草原の戦塵2
思ったより時間がかかってしまった……
きりがいいので今回はここまで
ティグレは正直に言って驚いていた。
……草原の獣人族はおおらかであけっぴろげだが、そこには断然とした区別がある。……すなわち自分達、草原の民かそうでないか、だ。
例え、同じ獣人であっても余所の地から来た者は余所者と看做され、部族会議などには参加出来ない。オブザーバーとして参加する事は可能だが、あくまで意見を述べる事が可能なだけで決定には関われない……。もっとも外国の者を自分達の国(仮)の運営に関して直接関わらせる方に問題がある訳だが。外国の者はどうしても自分の国の利益を優先する。である以上、草原の民にとって不利益を受ける事であっても提案してくる、可能性がある。そして、その可能性がある以上、決定に関与させる事など出来る訳がない。
そう、もしティグレが自分の率いてきた植物ゴーレム達を率いて他の部族を制圧していったとしよう。
その時、草原の獣人達は断固として抵抗を開始するだろう、普段は対立している部族同士も協力して、だ。
例え、内部の部族間に対立を抱えていても、今実際に対立し睨み合っていても、外部より敵が来た場合は一致団結して、というのは草原の獣人族の絶対の不文律だ。そうでなくては自分達の場を犯され、奪われると誰もが理解しているからだ。
裏を返すならば、部族同士ならば例えどこかの部族が獣人の統合を目指して動いたとしても咎められる事はない。
もちろん、部族同士が手を結ぶ事はあっても全部族が一致団結してその部族に立ち向かう!などという事はありえない。
これを知った時、ティグレは悩んだ。
彼の目的を達成するには草原の民を戦力とする必要がある。であれば、草原の民を本当の意味で戦力としたいのならばそれは拙い。つまり、ティグレが目的を果たすには自身がまず草原の民の一員として認められる必要があるという事を示していた。
では、彼ら草原の民の一員となる方法はないのかというと、ちゃんと存在する。
一番簡単なものは草原の民の女性と結婚する事だ。
無論、強引なものは論外だが、それを女性も望み、馬術や弓術などで腕を認められれば草原の外から来た獣人でも結婚は認められ、以後草原の民と認めてもらえる。
ただし、もし子供が出来る前に離婚したりするとそこで草原の民扱いは終わり。
子供が生まれていない場合でも女性が事故で亡くなった場合は草原の民としての扱いはそのままで、逆に草原の外から来た女性が草原の民の男性と結婚する場合は特に馬術弓術は求められず、女性当人が離れる事を望まない限り子供が生まれる前に離婚しても草原の民として扱われる。
一見女性に甘いようだが、これはかつて草原の民と当時存在した獣人の国が揉めた際に当時の草原の民の代表たる大部族の長にその国の王女が嫁いだ事がそうなった原因とされている。
王家の女性が馬術弓術を草原の民に匹敵する程収めている訳がなく、かといって当時の情勢上娶らないというのは論外。結果として、男性のみ、女性にはそうしたものを求めないという風習が生まれ、以後その国が草原の民に吸収される形で消滅した後も続いている訳だ。
しかし、これはティグレが自身の目的を達成するには相応しい方法ではなかった。
草原の民に成れたとしても、さすがに即座に部族の権限を握る事は出来ない。
例え目的の方向へと部族内部で煽ろうとも、部族全体としては下っ端、若造に過ぎず、部族全体の意志決定には関わらせてもらえない。そうした意志決定の場に加わる為には大きな部族だろうが小さな部族であろうが内部で何十年も下積みを続け、その時間の中で部族の民からの信頼を得て上へと上がっていくしかない。
そうして早い者で中年になってから、通常は初老と呼ばれる年齢となる頃になってようやく部族会議の決定に携われる立場となるのだ。
理屈は分かる。
分かるのだが……ティグレからすれば「何十年も先なんて待ってられるか!!」という事になる。
最近はその為に少々焦っていた。
そんな時にこうして目の前に草原の民とすぐになる事が出来、部族会議においてもすぐに発言権を得る道が出て来たのだ。
確かに、部族会議においても大きな部族の方が発言力はあるだろう、だが、小部族とて発言権はある。
そもそも発言すら出来ないのと、発言する事は出来るとでは大きな差がある。ティグレとしては「是非!」と言いたいような話ではあるが……。
「いいのか?余所者の俺でも族長の立場ってヤツが部族にとって重要な事ぐらいは理解している」
だからティグレは念を押す意味も込めて、そう確認する。
けれども、その言葉に老獣人は少し寂しそうに笑って言った。
「構わんよ。どのみち、自分達の部族は長を失った。新しい族長を新たに選び出さねばならんのじゃ」
そう告げる老獣人の寂しそうな様子にそれだけではない事をティグレは察した。
おそらく失ったのはそれだけではあるまい。我が子や孫、長年の友人……或いは伴侶。戦いの中でそうしたかけがえのない者達を失ったのではないか……。
そのティグレの想像は当たっており、この老獣人こそが先々代の族長であり、今は亡き先代族長こそ彼の自慢の息子だった。けれども先の襲撃で彼はその息子もその妻も、そして孫も全てを失ったのである。
「それに……」
「……それに?」
「貴殿への依頼の対価としてわしらに出せそうな報酬なぞそれぐらいしかないのじゃよ」
その言葉に「ああ、そういえば自分は傭兵だって事にしてた」、と老獣人の言葉に思い出したティグレだった。
確かに四十余を数える傭兵団に対して支払えるだけの報酬額など通常の小部族にとっては大きな負担だ。ましてや部族同士の戦いに敗退して逃走中の彼らに支払いにあてるだけの十分な資産の持ち合わせなどないだろう。草原の民にとって最大の資産とは牧畜の為の家畜だが、それとて先程案内される時にぱっと見た感じでは今残る者が生きていけるだけの数をやっと掻き集めたという所か。
成る程、そう考えるならば、草原の民にとって金には変えられない族長の証を報酬とするのは間違った事ではない。
と、そこまで考えてティグレの顔に苦笑が浮んだ。
彼らの族長として迎え入れる、というのが報酬の代わりとなるのは、あくまで相手の獣人、この場合はティグレ自身がが草原の民になる事を望んでいればこそ、だ。もし、望んでいなければ返って来る反応は「そんなもん貰ってもなあ」程度のものだろう。
そして、さっきの「いいのかい?」とティグレが聞き返した事で、ティグレが草原の民となる事を、族長となる事を了承した事を目の前の老獣人は理解している。
そう頭の中で理解したからこそ、苦笑が浮かんだのだった。そう理解した上で目の前の老獣人を見れば、その目には僅かに悪戯めいた光が見えるのにも気付く。
「爺さん、あんた食えんヤツだな」
「おや、そうですかの?」
そう言ったティグレに、老獣人はあくまでにこやかな笑みで応じた。
「いいだろう、その依頼受けさせてもらおう」
「よろしく頼みますぞ」
頭を下げた老獣人の姿を見て、最後の方ではやり取りを理解しきれていない様子だった周囲の者達も慌てて頭を下げたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「さあて、まずは相手の様子を探らねえとな。やつらのおおまかな位置だけでも分かるか?」
依頼を引き受け、契約としての書類を簡潔にまとめる。何せ、今回は金は絡まない、名誉のみだから書類も簡単なものだ。
これが本当の傭兵団なら傭兵達の反応や彼らへの支払いという問題も生じるが、ティグレが連れているのはいずれもゴーレムの類、判断を下すのはティグレのみで、不満が出る事もない。
彼らを用いて偵察を行う事も出来ないではないが、矢張り自分の目で確認しておきたい、そう思い、声を掛ける。
「ふむ、ならば誰か案内をつけよう」
「いや、道教えてくれりゃあ……」
そこまで言った所でティグレは気付いて頭を掻いた。
老獣人が苦笑しているが、草原というものは想像以上に目印となるものがない。どこまでも続くかに見える地平線が広がり、所々に岩があったりするが夜空の星でも出なければどちらを向いているかさえ分からなくなりそうだ。
そして、草原の民が遊牧民である以上、定住している場所などない。
おおまかな方向を教えてもらった所で迷子になるのがオチだろう。これまでは特にどこに向かうというはっきりした目標がなかったのでそれでも良かったのだが……。
「すまねえ、確かに教えるとかそういう問題じゃねえな」
この草原では方向を聞いても、「多分あっち」ぐらいしか言いようがないのだ。
敵となった部族にした所でおおまかな方向のみ確認して後は野営地となる地点を頼りに巡回地を回っていくしかないのだ。土地勘のない者にはお手上げである。
「しょうがねえ、誰か道案内引き受けてくれる奴はいるか?」
適当な誰かを指名しても良い。
だが、これから向かうのはあくまで偵察であり、危険もある。
ティグレ自身はいい。
傭兵だとか部族とは関係ないと主張する以前に、確認出来ている限り彼自身の戦闘力は相当上位に位置する。彼専用の召喚系乗騎も使える事が確認出来ている為、万が一でも逃げるだけならそう苦労はしないだろう。
だが、この部族の者達は違う。
既に敵対している上、相手部族側は自分達が草原の暗黙のルールを破って行動した事を重々理解している。当然、もし見つかれば見逃すという可能性は低い。まあ、内心では悔いている為にこれ以上は……とか、既に大勢は決まったから敢えて殺す必要もない、いったケースなどで見逃す可能性が全くない訳ではないが最初からそれを期待するのは間違っている。
だからこそ、ティグレは自発的に手を挙げる事を望んだ。
危険性は説明した上で、あくまで自己責任で立候補してくれる事を望んだ訳だ。だが……。
「であれば、私が」
「いや、僕が」
「自分を是非!」
次々と立候補が出た。
とはいえ、ティグレとしては素直に頷けない。理由は彼らの目だ。
彼らの目には一様に危険な光が宿っているとティグレにも分かる。
(こいつら下手したら敵部族見つけた途端に突っ込むか、闇討ちするかしかねんな)
そう判断せざるをえないぐらい、彼らの心理は分かりやすかった。
今回はあくまで偵察なのだ。
本番の襲撃の為にも今は油断してもらった方がいいのだが……こうした激しい感情は何が原因で噴出すか分かったものではない。今でさえこれだ、事情を説明して一旦抑えるとしても……果たして彼らが身内や友の仇を目の当たりにして自分を抑えきれるかは疑問だった。それぐらい狂おしい光が彼らの目には宿っていたとも言える。
それがわかっているのだろう、彼らの誰ならば大丈夫かとティグレが目で問いかけた老獣人も彼らの中の誰を指名するとも言わず、苦い表情で押し黙っていた。
長いようで短い僅かな時間が過ぎた時、凛とした声が辺りに響いた。
「待て、ここは私が行くべきだろう」
歩み出て来たのは……一人の女性だった。
少女と女性との境、とも言えるぐらいの年齢の女性、ティグレが直立する獣のような姿であるのに対し、彼女はその頭部の耳や尻尾などに獣人としての特徴が現れているものの、それ以外は殆ど人族の女性と変わらない。が、同じ獣人ならば相手が何の獣人かを見誤る事はない、それはティグレも同じようで何故か直感的に相手を見れば何の獣人かが理解出来た。
「狼の獣人か」
「そうだ、お初にお目にかかる新たな族長よ、私はレアンという。是非私を同行者に選んで欲しい」
ふむ、とティグレは彼女の視線を真っ向から受け止める。
いや、それ以上に彼女の目を見る。
「……ふむ、彼女はどうなんだ?」
大丈夫そうだ、と判断して確認を取る。
彼女の目には他の者に大なり小なり見られた狂おしい光がない。心の内に抑え込んでいるだけかもしれないが、今、こうして抑え切れているだけ他の者よりは遥かにマシな状態と判断して、老獣人にそれとなく彼女の腕を確認する。
さすがに、腕までは初対面のティグレには分からない。
「大丈夫じゃ、今のわし等の中では一番の馬と弓の使い手じゃろうて」
「そうなのか?」
「ほれ、他の者の反応を見れば分かるじゃろう?」
そう言われて他の者を先程まで立候補で煩かった者達を確認すればいずれもが苦い顔で黙りこくっている。
……草原の民において馬と弓の扱いは重要だ。
それが優れているというのは草原の民の間ではそのまま敬意に直結する。つまり、他の立候補者が軒並み黙らざるをえないぐらい、この女性の腕が優れているという事だろう。
とはいえ……。
「女性が一番とは珍しいな?」
何の気なしにティグレはそう呟いた。
別段、女性蔑視の意味合いはなく、草原の民は女性でも当り前のように馬に乗り、弓を引く。
では何故男性の方が優れていると言われる事が多いかと言えば……単に目の前にニンジンがぶら下がっているか否かの違いだったりする。
例えば女性に交際を申し込む場合でも女性の方が馬術弓術が明らかに上手ければ控える、というのは暗黙の了解と化している。結婚も同じだ。
結果、馬術弓術のヘタクソな奴は余程女性と両思いな関係でない限り、婚期が遅れる事になる。
必然的に男の方が必死になる上、女性側としても余りに腕が良くなりすぎると今度は男性側が気後れして婚姻の申し込みが減り女性側の婚期も遅れるという事になりがちな分、女性もそこまで熱意を持って馬術弓術を鍛える者は限られ、結果として男性の方が腕が良い者が多くなる。
まあ、中には好みの男性より少し腕が劣る程度で抑えたり、嫌いな男より腕を上げて、なんて女性もいるのだが……。
どこの世界でも男が女性の前でいい格好したい、という気持ちがあるのは変わらない訳だ。
ただ……。
「前はおったのだよ、彼女以上に優れた使い手達が、な……」
その呟きにどこか沈痛な響きを伴う声で老獣人は呟いた。
周囲もどこか落ち込んだ様子だ。その意味はすぐに分かった。
「だが、そやつらはもうおらん故、な……」
「……悪かったな、やな事思い出させちまって」
かつては優れた使い手がいた。
或いはその中に彼女の恋人もいたのかもしれない。
けれども、敵対部族からの奇襲を受けた時。
おそらくその時、彼らは、そんな男達は同じ部族の者を、女子供を逃がす為に先頭に立って戦い、そして帰って来なかったのだろう。
だからこそ生き残った中では彼女が一番となった、そういう事だ。
他の立候補者達が彼女が出て来た後黙ったのは、ただ腕が優れているからだけではなく、そうした、同じ辛さを抱えた者であるという事もあったのかもしれない。
「……まあ、いいさ。事情は理解したし、こっちは男だろうが女だろうが腕利きが案内してくれるってんなら問題ないさ」
「それは良かった」
微笑む彼女にティグレも内心で心臓がドキリとした。
これなら部族が安定していた頃はさぞかしもてた事だろう。
……他にも何人かいた、と言っていたがもしかしたら彼女を巡った恋の鞘当という奴は結構激しかったのかもしれない。その中で腕が磨かれていったのかも、とそう思うと今はもういない彼らにも親近感が湧いてきそうなティグレだった。
「……で、奴らがどの辺りにいるか当てはあるのかい?」
「ええ、それは問題ないかと」
かつて彼らが用いていた巡回域を手に入れたからにはそれに沿った動きをしているのは確実だから、とレアンは言う。
そもそも、それぞれの部族の巡回路自体は草原の民にとっては本来秘密でもなんでもない。互いの交流を保つ為や或いは草原の外からの侵入者といった緊急時の連絡の為、誤って他の部族の巡回路に入り込まない為であったりと理由は様々だがそれ自体は積極的に公開されている。当然、敵となった部族も知っているはずだ。
そして、巡回路とは長年の経験から導き出された最も効率の良い巡り方であり、大地の回復を待つ為の順序でもある。それを敢えて崩した回り方をする意味はない。下手に崩した所で大地の回復を妨げ、結果として手に入れた新たな巡回路もダメにしてしまうのがオチだ。
結果として、新たに占領を行った部族も同じようなルートを辿っていると推測される訳だ。
「よし、それじゃ急ぐか」
「はい!」
しかし、それでもすぐには見つからない。
おおまかな位置は予測出来ても何しろ広く、尚且つ今回は見つかる訳にはいかないのに草原は見晴らしが良い。警戒しながらではそれ相応の時間がかかる事になるだろう。だからこそ、決まったなら早々に準備して早めに出なければならない。
連れて来たゴーレム部隊に残る部族の者達を守るよう指示を出し、ひとまず老獣人の命に従うよう伝えておく。
幸いレアンの腕は言われていた通り素晴らしいもので、問題なく駆け続ける事およそ四日の後。
彼らは無事目的とする部族を発見していた。
次回は竜の更新予定
来週は忙しいけど、来週週末は実家に用事があって帰る予定だからパソコンに触れないので、それまでには上げるつもりです