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Side:いづみ-1-

 たぶんわたしは、この世界に生まれてくるべきではなかったのだと思う。

 初めてそう思ったのは、わたしが十六歳の頃。

 水商売をしていた母が、わたしに<客>を取らせ、カウンターで壱万円札を数えている姿を見て、そう思った。

「ねえ、いづみ。ここの家賃が一体いくらか知ってるかい?月二十五万だよ。おまえもさ、もう十六にもなったんだから、自分の食い扶持くらい、少しは稼いでもらわないとね」

 ――母は、わたしが小さな頃からこれに似た言葉をよく言っていたものだった。

『将来、何かの形で金を稼いで恩返ししてくれるんだろうかね、この子は』、『もしそうじゃなきゃ産んだ甲斐がないよ』、『早く大きくなって親孝行しておくれ。そのためにあたしは一生懸命働いてるんだから』……わたしには生まれた時から父はなく、そのかわり母の愛人が入れかわり立ちかわりするといったような環境で育った。

 いや、ここまでなら特に、わたしの生い立ちはそれほど<不幸>というほどのものでもなかっただろう。世の中には、もっと悲惨な状況下で育つ以外になかった子供なんて数え切れないほどいるだろうし、わたしと似たような環境下で成長する以外になかった少女というのも、たくさんいるに違いない。

 ただ、わたしの血の繋がった母という人は、本当に鬼のような人だった。

 仮に対象が娘のわたしでなかったとしても――絞りとれるところからは、一滴の血も水も残らないくらい絞りとり、骨の髄までしゃぶりつくす……そういったタイプの人間なのだ。

 母が経営するスナックには、時々そういう種類の<カモ>としか呼びようのない人物が現れ、わたしは彼らが母や母の愛人が仕掛ける罠に嵌まっていくのを、子供の頃からよく見ていた。

 うまい儲け話や保険金詐欺のようなものに相手を引っ掛け、向こうが騙されたことに気づく段になると、後ろからヤクザ男が現れて胸ぐらを掴むといったような、昔からよくある寸法だった。

(どうしてこんな、汚らしい蛇のような女がわたしの母親なんだろう)……子供心にもそう思ったものだったけれど、それでも母がわたしに売春を強要するようになるまでは、わたしは自分の母という存在をぎりぎりのところで許容することが出来ていたのだと思う。

 母にとっては、愛人を含め、この世界の人間は全員、自分にとって<利用価値>があるかないかのいずれかだった。そして母は、自分の娘がそれなりに金を稼げるようだとわかるなり――わたしがいくら拒否しようと、スナックの二階にある部屋へ、<客>を通すのをやめようとはしなかった。

 わたしが嫌がって暴れだすと、母の愛人がわたしに麻薬を打つようになったので、結局のところ母とその愛人は、そのことが原因で警察に逮捕されたのだ。

 このことは新聞の片隅に小さな記事として載ることになったし、TVのワイドショーなどでもニュースとして取り上げられた……そしてわたしは、児童養護施設に保護されることになり、十八歳まで約一年半ほど、プライヴァシーのあまりない窮屈な環境で暮らすことになったのだった。

 学校での成績は中の下といったところだったので、仮に両親がふたり揃っていようと、お金がたくさんあろうと、将来の選択肢といったものはそう多くなかったに違いない。

 いや、実際にはそうでなかったにしても――とにかく、当時のわたしはそう思いこもうとしていた。そして天涯孤独の孤児たちや、わたしのような<わけあり>の少年・少女を預かる施設の寮母をしている女性から、「介護関係の仕事をしてみる気はないか」と進路指導を受けたのである。

 正直、わたしは「介護」などということには、まったく興味がなかった。ただ、工場で縫製工として働くにしろ、コンビニでフルタイムで働くにしろなんにしろ……とにかく、自立するためには何かの職に就かなくてはならないのだと思い、ただ黙って人の好い寮母の言うなりになったというそれだけだった。

 ――わたしが生まれて初めて勤めた場所は病院で、わたしはそこで看護助手として六年ほど働いた。病院の横には託児所と、数名の看護学生が暮らす寮があり、わたしはその寮に「特殊な事情のある子」として特別に入寮が許可されたわけだった。

 わたしは三年の間、隣で看護学生たちがきゃいきゃい騒いでようと一向に仲良くするようなこともなく、ただひたすらオペ室の隣にある中央材料室という場所で、黙々と働き続けた。

 中央材料室での仕事というのはようするに、使用済みの手術器具などを洗浄・消毒・滅菌するといったことがおもで、仕事のこと以外で人と親しく接する機会は、あまりなかったといえる。とはいえ、オペ室付きの看護師や他のわたしと同じ仕事をしている同僚数名が、わたしのことを「変人」だと思っていたのは、ほぼ疑いようがない。

 仕事自体は覚えが早く完璧にこなすが、必要最低限以外のことで滅多に口をきくことのない変人――それがわたし、鷲尾いづみという女だった。

 病院には色々な種類の様々な手術用具や器具があって、すべての名前を覚えるだけでも大変だったけれど、実は内心、わたしはこの仕事にかなりのところ興味と興奮を覚えていた(といっても、そんな気ぶりなど、人前で見せたことは一度もなかったけれど)。

 いくら間接的であったにしても、自分が洗浄したり消毒したり滅菌した器具が、人の命を助けたり、病気から守ったりするために使われるのだと思うと……こんなわたしでも誰かの、あるいは何かの役に立てるのだ、そう思うと嬉しくてたまらなかった。

 けれどもある時、病院の総婦長がわたしを自分の部屋へ呼びだすと、突然こんなことを言い出したのである。

「あなたが一生懸命働いていることは、よくわかるわ。でもね、あなたには協調性がないの。鷲尾さんが中材で働くようになってもう三年になるけれど、あなたは本当、仕事自体は完璧にこなすわね。だけど、それじゃ人間として全然成長がないとわたしは思うのよ……もちろん、あなたにはあなたの事情があることはよくわかってる。だからこそ、今まで黙って見てきたの。でもあなたはまだ若いんだし、もっと外の世界をよく見てみるべきじゃないかしら?」

 ――総婦長が黒い机の上で手を組み、その前に立つわたしを見上げながらそう言った時、わたしが最初に感じた感情は<怒り>だった。

 もっともわたしは小さな頃から、自分の感情を抑えることに慣れていたので、顔の表情自体はおそらく実に涼しげなままだったに違いない。

「そろそろ邪魔になってきたから出ていけ、そういうことですか?」

 わたしは制服とお揃いの水色の帽子をぎゅっと握りしめ、なるべく皮肉げな調子を抑えるようにして答えた。

 総婦長とは目を合わせず、ただ総婦長室に敷かれた、毛足の長い絨毯にじっと目を落としたまま。

「そういうことじゃないのよ。あなたもこの病院に三年いて、オペ室の看護師が二三度変わっているのを見ているでしょう?これはそれと同じ人事異動です。ただし、勤務場所はあなた自身が選んでくれて構いません。薬局か一階の外来か二階、あるいは三階の病棟、どこでも鷲尾さんの好きな場所を選んでくれていいのよ」

 にっこりと微笑む総婦長という名の五十代の年増女と目が合うと、わたしは内心(このクソババアっ!!)と思いつつ、「少し考えさせてください」と冷静に言い、総婦長室を後にすることにした。

 もちろん、この時点で病院をやめるという選択肢もあるにはあった。三年の間、「何かあった時のため」と思い、給料の多くは無駄遣いもせず貯金してあった。だから、この機会に職を変えて一人暮らしすることもしようと思えば出来たはずなのだ。

 でもわたしは結局、そうしなかった。そして体の不自由なジジ・ババがおもに並ぶ二階の病棟で、看護助手として働くことを選び――その後、介護福祉士となった今では、あの時総婦長が人事異動を思いついてくれて良かったと、心から感謝している自分がいるのだった。 


 わたしは十八歳から二十四歳まで計六年、最初に勤めた病院にいて、その後介護福祉士の資格を取得すると、別の介護現場へ移ることにした。

 そして特別養護老人ホームやデイサービスセンター、グループホームなどでさらに三年ほど働いたあと、二十七歳の時に同じ系列の病院に付属したヘルパーステーションへ異動になった。

 今、わたしはそこで管理責任者なる職務に就いているけれど、二十二名いるパートのヘルパーさんは二名を除いて全員わたしより年上、一緒に働いているケアマネージャーの大久保さんは三十八歳で十歳年上、事務を担当している三上優子だけが唯一わたしと同じ年齢……何か、そんな環境で働いている。

 病院のヘルパー部門で、わたしは一応一番偉い役職に就いてはいるものの、わたしの上司にあたる人物からいつも言われることは、とにかく「利益をだせ」というその一言だけだった。

 ようするに、出来る限り多くのヘルパーをどんどん派遣し、儲けをだせというわけだ。

 けれども、それがどんなに難しいことか――おそらく、同じ業界にいる人間ならばよくわかってくれるに違いない。個人宅へいって、料理や掃除やその他のサービスを提供し、月に一回報告会に出席する以外、直行直帰で自宅へ戻れる……なんて聞くと、何もヘルパーの資格なぞ持ってなくても、主婦のおばさんがお手伝い感覚で出来る仕事なんじゃないの?と思う人もいるかもしれない。

 当然、人によって向き不向きはあるにせよ、わたしの経験上、病院で看護助手として働くより、特養やデイサービス、グループホームで介護員として働くより、わたしは在宅の仕事がもっとも難しいと今も感じている。

 何故かというと、病院もその他の介護施設も、毎日やるべき仕事がある程度きっちり決まっているが、個人宅での仕事はそれこそケースバイケース、各家庭での家事の作法にのっとり料理や掃除をするのは当然のことながら、一対一の人間として合うかどうかのマッチングの問題もあるからだ。

 一般家庭における家事といったものは、よく言われるようにざるに水を通すが如く、やろうと思えばすること・出来ることはキリがないほど数多くあり、同時に手を抜こうと思えばいくらでも適当にできるという側面がある……もちろん、大抵のヘルパーは真面目に自分の出来ることを時間の範囲内にこなすことを目標としているけれど――ある意味、密室での一対一の介護というのは、双方や家族に不満が出てくるということが割合多いものだ。

 ヘルパーさんがもっとこうしてくれたら、ああしてくれたらということに始まり、ヘルパー自身が認知症の老人の物取られ妄想や暴言に辟易するということもあるし、特に独居老人の場合は他にそれを見ている第三者がいないため、利用者の不満が本当に妥当なものなのかどうか、計りかねるという場合もある。

 そういったような様々な事情が絡みあうことにより、「本当の意味で優秀な」ホームヘルパーを利用者全員の家庭へ送りだし、常に顧客のニーズに答えて満足してもらう、などということは、かなりの難題になるということがおわかりいただけるに違いない。

 その日もわたしは、七時五十分に出勤して、利用者さんの苦情を聞くということから一日がはじまった……「あの人、一生懸命やってくれてるのはわかるんだけど、魚のさ、身の部分をごっそり切りとって捨てちまうんだよ。まったくもったいないったら。まあ、今の若い人の料理法っていうのはそんなもんだっていうの、よくわかるよ。わかるんだけどさ、でもねえ」……「すみません、若狭さん。今度よく指導しておきますから。なんだったら、わたしが今から行って魚を一尾おろして美味しい料理を一品、作りましょうか?」、「いやいや、いづみちゃんに来てもらうには及ばないよ。朝からつまんない愚痴聞かせて悪かったけど、あんたも忙しいだろうから、まあ次に来た時にでもなんか、うまいもの作ってくれないかな」、「はいはい。じゃあ、次は必ずわたしが行きますから、料理の献立、考えておいてくださいね」、「うん、楽しみにしてるよ」――ガチャリ。

 わたしが溜息を着きつつ、脱力とともに机に突っ伏していると、先に来ていた事務担当の三上優子がくすくすと笑っていた。

「また若狭さんですか?あの人、鷲尾さんのファンだから、単に声を聞きたいがために何か理由つけては電話してきてるんじゃないですかね?」

「さあねえ。そこんとこの見極めが、わたしもよくわかんないのよ。もし他のヘルパーのやり方に本当に本気で不満があるんだったら、わたしも腰を据えて徹底的に指導するんだけど……若狭さんのって、そういうのじゃないでしょ?もし仮に完璧に仕事をこなすヘルパーなんていう人がいたとしても、必ず何かのことで電話してくるっていうタイプの人だもの。「雪かきをしてくれたのはいいが、次はもっと丁寧にしてくれ」とか、適当に聞き流したほうがいいのか本気で受け止めたらいいのか……まあ、なんにしても次の若狭さんの担当って水木さんよね?連絡して、例によってわたしがいくことになったって言っておいてもらえる?」

「あ、今日ってちょうど、伝票の締め日だから、連絡しなくても水木さん来るんじゃないですか?その時にでもわたしから伝えておきますよ」

「そう?じゃあ、お願いね」

 もうひとりいる正社員のケアマネ・大久保貴美の出社時間は十二時ちょうど。

 つまり、事務員の三上優子の出社時間及び退勤時間は常に一定の八時から五時までで、わたしと大久保さんがふたりで早番と遅番をそれぞれ週ごとに交替でこなしているといったような具合だった。

 本当は、ここにもうひとりくらい正社員で事務所に詰めてくれる人間がいるといいのだけれど――何しろ下手をしたら赤字を出しかねないほどの部門なもので、新しくもうひとり人を雇うような余裕などないというのが現状だった。

「えっと、子供が熱を出したから、今日はお休みしたい?そう……じゃあ仕方ないわね。ううん、いいのよ。わたしが代わりに行っておくから。はい、はーい」

「また、幸田さんですか?あんまりこう多いと、本当に子供が病気なのかどうかって疑いたくなりますよね」

「それは今さら言いっこなし!っていうより、わたしの勘じゃあ、そろそろあの子、辞めるって言ってきそうな気がするんだ。職安には常時ヘルパー募集の応募をかけてるけど、まあこう事業所が多いと、うちみたいな弱小系列にはなかなか面接に来てくれないのよねえ」

 わたしは椅子から立ち上がると、んんと伸びをして、バッグを手に取り、小さなヘルパーステーションを出ることにした。何しろ、幸田さんが行くはずの利用者宅はここから遠い(そして幸田さんの家からは近い)……車で飛ばしてなんとかギリギリ間に合うかどうかという、微妙な時間に到着と相成りそうな予感がした。

「じゃあ、もしなんかあったらすぐ携帯に連絡してね」

「はい、いってらっしゃ~い!」

<ヘルパーステーション・こころ>と胸ポケットに刺繍のあるポロシャツを着たわたしは、これまた<ヘルパーステーション・こころ>とロゴの入った軽自動車に乗って、利用者宅まで急いで向かった。

 行き先は、向井小五郎という名前の、七十九歳のおじいさん宅。 

 一応自立してひとりで生活しているけれど、斑ボケの症状があり、失禁回数の多いおじいさんである。四十七歳の時に愛人と駆け落ちして以来、家族とは音信不通。そして言うまでもなくその愛人は向井さんととっくに別れており、彼には現在頼れる身内が誰もいないといった状態だった。

 実際のところ、理由はなんであるにせよ、家族がなんらかの理由によって老親の介護が出来ない、あるいはしたくても出来ないという状況はごまんとある。息子が会社の転勤で遠く離れて暮らしているとか、仮に近くに住んでいたとしても、色々な感情的確執があって一切面倒を見たくないといったケースも多い。

 そうしたケースに出会うたび、熱血漢の大久保さんなどは、家族との面談が終わるなり怒り心頭に発していることも珍しくなかったけれど……わたしには逆に、そうした人々の気持ちがよくわかっていた。

 何故といってわたしも――音信不通となって久しい母から、ある日突然電話がかかって来たとして、彼女に面倒を見てほしいと泣いて頼まれようと、そんなことは到底出来そうになかったからだ。

「さてっと、なんとかギリギリ五分前に到着っと!」

 わたしは向井さんの住む市営住宅の一室を訪ねると、「こんにちは~!」と挨拶したあと、まずは掃除に取りかかった。2LDKの室内は、必要最低限のものしかない殺風景なばかりの寂しい雰囲気で、廊下の突きあたりであるとか、トイレ内、また畳敷きの部屋の隅におしっこが染みこんだオムツが放り投げてある。

 毎度の光景ではあるけれど、まずはそれらを回収して専用のゴミ箱に捨て、消毒液を片手にわたしは掃除を開始することにした。もちろんその前に向井さんの下半身の状態をチェックし(変な意味ではなく)、思ったとおり濡れていたので着替えてもらうのを忘れない。

 そして他にも部屋のあちこちに汚れた衣類があるので、それらを洗濯機に放りこんで先に回しておく。おしっこの染みの拭き掃除を終えたら手を洗い、今度はご飯の支度にとりかからなくては。

 一応、「向井さん、食べたいもの何かない?」と聞いてはみるけれど――彼はいつも「なんでもいい」としか答えないのだった。それなりにあれこれ提案はしてみるものの、反応は薄く、結局わたしは冷蔵庫にあるもので適当に彼のお昼ごはんを作ることにした。

 それからテーブルの前に座る向井さんに昼食のお膳をだしたあと、わたしは今日の天気やニュースのことを話しながら、室内に洗濯物を干していった……ここまででまあ、大体一時間三十分ほど。

 あとは、今日の向井さんの状態などを連絡ノートに書いて終わりだった。

「じゃあ、次は何を食べたいか、よく考えておいてくださいね」

 帰る時、わたしは向井さんによくそう声かけをする。

 向井さんはあぐらをかいた格好のままそばをすすり、ただ黙って手を振るのみだった。

 これは、向井さん宅に通うヘルパーたちの噂話のようなものなのだけれど、帰る時に向井さんがもし手を振ったら彼は機嫌がよく、手を振らずに黙ったままだったら機嫌が悪い(=サービスに満足していない)ということなのらしい。

 もしそのことを信じるとしたならば、おそらく向井さんは今、わたしが提供した仕事に対して、それなりに満足している……ということなのかもしれなかった。

「さあてっと、今日は午後から新しい利用者さんとの契約があるのよね~。今十二時過ぎだから、ごはんなんてゆっくり食べてたら間に合わないわね。まあ、車の中で移動中に何か食べるか」

 ――ヘルパー部門の最高責任者だなんて言っても、実態は所詮こんなもの。

 でも、わたしは介護という仕事が好きだったし、同僚ともそれなりにうまくやれているという実感、また利用者さんたちにもまあまあ満足してもらえてるかな?という充実感とやり甲斐をこの仕事に対して持っていた。

 それでも、忙しい日常に溺れ、「本当に自分は今のままでいいのだろうか」なんて思うことがたまにあり……わたしはそんな時によく、最初に勤めた病院の総婦長が言っていた言葉を思いだすのだった。

『あなたが一生懸命働いていることは、よくわかるわ。でもね、あなたには協調性がないの。鷲尾さんが中材で働くようになって、もう三年になるけれど、あなたは本当、仕事自体は完璧にこなすわね。だけど、それじゃ人間として全然成長がないとわたしは思うのよ……もちろん、あなたにはあなたの事情があることはよくわかってる。だからこそ、今まで黙って見てきたの。でもあなたはまだ若いんだし、もっと外の世界をよく見てみるべきじゃないかしら?』

 そう、わたしはある部分ルーティンワークのように日々の仕事をこなし、それだけの現状に自分が満足しきっていることに気づいていた。ケアマネの大久保さんなどは、わたしと同じくらいの仕事量をこなすと同時に、趣味としてフラメンコやフラダンスを習っていると聞いているけれど……残念ながらわたしには、そうした種類のバイタリティがない。

 そしてわたしが「もう少し、自分には何かが足りないのではないか」と思っていた時――ボランティアのフリーペーパーに、こんな募集があるのを偶然見かけたのだ。

<当施設では、十五歳から五十五歳までの、視覚障害者の方の話し相手をしてくださるボランティアを募集しています>……その募集記事を見た途端、何かが脳裏で閃くをわたしは感じた。

 以前からずっと、聾唖の方か視覚障害者の方と接する機会が欲しいと思っていたので、もしかしたら何か自分にはまだわからない新しい世界が開けるのではないかと、そんなふうに直感したのだ。

 そんなわけでわたしは、すぐにその施設へ電話をかけ、ボランティアとして週一回、そこで働くということにしたのである。




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