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冬の童話祭 上

作者:穏田
 冬のことは知っていた。
 春は冬のことを知っていた。
 冬もまた、春のことを知っていた。だが、彼女たちはお互いを知らない。冬は春に塔を譲るとき、決して顔は合わせなかった。それは当然のことであった。
 それが伝統であり、自然の摂理だった。例外はない。彼女たちは巡り巡って、また冬に塔を譲った。
 4人の女王のうちでも、最も力を持っているのは冬だった。春の女王はそれを熟知していたし、他の女王にとってもそれは当然のことだった。


 納屋から斧を持ち出した少年は、躊躇もなく吹き荒ぶ雪原へと走り出た。積もり続ける雪に足を取られながら、それでもなお進む他はない。天を仰ぐと大粒の雪が降り注いで、雫となって頬を流れた。涙と混じって余計に切ない。熱い水滴と冷たい水滴が混じる。少年は乱暴にてのひらで頬を拭う。吐いた息が凍るのを尻目に走った。背後のボロ屋を捨てていく。生まれ育ったその家を、捨てる覚悟で出て行った姉のことを思い出した。思い出さなかった日はない。いつだって、離れて暮らす姉のことを思っていた。たった一人の姉弟だった。姉もこんな気持ちだったのだろうか。泣いたのだろうか。はらはら零れる涙が止まらない。抱えた斧をやがて引きずりながら、少年は進んでいく。
 姉に会いに行くのだ。連れ戻しに行くのだ。きっと辛い思いをしているだろう姉を思うと胸がぎゅっと締めつけられる。優しく、愛情深い、ただ一人の姉。弟にたくさんの愛情を与え過ぎてしまった。だから彼女は愛を求めて行ってしまったのだ。与えるだけでは満たされない。減るばかりだ。彼女はそれを知っていた。弟を嫌いになったわけではない。だが、嫌いになる前に、彼女の愛が尽きる前に離れたかったのだろう。
 離れた先で、またも彼女は与え過ぎてしまったらしい。良くない癖だ。悪癖だ。与えれば返ってくると妄信的に信じている。だから駄目なのだ。それでは全く報われないと相場が決まっている。誰かが助けるべきだろう。そうしなければ彼女は悲劇のヒロインになってしまうのだから。少年は姉を救いたい。与えれた愛情の分だけ返そう。姉の周りはそういう、優しい世界になるべきだ。救うべきだ。愛さなくてはならない。昔は分からなかったことが分かるようになってきた。返せなかったものを返すだけの余裕ができた。少年には分かる。姉の気持ちが痛いほど伝わる。少年と姉はよく似ていた。
 少年は進んでいく。道とも言えない獣道を、牡丹雪に体中を覆われながら、はるか遠くの塔を目指した。目をこらしても小さくとしか見えない《女王の塔》――その天辺に少年の姉はいる。姉は愛を求めて結婚したのだ。それはもう幸せそうな表情の姉を止めることなどできなかった。未だかつて見たこともないほど素敵な笑顔で、姉は王様の手を取った。そのときの王様の表情は見えなかったけれど、きっと笑顔であっただろう。そう信じていた。
 それが、どうしたことか。姉の幸せを信じて送り出したはずなのに、と少年は歯噛みする。悔しくて、こんなことならば嫌われたとしてもあの結婚に断固反対しておけばよかったのだ。
 少年の姉は、冬の女王となった。王様と結婚して、冬を司る女王となった。1年の四分の一を塔で過ごし、残りの四分の三はお城に住んでいた。お城は王様の住まう所。《女王の塔》より少し距離を置いてそびえ立っていた。塔より、うんと背が高い。お城の天辺には王様ではなく、見張りの兵が常時城下を見下ろしている。
 少年には王様がお城のどこにいるのか見当もつかないけれど、もし1度会えたのなら、文句を言ってやろうと思っていた。ガツンと一言、言ってやるのだ。僕の姉さんを返してください。幸せにできないのなら、僕に返してくださいと言ってやろう。そして、できることなら一発、ハンサムな横っ面にきついパンチをお見舞いしてやる。少年はそこまで考えて思わず笑ってしまった。あの綺麗な顔を殴るのは勇気がいることだろうけど、さぞせいせいするだろう。一発殴ったくらいでは足りないくらいだ。だけど、それで姉も帰ってくるなら良しとしよう。許してやろうじゃないか。
 頬の痛みに顔を歪ませる王様を想像したら愉快な気持ちになってきた。足取りも少しだけ軽くなったような気がする。そうだ、嫌なことばかり思い返すのはやめよう。これからのこと、楽しいことを考えなければ。姉が帰ってきたら、まず何をしよう。そうだ。おいしいごはんを作ってあげよう。姉の好きなものをたんまりと作って、温かい寝床を用意して、長いこと冬の女王をやっていたせいで冷たくなってしまっただろう体を温めてもらうのだ。王様とは、当然離婚してもらって、慰謝料をたくさんもらって、そのお金で旅に出るのもいいかもしれない。姉はずっとこの国で暮らしていたから知らないだろう。外の国には、面白いことや楽しいことがいっぱいあるのだ。本で読んだ。少年も、この国からは出たことがないが、図書館から借りた本で読んだことはあった。本を全く読まない姉よりかは、他国のことを知っているつもりだ。
 姉を取り戻すにはまず、王様に会わなくてはならない。王様は、王様とは言っても少年と同年代くらいだった。前王がはやくに崩御されたのだ。今の王様は立派だ。立派に政治をしている。それくらいしか、少年には分からない。どこかの大人たちが井戸端会議で言っていることを繋ぎ合わせて理解するしかない。少年に学はなく、文字は読めるが、それ以上の教育を受けたことがない。大人たちの評価を聞いて判断するしかない。そんな自分を今初めて憂いた。王様の評判は良く、優しく、穏やかで。まるで姉に対する評価を聞いているようだった。お似合いの夫婦だったはずなのだ。だから少年は今まで我慢してきたと言ってもいい。姉の幸せを壊すわけにはいかないと思っていたからだ。その結果、姉は今、塔の天辺で1人、さみしさに押し潰されそうになっているに違いない。
 春が来ないのだ。冬の女王が塔から出てこないからだ。いや、出てこられないのだ。さみしさと絶望に打ちひしがれて出てくるどころが動けずにいるのだろう。王様はお触れを出されて、解決策を探しているとの噂だった。少年にとって、王様のお触れは自分個人に宛てた私信のように思えた。今更、気まずくて直接手紙を出すこともできないのだろう。だから間接的に助けを求めてきたんだ。少年は滑り落としそうになった斧を握り直した。
 この斧で、塔の扉をこじ開けて見せよう。そんなことしなくても、少年が呼びかければ姉は開けてくれるような気がしたが、念のためだ。斧は少年の生まれたときからあった。何度思い返しても信じられないのだが、その昔、少年が野犬に襲われたとき少年の姉はこの斧で応戦した。細腕からは信じられないほど大きく振りかぶって野犬を切りつけにかかり、蹴散らして回った。少年の姉には可憐な見た目にそぐわず、大胆なところがあった。将来、冬の女王となる彼女は時折こわいくらいに勇ましかった。少年はそんな姉のことを尊敬しているし大好きだ。彼らには父も母もいなかったから、お互いだけが拠り辺だったのだ。それなのに姉はいきなり勝手に出て行ってしまうし……そうだ。恨み言の1つや2つ言ってみようかと意地の悪いことを考えた、そのときだった。
 それは突然、少年の目の前に飛び出してきた。
 がこん、がこん。揺れながら、荷車を引いた馬が脇道からすごい勢いで走り出てきた。いや、よく見ると馬ではない。ユニコーンだ。ユニコーンが2頭、小さな荷台を引っ張っている。
「わっ」
 少年は飛び退いて、馬車を操縦している従者を睨んだ。ユニコーンに牽かせているなんて、さぞ身分のいい貴族なのだろう。顔を布で覆って隠した従者が「すまない」と低い声で話しかけてくる。それだけで、情けないことに少年の大きくなっていた気が途端に萎んでいってしまった。
「……なんでしょう」
「少年、北へ行くにはどうしたらいい?」
「北?」
 それなら少年の家の方向だ。歩いてきた方向を指さすと、従者は律儀に頭を下げた。
 従者は鞭を打つ。ユニコーンに鞭打つなんて考えられない。貴族様はすごいなあと少年は心の底で皮肉った。
 気持ちを奮い立たせるように勢いをつけて立ち上がる。こんなところで立ち止まっている暇はないのだ。はやく行かなくては。
 精一杯の虚勢を張って鼻歌を歌う。少年は再び塔を目指した。


 《女王の塔》は近くへ行くと、よりその大きさが分かるようだった。大きいというより長く、天に伸びている。見上げると背骨がポキポキと鳴った。
 目を薄めて、少年は塔の天辺を見つめる。あそこに姉がいるのだ。動けずにいるのだ。
 こんなに寒いのに、手にはじっとり汗をかいていて気持ち悪い。手袋を外すとひんやり気持ちよかったのは一瞬で、すぐに痛いほど冷たくなった。
 塔の周りには誰もいない。おかしい、と思わないところが少年の少年たる所以だった。普通、1人で城にこもる女王がいるだろうか。塔の中は神聖な場所だ。女王以外不可侵だとしても、その周囲に兵士が1人もいないのはおかしい。
 少年は運がいいなくらいにしか思わない。まるで運命が僕の手助けをしているかのようだと悦に入るところが経験の足りなさ。思慮の浅い、ただの少年らしいところだった。
 しん、と静まり返った森の中に佇む《女王の塔》は、全く人の気配がしなかった。少年は入り口を探して塔の周りを一回りする。出入口が見つからない。そんなことがあるだろうか。しばらく考えて、今度は適当なところで地面を掘ってみる。地下に入り口があるのではないかと思ったが、いくつか穴を掘ったところでやめてしまった。
 塔に近い1本の木によじ登る。外壁を登っていくことにしたのだ。幸い厳しい山の中で暮らしていたため、それなりに足腰は強い。木から、掴めそうなところを見つけて飛び移った。レンガを掴んだ拍子に人差し指の爪が少し割れた。じんわり広がる指先の痛みに耐えて、少年は上を目指した。
 天辺は遥か遠く、高みにあって、なかなか登りづらいこともあって手こずった。
 やっと登りきって、唯一あった窓辺に腰かけたときにはホッとした。頂上に窓がなかったらどうしようかと気が気ではなかったからだ。一息ついて、眼下を見下ろす。いい眺めだった。夕日が沈もうとしていた。橙色が森を染めて、美しい景色だった。
 少年は思い切って窓ガラスを斧の柄で叩き割った。ガラスは案外簡単に弾け飛び、充分に用心しながら塔の中へと入り込んだ。
 天井にはシャンデリア、ベッドと棚がいくつかと、可愛らしい模様の入ったティーセット。カップの中には紅茶が入っていた。2つある。客人用だろうか。
 少年は見渡した。何度も右へ左へと目を動かし、最後には観念して、ベッドの縁に項垂れて座る男の前に立った。
「……陛下」
 うんともすんとも言わない。顔すら上げない。王様はだいぶ疲れておいでのようだ。
 少年は、泣いている王様の隣に腰かけた。
「何があったのですか、陛下。泣いていてはわかりません。……我が姉はどこへ?」
「――――」
 王様は少年の名を呼んだ。久しく呼ぶ者もいない名だった。少年は懐かしい気持ちで「何でしょう、陛下」と言った。
 王様はまだべそをかいている。ハンカチを差し出すと遠慮がちに手が伸びてきた。
「ルーシーは、行ってしまった」
 随分時間が経ってから、王様はようやく口を開いた。「冬の女王は我が兵士と共に、塔から逃げ出してしまったのだ」
「兵士?」
「警護にあたっていた兵だ。2人は恋に落ちてしまったらしい」
「……姉さんらしいや」
 愛したら愛した分だけ返してくれる相手を見つけたのだろう。そう思ったら、なんだか馬鹿らしくなってしまった。姉さん、あんたはやっぱり誰よりも愛情深く、勇ましい。
 泣きじゃくる王様の背中を軽く叩く。「いいじゃないか。あと3人も奥さんがいる」
「でも、ルーシーは彼女1人だ」
 王様が怒ったようにそう言うものだから、少年は笑ってしまった。姉のここでの暮らしは決して悪いものではなかったのだろう。彼女の夫は姉がいなくなったら、ひたすら泣き暮らすくらい、姉を愛してくれていた。とんだ勘違いをしていた。
 少年はどうしてか涙が出てきてしまって、しばらく王様と同じように泣いた。嬉し涙だったのか、悔し涙だったのか分からないし、分かりたくもなかった。
 少年と王様は、ひとしきり泣くと、どちらともなく顔を見合わせた。
「お触れを出されましたね」
「あれは伝統だ。女王がいなくなったらお触れを出す。みんな知っている文言だ」
 へえ。思わず少年はまぬけな声が出てしまった。
『冬の女王を春の女王と交替させた者には好きな褒美を取らせよう。
ただし、冬の女王が次に廻って来られなくなる方法は認めない。
季節を廻らせることを妨げてはならない』
 てっきり、これが王様から自分に向けられたメッセージだと思ったのだから救えない。姉は苦しんでいるどころか、この塔から逃げ出してしまった。
「そうですか。僕はそんなこと、露知らず。誰も教えてくれなかったものだから」
 真っ赤な顔でうつむく少年を、王様は優しく見つめていた。
「これから学べばいい」
「できません。勉学に回すだけのお金がない」
 少年には一日一日を暮らしていくだけで精一杯だ。余裕などない。
 王様は言う。「わたしが払う。だから学校へ行け」
「いやです。絶対いやです」
 そこまでしてもらう道理はない。なにせ少年の姉は王様だけではない、国民を裏切った裏切り者なのだ。自分の愛を優先させた悪い人なのだ。少年はその責任を負わなければならないと信じ込んでいた。
「わたしは彼女が悪いとは思わないよ。ルーシーは自分の気持ちに正直に行動しただけだ。それのどこが悪い? きみが責任を感じることは何一つとしてない」
「陛下、申し訳ございません、陛下。死をもって償います」
「どうしてきみはそう極端なんだ」
 王様は1人で勝手に追い詰められてしまった少年に呆れ返ってしまった。溜め息を吐く。
「きみは1人にすると危険だな。どうだろう。城で、しばらくの間、一緒に暮らしてみるか」
「滅相もない」
「まあ聞け。これはこちらからの身勝手なお願いだ。頷いてもいいし、断ってもいい。―――、女王になる気はないか?」
「はあ。僕はそもそも男なので、女王にはなれません」
「そんなことは百も承知だ。そうではなく、冬の女王がいなくなったからお触れを出したはいいものの、一向に次の女王が見つからないのだ。当然だろう、女王はまだ、生きているのだから。そこで、お願いだ。女王の身代わりになってはくれないだろうか」
「僕が?」
「見たところきみは、ルーシーに顔もよく似ているし、」
「いやいやいやいや」
 ぶんぶんを首を振るも、王様の顔は真剣そのものだった。ちょっとこわい。
「それに、食べるものも住むところも保証しよう。勉強も家庭教師をつける。暇なときは、わたしと遊んでくれ。実は、友だちと呼べるような者がいなくて寂しいのだ」
 真面目に言っているらしい。これには少年も参ってしまった。姉はどこかの馬の骨と駆け落ちしてしまうし、そのショックも冷めやらぬうちに、その姉の身代わりを求められるとは。頭がパンクしそうだ。
 そうは言いながらも、そこはこの女王にしてこの弟ありである。打算的に考えれば決して悪い話ではない。少年はしばらく思案するふりをして、王様を眺めた。
 少年にも友だちがいない。王様とは年も近い。遊び相手には丁度いい。条件的にも悪い話ではない。
「……1つだけ、質問してもよろしいでしょうか」
「何だ?」
「姉と、その兵士は、ユニコーンを盗んでいきませんでしたか?」
「ああ、どうして知っている?」
 少年にとって、その答えだけで充分だった。ここへ来る途中に出会った彼らはきっと、自分の家を目指していた。亡命する前に僕に会いに来たに違いない。忘れずにいてくれた。
 それだけで充分だ。
「―――?」
 突然立ち上がった少年を不審に思ったのか、王様が名前を呼ぶ。
「いいえ、王様。その名はもう、捨てました」
 少年は笑う。一瞬だけ不敵に笑うと、王様の前に跪いて誓った。少年は強かなのだ。
「僕を姉ルーシーの――冬の女王の身代わりとして、ここに置いてください。必ずや役目を全うすることを誓います」
 王様ははじめ、きょとんとしていたが、すぐさま少年の手を取って立たせると大いに喜んだ。友だちができたと子どものように浮かれた。
「これからよろしく頼むぞ、冬の女王」
 王様が少年のように年相応に笑うものだから、冬の女王となった少年は同じように笑い返す。王様とは良き友になれそうな予感がした。

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