王国における敗北の影響と日常
ブリガンテ王国王都イルミナル。
その王城。
十年の月日をかけて構築された王城は質実剛健を体現した重厚な外見を持つ。
アルシュ皇国の皇城が長年をかけて作りこまれたとも言われる城とは思えない美しさを持つ事からこれまた比較される事が多い。もっとも、実際には少しでも短期に建設を完成させる為に機能優先で構築していった結果、そうなっただけであったが。
そのブリガンテ王国の現在の正式な国王はカルロタ女王であるが実権は彼女の手にはなく、先王の弟にして宰相であるカペサ公爵ダビドが持っている。
最も彼の名誉の為に言っておくならば、女王をお飾りにして……という訳ではなく、単純にまだカルロタ女王が四歳に過ぎないからである。幾ら何でも四歳の女の子に国政を任せるのが無謀で不可能な事ぐらいは誰にだって分かる話だ。
その当人は非常に苛立っていた。
周囲には複数の人物がいる。いずれもブリガンテ王国で高位に就いている人族だ。
その内おおよそ半数は渋い表情をしており、残る半数の内三分の二は薄い嘲笑を浮かべ、残る三分の一は表情を消している。
「で、被害は?」
カペサ公爵の短い問いに一人が淡々と被害の度合い述べる。。
先日の西の森への出兵、その損害は莫大なものとなり、カペサ公爵としては頭が痛い所だ。
今回の出兵においては貴族派、宰相派(別名王家派)、中立派によるせめぎ合いの結果だった。
王国における最大派閥は貴族派であり、しばらく前まではもっと多かった。
最も貴族派の勢力が最大であるのはむしろ当然であろう。何しろ、宰相派は王国の力を高める為に貴族に対して一定の枷を嵌めようとする側であったからだ。無論、それだけでなく、中核さえ占めていれば多少貴族としての権限や出費が増えても十分元が取れると見ている面もあるだろう。
ブリガンテ王国は元々アルシュ皇国勢力下の小王国でしかなかった。
当時の王は周辺の同程度の王国を征服する際、その国の王族や特に力の大きな貴族を自国の貴族として取り込むという形を取った。
これが結果的に徹底抗戦よりも降伏して、という流れを生み、国力を一気に増大させてアルシュ皇国の影響下からの離脱へと繋がった。この他国の王家・貴族の末裔が貴族派の祖である。無論王国側とて同じ領地をそのまま治めさせるという事はなく、領地替えにこそなったし、治める領域とて小さくなった。
が、悪い事ばかりではない。
滅ぼされる危険は減るし、何より厄介な外交に常に維持し続けなければならない軍事力などが減るのだ。無論、最低限の戦力は保持しておく必要があるし、戦となれば場合によっては領主として従軍する必要はある。中央に対して納める税もある。それでも一国を治める苦労に比べれば遥かに楽。
それに大国となれば当然商業は発展する。商人だって大国の方が商売はやりやすい。国境を越える手続きや、街道の整備、大国の主要街道であれば面子にかけても安全確保を行うし、それが分かっているから盗賊達も辺境や周辺小王国などへ出没しやすいのだ。
結果として、貴族派も王国を支える事には力を貸していたし、それなりの貢献をしてきた訳だが……そういう経緯故にブリガンテ王国ではアルシュ皇国などと比べて地方貴族達の力が強い。
当然ながら、彼らは自分達の権限を削られる事に強い反発を示し、一方国政に携わる者達は国の、ひいては中央集権を強める事を不可欠だと考えており王家派としてまとまっていた。そして更に一部の者はこれらの権力争いからは一歩引いて、国の決定に従う、という姿勢を示す中立派として存在していた。
「さて……」
カペサ公爵の視線に貴族派が一部の苦い顔を含め、嬉しそうな顔が皆無なのには訳がある。
今回、西方のエルフの森への侵攻を主張したのは彼ら貴族派だったからだ。上手くいけばいいが、失敗すれば当然敗北について責任が生じる。
「今回の敗北に関して、貴公らはどのように責任を取ってくれるのだ?」
貴族派の勢力がダメージを受けた事は嬉しい。
だが、王国の宰相としては笑ってばかりもいられない。いきなり領主のいない領地が十も二十も出現したら王国の実質的な最高責任者としては頭を抱えたくもなるだろう。まだ跡継ぎが確定している所はマシだが、跡継ぎが幼かったり、確定していない場合、例えば愛妾の長男と正妻の次男で長男の方が出来がいい場合……或いはその逆……、もしくは戦死した前領主に可愛がられていた子、これら以外にも直系がまだ生まれていなければ親戚同士の間で騒動が発生するだろう、次の領主の座を求めて……。
跡継ぎが確定している領とて、他よりはマシ、というだけだ。
領主が一人だけで出征する訳がない。信頼のおける家臣らを複数連れて行っている。それらも大打撃を受けているはずだ。更に王国に領主の代替わりなどについての手続きを行い、加えて出兵で農民を駆り出しているから領地の経営も圧迫される……。
兵の数が減っているから、治安の悪化も見込まれる。
今回領主の軍勢は殆ど帰ってこなかったらしいが、まさか皆殺しにあったとも思えない、脱走した者もいるだろう。それらが野盗化すれば……。
それらを考えれば、頭の一つや二つ抱えたくもなる。それらをふまえての言葉だった。
「……今回の一件に我々の責任はない」
カペサ公爵が視線を向けた先、その先にいた貴族派の中でも悠然とした姿勢を崩さなかった者の一人がそう口を開いた。
「ほう?ガルガンタ侯爵、それはどういう事かな?」
「簡単な話だ。あの時点で我々は西への出兵は我が国の利益であると看做していたし、それは間違っていなかったはずだ。責められるべきは大敗を喫した軍であろう?」
空中で互いの視線が火花を散らした、ように見えた。
ただし、これもまた事実ではある。
単なる反発というだけではなく、元々ブリガンテ王国は北方はアルシュ皇国が、東は険しい山脈とそれを越えても強力な国家が、南方は海と強大な海軍を誇る諸島連合が存在し、勢力を伸ばすならば一番簡単な道が西方であったと言える。
その一方で国内にもまだまだ開発余地が多分に残されてもいる。
アルシュ皇国の勢力が伸びる前に亜人種と対立しても西方に対する勢力を確保するべき、とする貴族派と、国内の開発を進めるべきとする宰相派とが対立していたのだった。
とはいえ、どちらも間違っている訳ではない。そう、政策としては。
言い方を変えてみよう。島の開発を進めるのと、島と別の島を橋で結ぶ、というやり方が対立し、後者が通った。ところが、橋の建設会社が失敗して橋が倒壊した……この場合、責められるのは橋で結ぶという結論を進めた側だろうか?そうではない、建設会社となるはずだ。
ただし……。
「だが、その決定の後、派遣軍の編成に君達がおおいに口を出したはずだがね?」
建設会社を選ぶ時に賄賂を貰った連中がおおいにその会社を選ぶよう圧力をかけたとなれば、それは関係ないとは言えまい。
まあ、確かに成功した際、宰相派の影響を少しでも排除する為、貴族派は貴族派に連なる者達が動けるようあちらこちらで工作を仕掛けたのだ。生憎、この世界はいちいち裁判などしたりしないし、国民の目を気にしたりする必要もない。権限を貴族が握っているのでうやむやには出来ない。
「……その事に関しては認めよう」
僅かに眉をしかめてそう答えた。
ならば、と踏み込むカペサ公爵、それを何とかかわそうとするガルガンタ侯爵。
それを少数の者が援護する形で会議は進む。
さすがに公爵と侯爵、それも実力者の会話に口を挟める者はそう多くはない。
とはいえ、今回は貴族派の失態ではあるが、これでトドメを刺される程貴族派も弱くはない。故に交渉の中で、ある者が切り捨てられ、地位を追われる事になり、一部の権益が宰相派に移る。それと引き換えに貴族派は別の地位を確保し、或いは権益を維持する。
貴族派にしてみれば得る物のない戦いだが、この戦いはどれだけ失う物を少なくするかの戦いなのでそこは割り切る。
そうして駆け引きを繰り返し、時間は過ぎてゆく。
駆け引きは激しくとも、貴族派にせよ宰相派にせよ共にこの国に滅びてもらっては困るし、今回の一件の片を早くつけたい、という気持ちに変わりはない。そもそも、領主が死んだ領地に関する勢力争いがまだこの後に待っているのだから……。
これに関しては貴族派と宰相派、或いは中立派。
それぞれの派閥の内側でもきっと権益を求め、或いは後押しする者がいればそれを新たな領主とする為に蠢く事になるのだろう……。
◆
カペサ公爵は少し苛立たしげに王宮内の廊下を歩いていた。
カペサ公爵自身はなかなかに想定外の状況によって今の地位にある。
カペサ公爵自身は前述の通り、先王の弟である。
同じ正妃を母に持ち、優秀な兄に負けず劣らず優秀な人材だった。
ただ、それだけに先々代の王、二人の父親は双方が争う事を懸念した。幼い頃は仲が良くとも、両親を同じくしようとも大きくなって互いに争うようになった兄弟など世には数知れず存在している。それに当人達が仲が良くとも、立場や周囲によって祭り上げられるという事もある。
それもあって、先々王は弟であるダビドをカペサ公爵として臣籍に降ろす事を割合早期に決定した。
幸い、というべきだろう、先王とカペサ公爵は大人となった後も私的な場では仲の良い兄弟として、お互いに腹を割って時には喧嘩もしながら笑いあう事が出来たのだ。
二人はやがて共に妻を得、子が産まれ……双方共に思惑が狂ったのはその後だった。
先王は娘こそ五人と多かったものの、男が一人しか生まれなかった。
特筆する程優秀な程ではないが、まあ平均的な人物ではあり、人を見る目はそれなりにあったので後は周囲に良い人材をつければ……という思惑は彼の事故死によって崩れ去った。
彼の最初の子は娘であったが、その娘の生誕を祝うパーティで酒を呑み過ぎた王太子が深酒をしすぎた、と引き上げようとして大勢の目の前で階段を踏み外して落下。打ち所が悪かったのか、そのまま息を引き取るという何とも言いづらい話であった。
しかも、直後に先王が病に倒れるという状況。軽い病なら良かったが、残念ながら死病という状況。
こうなると先王に取れる道は三つしかない。一つは王太子の娘に優秀な補佐をつけて成人までの後見を頼んで王位につけるか、二つ目は王女の誰かに婿を迎えて王位を継がせるか、そして最後は……カペサ公爵という自身の弟に王位を譲るか。
悩んだ王は第三の道を選ぼうとした。
しかし……カペサ公爵自身が「一度臣籍に降下した自分が」と拒絶したのだ。殆どの面々はそんな裏事情など知りはしないが。
最も、先王にしても「はい、そうですか」という訳にはこの状況ではいかない。かくして二人の間で、カルロタ王女の即位とカペサ公爵の孫との婚約、カペサ公爵の宰相への就任と基本成人までの後見、カルロタ王女成人前にカペサ公爵も病倒れた場合などにはカペサ公爵の息子が宰相に就任するなどが決められたのだった。
最後に関してはカペサ公爵の息子は有能ではあっても少々謀略好みなのが気になるが、どのみち息子が王配となる事が確定している以上強引な手も取らないだろう、という見込みもある。
(……今回の一件で得たものはそこそこあれど、後は領主が死んだ所か……どのみち貴族派の領地ばかりだ。あれをどう抑えるか)
ここら辺は息子に任せるつもりだ。
あの息子の事だ、さぞかし領地を巡る争いを煽り、裏から手を回し、息のたっぷりとかかった者を後釜に押し込むなりやってくれる事だろう。
ガルガンタ侯爵自身も勢力を少しでも維持する為に動くであろうから、その分こちらが手薄になる。
(それにしても西方であそこまで打撃を受けるとは)
「全く……忌々しい」
苛立たしげにそう呟いた時、目的の扉の前に到着する。
「入って良いかね?」
「はっ、どうぞ!」
扉を守る近衛兵も彼の顔をさすがに見間違えたりはしない。
元より帯剣などしていない事もあり、普通にドアを開けて入っていく。
中にいたのは侍女と思われる女性が二名と……未だ五歳になるかどうかの幼い一人の少女。その少女は詰まらなそうに椅子に座って足をぶらぶらさせていたが、カペサ公爵を見るとぱっと顔を輝かせて椅子から飛び降りて走り寄る。
「おじいちゃん、おかえりー!」
「おおう、勉強は終わったようじゃのう」
「うん、終わったよー!」
カペサ公爵も先程までの厳つい顔が緩み、顔立ちは同じなのに如何にも好々爺、といった様子が滲み出ている。
……この幼い少女こそカルロタ。この国の現在の女王である。
カペサ公爵にとっては生まれた頃から知っている孫の一人とでも言うべき少女であり、少女自身も父とはすぐに死に別れ、母は自分を産んだ後の王太子の事故死で精神に失調を来たした為に滅多に会えない。本来の祖父である国王は忙しい上に病気に倒れた為に、カペサ公爵を本当の祖父のように慕っていた。
カペサ公爵のこの顔を見れば、貴族派が囁く「カルロタ女王を蔑ろにしている」という噂がいい加減なものだと誰でもわかるだろう。お陰で、女王の傍に仕える侍女などから情報が流れる為に王宮内の侍女・侍従のカペサ公爵に対する印象は悪くない。表では厳しくとも、裏の私的な場では孫を可愛がる老人という姿を見ていれば、単なる仕事だけの人ではないという印象を与えるからだ。
「あのね、おじいちゃん、今日はねー」
「うむ…うむ……」
笑顔で今日勉強した事や、あった事を語るカルロタにカペサ公爵も頬を綻ばせる。
信頼出来る侍女が運んできたお茶や軽食を一緒に口にしながら一生懸命話すカルロタと、それを笑顔で相槌を打ちながら聞くカペサ公爵という光景が生まれる。
実際、毎日のように仕事中は謀略陰謀に満ちた会話と仕事だらけのカペサ公爵にとっては、カルロタとの裏のない日常の話は毎日の仕事を続ける癒しとなっている。時折、カルロタの婚約者でもある自分の孫も来る事は来るが、彼もまた自領で勉強中でありそうそう会えないという事もあった。
しかし、そんな楽しい時間はあっという間にすぎる。
「陛下、公爵閣下そろそろお時間です」
申し訳なさそうに侍女の一人が口を挟む。
「えー!もう?」
「む……もうそんな時間か」
残念そうな顔のカルロタと、やや顔をしかめるカペサ公爵。
しかし、カルロタも幼くともきちんと勉強している身である。カペサ公爵もそこは将来に備えて教育は怠っていない。
下手に甘い仕事をしてしまえば、年齢からして何時までも自分が宰相という仕事に就いていられる訳ではない以上、将来カルロタが国民から憎まれたり、貴族から飾り物にされるような事態を招きかねない。今の甘さは未来の苦渋に繋がる以上、教育係は必要ならば女王であってもきちんと叱る事の出来る人材を厳選に厳選を重ねて選び出していた。
そのきちんとした教育を受けている彼女も渋々ながら椅子から降りる。
まあ、今はまだ勉強と言ってもそこまでややこしい事は行わない。きちんとしたマナーや常識というものを学んでいる段階だ。
「じゃあ、おじいちゃん。ばんごはんは一緒に食べようね!」
「ああ、約束じゃ」
そう言って、一足先に部屋を出て行くカルロタを見送り、カペサ公爵は頭を再び切り換える。
ここからは再び一人の孫を愛する老人ではなく、一人の国を動かす宰相たらねばならない。
(安心せい…)
例え恐怖されようと、虐殺者と言われようともお前達が大人となり国を運営するまでに道は作っておいてやるとも。
そう心の中で呟くカペサ公爵であった。
◆◆
オルソ騎士団長クリストバル。
戦場に出れば頑強な全身鎧を身に纏い、戦場で暴れるその姿から国外では勇猛魁偉な巨漢というイメージを持つ者も多い。
しかし、その実、普段の彼は鎧を身に着けていない時はかなりの長身ではあるものの見た目は完全に物語に出てくる王子様のような金髪碧眼の美青年であり、国外の人間が初めて会った時それまでのイメージとの違いから驚く事も多い。
その青年はある一室に招かれていた。
最も、招かれたと言っても入る前から良い意味ではない事ぐらい彼も理解していた。
「……失礼致します。オルソ騎士団長クリストバル様が参られました」
「入りたまえ」
ドアの前の警備の者に剣を預け、確認後、警備兵が部屋の中へと声をかける。
「どうぞ」、と警備が開けてくれたドアから入れば、中には書類を片付けているカペサ公爵がいた。
公爵は彼の姿を確認すると、「そちらのソファに座りたまえ」と告げて一旦書類の処理を止めて対面のソファへと移る。
「さて、オルソ騎士団長、単刀直入に言うが……私は君を解任せねばならん。理由は分かるな?」
「……はっ」
やはりそれか、とクリストバルは思う。
分かってはいた。
先だってのエルフの森への出兵においてオルソ騎士団は大きな痛手を受けた。
出兵五千。
帰還千八百。
三千以上の騎士が帰って来れず、更に痛かったのは幼馴染の副団長にして派遣軍総司令官エンリコと、次期騎士団長と看做されていたアレハンドロが共に未帰還となった事だ。これに領主勢一万がろくに帰ってこなかった……領主本人も含め、街まで辿りついたのは千に満たないとも言われているが、大敗としか言いようがない。
いや、あの状況下でよくぞこれだけの騎士が帰って来たとは思う。
生存者から話を聞けば明らかに初っ端から何らかの罠、おそらくは眠り薬か何かがいつの間にか仕掛けられていた為に初動が遅れた。
そこへ加え、最初の大規模な魔法攻撃によって領主達と指揮を執るべき上級兵士達は早々に壊滅。頭を失った領主勢の兵士達は炎に追われて大混乱に陥り、その中で何とか騎士達をまとめ防衛線を敷き、或いは兵士達を誘導し、或いは殿軍を勤めた二人は片や遠距離からのおそらくは魔法攻撃で、片や一騎打ちで共に散った……。
アレハンドロを討ったという獣人という話も気になるが、総司令官が目の前の魔法攻撃で吹き飛んだ事、やっと撤退という方向性を示されて逃げだす最中の攻撃、これで兵士達はパニック状態に陥り、かろうじて残っていた統制も吹き飛び、暴走。道も何も関係なく道の両側に陣取る騎士団の防衛陣地へと混乱のままに突っ込んだ。
騎士達とてこれが敵ならば躊躇わず攻撃しただろうが、相手は魔法攻撃によって追い立てられる味方の兵士だ。
そして、暴走状態の兵士達が相手となれば、僅かな躊躇が命取りとなる。
騎士と兵士が入り混じり、陣形が崩壊して混乱する所へ更に後背より騎馬兵が襲撃してきた。
この騎馬兵に関してもある種のゴーレムではないか、との推測が上がっているが、千を越すであろう騎馬兵や魔法兵によって構成される部隊の追撃をそんな大混乱状態で受けては如何にオルソ騎士団とて持ちこたえられる訳がない。騎士団もまた壊乱状態に陥り、激しい追撃を受ける中での陣形も何もない状態での逃走となった。実際、犠牲者の大半はこの時生まれたと看做されている、何時の世も撤退戦こそ一番悲惨な状態に陥りやすく、被害も出やすいのだ。
しかも、ゴーレムの場合、ゴーレム自体は疲労しない上に術者側の損失を気にしないでもいい。
つまり、損害を怖れず操作と術者の体力の及ぶ限り延々追撃が続くという訳だ。それがあの悲惨な損害に繋がっている。
更にそれで終わらなかった。
何しろそんな状況だ。最初は多少なりとも確保されていた糧食もそんな中では放棄して逃走せざるをえない。食料などを運ぶのは馬車ではあるが輸送力重視の為に戦闘も考慮されていない上に、速度も遅い。それこそ馬を全力で走らせた所で長時間持たないし、荷馬は元々早くはないが体力のある頑丈な馬が選ばれている。普通に護衛の歩兵が傍を歩ける程度の速度であるならば長時間もつとしても、当然ながらこんな撤退戦という名の壊走状態でそんなものを引っ張って逃げる余裕はなかったのだ。
通常ならば騎士団も万が一に備えて何日か分の携帯食料ぐらいは腰にくくりつけておくのだが、深い睡眠状態から叩き起こされて時間のない中急ぎ陣地を構築しなければならなかった為に取るものも取らず、武器と鎧だけを身につけていたのも災いした。
もう何が起きたのか分かる者もいるだろう……飢えだ。
人族の大きめの街までは徒歩でなら一週間程かかる。
以前は森とそこまでの間に幾つもの開拓村があったのだが、それらも前の領主の軍が奇襲によって壊滅した後、危険だからと一時放棄されて村民は一時街へと避難している状態だ。
全力での逃走の為に疲労困憊した状態で水も食料もまともにない状態で一週間。
僅かに食料を持っていた騎士団が襲われるという事件も発生しており、僅かに得られた食料を巡った同士討ちも起きている。
十分な量の水分が取れた上で、家でじっとしているというだけならば一週間まともに食事が取れずとも何とか我慢出来るかもしれないが、水ですらろくにないのだ。しかも、場所は未開拓の地。そこを延々とただ街に向かって歩かねばならない……。
更に、時折思い出したように襲ってくるゴーレムの少数の騎馬兵。
その度に跳ね起き、休息すらまともに取れない。
騎士団がそれでも領主勢よりは生きて帰れた数が多かったのは早々に馬を潰して、肉にしたからとも言われている。
結果として、堂々と出撃した一万五千の軍勢は総司令官も領主達も失い、三千に満たないボロボロの格好で街へと辿りついたのだった。
こんな有様では誰かが責任を取らざるをえない。
そして、本来責任を取るべき者は誰も帰ってきていない。そうなると、次に責任を取るべきは……。
(私、だな)
と、クリストバルも思わざるをえない。
幾ら貴族派の者が策動したとはいえ、彼の実家である伯爵家とて貴族派の派閥に属しているからこそ、今回の「勝利が約束されている」と看做されていた戦いにオルソ騎士団が出撃する事になったのだ。他の騎士団二つが王家直属という事もあって宰相派の色が濃いのに対し、オルソ騎士団は貴族派の色が濃いからだ。
だが、結果としてそれが災いした。とはいえ、あの時こんな結末を予想出来る訳がない。
別段、宰相派と貴族派が対立していなかったとしても彼に処罰は下っていただろう、この状況で貴族派が庇ってくれるとも思えなかったし。
それどころかクリストバルは最悪、父である伯爵は自分を切り捨てる可能性も考えなければならなかった。これまでは自慢の息子であったはずの彼だが、失脚したとなればマイナスから盛り返す事になる。それぐらいならばいっそすっぱりと切り捨てて、領地経営に長けた弟を跡継ぎにする、というのも一つの手だからだ。しかし……。
「……閣下、解任は当然の事だと理解しております」
「………」
「ですが、一介の騎士としてでも構いません。何卒、何卒私に無念の思いで散っていった部下達の仇を討つ機会を……!」
オルソ騎士団はこれまで精々野盗の討伐などがメインであった。
アルシュ皇国との小競り合いは通常は国境担当の辺境騎士団と北方領主勢が行い、増援が必要な程の戦闘はクリストバルが騎士団に入ってからは発生していない。
裏を返せば、彼は未だ多数の部下や仲間とも言える人材を失ったという経験がなかったのだ。それ故の言葉だったのだろうが……。
「君が仇討ちを狙おうがそれは良い。国の利益になる限り、私は文句を言うつもりはない」
「はっ」
「だが、君を騎士団に留めるとして、君は何をもって報いてくれるのかね?」
矢張りそれか、とクリストバルは思った。
当然だろう、今後オルソ騎士団にも宰相派の影響力を及ぼしていくとなると当然ながら前・騎士団長が騎士団の中にいる、というのはなかなかに面倒な事になる。それよりはさくっと罷免して騎士団から追い出してしまった方が後々の面倒を避けるという意味では楽で、しかも今ならばそれに異を唱えられる者はいない。
つまり、ここで宰相派のトップたるカペサ公爵に利を提供出来なければ自分のクビは確実だという事だ。
「……私が差し出せるのは私自身のみです」
「ふむ」
無論、腐女子の連想するような誤解なぞカペサ公爵がするはずがなく、正確にそれが貴族派から宰相派へと乗り換えるという意味合いだと理解している。
そして実の所カペサ公爵にしてみれば想定内でもあった。何せ、まだクリストバルは跡を継いでいる訳ではない以上、伯爵家として宰相派につく、という決断は彼では下せないからだ。
「ならばそれを証明してもらわねばならん」
「……どのような事でしょうか」
「ああ、分かるかな、君の父上は少々問題も多くて、な?」
「っ!!……私に……父を殺せ、と?」
何らかの取引が必要な事は理解していた。
つい先日まで貴族派だった者がいきなり「そっちに寝返ります」と言った所で「はい、そうですか」とすんなり受け入れてもらえるはずがない。
しかし……これまでクリストバルは父から酷く扱われた記憶はない。
今、切られる可能性がある、というのだとて家の立場からすればそれも仕方がない、と理解しているし、領地に帰れば普通に迎え入れてくれるだろう。あくまで表に出る者が彼から弟に代わるだけだ。
友人の、戦友の仇を討つ為に父を殺せ、というのかと悩みかけたクリストバルにカペサ公爵はにこやかな笑みで告げる。
「いやいや……そんな事はせずとも良い」
「?と、申しますと……」
別にこの世から退場してもらわなくても良いのだ。ただ邪魔をしないで貰えばね?
そう、例えば……どこか田舎でご夫妻揃ってのんびりとすごしてもらう、というのはどうかな?
カペサ公爵の言葉にクリストバルは悩む。
つまり、カペサ公爵はこう言っているのだ、クリストバルに両親を軟禁して、正式に当主になれ、と。無論、その際の行動で彼が宰相派に鞍替えした事を示す事になる。本来責任を問われるはずのオルソ騎士団に彼がとどまり、尚且つ力ずくで伯爵位を継承、それを宰相派を通じて王国が承認するとなれば「自分は貴族派です」と言った所でそれを信じる貴族派は誰もいなくなるだろう。
しかし、それならばまだクリストバルとしても受け入れられる余地がある。
「しかし、無論、田舎暮らしが嫌でまた外で暴れられては……少々困った事になりかねん、という事は覚えておいて貰いたいのだがね?」
「……無論です」
◆◆◆
正式な結論は二日以内ぐらいに出してくれればいい、という事でクリストバルが退室した後、カペサ公爵は鼻を鳴らす。
(ふん、軍事行動で兵を動かし、敗れて死んだ事を恨みに思うか……所詮は勇猛なだけの坊ちゃん貴族だな。あれでは本物の戦場では使い物になるまい)
大体の所、彼の反応はカペサ公爵の予測の範囲内だった。
とりあえず彼が受け入れるならば副騎士団長に一旦落とし、騎士団長には中立派の者を据える。
事が終わって生き残っていればまた騎士団長に戻せば十分だろう。如何に騎士団長を取り込んでもオルソ騎士団はまだまだ貴族派の勢力が強く、下手な者を送り込む訳にはいかない。クリストバルという裏切り者と看做されるであろう人物が騎士団長に就いていれば恨みもそちらに向くはずだ。
変に若手に人望だけはあるから、上手くすれば宰相派に転じる者も期待出来る。
それに、彼同様の暴走をしそうな者は貴族の若手にはある程度見られる傾向だ。多少煽れば友の仇を討つ、なぞという馬鹿げた話に熱狂して貴族共の跡継ぎを動かす事も出来ようと見込んでいる。無論、今回の遠征で損害を蒙っていない宰相派はそんな熱狂に乗ったりしないだろうと見ての事でもある。
どうせまともに動けば正規の騎士を擁するオルソ騎士団が一番の功績を挙げるのだ。
宰相派に属する者が一番の功績を立てられるならそれはそれで良し。その結果、西のエルフの森を王国の勢力下におけるのならば十分元は取れる。
駄目なら駄目で構わない。少なくともエルフ連中がただやられるだけの連中ではない事は分かった。
この際、貴族派の連中が暴走して突っ込んでそこで討ち取られるなら、その責任を問うて勢力を更に削る事も出来る。そう考えを巡らすカペサ公爵だった……。
次回予告
次回は幕間を語ろう
共に召喚された少女達、そしてその召喚を行った巫女
彼女らが如何なる事をこの時行っているのか……
そして、新しく登場予定の一人の……
……予告だとこんな感じになるのでしょうか?
という訳で次回は謀略ではなく、妹達と新キャラの登場というか紹介というかそういう二話程をお送りする予定です