあったから、生まれた子なんだよね?」
「そうだよ。おまえは、父さんと母さんが掛け値なしに愛しあったから、生まれた子なんだよ」
するとヨシュアは、何度も小首を傾げて、俺のほうを不思議そうに見上げていた。
「ねえ父さん、掛け値なしってどういう意味?」
「掛け値なしっていうのはね、イエス・キリストが人間のために命を捨てたようなことを言うんだよ。そういうのを、掛け値なしの愛っていうんだ」
「ふう~ん。じゃあ母さんは、神さまと同じ愛情を持ってたっていうことなの?」
うん、そうだよと、俺は息子と並んで歩きながら、道々ゆっくり説明した。
そしてヨシュアが孤児院の子供たちと遊んでいる間――教会の礼拝堂の窓から外を眺めていると、雲ひとつない美しい空に、虹がかかっているのを発見した。
俺はその時、自分の目が見えることを、神の前にひざまずくような思いで、あらためて心から感謝した。何故というのははっきりと説明できないながらも、俺は天空に虹がかかっているのを見るたび、畏敬の念に打たれたように、強くそう感じるのだ。
終わり