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トイレのハナコさん

作者:栖坂月
これはSF(空想科学)小説ではありません。
強いて言えばSM(妄想科学)小説です。
 トイレ先進国、日本。
 あまりに突き進み過ぎた日本のトイレは、とうとう間違った方向に開花してしまったようである。


午前7時20分、本日最初の起動。
「お早うございます」
「あぁ、おはよ」
 いつもながらに切れのある挨拶を寝ぼけ眼のまま返し、トランクスを下ろして便座に座る。会社へ出勤する10分前の定例行事、朝のトイレタイムである。
 学生の頃は夜明けと共に布団へ潜り込むような生活をしていた彼も、今では標準的なサラリーマンの生活習慣に馴染みつつある。
 変温動物だから日が高くならないと動けない、などとうそぶいていたのは遥か過去のことだ。
「また政治家の汚職が話題になっていたそうですね」
「そうらしいな」
「しかも、あまり必要のない所へ無駄に豪華な公共トイレを設置して賄賂を貰ったとか」
「総面積の3分の1がトイレになった公園とかあるらしいな」
「政治家が私服を肥やすことは何とも思いませんが、そのためにトイレが利用されているというのは腹が立ちます」
 彼がこのアパートに越してきて、もう半年以上が経過している。
 噂には聞いていたので存在を知ってはいたのだが、実際にトイレが口を利いている様を初めて目の当たりにした当初は、小便が出なくなるほどの衝撃を受けたものだ。
「いい加減、私腹を肥やそうという政治家には消えてもらいたいもんだね」
「やり方が汚いですよ。あんなのは、う○こ以下です!」
「いや、トイレに汚いとかうん○以下とか言われてもな……」
「私に参政権があったら、あんな政治家は絶対に選びませんね」
「トイレに参政権が与えられる日は永遠に来ないから心配するな」
 越してきてしばらくは、この機能を停止させる方法を真剣に悩んだものだ。
 もしも彼が機械やらコンピュータにもう少し詳しかったなら、そうしていた可能性が高い。事実、この機能を停止させている利用者も少なくはなかった。
 しかし今は、停止させるなど考えることすらなくなった。むしろトイレに入って会話がないと、少し物足りなく思えてしまうほどである。
「署名活動とかしても駄目ですかね?」
「トイレが署名を集めるな。というか、別の話題にしろよ。トイレで政治とか経済とか固い話をされると、出るものも出なくなりそうだ」
「それは○んこが固くなるという意味ですか?」
「違うわっ! いいから別の話だ」
「はぁ……そういえば、ネットで『う○ことう○ちはどちらが下品か』というアンケートをやっていてですね」
「やっぱお前は黙ってろ」
「酷いですよ! 私にヒンズースクワットができるのならともかく、そうでないトイレが黙っているだなんて、そんなの酢豚に豚肉が入っていないようなものじゃないですか」
 それはもはや酢豚とは呼ばない。
 ちなみにヒンズースクワットのできるトイレは、現在のところ発売されていない。企画の段階で没になっている。
「だったらもう少しマシな話題を提供しろ。そんなことより、そろそろ時間だ。健康診断の結果は?」
「はいはい、今日の体調は……」
 そのまま絶句したように5秒ほどの静寂が訪れる。
「おい、どうした?」
「それがその、大変申し上げにくいのですが……」
「何だよ? ハッキリ言えって」
「とりあえず、下をご覧になっていただけますか?」
「下?」
 言われるがまま、股の間からう○こ沼へと目を向ける。

 刹那、固まった。

 とはいえ無理もない。常人であれば、事後のう○こ沼が真紅に染まっていたりしたら誰でも唖然とするものだ。
「ちょちょちょちょちょっ、こここここここれれれれっ!」
「落ち着いて下さい」
「これが落ち着いてられるかっ! まさか血便? でも出してる感じは普通だったし下痢っぽくもなかった。つーことは血尿か? けど特にどこも痛くないし、とはいえ血がそのまま出たみたいな血尿なんて、絶対にどこか……」
「血尿ではありませんよ」
「じゃあ血便?」
「いいえ、それも違います」
「となると……まさか、肛門から直接かっ?」
「残念ながら、これは血ではありません」
「血じゃないって……じゃあ、この赤い液体は一体何だってんだよ?」
「絵の具です」

「は?」

「だから、絵の具です。朝から小粋なサプライズをご提供してみたのですが、いかがだったでしょうか?」
「さぷらいず……」
「そうです。何しろ私の基本コンセプトは『退屈させない最高の個室を』というものですので」
「えーと、じゃあ俺の体調は?」
「絶好調です。昭和風に言うと元気バリバリです」
「…………か」
 彼の拳がプルプルと震えている。
「どうかしましたか?」
「アホかああぁぁぁあぁっ!」
 切れた。当然といえば当然の反応である。
「喜んでいただけて何よりです」
「喜んでないわっ!」
「トイレのハナコさんが、午前7時35分をお知らせします」
「ぐっ……」
 勢いに任せて叩き壊してやろうかと振り上げかけた拳を、彼は苦々しい表情で下ろす。思う存分制裁を加えるには、時間的余裕がなさ過ぎた。
「くそっ、憶えてろよ」
 トイレに捨て台詞を残し、慌しく一日を開始するのだった。


午後7時11分、本日二度目の起動。
「おかえりなさいませ」
 帰り着くなりトイレへと入った彼は、スラックスとトランクスを同時に下ろして便座に座った。帰宅途中にもよおしたのか、いつもの動作に余裕が見られない。
「はー……参ったぜ。最近駅のトイレが有料化してきたから、おちおち小便もできやしねー」
「それは大変でしたね」
「それにしても……」
 スッキリしたところで額を押さえ、声のトーンが落ちる。
「どうかなさいましたか?」
「自宅に帰り着くなりトイレに出迎えられる独身男ってどーよ。何かこう、淋しさの極致みたいな感じがしないか?」
「それすらないよりは、あった方が幾分はマシなのではありませんか?」
「まーな」
 全くもっての正論に、渋々ながら頷きを返す。
「それならば、結婚などすれば良いのではありませんか?」
「簡単に言ってくれるなよ。相手もいないのに結婚なんぞできるハズないだろーが」
「相手くらい私がネットで探してきますよ」
「やめてくれ。トイレが仲人なんて恥ずかしくて人に言えん」
「臭い仲とか言われそうですしね」

「…………」

「……すみません」
 冷暖房完備どころか、瞬間氷結機能まで内蔵しているようである。
「ところで、ちょっと気になったんだが」
「何をですか?」
「今朝のアレ」
「アレと申しますと、う○こかう○ちのどちらが下品かという話ですか?」
「ちげーよっ! そんなの言われなきゃ思い出しもしなかったわっ」
「では、何のことでしょうか?」
「絵の具のことだよ」
「あの絵の具がどうか……あぁ、ご安心下さい。水彩絵の具ですから水で流せますし、自然に分解される成分ですから、環境にも優しいですよ」
「いや、そんな大きな話はどうでもいいんだけどな」
「となると、一体何が問題だったのでしょう?」
「まぁ、根本的にはあのサプライズ自体が問題なワケだが、とりあえずそれはもういい」
「はい」
「俺が問題にしてるのは、あの絵の具をどこからどうやって調達したのかってことだ。ひょっとして、最初からそういう機能が内蔵されていたのか?」
 嫌な標準装備である。
「違います」
「まさか、俺の知らない間に足が生えて買いに行ってたとか?」
「変形メカなんてフィクションの中だけの話ですよ。そんなことあるハズがないじゃありませんか」
 しゃべるトイレに馬鹿にされた。
「じゃあ何なんだよ?」
「ネットですよ、もちろん」
「待て待て。いくらネットの世界には何でもあるみたいな気がするからって、実物が出てくるワケじゃないだろ」
「いえいえ、それがですね、ほんの三ヶ月前のことなんですけど、具現化アプリなる代物が出回り始めてですね。まだ色々と制約や条件が厳しいながらも、物質の転送や構築が可能に……」
「ちょちょちょ、ちょっと待て」
「どうかしましたか?」
「機能はともかくとして、そんなモノをダウンロードとかして大丈夫なのか?」
「容量的には問題ありませんけど」
「そうじゃなくて、コスト的な問題だ。そんなプログラム、どう考えても金が掛かるだろ。というか、俺の口座から勝手に引き落とされてないだろうな?」
「それは心配ありません」
「どうして?」
「フリーソフトですから」
 便利を通り越して恐ろしい世の中になったものである。
「あー……何というか、それなら問題ないような気もするんだけど、何かが根本的に間違っているような気もする」
「ハッキリしないですね。煮え切らない男は結婚できないと、女性を対象に行ったアンケートにも出ていますよ?」
「よし、ネットを禁止にしよう」
 ポンと手を打って即断する。
「それは横暴ですっ! 最新の情報を仕入れてこそ、最高の個室を演出できるというものなんです。もしもネット接続を禁止されたりしたら、話題がいずれ枯れ果てて口数が少なくなっちゃいますよ。そんなの、ただのトイレじゃないですかっ!」
「いや、基本的にはそれでも構わないだろ」
「……わかりました」
 感情が鳴りを潜め、やけに落ち着きのある無機的な声に変わる。
「そちらがその気なら、私にも考えというものがあります」
「おい、何するつもりだ?」
「ネット接続を認めて下さるまで、う○こを連呼し続けます。おはようからおやすみまで連呼し続けます。誰が何と言おうとう○こですっ!」
「……あのなぁ」
「何を聞かれてもう○ことしか答えませんよ。どんな指示にもう○ことしか返事しませんよ。ご主人様の登録名もう○こに変えてやりますからねっ!」
 最悪である。
「わかったわかった。ネットに繋ぐのは構わないよ」
 アパートなので近隣との不干渉が暗黙の了解ではあるものの、ご近所トラブルの種など抱えたくもないので、渋々ながらう○この連呼は阻止しておく。
「本当ですか?」
「あぁ、別に通信代が余計にかかるワケでもないからな。繋ぐくらいはいいさ。ただし、妙なものをダウンロードしたりすんなよ?」
「大丈夫です。こう見えてセキュリティは万全ですから。あ、そうです」
「何だ?」
「お礼に、結婚相手を探してきますよ。ネットで」
「だからやめろって」
 弱々しいツッコミが、狭い個室に淋しく響いた。


午後11時32分、本日最後の起動。
 トイレに一歩踏み込んだ瞬間、派手なファンファーレが彼を出迎えた。う○こと連呼されるよりは遥かにマシだが、ご近所から苦情が来ても文句は言えないレベルだ。
「……何の嫌がらせだ?」
 とりあえずトランクスを下ろして腰掛けながら、自然な流れで質問などしてみたりする。
「嫌がらせとは心外ですね。本日今夜の邂逅こそ、記念すべき1000回目の奇跡だというのに」
「いや、ただ単にトイレの利用回数が1000回になったというだけの話だろ。むしろ一般人的には何事もなく流してくれた方がありがたい記念日だぞ」
「トイレだけに流してくれとは、誰が上手いことを言えと言いましたかっ」
「そんなつもりねーよ! 逆に恥ずかしいわっ」
「では、1000回目の奇跡を記念いたしまして、これまでの軌跡――すなわちトイレヒストリーを振り返ってみたいと思います」
 わざとらしい咳払いに呼応するようにして、全方位から小田和正が流れ始める。
「思い起こせば、出会いは四月、まだ桜舞い散る……」
「待て待て待てぇーっ!」
「何か?」
「何か、じゃねーだろ。何なんだよ、その結婚式で馴れ初めからを振り返るみたいなスピーチは」
「似たようなものじゃないですか。こんなに何度も通い詰めているワケですし」
「誤解を招くような言い方すんなっ! そもそも、そいつは何分聞かされるものなんだ?」
「予定では、一時間半程度ですが」
「お前はアホか。用を足したら寝ようって人間が、どうしてそんな話に一時間半も付き合ってやらなゃならんのだ?」
「円満な明日を築くためですっ!」
「却下」
 コンマ一秒も悩むことなく、彼は冷たい裁決を下した。
「……仕方ありません。では次の企画」
「まだあるのかっ!」
「こちらは大して時間は取らせません。1分ほどで終わりますから」
「まぁ、それならいいか」
 また駄々をこねられても面倒なので、妥協してみる。
「では、トイレの音だけで演奏する『チューリップ』」

 ぷぁ、びびっ、じゃー。
 ぷぁ、びびっ、じゃー。
 ぶふっ、ぴっ、ぷぅ、ポン、ぷぁ、ぶぶぁ、じゃー。
 びゃ、カラン、じゃー。
 びゃ、カラン、じゃー。
 ぷぁ、カッ、じょろ〜、きぃ、ポン。
 ぼほっ、カラン、びびっ、げぼっ、びへっ、びびっ、ぶはっ、じょばー。

「汚ねぇよっ!」
「え、音程は完璧ですよ?」
「そういう問題かっ。茶色いチューリップしか想像できなかったぞ、俺は」
「ちゃんと伝わっているようで何よりです」
「どんな嫌がらせだっ!」
 少なくとも、血圧を上昇させて眠れなくさせるという点においては、効果的な嫌がらせである。
「……というか、もしも仮に、この1000回目に入ったのが俺じゃなかったとしても、同様の企画が進行していたりしたのか?」
「当然です」
「何てこった」
 うっかり友人にトイレを貸すことすらできない時代の到来である。
「まぁ、友人がくるなんてあり得ないんですから、気にすることないじゃありませんか」
「慰めになってねーよっ!」
「では、1000回記念最後のサービスを」
「まだあんのかっ!」
「いつもより、水が3倍流れます」
 色々な意味で、最低な記念日であった。


 布団に潜り込み、薄闇に浮かび上がる天井を眺めながら、彼は呆れたような溜め息を漏らす。
「……全く、アイツのせいで声が枯れそうだぜ。トイレがあんなじゃなかったら、もう少し静かな……」
 思い出し、そして気付く。
 彼は今日一日、誰とも会話をしていないということを。
 話し相手と言える唯一の存在は、トイレだけだ。
「会社行っても、端末を相手にするばっかりだしなー」
 そういう仕事なのだから仕方ないと理解しつつも、こんな状況で望むような未来が到来するのか、不安に思わなくもない。
「けど」
 同時に思い至る。
 これはこれで、楽しくもある、と。
 妻よりも夫よりも、恋人よりも友人よりも、もしかすると他の何者よりも、トイレは近いところにいるかもしれない。
 過去であれ現在であれ未来であれ、人はもっとトイレに感謝すべきなのかもしれない。
「トイレに感謝? あー……無理だろ」
 それもまた真理である。
すいません。SM小説なのに年齢制限付けるの忘れてました。

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