8−4 「竜尖の牙」
「君と剣を交えるのも久しぶりだな。さあ、合図は無しだ。好きな間でくるといい」
さすがにサスファウトは落ち着いている。しかも、彼は木刀を片手で構えている。まさかシオンを見くびっているわけではないだろうが、その態度にはまさに相手に胸を貸すといった気概が窺えた。
「たッ」
しばらく見合った後に、竜国の騎士が先攻する。木刀同士が衝突し、場内に乾いた音が響いた。サスファウトはそれを片手に持った剣でいなすと、つづく第二撃、第三撃も危なげなく防いで見せた。
サスファウトの剣技は決してシオンの清流を乱したりしない。むしろその流れを利用し、身を任せる。すると自然にその流れが読めてくるのだ。
今度はシオンの側にとって手応えを得られない一戦となった。追い詰めたかと思っても、サスファウトは長髪をなびかせて彼女の剣を避けてみせる。
やがて中央で、二人が接触する。シオンが両手で渾身の力を込めて鍔迫り合いを制しようとするが、サスファウトは相変わらず片手で握る剣でそれを押し留めている。
「うぁ」
力のコントロールを心得ているサスファウトのために、シオンは押し負けて振り飛ばされた。彼女は床に転がったが、敗北を認めず、すぐに起き上がる。
「……まだ、まだです」
幾度か同じような展開が続いたが、彼女は決して諦めなかった。意地になったのか、あるいは大人しそうに見えても実は負けず嫌いなのか、がむしゃらにサスファウトに挑んでいく。
「降参か、シオン殿」
「しません」
やがてシオンの額に汗が滲み、少しづつ彼女の呼吸が荒くなってゆく。
両者の力量差は歴然としていた。終了の合図をする者もないので明確な勝敗はつけ難いが、この試合の場合はどちらかが負けを認めるまでは決着にはならないのだろう。シオンが敗北を認めるならば、今にでも終わりになりそうな展開だった。
「シオンたら、見苦しいわねぇ。サスファウトも、もう止めにすればいいのに」
事件の張本人であるエリミティーヌは用意された椅子に腰掛けたまま、すまし顔で二人を観察していた。
すると、その内だんだんとシオンの様子が変わり始める。負けを認めるどころか、一太刀毎により一層熱気をはらませ、その表情もまるで憎悪する仇に挑むような鬼気迫るものへと変貌していった。
それは、ムキになっているなどというレベルではない。勝つことへの執念がそうさせるのか、まるで悪鬼のようになって鋭い斬撃をサスファウトに見舞ってゆく。
「おいおい、止めたほうがいいんじゃないのか──?」
シオンの様子が常人離れしてきたので、周囲の人間もハラハラし出した。木刀同士の打ち合いとは言え、このまま続けるのは危険に思えたからだ。しかし、心配など無用であると態度で示すが如く、サスファウトはまだ余裕を持って彼女の攻撃をただひたすらに流していた。
だが、シオンに変化が現れたことは、まさしく彼女がキレてしまった証拠だった。彼女はすでに、自制の効かないトランス状態へと陥っていた。
サスファウトが剣を下ろし、試合をやめにしようとしたその時である。
──シオンの構えが変わった。
極端に重心を低くし、剣を後ろの方で構える。
「……む?」
サスファウトは彼女の変化に気付いた。そして、その構えのことも知っていた。
──竜尖剣。
アスト・ソレイジアに伝わる固有の剣技。
一撃必殺を基本とする、居合い抜きに通じる突撃剣。
シオンの瞳はサスファウトを捉えている。敵愾心剥き出しの眼光だ。下手に動けば、あの剣が炸裂するだろう。木刀だと言っても直撃を食らえば命は危うい、強烈な剣技だ。
今この時に、剣を向けられたサスファウト以上に慌てたのは、事態の尋常ならざることに感付いた観戦者たちである。
「シオン! やめなさい! これは試合なのよ!」
エリミティーヌが叫んだが、その言葉はシオンの耳には届かない。
練武場の兵士たち、そしてウルネが思わず試合場に立ち入ろうとする。
「来るな。巻き添えを食らうぞ」
サスファウトは冷静に、彼らを制止させた。シオンの放つ竜尖剣は、王族伝統の正当な流派によって生み出された剣術だ。もしもその奥義が会得されていれば、喰らった者だけではなく、その周囲にも損害が及ぶ。少なくとも、シオンの父親が模擬訓練でそれを放ったのを見たことがあるサスファウトには、それがわかる。
「シオン殿、このままでは誤った力の使い方をしてしまうことになるぞ。それは君にとって本意ではないだろう。……まだ間に合うから、剣を下ろすんだ」
サスファウトは彼女をなだめるため、諭すようにそう言った。しかしその言葉も今のシオンの耳には入っていない。いや、彼女の心には届いていない。
「……私は、勝つ」
気が高められ、シオンの身体から異様なオーラが立ち昇る。サスファウトは木刀を構えたまま身動ぎひとつしない。少しでも動けば相手が掛かってくる気配がある。
(どうやら、逃れられないようだな)
一体どれほどの速度、威力でくるのか。全くの未知数であるゆえに、これは生死を左右する要素である。シオンは力量的にはサスファウトに及ばないが、奥義の力を加味されている。
シオンの間合ギリギリから飛び込めば、活路を見出せるかもしれない。サスファウトはそう考えた。しかし、彼が何かしらのアクションを起こすには、距離が開きすぎている。でき得る限り近づきたかった。
ジリッ。
サスファウトが足を少しだけ動かした。
ほんの僅か、彼女に近づこうとした動きである。
「──!」
だが、その僅かな動きが竜尖剣の引き金となった。
凄まじい勢いで、シオンが突撃してくる。彼は最初からシオンの間合いの中に入っていたのだ。
竜尖剣の奥義は神速である。それを回避することはさすがのサスファウトと言えども不可能であった。
ドグォォン!
インパクトの瞬間、風圧を伴う衝撃波が練武場内部を走った。木刀で打突の直撃を逸らしたサスファウトだったが、彼の木刀は跡形もなく吹き飛んだ。衝突の瞬間のエネルギーは凄まじく、床のタイルがめくり上がり、エリミティーヌの居る練武場の端の方まで吹き飛んできた。
(──だが、防いだ!)
その状態で、サスファウトは姿勢を保つことができた。逆に衝突の威力でシオンがよろめいたため、彼は一瞬のうちに彼女の横に回りこんで、その腕を掴む。
シオンはサスファウトの腕を払おうとするが、サスファウトはそれをさせない。シオンの身体のアンバランスを見ると、サスファウトは彼女の足を大きく払った。
「!」
鈍い音を立てて、シオンが地面に倒れた。サスファウトは組み付いて、彼女の腕から木刀を奪った。
「くっ」
組み伏せられながらも、なおもシオンはサスファウトに抗った。
「シオン! いい加減にしなさい!」
駆け寄ってきたエリミティーヌがシオンを怒鳴りつける。
だが、シオンは一向に大人しくならない。サスファウトに抑えられながらも、猛烈に暴れている。
「シオンッ! 私の命令が聞けないのっ?」
ほとんど絶叫に近い、王女の声である。
「……は」
ようやくその声が届いたのか、シオンの動きが急に静かになった。彼女は王女のおかげで、ようやく冷静に戻っていった。
「私……は」
サスファウトに組伏せられたまま、シオンは呆然としていた。
「もう! あなたまで国の恥を晒してどうするのよ」
シオンが正気を取り戻したのを見て、サスファウトは立ち上がった。シオンはゆっくりと身体を起こして、床に座った。
「申し訳ありません……姫様」
大人しくなってしまったシオン。すっかり、王女に対する口答えもなかった。
サスファウトは、そんな茫然自失のシオンを見つめた。
(これもネスティルダ家の血、か──)
血塗られしアスト・ソレイジア王家の影、ネスティルダ。その租が王家と二つに分かたれたのも、この忌まわしい気質にあると言われている。
(しかし、この若さでこれほどの剣。恐ろしい娘だ)
彼女の竜尖剣が完成されていなかったのと、剣が木刀であったのが幸いしたが、ほとんど柄の部分しか残っていないサスファウトの木刀や、無残に吹き飛んだ床のタイルを見れば、シオンが尋常ならざる力をもっているのは明白だ。そもそも、竜尖剣は誰にでも習得できるほど生易しいものではない。
「シオン殿、厳しいことを言うようだが、力というのはコントロールできなければ意味がない。君は優れた騎士だが、まだ若すぎる。……わかるかな」
「身にしみて、よくわかりました」
サスファウトに痛いところを突かれ、精神面の未熟さを痛感したシオン。小さな声で返事をするばかりだった。
「ほら、いつまで座ってるのよ、シオン。もう行くわよ。みんな待ってるんでしょ」
「姫様……」
「言うとおりにするって言っているのよ。それで文句無いわね」
エリミティーヌはぶっきらぼうにそう言った。
「では、サスファ……フレイルース卿。また逢える日を楽しみにしていますわ。シオン、先に行くわよ」
一刻でも早くこの場を離れたかったのだろう。心境の変化から、王女は案外あっさりとサスファウトに背を向けた。
「姫様、お待ちを……あ」
シオンは去ろうとするエリミティーヌを追うために立ち上がろうとしたが、失敗した。どうも腰に力が入らないらしかった。
「大丈夫か、シオン殿」
サスファウトはそんなシオンを気遣った。自分を見失った本人が気付かないのも無理は無いが、実力以上の力を長時間発揮したこと、また竜尖の技を使ったことで、今彼女は相当に疲労しているのであろう。
「姫様を、お一人にするわけには……」
「彼女のことなら心配いらない。すでに、君の部隊の者が外で待機しているようだ」
「皆が……。そうですか」
「君が代表だから、彼らはここには入って来なかったが……まあ、さっきの衝撃は伝わっただろうな」
サスファウトはチラリと、練武場の入り口の方に目をやった。
「それにしても、竜尖の技を使えるようになっていたとはね。お父上譲りといったところか」
「本当に、本当にごめんなさい。使うつもりなどなかったのに、途中から訳がわからなくなって」
「いや、おかげで君が負けず嫌いだということがよくわかったよ。エリミティーヌ王女といい勝負かな」
からかうように、フフッと笑うサスファウト。
「うぅっ」
恥ずかしい姿を見られたと感じて、シオンは思わずうつむいてしまった。王女に対して偉そうな口を利いた割に、自分を見失ったり、腰を抜かしたり、結局は随分と情けない醜態を晒してしまった。しかも、ここは戦場ではない。
──ところで、シオンのような乙女らしい少女が戦場に立つのが特例でないことからも、シーレでいかに戦争が日常的な出来事であるかがわかる。年齢や性別に関わらず、否応なしに、戦争のコマとして使えるものならば利用される場合も少なくない。それが能力のあるコマならばなおさらで、肉弾戦を行わない空軍士官では、それが特に顕著に現れている。
ただ、シオンの場合は他の選択肢も選べたのだが、それをしなかった経緯もある。彼女は本来、戦場に立つ必要が無かった人物である。
「立てるかい」
「はい」
サスファウトはシオンの手を取って、彼女が立ち上がるのを援助した。この時、彼女には王女が彼を慕う気持ちが少しだけわかったような気がした。
「あの、……サスファウト将軍」
「何かな」
「実はここに来る前、ロシオウラ様と接見して全てをお伝えしました。お二人の問題ということもありましたし、出すぎた真似とは思いましたが」
「そうか……」
サスファウトは観念したように瞼を閉じた。ロシオウラに知られてしまった以上、王女のわがままに付き合うのも、これが最後になるかもしれないと思った。
「それでは、私に対しても何らかの処罰があるのだろうな」
「いえ、この度の事件は全て姫様の勝手から出たことは明白ですし、それにロシオウラ様にも寛容な取り計らいをお願いしました」
シオンとサスファウトの利害は一致している。ロシオウラもまた、国家間の問題となるならば抜かりの無い対処をするだろう。彼女の機転の利いた行動は、考え得る最もよい方法だったと言える。
「君にも面倒をかけさせてしまったな。まさか王女がここまでするとは思わなかった」
距離をとるのが強要されることに、王女は耐えられなかったようだ。無論、サスファウトにとっても彼女は大切な人だが、彼はそれほど自制の効かない男ではない。
「アスト・ソレイジア王はまだご存じないということは、間違いないのかな」
「はい。ただ、我々の母艦はまだ王国に帰港してませんので、あまりに時間がかかりすぎると困ったことになります」
「ごまかしが効かなくなるか……。追求されてもロシオウラ様が何とかしてくれるだろうが、しかし急いで戻った方がいいな」
「では帰還の準備として、私達の母艦がトラシェルム帝国の領空を飛行し、帝都に寄港することをお許しいただけますか」
「もちろんだ。そもそも、アスト・ソレイジアの旗を掲げた船を攻撃するほど我が軍は愚暗ではないよ」
一方、先程から二人の傍にいて話を聞いていたウルネだったが、彼女はそれほど事情を飲み込めていないようだった。
「サスファウト将軍、これは一体どういうことですか。先程の女性は誰なのですか。……王女とはもしや、アスト・ソレイジアの……」
「いいか、ウルネ将軍。ここでの出来事は一切、他言無用だ。兵士達にはわからないだろうから、決して余計なことは言うなよ」
「……は、ハッ!」
サスファウトの鋭い両眼に射すくめられ、ウルネは反射的に敬礼の姿勢をとった。
「すみませんが、どうかお願いします」
続いて、シオンがそう言いながら丁寧にお辞儀をしたが、先程のまるで何かに取り憑かれていたような姿が脳裏に焼きついている為に、ウルネは一瞬反応に困ってしまう。
シオンに対して当初の可憐な少女という印象は残ってはいるが、今はもう不気味で異様な面を持ち合わせていることを知ってしまったウルネ。ただし、まともかどうかは別として、とてつもない逸材である予感はあった。
(シーレは広い、な……。私も、まだまだ精進が足りないな)
仔細を知る由も無い騒動に巻き込まれた挙句、そんなことを考えさせられたウルネであった。 |