勇者の意味
遅くなりました
楽しんで頂ければ幸いです
※誤字修正しました
ブルグンド王国南部領域、そこははっきり言ってしまえばブルグンド王国領内で最も開発度の低い地域である。
元々、ブルグンド王国の領域は現在の北方領域である。そこからアルシュ皇国と、まあどちらの関係が正しいかは置いておくとして皇国を後ろ盾にその領域を南部へ、南部へと広げていったのだから南部になる程征服したないし併合した時期が後になり、その分開発が始まったのが後になるのは至極当然の話であると言える。
その南部へとヴァルト連盟の先兵こと常盤の支配下にある森林が広がっていった。
これもまた至極当然の話であった。
植物というものは寒いよりは暖かい方が育ちやすい。
我々の世界の南極北極に近い場所では大きな木々など生えず地衣類のみ、といった光景になる反面、熱帯では多種多様な植物が生い茂っている……という事を考えてもらえば当然の話だ。
つまり、育ちやすい場所、育てやすい場所へ進んでいけば森は自然と南方へと伸びていくのである。
まあ、裏を返せば、将来的に北に侵攻する際はここまでの順調な伸びしろは期待出来ないとも言う。特に極点に近づけば植生は通常どんどん貧相になっていき、最後は地衣類のみが生息する。無論、この世界は魔が蔓延る世界故に現実のそれよりは遥かに植物も強靭な訳だがそれでも考慮は必要だろう。
もっとも、桜華はまだしも晶輝や焔麗も本来の法則を捻じ曲げて生み出している部分がある。
彼らは本来鉱山地帯や火山地帯に生える植物なのだ。
それを本来ただの草原だった場所でエントの膨大な魔力あってこそとはいえ生み出す事が出来たのだから、その地に合ったモンスターの生成には問題はあるまい。
「かくして街道の制圧はなったと」
常盤は離れた地から南方都市へと視覚のみを飛ばし、確認を行っていた。
既に元々あった街道、おそらくブルグンド王国が相当な労力と金をかけて建設し、維持していたのであろう街道は現在は既に緑の絨毯の下だ。
これを再び街道として使えるようにするには元以上の金と人手が必要だろう。これを再び開発するぐらいなら改めて別の位置に街道を敷いた方がマシと思えるぐらいには。
一見すると順調に事は運んでいる……そう見える。
森は生い茂り、王国はその領土の五分の一に実質手が出せなくなり、各国との交渉も開始され、ヴァルト連盟は国として認識されるようになった……なりつつある。
が!問題もまた山積みだ。
何しろ元となる大森林地帯でさえこれまで統一された政権が存在しなかった訳だ。
それこそポイントを消費したり、或いは同じ作業を繰り返していればある日突然「政治能力があがりました」なんて表示されて上昇したのが分かる訳でも、具体的な「目の前の彼の政治や統治、国家運営能力はこれだけ」という数値が見える訳でもない。
そもそもこのヴァルト連盟の運営方針自体がまだまだ手探りだ。
今の所は各集落の代表者による議会を仮運営し、それ以上に大きな権限を与えられている大統領制を仮運営しているがこの制度だってどの程度まで権限を与えるか……。
権限が少なすぎたら緊急時の即応性という期待されている肝心の部分が駄目になるし、かといって権限が大きすぎれば今度は議会の存在が疑問視される訳で……。
「だからといってこの分野に関してはモンスター達に手伝ってもらう事は出来ないし」
いや、単純な作業になら問題はないのだ。
例えば【血染め桜】こと桜華は政治や外交に関する知識を有している。
しかし、それは有しているだけ。実際の場で応用が利くかどうかはまた別問題だ。知識を持っていても、実際に戦場であれこれ学ばせていたのもその為だ。
結果として、「何で自分がこんな事を」とか「自分は政治家ではないのに」とか言いながら、常盤があれもこれも手をつける羽目に陥っている。まあ、そこら辺は幾ら学生と言っても近代レベルの教育を受けただけあって中世の、それも上位貴族でもないのにきちんとした教育を受けた者よりはその学習レベルは遥かに高い。
加えて、過去の例、という豊富な知識が存在する。
判例、或いは実際に起きた過去の話。そうした話を元の世界は自由に閲覧し、得る事が出来た。
一方、この世界では統治方法というのはある種の秘伝のようなものだ。
最新の現代世界のように高速の通信回線が世界を結び、一瞬で世界の裏側で起きた事柄をVRを用いてリアルタイムで味わう事も出来る、そんな世界ではない。幾ら魔法を用いても情報の入手には限度があり、専門の教育を受けられる者は限られている。
そもそも義務教育なんてものが受けられる国自体が極めて恵まれているとも言える。
必然的にどのように統治を行えばいいか、なんて知識は
お陰で、今の所、常盤でも何とかなっている。とはいえ……。
(所詮自分のは畳の上の水練、実地で鍛錬を積んだ相手にどこまでやれるか……)
精神的なショックや動揺はスキルによって誤魔化す事が出来たとしても、だ。
幾ら何でも何十年も実地で経験を積んできた外交官や政治家相手の腹芸など自分には無理な事ぐらい理解している。
経験というものを甘く見てはいけない。世の中、研修はしたけれどいざその状況になると案外対応出来ないものだ。きちんと勉強し、教えてもらって「なるほど、分かりました!」としても、就職した人がいざお客からの電話が鳴った時に躊躇って電話に手を伸ばせなかった、或いは電話を取ったはいいが頭が真っ白になってまともに答えられなかった、教えてもらった事が全然出てこなかった、予想外の質問で混乱した、といった事はよくある事だ。
こうして、落ち着いて考えられる状況ならば知識も生かせるが、いきなり別世界に飛ばされたなんてお話の主人公、それも内政ものと同じような活躍は出来そうにない、とは自分でも理解出来る。
せめて同じ国の内部ならば実際に自分がやっている通り、国を発展させたいという思いは……まあ、まともな人材なら基本同じな訳だから何とかなるかもしれないが、敵国の相手となれば無理だと断言出来る。
そこまで常盤は自分を過信してはいない。出来ない。
猫子猫、ではないティグレだったらどうかとは思うが、実の所大差ないかも、という考えも同時にある。彼も政治や外交という面に関しては経験がある訳がないのだから……それでも管理職の経験でもあればある程度人を使う経験はあったかもしれないが……。
そこまで考えた所で頭を一つ振って考えを振り払う。
今は、そんなどうにもならない事を考えている時ではない。
(……大体の所は上手く行っている。けれど)
常盤が送り込んだモンスターによる使者。
万が一捕えられて殺されても何とかなる。
そんな急造型だったが、殆どは役割を果たした。まあ、交渉とかではなくその生まれつき与えられた能力を生かして手紙を置いてくるだけなのだから、能力頼りでも何とかなった。これが面と向かって交渉してこい、といった命令だったら果たして対応出来たかどうか極めて怪しい。
わざと気配を洩らした上で、誰何を受け、それに応じてきちんと姿を見せて手紙を渡す。この方がずっとそれらしく、表向きにする訳にはいかなかった、といった体裁を繕う事も出来た訳だが、それをしなかったのは何の事はない。ただ単に人形にウィットに富んだ受け答えなんか期待出来なかった、それだけの事だ。
中には迎撃を受けて倒された国もあったが、それらの国とも大体は交渉が始まっている。
一つを除いて。
「……ヤトマル教国」
常盤は地図上のその位置をなぞる。
ヤトマル教国はその名の通り、セサル教を国教とする国……というよりヤトマル教を崇める人々の国だ。
セサルとはかつての戦争で勇者と呼ばれた存在の一人。
彼の名を冠した教団という時点で予測がつく方もいるだろうが、元々は彼を慕い、庇護を求める人々が集った国だったようだ。
何しろ当時は戦乱で多数の国家が崩壊し、多数の難民がいた。
彼らが求めた一番のものは安心。
ここなら大丈夫、そう思えるだけの絶対的な安心だったのだ。だからこそ彼らは当時の魔からも恐れられた勇者ヤトマルの本拠地に集い、やがて国となった。ヤトマルを尊敬し、死後に神として祭り上げ、崇拝する事によって彼の死後も国を纏める要因としたのだ。
それ自体は決して珍しいものではない。
死後に神として、或いは神の子として宗教に組み込まれるのも決して珍しい話ではない。
しかし……。
(勇者という存在、どうも引っかかる)
勇者と英雄は全く別の存在。
それがこの世界の常識。
勇者が英雄を兼ねる事はあっても、英雄は決して勇者にはなれない。そこには厳然とした差が存在する。
そして、勇者という存在の話をエルフの長老と呼ばれる者、それも語り部として長く生きてきた者に聞いてみたが、勇者の能力というのは決して一般的な正義の力!というイメージのものだけではない。死霊術の使い手や闇の魔法の使い手でも勇者と呼ばれる者がいる。
ただ単にそこまで区別する余裕がなく、自分達を救ってくれる存在であれば多少問題があっても受け入れてきた、と見る事も出来るが……同時に歪だ。
勇者という存在については各地に派遣されているエルフ達を通じても可能なら集めてもらっているものの、ヤトマル教一つとっても国を作る程に熱狂的な者達がいる反面、驚く程に冷淡な国もある。それこそ「ヤトマルという勇者がいた」というぐらいしか描写されてないぐらいに。ここまで極端だといっそすがすがしい。
それでも勇者としては伝わっているらしい。
おそらく、常盤はこの違いは勇者によって利益を受けた側と損を受けた側ではないかと見ている。
自分で考えれば分かる事だ。エルフ達は自分を勇者と呼ぶが、被害を受けるブルグンド王国側から見れば疫病神以外の何者でもあるまい。全員が全員利益を得るなどありえない。誰かが利を得るならば、その利を生む為に誰かが損をしている。
まあ、今はそれはいい。
問題はこの国からの反応が全く返ってこない点だ。
まあ、元々この国は亜人種と一般に分類されている種族に酷く厳しい。何せ、傭兵として傭兵ギルドに登録されている魔人族でさえ入国を断られるというのだから大概だ。
とはいえ、今の所人族でそこまで信用出来る人材はおらず、金で雇うにしても人族の都市を抑えたばかりで、交易はこれから、という状況。
かといって、都市の金庫を開け放ったり、貴族や富裕層の資産を接収するなどしたらえらい事になる。都市の金庫は都市の運営の為の資金であり、大抵は予算が立てられ一部が予備費として使えるぐらい。富裕層の金を奪うのは論外、貴族の資産の一部は抑えたが基本は緊急用に取っておかねばならない。
人を雇う、と言えば簡単だが信用出来る細かい調査を行える人材など雇うにはえらい金がかかり、国を立ち上げたばかりのヴァルト連盟としては幾ら金があっても足りないと本当ならば言うべき状況。
幸いというべきか、南部を順調に押さえ、森内部の通行を降伏した都市や契約した商人には認めた結果として諸島連合などとの交易が少しずつではあるが順調に拡大しつつある。
「……本気で身体が複数欲しいな」
なまじ睡眠が不要で、肉体的な疲れも精神的な疲れも癒されてしまう身体なせいでゆっくり休む余裕もない。
前の身体の時は「疲れない体か疲れが一発で飛ぶ薬欲しい」とか忙しい時に「眠くならないでいい体が欲しい」なんて思った事もあったが、いざそうなってみると疲れや眠気が懐かしくなってしまう。
人なんて勝手なものだと思いつつ、常盤は仕事を続け……忙しさ故に突然切れたリンクや、ヤトマル教国の事を後回しにしていた。
いや、重要な国である事は確かなのだ。
その国の近隣の国には大きな影響を持ち、自国の国力も相当なもの……単なる宗教だけに頼った国家ではなく、軍事国家としての面も間違いなく持ち合わせている国家だからだ。
その事をやがて思い出す事になるのだが……この時は他にすべき事が一杯あったし、ヴァルト連盟、という立ち上げたばかりの国としてはヤトマル以上に重要な国もまた幾つも存在していたのだ。
……さて。
そのヤトマル教国。
この国はヤトマル・オオギという勇者が建てた国だとされている。
そう、その名から推測が立てられるかもしれないが、勇者とは異世界の住人である事も条件だ。
世界を変える、そう言うのは簡単だが、それが出来る者は歴史上に何人いるか、というぐらいに少ない。ならば、その条件を満たす者を外の世界から持って来ればいい……勇者の根底にはそれがある。
……とはいえ、普通はそんな事は為されない。
何故ならば、「異なる世界から」「一定の条件を満たす相手を見つけ」「且つその相手がこちらの世界の住人と意思疎通が可能で」「協力してくれる可能性が高い相手」、そんな相手を探し、連れて来る方がこの世界の住人だけで何とかするより余程大変だからだ。
しかし、それを為さねばならぬ理由が、為す事が可能な下地がこの世界にはあった。
嘗てこの世界を滅ぼしかけた相手、その相手もまた異界の住人だったからだ。
どうも突如現れた破滅の軍勢、と仮称するが、その正体を掴み、弱点ないし滅ぼす手段を探る過程で判明した話のようだ。
その事を伝える話はヤトマルの日記か覚書か分からないが、教国に伝わる聖典、その裏として厳重に管理される書物。
どこまで彼がそれを理解していたか分からないが、はっきりしているのは彼もまた異世界からの召喚者であったという事だ。
それ故に……。
異界よりの召喚陣。
それが教国の中央、大聖堂の奥深くに秘されていた。
実の所、勇者召喚の儀は殆どの国で失われている。
勇者とは世界を変える者、すなわち変わる事を望まぬ者にとっては余計な異物であり、現状に満足しているといえば当然、大抵の者は裕福で権力を握っている訳だ。
無論、細かい所で言えば不満はあるだろう。
もっと金が欲しい、もっといい女を自分のものにしたい、権力が、力が、と色々であろうがそれらはいずれも「世界を変えてしまって」まで欲する物ではない。何せ、世界を変えてしまったら、今より悪くなる可能性だっておおいにある。
かつての滅びを目の当たりにしていた時期ならば世界が変わる事を権力者や富豪程望んでいた。
無論、貧しい者も、富める者も病める者も極僅かな例外を除いた生命ある者は世界が変わる事を、「世界を変える事が出来る存在」を求めていた。
だからこそ、存在した勇者召喚陣。
だが、それも異界よりの侵攻が停止し、長い年月が経る間に勇者の必要性は薄れた。
世界を変える存在ではなく、世界を維持する事こそが望まれるようになった。別段悪い事ではない。英雄もまた平穏な日々の中からは生まれない。英雄譚に語られるように英雄とはそれが望まれる、英雄に打ち倒されるべき悪たる存在が先にあってこそ求められるものだからだ。
あくまで世界の内側、世界の法則の中で変化をもたらす英雄。
世界の外側より訪れ、世界の法則そのものすら変化させる勇者。
それ故に勇者でありながら英雄たる者は生まれても、英雄でありながら勇者たる者は存在しない。
しかし、その真実すら忘れ去った国の何と多い事か。
変わらぬ日々を送り、長命の種族故にかつての時代を知る者が未だ極少数ながら生き残っているエルフとは異なる。
エルフ達はそのような日々を送り、上位種族には生き残りがいる、だからこそ術も消え去る事なく残っていた。短い生故に流れも速い人族とはそこが異なる。
かくして、人族は勇者という存在を不要とし、不要故に……初期こそ「もしまた同じ事が起きたら」との懸念から密かに遺した国もまた興亡の中に消え去り、或いは国が続いた所で長い時の間に失われてきたのだ。お陰で今では勇者という存在が真実何を求めての存在だったのかすら、何をもたらすものなのかすら忘れ去られている。
今ではただ「勇者」という言葉のみが独り歩きしている状態……。
だが、このヤトマル教国は違う。
彼らにとって勇者とは崇める存在であり、開祖である。
当然、勇者に関係する物は全てが国宝であり、勇者を召喚した陣などその最たるもの。
……勇者も何故か戻る事を望まず、この世界へと留まり……故にこうしてこの陣も残っている。
だが……。
「……お前が使われる時は果たして来るのかな」
残っているのと使えるのはまた異なる。
特にこの魔法陣は「聖なる遺物」として秘されてきただけに解析などは進んでいない。
勇者召喚陣はある程度細かな設定が必要だ。
そして、陣を見下ろす回廊の一つにいる彼の視点には陣の周囲で動く幾人もの人影が見える。
無論、必要な情報を陣に干渉する事なく調べているのだ。よくよく見れば、周囲の回廊にもその姿はあり、上から見る事で全体像を描き出すべく絵筆を走らせている者もいる。
「さて、ヴァルト連盟……我らのみが危険視しても周囲が理解せねば、危険と看做されるは我らであろうしな」
元よりヤトマル教国は少々ならず過激な所があると看做されている国である事は重々承知している。
とはいえ、彼らも他国に赴いてまで自分達の教義を押し付けはしないから、揉め事は少ない。
ヤトマル教国の国土は攻めるに難く、守るに易い地形。
周囲を山地と峡谷に囲まれている。
まあ、元々追われた民が逃げ込んだ地であり、反攻の為の拠点でもあった地なのだから当然といえば当然だが。当時、侵攻路を限定する障害のない平地に広がっていた豊かな国、裏を返せば無防備な国などは真っ先に滅ぼされたとされている。
そんな地で長らく暮らしてきた彼らだ。
ヤトマル教国の地は自然の恵みは豊かで、天然の要害で制限された道には砦が関所を兼ねて設けられている。その気になれば何年も篭り続ける事も出来る。
そんな地を攻めた所で労多くして実り少ない、という状況になる事は間違いなく、それが周辺各国の「危険視はするけれども、別段侵攻も教義の押し付けもしない普通の布教ぐらいなら認める」といった姿勢の原因となっている。
だが、それは彼らが妙な押し付けをせず、守りを重視しているからだ。
ヴァルト連盟は現状危険視されてはいない。
何故かと言えば、先に彼らの住む地へと攻め寄せたのがブルグンド王国だからだ。
この件に関してはブルグンド王国がどう正当化しようが、どう言い繕おうが、表立ってはそれに同意する振りをしていても、いずれの国もブルグンド王国側が先に手を出し、ヴァルト連盟は遂に耐える限界に達して反撃に出た、というのは一致する所だ。それはヤトマル教国自身の見解でもある。
だからこそ先に手を出した以上、反撃として開戦した事も理解出来る。
そうして、少々面倒な手を繰り出してきはしたものの、国交を求めてきた。つまり、理解出来る相手だと判断した訳だ。
そのヴァルト連盟が危険だと叫んだ所で、ヤトマル教の教義に引っかかるからだとしか周囲は見はすまい。
軍勢を動かした所で、ヴァルト連盟の地まで軍を派遣する為には複数の国を経由しなくてはならない。一体どこの国が他国の軍勢が自国を通過する事を許すというのだ。
それも仮にも「国」を名乗る相手との戦いに向かわせるのだ。十や二十といった数ではなく最低でも数百の完全武装した兵士、おそらくもし正式に派遣するとなれば数千に達するだろう。そんな部隊をのこのこと通過させてくれる国など、その軍勢に対抗不可能な小国ぐらいのものだ。それとて決して好きで通過を許すのではなく、腹は立つが殴る力を持たないという悲哀の結果に過ぎない。ただ通過するだけ、それならいいじゃないかと思う者もいるかもしれないが、国土を通過されるというのはそれだけで「どこに砦があるか」「どこが大軍の通過に適しているか」「どこに水源があるか」「どこに街があって、補給や拠点に使えそうな村はどこにあるか」といった重要な戦略情報を幾つも得る事が出来るのだ。
そんな行動を強行に起こせば、間違いなく周辺各国はヤトマル教国こそ危険存在と看做す事になるだろう。
せめて「勇者」という存在が如何なるものなのかが知られていれば、こちらがエルフが勇者を召喚したという事実を証明出来れば動きやすくもあるだろうが、あの破滅の軍勢が消えた後滅んで完全に勇者に関する情報が失われた国も多く、勇者という存在が如何なる存在であるかを知らしめていかねばならない。そも、周囲に知らしめようとすればどうしてもヤトマル教国自体が危険視される可能性と裏表の関係な訳で……。
「厄介な事よな」
老人の声が静かなその場に響く。
ちら、と視線も向けられるが老人の姿を確認すると丁寧な礼と共に仕事に戻る。
そんな姿を見やりながら、老人はその腹の内では周囲の者達を、今も熱心に解析を行う者達、教義を信奉する者達を嘲笑っていた。
(愚かな事よ、世界を変えるというがそれがお前達に、いやこの国にとって良い方向へ働くと何故信じる事が出来るのだ?)
そも、一口に勇者といっても誰もが大きく世界を変えた訳ではない。
そこら辺は個人差だ。
素質を持っていても変える事を望まなかった者もいるし、変える気満々だったのに実際はちょこっと変えただけに終わった者、その逆に変えるつもりなかったのに結果的に大きく世界を変えた者もいる。
そう、勇者とて所詮は人かそれに類する者。
ヤトマル・オオギとて自分を神と看做してなどいなかった。それは聖典として伝わる数々の彼自身の手になる日記などからも読み取る事が出来る。
結局の所は他に頼るもののなかった者達が彼の死後すらも彼にすがりついただけの事。
それに、今、世界が変わるとして何が変わるというのか。
いや……。
確かに世界は変わりつつある。逆だ、今、正に変わりつつある世界、そこへ更なる世界を変える力を持つ「勇者」を召喚したとして……果たして何が起きるのか?
大体、呼び出される勇者が果たして自分達の願いを聞いてくれるかなど分からない。
或いは呼び出した結果、それこそヤトマル教国の終わりとなるやもしれないのだ。だが……。
それも面白かろう。
いずれにせよ、勇者が召喚された時点で世界が変わる事は定められたのだ。
さて、そこに更なる勇者が召喚されたならば……かつては複数の勇者が召喚された、だがそれは世界を変える事を誰もが求め、また成功するかが分からなかったからだ。或いは儀式の途中で邪魔が入るやもしれぬからこそ複数で行われ、複数が召喚された。ただし、儀式が開始される予定だった場所の数より明らかに少なかったそうだが……召喚された勇者は。
まあ、そんな事はもっと後の落ち着いた状況になってから判明した事だが、さて、かつて世界を滅ぼしかけた状況を変える為に呼ばれた勇者は、この今の穏やかな世界で如何なる事を引き起こすのか。
いずれにせよ……。
研究の進行を期待している。
そう声をかけるとヤトマル教国現教主クレールスは踵を返したのだった。
その貌には常と同じ穏やかな笑みを浮かべて……。
活動報告にも書きましたが……人が減ったのに仕事は変わらない
結果、忙しい……休みが欲しい