それぞれの状況
幾人もの遺体が転がっていた。
その中、少し小高い丘にたたずむ木目の肌を持つ壮年男性が一体。くるり、と周囲を見渡して溜息をつく。
「よう、どうした?」
「ああ、いえ、少し考え事を」
そっか。
そう猫子猫は頭を掻きながら歩いてきて、常盤の隣で同じようにぐるりと周囲を見回してから尋ねた。
やっぱりこの間の戦闘が関係してんのか、と。
ゲームの世界では何度も戦っていても、彼らは所詮平和な国の一般人。本当に戦場に立った経験などなく、初めて戦場に出た後のショックなどの逸話や実話は割と目にする話だ。
しばし、黙っていた常盤はしばしの間の後、ぽつりと呟いた。
「……心が痛まないんですよ」
「……」
「人を殺したはずなんです。……もしかしたら現実じゃないかも、まだVRMMOの特別サーバじゃ、なんて言ってはいるけれど。それにあんな事だってしてるのに」
こんな光景、VRMMOじゃ許されませんしね、そう常盤は苦い笑みを浮かべ、周囲を見回す。
……その辺りには酷い遺体がゴロゴロと転がっていた。
焼け焦げ真っ黒になった人の形をした炭が、馬か人か踏み潰されてぐちゃぐちゃになった人型の肉塊が、その他或いは斬られて内臓をぶちまけていたり様々な形の死体が日の光の下に晒されていた。
……こんな光景、VRMMOの世界では見る事はない。どう考えても子供の精神的成長によろしい光景ではなく、それどころか下手をすればトラウマになりかねない光景。当然だが子供も遊ぶかもしれないゲームでそこまでの映像は許可されておらず、年齢制限がかかる。それにホラー系のゲーム以外はそこまで残酷な光景を演出しても余り意味はない。余計なデータを食う事になる上、それに見合う評価が得られるとは言いづらい、誰だって人殺しをした、って光景を見せ付けられていい気持ちになる訳がなく、普通は無残な死体なぞ残らず、倒した所で敵は砕け散ってアイテムや宝箱を残すだけだ。
「だから現実、そう考えるなら……」
これだけ大勢の人間を殺して、平然としていられる自分って何なんでしょうね?
そう常盤は呟いた。
そうなのだ、これではまるで自分が精神異常者みたいではないか……。
そんな常盤を横目にしばらく考えていた猫子猫だったが……。
「……多分、【マインドブロック】がまだ続いてるのかもしれねえ」
「マインドブロック?」
「ああ」
マインドブロック。
それは現在のVRMMOでは至る所で用いられている良い言い方をするならば精神防壁であり、悪い言い方をするならばある種の洗脳だという。
ゲームである以上、人に似た相手、或いは人そのものを殺すような場面もある。
例えば、闘技場みたいなプレイヤー同士の戦闘を行える場所で、或いはファンタジー系ならば吸血鬼なんて見た目は人そっくりの相手なんて普通にあるし、ゲームによっては山賊や海賊なんて相手もいる。そんな相手に「人に似ているから」って躊躇していたらゲームにならない。プレイヤー同士の対戦にしてもトドメを躊躇った結果、ゲームをまともに遊べない、という事になるかもしれない。
いや、下手をすればトラウマになったり、犯罪に繋がりかねない。
PK、プレイヤーキラーを行っていた人間が、なまじVRMMOが優れた仮想現実であるだけに本当の現実と区別がつかなくなったら、その結果、現実で殺人をやらかしたりしたらどうなるだろうか?噂では本当にそうなったという実例も初期にあったという話があるらしい、都市伝説的なレベルではあるが。
これ以外にも見た目や性別に関しても関係している。下手すれば性同一障害を引き起こしたり、或いは身長の違いなどによる事故、怪物に変わった事による精神への悪影響……。
それらを防ぐのが【マインドブロック】という技術らしい。
「……それがまだ発動している、と?」
「というかまあ、俺が知ってる範囲じゃあそれぐらいしか想像がつかねえんだ」
そんな言葉に常盤は内心首を傾げる。
かなり詳しい話だと思うが……もしかして。
「業界関係者の方ですか?」
「まあ、端っこだけどな」
苦笑しながら話してくれた所だとVRシステム関連のシステムエンジニアをしているらしい。
猫子猫曰く、小さなソフトハウス、との事らしいが。
「ところで……」
声を潜めて猫子猫は囁く。見晴らしの良いこの場所、誰が聞くという訳でもないのだが、ここら辺は気分という奴だ。
そして、彼の問いは常盤の想定通り、すなわち「領主達は喋ってくれたかい?」というもの……。
「ええ、綺麗さっぱり。素直にぺらぺら喋ってくれましたよ?」
「怖いねえ……」
猫子猫が常盤の答えに苦笑を浮かべるには訳がある。
真実の血清、と呼ばれる自白剤が元々の世界に存在する。
これはベラドンナと呼ばれる植物などを元にして作られたとされるものだが、ゲーム世界では同様に植物系素材を用いて同様のものが作れる……まあ、ゲームでは敵の斥候とかを捕らえた際に情報を得られ、それと引き換えに対象は消滅というだけのアイテムだったが、こっちじゃもう心地良い状態のままベラベラと喋ってくれたらしい。現実世界の本物では得られないような情報も、だ。精霊王エントの本質、というかゲーム中でチートと呼ばれたのはこうした支援や回復、戦力生産といった面だから当然なのかもしれない、まあ、その分攻撃面というか戦闘面では上回る相手はそれなり、というか結構いたからゲームでの戦争ではそれなりに負けていた訳だし、彼の国は準大国だった訳だが……。
あの戦いの折の序盤。
彼らがまず最初に襲撃を行ったのは領主勢の天幕だった。
この際、大部分の領主勢は火責めと「チェスガーデンズ」による奇襲で殺されているが、例外も存在する。正確には複数の領主達の内で最初の『燃える土』による攻撃から生き延びた者の内、特に位の高そうな、装備や寝ていた天幕が立派だった者を三名程、情報源として確保していた。
あの状況なら、誰が生き残ったかも分かるまい。
最も、向こうももしかしたら情報が洩れた、ぐらいは想定して動くだろうが。思いつかない、と楽観するよりは思いつくと想定して動いた方がいい。
常盤にせよ猫子猫にせよ、この世界に関してはまだ分からない事が一杯ある。というより、分からない事だらけだ。それを補うにはエルフからだけの情報では限界がある。彼らは森の事についてならばたくさんの知識を有していたが、人族の事に関しては彼らが攻めて来るまでろくに知らず、知ろうとせず森に閉じこもっていた。それを悪いと責める事は出来ない、人族だってそうやって変わらぬ日常を送る者の方が、そちらを選ぶ者の方が圧倒的に多いのだから。
しかし、今回のように攻めて来た、となると事情が異なる。
何とかして、詳細な敵の情報を手に入れなければならない。それは単なる今回の戦場に関するものだけが対象ではなく、もっと広範囲に渡る人族の国そのものに関して、だ。
例えば国の規模、その他の人族の国とその関係、街の場所、宗教、産業、人口や街道。
有名な騎士とかがいればその情報も。知りたい事は一杯ある。その情報源として身分の高い領主というのは格好の対象だ。
もちろん、エルフ達には今の所は黙っている。幾ら人族といえど、呆けたようにヘラヘラと笑い、口元から涎を垂らしながらペラペラと情報を語る姿を目にしては眉を潜める者が続出するだろうからだ。効果や対象が受ける影響がゲームとは違う、そう考えていたのは確かだが、ここまで壊れてしまうとは思わなかった。最も、自白剤自体が麻薬に似た性質を持ち、中毒症状を引き起こしたり廃人と化したりするとも言われている訳だが、そんな姿を見てしまえば嫌悪感を抱く者は少なくないだろう。人族のみならず、それを行った彼らに対しても同じような態度を取る者も出るに違いない。
必要悪ではあるのだが、未だ彼らにはまだ早い。
それが二人の結論だった。
無論、さすがに知らない事までは答えられないが、それでも今回の侵攻を行ったブリガンテ王国や周辺国家に関してはそれなりの情報が収集出来たと言える。それによればブリガンテ王国は詳細な人口は不明、まあ各地の領主自身が直轄の街はともかく村までは細かく把握していないらしい……。
王都はイルミナル。
現在の王はカルロタという女王。
その他の細かな情報は省くが、今回侵攻してきたオルソ騎士団の他二つの騎士団と近衛騎士団を王家直轄の常備戦力として保持しているらしい。
アルシュ皇国についてもある程度情報が得られた。ただし、かなり偏見に満ちていたが。どうやらあの騎士達の反応から想像していた通り、激烈に仲が悪いようだ。
無論、領主勢以外にもそれなりの人間を捕らえ、話を聞きだしている。そちらは使える話もあれば、使えない話もあるが、それらはまた後に語る事もあるだろう。
「で、今はそいつらどうしてんだ?」
「多分今頃は樹木の養分でしょう」
うわ、おっかねーと笑う猫子猫さんを横目に常盤は考える。
今回の犠牲者達は先の領主を含めて【血染め桜】の養分となってもらう予定だ。【血染め桜】はモンスターの一種で、桜の根元には死体が埋まっている、その死体の血を吸って桜は美しい花を咲かせる、という伝承を元に生み出されており、設定では戦場で無数の血を吸い魔物と化したとされている。多数の遺体は更にその力を増す。この戦場のこれだけの遺骸があれば立派な花を咲かせてくれる事だろう。そして、自分が作る軍の将帥としての実力を発揮してくれる、はずだ。それに、力を溜め込む為に勝手に遺体を処分してくれる。放置しておいて疫病発生など笑えないからその点でもありがたい。
……実は前回の「チェスガーデンズ」もそうだが、急造のモンスターは長く存在出来ない。「チェスガーデンズ」もそう遠くない内に崩れて土に帰ってゆくだろう。
では急造ではなく、じっくり育てたら?
低レベルモンスターで試してみた所、その場合は同レベルモンスターの急造が一日で崩壊したのに対し、現在も動き回っている。
どうやら長期間配下として使えるモンスターを得るには時間をかける必要があるようだ……。
そして、その為に自分はここにいる。
戦いが始まる前、ここは森の手前の何もない草原だった……しかし、今は低木であちらこちらが覆われている、ようにも見え、そのあちらこちらで残ったまだ崩壊していない「チェスガーデンズ」が動いているように見えている。しかし、その実、ここには多数のモンスターがまだ未熟な状態で生えている。
そう、ここに自分は自らの軍勢の供給地を作るつもりだ。
無論、理由はある。
まずここは森ではなかった為に、エルフ達にとっては自分達の住処を荒らされるようには感じないという事。それに先日戦場になって死体が多数転がっていた場所など誰も好んで住み着きたいとも思えないから好都合なのだ。加えて、旧来の森の手前にモンスターの森を作る事で、実質エルフ達が森を元に国を設定する場合、その手前の砦としての役割も果たせると見込んでいる。
その為に、こうして常盤はただ立っているように見えて地に根を張っている訳だ。
世界樹の根ざす地は豊潤な地となる。
成長が早いとも言う。
加えて、「チェスガーデンズ」はその設定上、庭の維持・管理、拡張にも用いられる。ので、現在は武器を鍬や鋤に変えて頑張ってくれている。
そして、もう一つ大きな地形改造は川の存在だ。
元からあったエルフの森の背後には山脈(相当距離があるが)。
実はここらも僅かに、厳密に計測すれば、ではあるが僅かに人族の街の方角に向かって傾きがある。
先だっての軍が作った道は草を狩り、大勢で踏みならしただけの道だが、結果として周囲よりもへこんでいる。
そこへ先日の罠にも用いた湧水樹からの水路を引き、水を流す。僅かながら傾き、周囲よりへこんだ場所、それは立派な水の流れ道となる。そして一旦流れ出せば水は大地を削り、やがて人族が作り出した道を河床へと変えてゆくだろう。
水流に種を乗せて確認してみた所、人族の街へと辿り付く前にほぼ平坦な土地となり水が広範囲に広がるのも分かった。
順調に行けば湿地帯へと変貌し、より大軍でのこの地への侵攻は困難になるはずだ……まあ、まだまだ時間がかかるのは間違いない訳だが。
もし、人族が放置し続ければこの辺一体は怪異の森となる。
ただ危険なだけならば焼き払うという手もあるだろう。だが、こういう場所のお約束として、希少なこうした森でしか採取出来ない素材や薬草があれば……話は変わる。すなわち、確かに危険ではあるが、貴重な薬などの供給源ともなりうる訳だ。そうなれば、一攫千金を求め、或いは貴族が高値を積んでも欲しがるような素材や薬もあるこの地を焼き払うという選択を人族は取る事が出来るだろうか?おそらく出来まい。
問題は時間だ。
一気に成長させすぎると人族に疑念を持たれる上に、モンスターも短期崩壊する奴しか得られない。
そんな事を考えていると、ふと思った事がある。それは、ゲームでは【血染め桜】はいずれも女性の侍のような形態となっていた訳だが、現実ではどうなるのだろう?という事だ。美しく儚い桜色の着流しと刀を持つ侍、それが【血染め桜】のイメージで、絵柄が格好良い事から植物系モンスターとしては非常に人気の高いモンスターだった。
そんな事を考えた自分に気づいて苦笑が浮かびそうになる。
……なる程、マインドブロックが洗脳というのはあながち間違っていないようだ。
そんな事を考えていると、猫子猫が迷っているような様子である事に常盤は気づいた。
「どうかしましたか?」
「あー……」
すまん、俺名前変える事になりそうだわ。
少しの迷いの後告げられた言葉に思わず「はあ?」と驚きと疑念の声を上げた常盤だった。
◆◆
アルシュ皇国皇都パラディ。
荘厳な都であり、歴史ある都である。実際、ブリガンテ王国よりその歴史は長い。
両国の仲の悪さは定評があり、それでも戦争になっていないのは双方とも外延部に異種族と接する部分があり、そちらに手を伸ばした方が互いに戦争するより開発としては効率が良い事。周辺に双方の国土を狙う隣国が存在し、下手に争えばそちらに漁夫の利を浚われかねないといった事が大きい。
アルシュ側はブリガンテを「恩知らずの成り上がり」と蔑み、ブリガンテ側はアルシュを「カビ臭い死に損ない」と罵る。
アルシュ皇国側の歴史によればブリガンテ王国は『王国側の懇願により庇護を与え、開発や周辺国家からの侵攻にも手を貸したにも関わらず、自分達が力をつけたとみるや掌を返した』となり、ブリガンテ王国側の歴史によれば『力によって搾取され、長い雌伏の末、遂にその支配から逃れた』となる。
いずれにせよ、双方とも互いが自国に何らかの悪意ある干渉を行っている事だけは確信していた。というか、互いに自分達がしている以上、相手もしていると考えていたのだ。
だから……。
「……ふうむ、我が国の関与、が?」
そんな話が流れてきても、誰も疑問には思わなかった。
ただし、その会話が為されている場所が問題であり、皇国の中心部に位置する皇宮の一室。そこで密かに複数の重要人物が集まって話が為されていた。
参加している内で最も上位に座しているのが皇国第二皇子であるギヨームである。
皇王は高齢なので実質引退。
昨今は「そちに全て任せる」と正式表明して、長年連れ添った皇妃とのんびり皇国各地を身を隠して回っている。未だ皇王の座にあるのは皇王の地位は伝統的に死去のみでしか譲られないから、というだけだ。
第一皇子は王位を巡る争いに嫌気が指して継承権を放棄して、出家してしまった。
まあ、幸運にも恋愛結婚で結ばれた国内有力貴族の奥さんが妊娠が発表されて間もなく殺害され、その翌日に大量の見合い話が雪崩れ込めば、その上で「王家の、王位を継ぐ者の義務」を周囲から言い出されては嫌になるのも分からないでもない。見事なまでに周囲が気づいた時には置手紙を残して出家した後だったという。尚、殺害者は昔から彼女と仲が悪かった女性、彼女も有力貴族に嫁ぎはしたのだが実質結婚生活は早々に破綻の仮面夫婦。関係の悪かった女性が皇太子妃となり、幸せそうな様子を見て思わず……という発作的な行動だったらしい。
少なくとも、薬も魔法も傍にいて関与していた可能性のある何者も確認されてはいない。
なので、実兄が継承権放棄して僧院に篭ってしまった現在、継承権第一位の皇太子の地位にあるのは正室の第二皇子であるギヨームなのだ。もっとも既に四十台で奥さんも子供もいる身だが幸い、彼は冷徹すぎる程にきっちりと皇家の義務を果たしている為、特に国に問題は発生していない。
「はい、王国ではそれとなく囁かれているようで御座います」
先日の王国の出兵失敗、どころか大敗という失態は皇国にも即座に伝えられた。
この程度の情報であれば、普通に手に入る。というより、あれだけの大敗、隠す方が難しい。
さて、その上でこの噂だが……。
「……王都で流れているのは我が国が関わっているのではないのか?それだけか」
「それ以上の詳細な情報を得るとなりますと……」
「分かっている。今はまだそこまで無理をせずとも良い」
ここで彼らに勘違いが生じた。
彼らがこの時点で、もしも、だが自国の武技を使う獣人が現れた、という情報を把握していたならばもっと真剣になっていただろう。危険を冒してでも情報を収集していたかもしれない。
だが、ブリガンテ王国で語られる噂話、という事が彼らにその選択を取る事をやめさせた。
というのも、ブリガンテ王国でこの手の噂が流れる事は今回が初めてではないからだ。
楽な手だろう、だから多用する……。
貴族の反乱があれば皇国が裏から援助をしていた、民衆が貴族の政治に何らかの不満を持って反乱を起こしたならばどちらを宥めるにしても皇国が、つまり貴族をこの機会に取り潰すならば貴族の側近に皇国の人間がいて煽っていた事にして、民衆を潰したなら民衆の裏に皇国が武器などを供与していたとする……。
毎度毎度の事なので、既に王国の民でさえ『どうせまた皇国が裏にいるんだろ』と発表前から決め付けている程だ。それは皇国側もしかり。故に今回の一件においても彼らは同じだと判断したのだ、というよりまず最初に流れてくるのはそういう話だと判断していた。
故に彼らはこう判断した。何時もと同じく誤魔化す為に皇国の関与という話を流し、本当の事情を隠蔽している、と……。
まさか今回に関しては武技の存在によって王国上層部の一部が本気でそれを考慮しているとは思うはずがない。
「念の為に確認するが実際の所我が国は関与しておらんのだろうな?」
「ありえませんな」
断定だった。
まあ、ギヨームが念を押すのは当然の話だ。これ程大きな打撃を王国に与えるような計画が実質的には既に皇王となっている自身に全く話されずに行われたとなると大問題だ。
だが、それに対する皇王直属陰を担う長の答えも簡潔だった。
「勝手に一部の者が暴走した、という訳ではないのだな?」
「可能性がゼロとは申しません、国外に出ている者もおりますので」
まあ、そこら辺は念の為に今後確認する事になるだろう。
ただ、と長は続ける。
「確かに僅かな工作員で大軍を混乱に陥れ、撤退に追い込む、そうした手法は御座います」
しかし、今回に関しては一つ大きな問題があるという。
それは戦力の問題だ。
如何に混乱を引き起こしたと言っても実際には数は数、今回のような万に達する大軍がその過半を失う、というような状況にはなる訳がない。十人が工作に関わっていたとして一人あたり百を殺した所で敵の被害は千に過ぎないのだ。大体、そこまで派手にやればもっと目立つはずである。
毒殺なら話は別だが、それならそれで中枢だけを狙うはず。
一つだけありえるのならば同士討ち、というケースだが、それもオルソ騎士団を次期騎士団長とされていたアレハンドロが指揮を執っていたのだ。寄せ集めの領主勢ならばともかく、騎士団まで大きな損害を受けた上に、副騎士団長エンリコと次期騎士団長とされる練達のアレハンドロが共に戦死という最悪とも言える結果が出るはずがない。
「あれだけの被害を与えたとなるとどうしても千を超える兵士が必要となりましょう」
実際はもっと。
兵士だって疲れるのだ、魔法で動くマジックアイテムではないのだから。
そして、そこまでとなればさすがに傭兵を雇うにせよ皇国上層部の認可なしでやれる限界を超えている。したがって、敗北を誤魔化す為に我が国の関与を王国の民に流しているのではないでしょうか?
そんな長の結論に、ギヨームもまた「ふむ」と頷く。
なる程確かに、普通ならばまずそう見て間違いないだろう、普通ならば……。
「しかし、オルソのアレハンドロは一騎打ちで討ち取られたとも聞く。それはどう判断するのだ?」
「……申し訳ありません、現状そこまでは」
長が苦い顔となる。
そう引っかかるのはそこだ。
皇国上層部とて王国の三騎士団の一角の次期騎士団長ともなればどのような人物かは把握している。優れた指揮能力を持つ熟練の騎士であり、相当な腕を持つ武人。
そんな人間を一騎打ちで打ち破ったのだ。間違いなく、相当な手練れがそこにはいたはずだ、いや、手練れとかそういう事を差っ引いて考えたとしても、彼が死んだ以上敵と看做して攻撃した相手がいたはず。幾ら混乱状態にあったとしても、見事な鎧をまとっている時点で雑兵達が勘違いして襲う訳はなし。
無論、今回の「討伐対象」であったらしいエルフ達の襲撃で討ち取られたという可能性がないではない。次期騎士団長がエルフに討ち取られた、という話を隠す為にだ。……しかし、果たしてあの男を奇襲以外でエルフに討ち取れるのだろうか?という疑問は残る。奇襲にしても騎士団の中枢部、大勢の騎士に囲まれた場所にいるであろうアレハンドロを討ち取れるまで接近出来るものだろうか?
(いかんな、どうにも情報が足りん)
情報が足りない。
不十分な情報からは、確実な判断は出来ない。もちろん、それでも手元にある情報から判断して行動しなければならない時はあるが、今回はそんな状況ではない。
「……もう少し情報を集めよ。この件に関しては今少しはっきりした事を知りたい」
「かしこまりました」
良いな、と特に信頼する臣下達に視線を向ける。
全員が丁寧に頭を下げる。
かくて、アレシュ皇国も動き出す。
……彼らは知らない、間もなく届けられるある情報が彼らを更なる困惑と混乱をもたらす事を。
◆◆
大陸某教国。
ある宗教を信奉する者達によって治められる教会が統治を行う国。
そこでもまた複数の神職兼統治者達が集まっていた。
いずれも煌びやかな法衣を纏っている。神に仕える者が贅沢を、と思う者もいるだろうが人というものは目が見えないというのでもない限り、初対面ではまず見た目に捕らわれる。どんなに有名で徳のある僧侶だとしても見るからに不潔で薄汚い小男が仏頂面で現れれば、矢張り眉をしかめる者は多いはずだ。
ある高名な僧侶が葬儀に招かれた際にみすぼらしい格好で行くと追い払われ、続いて立派な袈裟と大勢の弟子を連れて訪れると歓迎された。その為「君達に必要なのは衣装でしょう」と立派な袈裟だけを置いて帰ってしまったという逸話がある。見た目で判断せず、人を見ろ、という戒めでもあるのだろうが、矢張り最初の印象は重要なのだ。現実だって、「ラフな格好でお越しください」と言われても、ステテコサンダル履きで会社の面接に行く奴はいない。いてもまず通る事はない。そういう事だ。
「ふむ」
その中で一際豪奢な衣装をまとう老人がにこやかな笑みを浮かべたまま頷いた。
「成る程、それでは敬虔なる神の信徒たる王国に、愚かにも神の栄光に歯向かう亜人が手を出したと」
「は、その通りに御座います、猊下」
にこやかな笑みを崩さない老人に対し、周囲の反応は苦い顔をしている者が大半だ。
一部は老人同様のにこやかな笑みを浮かべていたり、或いは落ち着いた表情を崩さなかったりしている訳だが。
「此度の戦にてブリガンテ王国が蒙った損害は多大なものが御座います」
それは王国の王都にある教会の司教が送ってきた情報。
ブリガンテ王国が送った軍がエルフに敗北した。
ただ単に教養のない領主勢の雑兵達が奇襲を受けた際の混乱によって撃退された、被害自体はそう大きくない、というのならばまだ話は分かる。だが、今回の場合はそういう話とは違う、王国が蒙った損害は生半可なものではない。
王国三騎士団の一つオルソ騎士団は副騎士団長と次期団長が戦死。
参加した領主は現在の所生還してきた者がおらず、全滅と看做されている。
兵士、騎士達の戦死も千や二千ではない、というものだ。
「ふうむ……そうなると、少々あの国は荒れそうですねえ。信徒が苦しむのも哀れです、司教には出来る限りの事をするようにと伝えなさい」
「承知致しました」
無論、その為の資金であったり食料であったりの援助は行われる。
単なる善意からだけではない。苦境の人間ほど神を求める。王国にしても、大量に領主が死亡するなどのこの現状、場合によってはアルシュ皇国などと紛争レベルなら起きかねないというのに、仲介役を引き受けてもらわねばならないかもしれない教国に文句を言う事は出来まい。そもそもやる事は基本、領主勢の街などで稼ぎ頭が死んだ故に村で生活出来なくなってスラムに流れ込むであろう人々を取り込むだけだ。
一見すると余り影響ないように思えるかもしれないが、後は教会で運営する商会や荘園などに取り込んでいけば、立派に役立つのだ。
或いは王国でも信者が多数いる教会から理不尽でもないちょっとした「お願い」程度なら断りづらい、という事もある。
「アルシュ皇国はどうです?」
「今の所は動く気配はなさそうだ、との事です」
こちらは情報不足と判断しているらしい。
特にエルフが王国を破ったというのなら、どうやって、というのが気になっているようだ。実際、そこら辺は教国としても実に関心のある話だ。
その他幾つかの事柄について決定が為された後、彼らはそれぞれの役職に従い戻ってゆく。
老人もまた奥へと歩みを進めるが、その方向は人気が殆どない。それでも、護衛の者は特に何かを言うでもなく後につき従う。
やがて、ある立派な装飾の施された一室へと到着する。
「しばし、ここで待て」
「はっ」
扉を開けて入れば、そこは小さいながらも荘厳な礼拝堂であった。
歩みを進めた老人は静かに呟く。
「誰か」
『……ここに』
姿は見えない。
けれど確かに声が響く。ただし、老人の耳にのみ。何らかの魔術か、或いは特殊な技法を用いているのであろう。おそらく他に誰かがいても老人が独り言を呟いているとしか思えない。無論、万が一を考え、ここには許可のある者以外が入る事はないが……。いや、入ったとしても『誰も来なかった事になる』。
「王国がエルフに敗れた、との事は知っておるな?」
『……はっ』
少し返答が遅れた事に僅かに口元の笑みが苦笑へと変わる。だが、咎める事はしない。
『……如何致しましょうか』
「お前達も調べてみてもらえるか?何者が主導したのか確認したいのだ」
『承知しました』
頼むぞ、そう呟いて老人は正面を見上げ、そこにある像に一礼する。
そこにあったのは荘厳という言葉を形にしたような一体の像。それを見れば誰に聞かずともそれが神像と呼ばれる類のものである事は一目瞭然であろう、ここがどこであるかを考えれば教国が祭る神を模したものである事も容易に想像がつくはずだ。だが……。
老人の顔に浮かぶ笑みは変わらない。相変わらず穏やかな笑みが浮かんでいるままだ。
だが、もし、誰かが老人の前に立ってその顔を覗き込む事が出来たならば……神像に向いた、僅かに開かれたその瞳に一切の感情が見られない事に息を呑んだ事だろう。それは間違っても自らが崇める神に対して向ける視線ではなかった。
長いようで短い時間、神の像に視線を向けていた老人はやがてポツリと呟いた。
「……神が本当におわすなら」
だが、それ以上を老人が口にする事はなかった。
ただ黙って踵を返し、部屋から出て行ったのだった。
今回出てこなかったエルフ達と王国の出番は次回にて!
基本は第三者達の状況です
主人公達はどうなのか?と思うかもしれませんが……召喚勇者って結局、その国の人間でない以上本来第三者ではあると思うんですよね