やればできる
自分は子供のころから、座右の銘を持っている。
『やればできる』
……いつもこの言葉を心に刻みながら、いろんなことに挑んでいった。小学校時代、出来ないといわれていた跳び箱八段、何週間も挑戦していたら、出来るようになった。高校時代、絶対無理と言われていた、H大学に挑み、無事合格した。
そうやって、子供のころから教えられ、実践してきた。だからこそ、自分の子供にも、そうやって教えていきたいと思っている。
自分には今、小学3年生の一人息子、健太がいる。妻に似てとてもかわいらしい顔立ちだ。
今日はその息子の健太と市営プールにやってきた。健太は息継ぎが苦手で、学校で25m泳ぐことができなかったそうだ。今日はそのリベンジということで、ここに練習に来た。
息継ぎの練習と、バタ足の練習をして、本番の25mが始まった。最初は余裕そうだったが、半分を過ぎたころに、健太の顔はとても苦しそうに変わっていた。
「健太! がんばれ! あと少しだー!」
「もう……無理だよ……お父さん……がぼっ」
「後ほんの少しだけがんばれ! もう少し頑張れば25mだ! がんばれ! やればできる!」
「ごめん……お父さん」
そういうと、もう本当に限界だったのか、25mの5m手前で、諦めて立ってしまった。
残念だ……あと少し、後ほんの少しで今日の目標をクリアできたのに。
「ごめんなさい……僕……」
「まあ、しょうがない。また次頑張ればいいさ。よく頑張ったな、健太。次回はきっとやればできる」
「うん!」
……けれど、結局次回やる機会はなく、そのままその時は終わっていった。
健太はその後も、なかなか結果が伴わないことが多かった。中学校時代もバスケ部に入ったが、結局一度もレギュラーになれずに終わった。きっと健太が試合に出てさえいれば、シュートを決めることができただろうに。
高校時代も、陸上部に入ったが、結局最後のインターハイまで続けることなく、途中でやめてしまった。最後までやれば、きっと結果が伴ったはずなのに。
そうして、高校3年生の夏、健太もそろそろ受験という時期になった。健太は家でゴロゴロしながら、漫画を読んでいる。受験生という雰囲気はみじんも感じられない。
「……健太、ちょっといいか?」
「何? 父さん」
漫画を読みながら返事をする健太。
「ちょっと漫画を読むのをやめて、父さんの話を聞きなさい」
そう自分が言うと、ようやく漫画を置いて、自分の顔を見る。
「突然何?」
「何? じゃないだろう? 健太、お前大学はどうするつもりだ? そろそろ勉強を始めないと、大学合格なんてできないぞ」
「大丈夫だって、父さんもよく口にしてるじゃんか。『やればできる』って。俺はやればできるんだから、大丈夫だって」
……確かに自分はたびたびやればできるといっている。
「……健太、父さんが言いたい事はそういう事じゃないんだ。『やればできる』ってのは『やらなきゃできない』んだ。お前は今まで、ずっとずっと何もやってきていないじゃないか。いつになったらやるんだ?」
自分の教え方が悪かったのだろうと思う。『やればできる』という言葉ばかり言って、実際に健太に何かをさせようとしたこともなかったし、自分が何かをやってできるようになったところも、健太にきちんと見せていないのだから。
「……めんどくさいなぁ」
「めんどくさいのはわかる。誰だって最初はとてもめんどくさいもんだ。だけどな。今のまま、何もやらなければ、何もできないんだ。今からでもいいからやってみろ。T大学ぐらい、今からでも目指してみろ」
「T大って日本一の大学じゃんか!? 絶対に無理だって! 俺の成績知ってんの!?」
「そりゃ知ってるさ。親だぞ」
「答えになってないけどさ……」
「T大を健太が目指すというなら、父さんは健太が目指す間、ずっと健太の指導をする。指導ができるくらいに自分も一緒に勉強する」
「父さんが出来るわけないじゃん! 仕事どうすんのさ!?」
「会社いきながら、家に帰ってきたら健太の指導する。これでも自分はH大学卒だぞ。『やればできる』だろ」
実際のところ、大学受験に必要な知識なんてほとんど忘れてしまっている。物理や化学、日本史世界史なんて、記憶のかなただ。
それに、H大学なんて、T大学に比べたら、かなりの差があるが、それでもやると言ったらやる。自分がやらないでいたら、きっといつまでも健太はやればできるんだからと言ってやらないままだろう。
「わかったよ。父さんが弱音を吐くまでは、つきあってあげるよ」
こうして、自分と健太との、受験勉強が始まった。
3月、健太は合格した。T大学に合格した時の健太の努力が報われた瞬間の時の顔はきっと一生忘れられない。必死になって勉強して、二人三脚で頑張ったかいがあった。この半年で、白髪が一気に増えた気がするが、健太が結果を残したのなら、それもまた仕方ないと思おう。
そして、健太はT大学へ通うため、上京することになった。これからは広い家に妻と2人になり、さびしくなるが、仕方ない。
しばらく月日がたち、9月、健太は少し遅れて帰省してきた。久しぶりに見た健太は、なんだか少し大人になったように見えた。
「ただいま、久しぶり、父さん」
「お帰り」
……ん? 後ろにいるのは誰だ?
「紹介するよ父さん、俺の彼女の水野恭子さん」
……9月に帰ってきて、いきなり彼女連れか。1人暮らしでかなりはめを外しているようだ。水野さんがいない時に、きちんと健太に注意をせねばな。
玄関から上がり、居間に通す。3人で思い思いの場所に座り、大学生活はどんなかんじか聞こうと、口を開きかけた瞬間、先に健太が話し始めた。
「父さん、聞いてくれよ、大事な話があるんだ」
なんだ? 突然深刻な顔をして。
「父さんの座右の銘って『やればできる』だよね……で……やったらできちゃったんだ」
頭の中が真っ白になった……何を言っているのか、意味が分からない。健太は何を言っているんだ?
「ふつつかものですが、よろしくお願いします。お義父さん」
……自分はどこで育て方を間違えた。