表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ワールドネイション  作者: 雷帝
第二章:王国
22/39

ある少年の想い

ポルトン陥落後のお話

 マノ伯爵令嬢ティエラの朝は最近は、早い。

 朝日が昇る少し前に起床し、準備を始める。

 前はもう少しゆっくりしていても許されたが今はそうはいかない。いや、別にそれで文句を言われる事も責められる事もないのだが、彼女自身が落ち着かない。まあ、現状で精神的に前と同じでいられたらそれこそおかしいかもしれないが……。

 手早く着替えと食事を済ませ、眠気をこらえながら今日一日の予定をメイド長から聞く。

 まだ慣れていない、がそれはメイド長も同じ事。

 以前、父の時はこれは執事長の仕事だった。でも、私が女だからメイド長がやっている。

 そう、現在城塞都市ポルトンの統治責任者、それは名目上ティエラが務めている……。

 都市陥落後の諸々が終わった後の取引の結果、前に住んでいた市内の屋敷ではなく、かつては父や兄が執務を行っていた城館に生活の居を移してから、はや二週間余。未だこの生活に慣れぬティエラは深い溜息をつくのであった……。


 あの日、城塞都市ポルトンは陥落した。

 何しろ元々兵力においては質、量双方においてポルトンが劣勢であった。

 昼夜を問わぬエルフ軍側(実際はモンスター)の攻撃に兵士は誰もが疲れきり、それでも増援と城壁を頼りに抵抗を続けていた……というよりそれしか出来る事がなかった。しかし、門が内側から開け放たれた事で攻勢を食い止めていたと思っていた、思うようにしていた片割れがなくなった。

 そもそも、城塞都市の内部に敵が入り込んだ、という時点で終わっている。

 都市内部も多少の戦闘は考慮された構造になってはいる。だが、元々大規模に入り込まれた時点で終わり、と考えられていた為にそこまで複雑な構造にはなっていない。

 大通りをわざと細く作れば敵が攻め込んだ時、一気に大量の兵士が進むのは難しいかもしれない。だが、それでは普段が不便だ。流通の中心となる大通りが馬車がすれ違うのも難しい程狭ければ街の繁栄に支障があるし、わざと曲がりくねった道を作る事も同じ。

 出来れば広く幅を取り、真っ直ぐな道を作った方がいい。

 いざという時の戦時を取るか、それとも普段の生活を取るかは常に選択の対象となりうる。


 そして、ポルトンは後者を取った。


 それはこれまでは間違っていなかった。

 建設以来ポルトンが侵略を受ける事はなく、最初から大通りを広く取っていた為に拡張されても都市はその流通を十分に支える能力があり、順調に発展してきた。城館でさえ、どうせ都市内部に入り込まれたら終わりと割り切ってしまえば普段の生活優先の構造となり、快適な構造にする事も出来た。

 だが、こうして攻め込まれ、内部に入り込まれた時……それは持ち堪える事も出来ず陥落する事へと繋がった。

 無論、かつての砦跡、兵士の駐留拠点に立てこもればある程度持ち堪える事は出来るだろう、そちらはきちんと防衛を考慮した作りとなっているからだ。

 だが、それも最後の足掻き。

 そもそも、領主が家族ごと抑えられた時点で最早抵抗は無意味だ。

 領主自身も下手に被害が拡大しないよう駄目だと思った時は素直に降伏する事を求められている。

 もし、兵士の長が篭って抵抗したとて、領主の命を盾にされて降伏を促される。そして、王国の法においてはそのような場合に領主を見捨てる事の方が罪となるのだから、もしその結果持ち堪えて都市が解放されたとしても領主が処刑されたりしていれば、兵士の長或いは篭って見捨てた者もその後を追う事になる。

 こんな法が出来たのも王国初期にその街の責任者に従わず、降伏しないで徹底抗戦してごねて自分が貴族に!なんて輩が結構いたのと、さっさと降伏した方が後が楽だぞ、と促すという理由からな訳だが。

 と、同時に「下手にごねても待ってるのは死だけだぞ!」と徹底抗戦派の意志をくじく為でもある。長年侵略国家だった王国故の制度でもある。

 

 かくして、マノ伯爵も無論裏切りに憤りはしたが、最早これまでと理解し、降伏した。

 ティエラ達の家も色々と非常時の事を考慮していたが、それは城門が破壊されて敵が雪崩れ込んで来た時の事や、今後篭城が長期化して内部での争いが発生した事を考慮してのものだ。

 その場合はある程度落ち着くまで混乱が発生し、強盗も発生したであろうが気づいた時には既に市内の要所を押さえられており、伯爵も降伏を受け入れた、という状況ならばそんな事も起きない。貧しい人々とて既に敵側の兵士が配置されている状況で暴れたりしない。

 なので、都市の被害は実に小さく納められた。

 スラムの住人がこれまでの兵士に代わり正規の兵士に取り入れられたりと幾つかの変更はあった。

 裏切った、という事で元スラムの住人に怒りの感情を向けたりする者も多かったが、実際にそれが暴力沙汰となる事はなかった。下手に暴れても、これまでは取り押さえるのは同じ人族だった。最悪でも最前線に放り出されるぐらいで処刑、という事はないと理解していた。 

 が、今はエルフ軍+モンスター軍である。

 特に後者が怖れられた。

 例えば、ある揉めた例を挙げよう。

 王国兵の集団がスラム兵の集団に絡んだ事があった。後者が前者と同じ立場に置かれたという事は既に周知となっていたが、前者からすれば自分達を売った代金として絡むのはむしろ当然の話ではあっただろう。ある程度の小競り合いまでは介入してくる事もないが……それは「ある程度」までの話。

 では、ある程度を超えると……モンスターが介入してくる。そこに容赦はない。

 何せ、これで腕を失った、不具になった、という例が実際に出てくると次第に口論以上のものには発展しなくなる。不満はあっても、だ。ある意味、上と下が逆転した事で却って感情的なものにおいては大きなしこりを残したと言える。


 さて、統治者たるマノ伯爵家はどうだろうか?

 実の所、エルフ達にはこれ程の都市を統治した経験はない。そして、それは常盤も同じだ。というか一般的な日本人にそんな経験がある方が珍しい。無論ゲームの中でならば万単位の国民がいたのは確かだが、あれはあくまでゲームであり、NPC一体一体に高度な人に対応可能なレベルの人工知能がついていた訳でもない。ゲームでなら都市計画を練り、線路を引き、道路を敷く。それだってゲーム内での時間と資金、資源を費やせば後はボタン一つで出来上がるが、現実ならどうだろう?

 まず間違いなく、「十日経過、線路が完成しました」なんて事にはならない。

 土地を買収し、場合によっては強制的に買い上げる必要があるが、素直に応じてくれる相手ばかりではない。むしろ、中には間違いなく無理難題を吹っかけてくる者、或いは先祖代々の土地を売れないとごねる者は間違いなく出てくる。

 土地が手に入ったとて、今度は人を手配しなければならない。

 二十四時間ぶっ続けなんてやれない以上、時間を決めて作業を行う人間が集まる時間を決め、人数を手配し、警備会社なりから警備員を手配し、配置場所を相談する。これらには当然金がかかるし、その間に別の者が完成するのに必要な資材を手配し……とえらい手間がかかる。

 ましてや、このポルトンはほんのつい先日までブルグント王国、敵側の重要拠点だった都市。確かにスラムの住人だった面々を含め、一部には積極的にこちらに協力している。

 だが、それでこの都市が完璧にこちらのものになった、などと考えるのは余りに甘い。

 裏切りに協力した者達は覚悟はしているだろう。幾ら誘われたからとしても、再び裏切るなど不可能な事ぐらい。王国側からはむしろエルフ側以上に憎まれている危険性すらある。幾ら王国側の対応に対する不満や恨みつらみが根底にあると言った所で、王国としても厳しい処罰を行わなければ色々と問題だ。そうしないと最悪次から次へと裏切り者が出る事になる。

 一罰百戒。

 裏切り者は厳しく罰してこそ、それを怖れて裏切りを躊躇う効果をもたらす事が出来る。

 カサドルなどはもし、王国側に彼が裏切り者の代表的な存在である事が知られて、王国側に捕えられるような事があればおそらく惨たらしい殺され方をする事になるだろう。

 しかし、彼を含めた一部はあくまで例外。

 それ以外の人族は幾つかのケースに分かれる。

 一つはただ単に利益を求めての行い。

 新たな支配者に媚びる事で利益を得ようとする者達。

 ある意味一番分かり易いだろう。

 裏切り者達以外の元スラムの住人の大多数などもこの分類に入るだろう。 

 二つ目は不満はあるが状況故に我慢をしている者達。

 領主家に仕えていた者などが分かり易いだろう。

 彼らは領主一家が実質人質に取られているから不満を持ちつつも従っている。

 最後、これが一番多いが、とりあえず現状において特筆するような問題がないから黙っている層。

 一般の市民にとって一番大事なのは自分達の生活だ。

 その生活が占領前と特に変わった面がなく、特に逆らったりしないなら普通の暮らしが出来る。だから反抗せずに大人しくしている。

 こうしてみると、殆どが状況次第でどちらにも流れる、という事が分かるだろう。

 王国側が有利になったら、領主一家が奪還されたら、生活に大きな問題が出るようになったら……。おそらく、その時でも尚エルフ側につく者など余程彼らの存在で利益を得た極僅かな例外のみだろう。

 それが分かっているから、常盤も悩んだ。

 マノ伯爵の身柄を押さえているから今は古くから伯爵家に仕えている、この街の運営に長らく関わってきた者達も大人しくしている。

 

 「出来れば、彼らが協力せざるをえない状況にしたいんだが」


 そうして、伯爵家を利用する為に選ばれたのが……ティエラであった。

 彼女ならば王国側もお神輿であると、飾り物の領主だと判断するであろう。何せ、年齢の関係上これまで統治に関わってきたのは上の二人の兄達であり、ティエラは一切関わってこなかったからだ。

 伯爵らは言うに及ばず。

 伯爵達にとっては彼女が人質となり、彼女に対しては伯爵らが人質となる。

 それでもいざとなれば伯爵は彼女を切り捨てる覚悟ぐらいはしているだろう。具体的には脱出出来て、彼女さえ救出しなければこのまま脱出出来ると判断した時など。

 そも人質とは殺さないからこそ意味があるのであって、殺してしまっては何の役にも立たない……まあ、一部例外はあるが。

 もっとも、実際には既にポルトンは密林にすっぽりとその周囲を飲み込まれてしまっており、もし都市の外へ出る事が出来たとして、王国側へと逃走を図ったとしても常盤の支配下にあるその森から抜け出すのはまず無理だろう。はっきり言って徒手空拳でアマゾンの密林を横断する方がまだ確率が高い。

 意志ある植物達が監視網を築き、人族一人など簡単に喰らう危険植物が罠として立ちはだかる。

 既に着々と王国側へそんな森が広がりつつあるのだ。なまじ一見した所ではちょっと普通とは違う森程度にしか見えないのが性質が悪い。 

 無論、専門の学者でもいれば異質さに気づいただろうが、そんな連中がのこのこ戦場へとやって来る訳がない。やって来るのは兵士や騎士、それは伝令役だったり偵察役だったり、或いは密かにポルトンを抜け出した者であったり……。

 彼らは多少の薬草などの知識は保有している。

 僅かではあるが、戦場で食べられる草と食べられない草、薬草や毒草。僅かな差が生死を分ける事もあるからだ。

 しかし、この森ではそれは通じない。

 彼らは「ちょっと何時もの森と違うかな?」と思いつつも、その任務を果たす為に森へと踏み込み……消息を永遠に絶っていった。

 まさか植物が襲ってくるとは思っていないから、それを知る由もないポルトンはともかく、王国側では余程のエルフ側の精鋭部隊が警戒に当たっているのだろう、と判断されていた。実際にはそこまでエルフ側には戦力を回せる余裕などなかったのだが。

 いや、大森林のエルフの数自体は一国を形成可能なぐらいの人数がいる。

 だが、彼らはあくまで小さな集落規模での生活に慣れており、国の運営経験などまるでなく、大規模な軍隊活動も経験がない。

 実を言えば、現在ティエラに執務を執らせ、その周囲にかつての伯爵家の人材を用い、その周囲にエルフ達を置く。この体制もその為の苦肉の対策だ。

 慣れていない様子のエルフ達の様子に、人族側は当然「専門ではなく、見張りを兼ねた本来の仕事は軍人な連中」と思っている訳だが、実の所はただ単に現場を体験させて、国の運営に役立てようという思惑があるにすぎない。

 

 無論、そんな事はティエラは知る訳がなく、今日も仕事を頑張っているのみだ。

 そんな彼女の傍にはメルクリオがついて手伝っていた。

 何しろ、彼女の仕事を手伝っている殆どの人員は父親の仕事を手伝っていた人員であり、彼女とは面識がない。

 かといって、これまでの彼女の傍についていた人員は彼らには申し訳ないが、本館の人員に比べればどうしても劣る人員だった。それはまあ、本館で暮らす伯爵自身とその奥さん、跡取りとその予備である二人の息子の世話をする人員なのだから、幾ら彼女が伯爵の娘で将来はどこかの貴族に嫁ぐ予定だと言っても別館に回される人員がそちらより劣るのは仕方がない。

 しかし、ただでさえ慣れない仕事なのだ。

 見知らぬ大人ばかり、ではさすがに少女には辛いだろうと配慮されて配置されたのが彼、メルクリオだった。


 「ふう」

 「お疲れ様です」


 ぐっと身体を伸ばしたティエラに苦笑を浮かべながらメルクリオが声を掛ける。

 さすがに彼は手伝えない。

 彼が学んできたのは彼女のお世話をする為の執事としての技術であり、彼女を守る為の武術である。

 「ワールドネイション」のゲーム風に表すならば、メインスキルに「格闘家」を持ち、一般スキルに「執事」を持つ、といった所か。格闘なのは彼女に同行するとなると当然ながら武器の携帯は許されない場所へと赴く可能性が高い、いや高かった。故に無手でも戦闘可能な技術としてその技術を学んできたのだ。手を保護する白手袋ぐらいならば戦闘で殴っても大丈夫なぐらいの頑丈な保護魔術が施されていたとしても、傷つける為のものではない為に携帯を許される事でもあるし。

 逆に言えば、政治に関してはてんで素人だ。

 下手にティエラを手伝おうと手を出した所で却って彼女の迷惑になるだけだろう。それが分かっているからメルクリオも手を出さないし、ティエラもお願いはしない。 


 「お茶でも淹れましょうか。良い葉があります」

 「うん、お願い。甘い物が欲しい気もするけど……」


 前と違って、身体動かす機会が減ってるからやめとくわ、そう残念そうに言った。

 体重や体型を気にするのはいずこの世界も女性の常らしい。

 メルクリオも苦笑しながらお茶を淹れる。こちらの世界では紅茶と呼ばれる類のものであり、きちんとした淹れ方をされた良い香りが部屋に漂う。

 その匂いにティエラも少しほっとしたような顔になる。


 「どうぞ」

 「ありがとう。……うん、いい香り」

 「執事長には及びませんけどね」

 「そりゃそうよ。あっちの方が年季が入ってるんだもの。あっさり追い抜かれたら執事長ショックを受けるわよ」


 メルクリオの苦笑にティエラも笑みをこぼす。

 気の置けない相手との、裏を考えずに済む話。

 今の彼女には貴重な時間であり、相手だった。

 ……確かに彼女は名義上この城塞都市ポルトンの領主だ。だが、彼女が本当の意味で実権を握っている訳ではない事は誰でも、それこそ少し物を考える事が出来る者なら誰もが知っている。他ならぬティエラ自身が一番それを良く理解している。

 今、彼女を手伝っている者達とて本当の忠誠は父であるマノ伯爵に向けられている。

 それを責める気はティエラにはない。当然の話だと思うし、そうでなくてはいけないとも思う。

 だが……。

 そんな彼らに余裕はない。

 時折会う事を許される父にも兄達にもない。

 母だけはそれでも彼女にせめて自分だけは、と言わんばかりに……いやまあ、平民出身の彼女には他に出来る事がない、という事を理解しているとも言えるが、他愛のない考える必要のない話を向け、愛情を注いでくれるが毎日会える訳ではない。

 そんな中で親しい相手が傍にいてくれる、というのがどれだけ心強い事か。普段は厳しい顔を崩さないティエラがこの時ばかりはかつての少女に戻る。

 それを理解しているからか、このひと時ばかりは他の者も入ってこない。

 無論、獣人に対して偏見のあるブリガンテ王国の事、メルクリオの存在に良い顔をしない者はいるが、それでもメルクリオを遠ざけるべきだとは言わない。

 

 「でも……」


 ふとティエラは執務机の書類に視線を向ける。


 「お飾りなのに、何でこんなに書類たくさんあるんだろうね……」


 理由は単純で、都市の運営という一番面倒な部分が彼女を仮のトップとする執務班に任されているからであったりする。

 外交は現在各国に国の成立した旨を通達する形で始めたばかり、軍事はまだまだ、とはいえどちらも握っておかねばならない。

 反面、都市の運営、管理とも言うがそれらは彼女らに任されている。が、これの内容はと言えば非常に細々した日常の事柄だ。

 下水の臭いが酷い。

 石畳が割れて危ない。

 水路にゴミが。

 通常それらは伯爵の所まで上がってくる事はない。

 当然だ、伯爵の身柄は一つであり、彼にはもっと重要な仕事が幾らでもある。

 かといって上記の苦情とて放置しておく訳にはいかない。

 下水を放置しておけば、そこから伝染病が発生するかもしれない。

 石畳が割れたのを放置しておけば馬車が車輪を取られて事故が起きたりする事になるかもしれない。 

 水路のゴミを放置しておけばいずこかに詰まって水が周囲に溢れ出すかもしれない。

 故に、こうした事柄に対応する専門の部署があり、通常は貧しい人々などを雇い、仕事をこなす事で日当を出すといった対応を行ってきた。 

 現在ティエラがやっているのはそれ、の最終承認である。

 ここに至るまでにこれまで実際に仕事を行ってきた者達が「これこれこういう対応を取る事に決めました、ついてはこれだけの人手が必要で、一人当たりの日当はこれだけを支給する予定なのでこれだけの額が必要であり……」と過去の実績に基づいた計画案を完成させている。それに必要な金などに関してもきちんと別途書類が上がって、通っている。

 はっきり言ってしまえば、ティエラが内容を見ずにひたすらサインし続ける、という行動を取っても何も問題がない。そんな作業でも問題はないが、それではティエラ自身の成長はなく、ここから先へは進めない。当然、周囲の、父の部下からの視線もそういうもの、として見られる事になるだろう。

 そう、彼らからしても役立たずのお飾り、という方向で。 

 

 エルフ軍からそう看做されるのは仕方ないと思っていても、父の側近達からもそう見られるのはさすがに堪える。

 なので、勉強期間と彼らが看做してくれる内に懸命に頑張っている訳だ。

 ……幸い、というか彼女の実務能力自体は実は相当に高く、その能力、理解や記憶、応用といった面に関してはむしろ兄達を上回るのでは?と気づき始める者も出ていた。足りないのは経験だけだ、と気づいたそうした者達は密かに難易度が上の書類を混ぜつつあったりする。

 何せ、彼女の兄達がこのポルトンで動けるようになるとしたら、王国から完全に離脱する事を決めて更に信用してもらえてから、か或いは王国がこの都市を奪還した後だ。

 果たしてどれだけ先になるか分かったものではない。

 そんなもんを待つぐらいなら、今目の前にいる領主代理を育てた方が確実に決まっている。

 かくして、彼女の仕事は頑張って成長しても、難易度が上がって量が増える為に仕事時間は変わらない。成長が当の本人に実感出来ない、という状況に陥っていた訳だ。


 「頑張ってもらうしかないです……」

 「うん、そうだね」


 手伝いが出来ない故に申し訳なさそうに言うメルクリオに、ティエラもちょっと疲れたような様子を見せるが、気合を入れ直す。

 休憩も終わった事で「よしっ」と気合を入れ直したティエラは再び書類に取り掛かる。

 それと共に再びメルクリオが扉を開けて待機していた秘書役達に仕事の再開を伝え、それと共に役人達もまた動き出す。

 そんな姿を見ながらメルクリオは内心忸怩たる思いと共に、希望も抱いていた。


 (お嬢様……)


 手伝えない事は辛い。

 だが、同時に……希望もある。

 彼はティエラが好きだった。

 幼い頃は敬意と憧れであったその思いは年をへるに連れて積み重なり、次第に愛情へと変わっていった。

 それでも、王国の統治下においてはそれが叶う事はありえない。

 マノ伯爵は娘の要望に甘く、彼を奴隷から解放してくれはしたが、甘いのはあくまで個人レベルでの事。仕事がらみ、立場が絡む事案となれば例え娘からの希望があったとしても認めはしない。そう、メルクリオが如何に彼女を慕い、ティエラが彼を好いてくれたとしてもティエラにあったのは何時かはいずこかの貴族家に嫁ぐ事であっただろう……本来ならば。

 

 しかし、状況が変わった。

 まだどうなるかは分からない。

 ブルグンド王国が今後巻き返すかもしれないし、ヴァルト連盟が予想外にあっさり崩壊するかもしれない。

 しかし、もし、ヴァルト連盟がこのまま持ち堪える事が出来たとしたら……どうなるだろうか?

 可能性がない話ではない。

 ブルグンド王国は北方のアルシュ皇国と仲が悪いし、それ以外の国でも可能性はあるだろう。

 西方の二ヶ国と南方の諸島にあるもう一ヶ国。

 それらがどういう反応をするのか……どちらにせよアルシュ皇国の脅威が存在している為にブルグンド王国はその全戦力をヴァルト連盟に向ける事が出来ない。

  

 (もし、そうなったとしたら……)


 自分とティエラが結ばれる、そんな今は不可能な状況だってありえるのかもしれない。

 けれど同時に不安もある。 

 ティエラは自分をその時も好いてくれているだろうか?

 いや、そもそもその気持ちは友達としての好意なのか、それとも……?もし、ティエラに恋人として好きな人が他にいたら……?

 彼女とて貴族の令嬢なのだ。そして、このブルグンド王国では双方が人族であれば想像以上に正妻の子か妾腹かという事への拘りが少ない。それ故に彼女もまた他の貴族に伯爵令嬢として招かれてのパーティに出席した事があるし、その際には普通に男子と話す機会もあったはずなのだ。

 それを思うと不安もある。

 だが、それでも。

 それでも、今の僅かな可能性すらない状況よりは……。

 と、同時にそんな事を考えてしまう自分を情けなく思ってしまうのも事実なのだ。恩義のある伯爵はティエラ以外は幽閉状態にあり、ティエラ自身もこれまでとは異なる慣れぬ仕事に晒される生活となっているというのに自分の事を、自分の事情を優先させるような事を夢想してしまう自分を……。

 

 「あっ」


 そんな思考は小さく上がったティエラの声によって中断された。

 

 「どうされました?お嬢様」

 「あっ、うん、インクが」


 確認してみるとどうやらインクが切れたようだ。

 

 「取り替えて参ります」

 「うん、お願い。けど、もうなくなっちゃったのかあ……前の時は全然なくならない、って感じだったんだけど」


 新たなインク壷を用意しながら、それはそうだろうと思う。

 前は時折書く手紙と勉強ぐらいにしか使う事はなかった。

 勉強にした所でそこまでびっしりと書く事が必要な事ばかりではなく、踊りや趣味としての習い事、貴族令嬢としての礼儀といった部分が重視されていた。

 ところが、今では毎日毎日仕事の為にひっきりなしにサインをし、最初の頃は腕が疲れきったティエラの腕をメルクリオがマッサージしていた。サインばかりではなく、何か間違いがあればそれを修正し、疑問点などがあればそれを記して送り返す。そんな事をしていれば、インクもすぐに切れるというものだ。実際、今回が初めてではなく、この生活になってからはしょっちゅう交換を行っている。


 「どうぞ」

 「ありがとう。さーて、それじゃまた再開ね」


 しばし腕を揉み、肩を回していたティエラだったが、メルクリオが用意を終えると再び熱心に仕事を再開する。

 そんな彼女に微笑みを向けながら、メルクリオは思うのだ。


 (出来る事ならば……)


 せめて思う事だけでも。

 例えそれが叶わぬ夢であったという事を悟る時が来るとしても、夢を見る事が出来る時間が出来るだけ長くあればいい、そう思うと共に彼女を守り抜く。そんな思いを固めるメルクリオだった。

次回は攻略後の各国状況予定

その後、南方への進出、それが終わったら外伝としての猫子猫ことティグレのお話を書こうと思ってます

……最初の頃のお話の修正とかもしたいんだけどなあ……

仕事のストレスが最近酷いです。ベテランの人が辞めちゃったからな……

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ