殺したいのは誰?(3)
刀を振るだけだ。
俺は最初からそれだけを考えている。体が引きちぎれようと、ただそれをするだけだ。斬りたいものは、ロックでも兵でもゴールでもない。
さっきから、俺はずっと、それを斬るために刀を。
また一撃食らう。とうとう、左腕が肘から先、飛んでいく。
「ぐううっ」
気合で、右腕だけで進撃を振る。
当たらない。それでいい。
ふとロックと目が合う。
ロックは、何か戸惑ったような顔をしている。自分が勝っているというのに。
どうでもいい。刀を振る。
片腕になったことで余計に不規則になった剣筋が、わずかにロックの顔をかする。
「ちっ」
舌打ちをしながらも、ロックの顔からは戸惑いが消えない。別にいいけど。
ただ、俺は。斬りたくて斬りたくて斬りたくて斬りたくてしょうがないだけだ。
全身を使うようにして刀を振る。刀を振りながら飛び跳ねる。右脚の方も千切れそうだ。千切れていい。
「ち、この――」
苛立ったように、ロックが足元に落ちていた兵の胴体を蹴り飛ばす。
目くらましのつもりか。その胴体ごと、俺は刀で切り裂く。
いない。
「くくっ」
笑い声。後ろ。
「ぎぃっ」
上半身と下半身が千切れて分かれるくらいの勢いで、刀を背後に振り回す。
外れる。当然だ。速いだけの攻撃。ロックに当たるはずもない。
「くくっ」
笑いながら、俺の刀をなぞるようなロックの攻撃。右手の中指と薬指が切断される。
それでも、ロックへの距離を詰めながらもう一度、刀を振る。
かわされる。
ロックが一歩退く。
その顔には戸惑いが浮かんでいる。
「お前、その目、どうした?」
ロックから投げかけられるのは、意味不明な質問だ。
俺は無視して刀を振るう。
口が裂け、左腕がなく、右手の指を失い、脚も千切れかけた状態で。
それにしても、目?
アルみたいなことを言うな。
「ここで、死ね」
己の戸惑いを殺すようにロックは低く呟き、速度と攻撃の鋭さがさらに上がる。
なるほど、魔力操作か。魔術師のように操る、というのとは少し違うが、自分の中に流れている魔力をコントロールして、跳躍する際の脚や、剣を振る際の腕に瞬間的に集中させている。
こんなことも、かつて戦った時には気づきもしなかったな。
鋭さと速度を上げたその攻撃は、さらにたやすく俺の額を割る。血が目に入る。
視界が遮られる。それでも刀を振るう。
そして、明らかに、ロックの顔が、狼狽で歪む。
目だ。
ロックは、自分が押されている理由を正確に理解する。
目だ。ブレイクの目が、俺を威圧している。
威圧? いや、違う。威圧しているのではない。目を見て、勝手に退いているだけだ。
あの、目。
「おのれ」
呟く。
ロックは自分の震えを自覚している。
そうだ、恐ろしい。恐ろしくて、震えている。
こんな気分になるのは、何年ぶりか。堕落してからは、初めてかもしれない。
この、目。どうなっている。
ロックは剣を振るう。
もう、剣は簡単にブレイクに当たる。ただ、致命傷を避けられているだけだ。ダメージは積み重ねていけている。
一方のブレイクの攻撃は、満身創痍にも関わらず戦闘開始時と大して変わらない鋭さと速度を見せている。見せてはいるものの、十分に対処可能だ。
ロックの経験、技術、身体能力ならばかわすことができるし、現にかわし続けている。
恐れ。
そう、ロックは自身の恐怖を自覚し、その上でコントロールすらできている。
戦士である以上、恐れを抱くのは当然のことで、その恐怖をうまくコントロールすることができる者だけが、生き延びることができる。当然の話だ。
そう、まだ堕落する前、ロックは身体と技術だけでなく、精神も鍛えに鍛えた。
勝っている。
そう、確実に、ロックは心技体の全てにおいて、ブレイクに勝っている。
だからといって油断することはない。
ロックは攻撃をかわし、一撃を与えながらもまた一歩後ろに退く。
そうだ、油断はするな。冷静に、分析しろ。
どうして、自分がブレイクの目に圧されているのか。
ロックは思考を分割して、戦闘を続けながら分析を続ける。
俺はどうして、あいつを恐れている?
そうして、ロックの頭に浮かんだのはかつての記憶だった。
まだ堕落していない頃の記憶。
たき火を囲み、ロックは仕事終わりの酒を飲んでいた。心地良い時間だ。
「なあ、ロック」
話しかけてくるのは、当時のロックの師匠、ランキング二百五十六位、『石造り』シーサーだ。
大理石をそのまま削り出したような顔まで隠す全身鎧を身にまとった、異様なほどに白い鎧姿の男。その表情はうかがい知ることができない。
師でありながら、ロックはシーサーのことが苦手だった。
ロックでは理解できない戦闘技術の数々、召喚されてから一日たりとも戦場に立たなかったことはないという伝説、金属の反響音のような声、動揺することのない精神性。
どれもが、自分とは違いすぎると思っていた。
これが、ランキング三百位以上の世界なのかと。
「ロック、お前は、俺にいつの日か勝てると思うか?」
「ええ、もちろん」
ロックは、間髪を入れずに返事をした。
「いつまで経っても、永遠に勝てないと思っちまったら、そこで終わりでしょ」
「そうか、そうだな」
たき火の煌めきを鎧に反射させながら、シーサーは何事か考えて、
「ロック、お前は俺の弟子だ」
と、言わずもがなのことを言った。
「はあ、そうですね」
「だから、師としてお前に教えておきたいことがある。ランキング上位のウォードッグについてだ。心が折れるかもしれんが、ここで折れるくらいならどうせこの先、心を折らずにいることなどできない」
「はあ」
どんな話に繋がるのか見当もつかず、ロックは曖昧な返事を返した。
「人間に対する究極の破壊、究極の殺人、究極の否定、どんなものだと思う?」
「はえ?」
意味不明な質問に、ロックは混乱しつつも、
「まあ、そりゃ、粉々にしちゃったりとか、そういう意味じゃないですよねえ。あれかな、奴隷にしちゃったりとか、拷問にかけたりとかして、尊厳を破壊しつくして精神もぶっ壊す、とか」
「なるほど。それも考え方の一つだろう。だが、私の考えは違う」
シーサーは鎧の奥から、奇妙な声を響かせた。
「私の思う究極の殺人とは、無視だ」
「無視?」
「奴隷にされたり、性欲や破壊衝動の捌け口にされたり、数年数十年数百年の拷問の果てに殺されたり、なるほど、それはどれも悲惨だ。けれど、それは、きちんと対象を見ている。人間としてではなく、物としてだったり、それこそ単なる欲望の対象だったりするかもしれないが」
「まあ、そうですね」
「究極の破壊とはな、ロック。見ていないんだ、対象を。事故、いや災害が近いな。殺す相手のことを、破壊する相手のことを、見てさえいない。竜巻が人を殺すとき、その竜巻が憎悪や快楽を抱いてその人間を殺すと思うか? 違う、竜巻に心があったとして、多分竜巻にはどうでもいい。その人間などどうでもよくて、どうでもいいのに殺してしまっただけだ」
「ああ。『大災害』の話ですか?」
災害とウォードッグというキーワードからロックはそう見切りをつけたが、
「違う」
とにべもなく否定された。
「上位のウォードッグ全てに共通する話だ。厳密に言えば、百位以内のウォードッグ、あの化け物、業の塊達に共通する話だ。いいか、奴らには妄念が妄執が、業がある。そして、もはやそれしか見ていない。奴らがそれを追及する過程に巻き込まれるようにして、人が死に、ミッションが達成され、あるいは失敗する」
その金属音のような声が、ロックにとって畏怖の対象でしかなかったその声が、恐怖で震えているように聞こえて、ロックは驚いた。
シーサーが恐怖という感情を持っているなど、それまで思ったこともなかった。
「一度だ、一度だけ私は、あるミッションで百位以内のウォードッグと対峙したことがある。当時ランキング八十三位、『銃無し』トーコ。勝てないとは覚悟していた。それでも、悔いはなかった。圧倒的な強者と戦って死ぬのならば」
「……どうなったんですか、結果?」
「対峙した瞬間、腕を飛ばされた。いくら魔力を回復に集中しても、それから約百年は回復しなかった。だが、そこじゃあない。私が愕然としたのは、予想をはるかに上回る、文字通り次元の違う力、そこに愕然としたんじゃあない。ロック、トーコはな」
見ていなかったんだ、とシーサーは囁いた。
「見て、いない?」
「そうだ、私を見ていなかった。実際に俺に目を向けてはいたが、心眼は私ではない何かをずっと見ていた」
「心眼って、そんなの分かるんですか?」
「なに、後五千年も戦場に立てば、お前にも相手の表面上の心の動きくらい読めるようになる。ウォードッグの常識のようなものだ」
そしてシーサーは話を戻した。
「奴に、トーコにとって私は、敵でもなければ、おそらく障害ですらない。道だ。奴は何か己の妄執、業に基づいて歩いていて、私などはその過程にある道に過ぎない。私の腕を飛ばしたのは、単に歩いただけだ。その程度なんだ」
だからな、とシーサーは続けた。
「お前は、私にいつの日にか勝てると信じていると言った。そうでなければ終わってしまうと。だが、上位のウォードッグは、化け物共はそれが関係ないんだ。相手に勝てるだとか、目標を達成できるだとか、そんなことはどうでもいい。勝とうが負けようが剣を振る。願いが叶おうが絶対に不可能だろうが追及する。奴らは己の中にある何かに従っていて、その他のことは何も関係がないんだ」
「単なる、エゴ野郎じゃないですか」
「そうだ、究極のエゴイズムこそがウォードッグの果てに共通するものだ。ひょっとしたら魔術師の果てにもな。目的に手が届かないから心が折れる、という話は、そんな化け物共には関係のない話だ。なぜなら、手が届くかどうかは関係がない。手を伸ばすことそれ自体が業となってしまったのが奴らだ。お前や私のような凡人には、届かない境地だ」
「くく」
ロックは笑った。疲れたような笑いだった。
思えば、ロックの心にひびが入ったのはこの時かもしれなかった。
自分では雲の上の存在である師匠、その師が自らを凡人と言い、届かない場所があると教えてくれたこの時こそが。
「どうしても、その場所に手を届かせたいならば、一度心を壊して、業と妄念に塗れた狂気の塊に再構成するしかないのかもしれない。それに、意味があるのかどうか分からないが」
そして、シーサーは締めくくりの忠告を口にした。
「だから、ロック。師として忠告しておいてやろう。目に気をつけろ。敵として対峙しているというのに自分を見ていない、それどころか世界の何も見ていないような目をした敵とは、関わるな。とは、言うものの」
ウォードッグとして生きていく限りそれは無理というものか、とシーサーは諦めたように付け加えた。
そうか。
瞬間的に回想から己の恐怖の理由を探り出したロックは、牙をむく。
そうか、そういうことか。こいつの目が、これこそが師の言っていた、業と妄念と妄執の塊の目か。
ああ、恐ろしい。あの目。
元は人間なのが信じられない。どうやったら、あんな目ができる?
「ブレイクッ!」
ロックは震えながら、叫ぶ。顔が勝手に笑みを作っていく。
死んでもいい。全ての魔力を、自分の存在を今、ここで消費し尽す覚悟を決めて、ロックは加速する。
そして、俺は見る。
更に早くなるロック。あまりの加速に体自体がもたないらしく、ロックの体にひびが入っていく。
そんなに勝ちたいのか、俺に。
俺とは正反対だな。
刀を振る。
ロックは当然のごとくかわし、剣を突き出してくる。
その一撃は俺の胸に突き刺さり、肋骨を切断する。口からは血がもれる。
いい。
どうでもいい。
俺が死ぬか生きるか、アルがどうなるか、ロックに勝てるか負けるか、ゴールを殺せるか、全て、どうでもいい話だ。
そうだ、俺は今、塗り直しているだけだ。
都合のいいものを信じず、情け容赦のない戦いに身を置いて、最後まで全力で、血みどろになりながら刀を振り回す。
それができればいい。それこそが、俺の全てだ。
刀を振る。かわされる。身体が削れていく。
刀を振る。かわされる。身体が削れていく。
刀を振る。かわされる。身体が削れていく。
刀を振る。かわされる。身体が削れていく。
かつての自分を塗り直す、いや、かつての自分を、斬り殺す。
そのためにここにいる。
そうだ、分かっていた。アルと話しながら、ようやく分かった。
狂った獣のように暴れていたあの時、何を殺したくて、何を殺したくて仕方なくて、幻聴と幻覚に塗れて暴れていたのか。
騙していたバクル? 違う。
黙っていたアルとアーシャ? 違う。
共犯者である村人達? 違う。
村人を殺し尽くした兵達? 違う。
全ての元凶であるゴール? 違う。
俺の心と体を破壊しつくしたロック? 違う。
俺だ。都合のいいものだけを見ていた俺。独善的に振舞って悦に入っていた俺。奴隷は心が綺麗で解放すれば感謝して忠誠を誓ってくれると思っていた俺。自分が唐突に努力によらず大きな力を持って最強になったと疑わなかった俺。美しい少女や純朴な村人から好意や信頼を得ていてもそれを当然だと思っていた俺。いざ自分の盲信していた物語が崩れたら、無様に這いつくばるしかできなかった俺。必死になることもなく、他力本願で何者かになれると信じていた俺。
刀を振る。無茶苦茶に、全身が千切れてもいいから振り続ける。実際に、体が千切れ始める。
俺は、そんな俺を、
殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくてたまらないから、暴れていた。
今だって、そうだ。
だから俺が今斬っているのは、斬り殺し続けているのは、ロックでも何でもなく。
都合のいい物語と、そしてそれを信じていたかつての自分だ。
だから、ほら、刀、まだ振れる。
そうして、ロックは認める。
恐ろしい。
ブレイクが、恐ろしい。その目が。
人間が壊れてしまった目。壊れきってしまった目。
そうだ、おそらく、俺が永遠にすることのできない目だ。
ロックは、そう思う。
そして、
「くく」
笑いながら、おそらくは数千年振りに、恐怖で、動きを鈍らせる。
何百回、あるいは何千回目くらいの攻撃。
その全力での進撃の一撃は、それまで一度も当たらなかったロックの胴体に冗談のようにヒットする。
そうして、そのまま逆袈裟に何の抵抗もなく、刀を振り切る。
「くく」
ロックの上半身が、宙を舞う。血と臓物を撒き散らしながら。
その中で、口からも血をこぼしながら、ロックは笑っている。
「心技体では勝ってたんだけどな」
宙を舞いながら、ロックは言い捨てる。
「業で負けたか。やっと終わりだ」
そう言いながら笑顔で落ちてくるロックの上半身を、俺は地面に落ちる前に進撃で数百個の肉片に分割する。
ウォードッグだから、確実に殺しておいた方がいいだろう。ここで、恰好よく一撃で決めてそのまま終わるなんて、そんなことはしない。してはいけない。
赤い粉々の肉片になって、ロックは地面に染みを作る。
そして、立ったまま切断面から血を吹き出し続けている下半身。
俺進は撃で両断して、さらに両断、もう一度両断して、脚で蹴りつける。
「ああ、そうだ」
蹴りで肉片を粉々に破壊しながら、上半身のばねを使うようにして、進撃を投げる。
音速で飛ぶ進撃が向かう先には、奇妙な笑みを浮かべたままロックが解体される有様を眺めていたゴールの姿がある。
進撃が頭に突き刺さり、そのまま体を四散させるゴールだが、その奇妙な薄ら笑いは最後まで浮かべられたままだった。
あるいは、安堵の笑みかもしれない。そんなことを少しだけ思う。別に、興味はない。
「……よし」
ようやく全部終わって、俺はその場を見渡す。
手足、頭、肉片、血、臓物。
そういうものが所狭しと散らばっている草原。
戦い終わった後の爽快感も、正義が勝利したという神聖さも、これで少女の命が救われたのだという充実感も見て取ることのできない、陰惨そのものの草原。
「これでいい」
足先にへばりついていた、誰かの眼球を指で弾き飛ばしながら、言う。
そうだ、これでいい。
戦い、殺し合い。その後にはこんなものが残る。これでいい。こうでなくてはいけない。
「けど足りない」
自然と口をついて出る。
「アルにもアーシャにもバクルにも村の皆にも、感謝している。ゴールにもロックにも兵達にも、感謝している。殺す相手が見つかった。殺す相手が分かったんだ、お前らのおかげで。でも、足りない」
肉片に向かって語り掛けるように、俺は呟き続ける。
「足りない、足りない、足りない、足りない、足りない」