五一.甑島沖海戦9
というわけで、対214型潜水艦戦は今回で最後です。
アメリカ合衆国 ワシントンDC
日本との時差が14時間あるワシントンは今、日付が丁度変わるころであった。オーバルオフィスに詰めていた大統領のもとへ統合参謀本部議長が駆けつけた。
「大統領閣下。日韓戦争への介入の為に各部隊に指令を発信しました」
統合参謀本部議長が報告をすると、大統領は笑みを見せた。
「ありがとう。下がっていいわ」
統合参謀本部議長がオーバルオフィスを立ち去るのと入れ替わるように閣僚達がやって来た。皆、北九州有事への介入に備えて深夜まで調整を続けていたので疲れきっていた様子である。そんな閣僚達を大統領は暖かく迎えた。
「ありがとう。よくやってくれたわ。いよいよ介入の時ね」
閣僚達は大統領の言葉に頷いて応えた。やるべき事は全てやった。後は兵士達が戦うに赴くだけだ。いや、まだ1つ残っていた。それを大統領をファーストネームで呼ぶことが許された大統領直属のスタッフが教えてくれた。
「サラ!明日のスピーチの原稿ができあがりました」
それは専属のスピーチライターが執筆したもので、朝一番にホワイトハウスの前で会見を開いて北九州有事への介入を宣言することになっている。
大統領はスピーチ原稿を受け取って、内容をチェックしながら呟いた。
「それにしても偶然とは言え、よりにもよってこの日に開戦の宣言をするなんてねぇ」
その言葉に閣僚はだいたいが笑みを浮かべて頷いた。今日はアメリカ合衆国と言う国にとって特別な日であった。今日は7月4日、今から230年前の1776年にイギリスに対する独立宣言が布告された日なのだ。
「よりにもよって独立記念日に…ところで国防長官。大丈夫だと思うのだけど、この戦争は当然、勝算があるものなのね?」
「当然だよ、サラ」
国防長官が自信ありげに答えた。
「空軍は準備を完了した。我が第366航空団と第18航空団の2個航空団が戦闘準備を整えた。アジア地域のいかなる目標に対しても攻撃は可能だ。ただ陸軍と海軍はまだ万全とは言いがたい」
“万全とは言いがたい”という言葉に大統領は平然としていたものの、何人かの閣僚が顔色を変えた。
「いや。大丈夫だ。海軍は<ジョージ・ワシントン>が台湾海峡の危機が終息したことで、ただちに実戦投入可能な状態になっている。ただし投入できるのは今のところ、この1隻だけだ」
イランでは相変わらず危機が続いているが、地中海に空母を増強したことでインド洋で警戒任務についていた空母を1隻だけ極東に転用できるようになり、現在<ニミッツ>が日本に向けて急行しているが、到着まで4日という時間が必要だった。大西洋から急行してくる空母<ジョン・C・ステニス>の到着はさらに1週間後だ。
「陸軍は2個旅団が現地への展開を完了しているが、肝心の重旅団戦闘群の装備が到着していない。だが、それも今日中には届くはずだ」
甑島列島沖 アメリカ海軍第75任務部隊
水平線上に陸地が見えてきたことで水兵達は緊張が綻びつつあった。
「気を抜くな。船団を送り届けるまでが任務だ!」
キャスパー准将は乗艦である<ヴェラガルフ>のCICで声を張り上げ、部下達の尻を叩いていた。その甲斐あってか、<ヴェラガルフ>のCICでは将兵達は緊張感を保っているようだ。
「あと少しで終わるんだ」
CICの大型画面には艦隊の現状が投影されている。第75任務部隊は相変わらず北からの脅威に備えた配置をしていて、船団の南側ががら空きなのがキャスパーには相変わらず気がかりだった。後は彼の統制下に無い“対策”頼りということだが、それが心もとない。
甑島列島沖
高麗海軍の投入した214型潜水艦の最後の1隻、<安重根>は甑島列島最北の島である上甑島に近い浅瀬に着底し、敵を待ち伏せていた。24時間に渡る待機を経て、彼らはようやく敵を叩くチャンスを得た。敵の船団が近づいてきたのである。
「艦長!現在のコースを進めば、敵の船団は島の北を通っていく計算になります」
水雷士官が海図の上に予想進路の線を引きながら説明した。艦長は決断を下した。
「よし。攻撃を仕掛けるぞ」
すると水雷士官が待ってましたと言わんばかりに、作戦計画を提案した。
「現在の位置から発射しても命中確立が低いです。この位置で迎え撃ちましょう」
そう言って水雷士官は海図に<安重根>がこの後に進むべき進路を書いて示した。艦長は笑顔で頷いた。
「よろしい。君の案を採用しよう。魚雷戦準備!」
数分後、浅い海底に着底していた<安重根>は動き出した。その音に耳を澄ましている敵がいるとも知らずに。
それから1時間後、<安重根>は発射位置についた。
第75任務部隊
最初に敵の痕跡を発見したのは駆逐艦<マスティン>だった。SQS-53艦首ソナーが<安重根>が攻撃位置につくためにした最後の回頭の際に発生した雑音を捉えたのである。だが、アメリカのソナーマンは一瞬の探知だけでその正体を見極めことができなかった。
「船団の南東です。敵艦の可能性があります!」
ソナーマンの報告を聞いた艦長は困っていた。船団より南側への攻撃は諸々の理由で禁止されている。それに、それだけではない。
「捜索に向かいますか?」
副長の提案に艦長は首を横に振った。今、下手に動けば船団の統制を乱して、敵に攻撃の隙を与えることになりかねない。艦長が与えられる命令は1つだけだった。
「現状を維持し、再探知に努めよ」
潜水艦<安重根>
「発射位置につきました!」
慣性航行補助装置と海図台を相手に睨めっこを続けていた航海士官が顔を上げて報告した。
「魚雷1番から7番、発射準備!」
艦長は自衛用に1本を残して、魚雷管に装填された全ての魚雷を発射するつもりだった。魚雷管には注水済みで、後は発射管扉を開いて魚雷を発射するだけだった。後は艦長が命令するだけだ。
だが、それはソナーマンの報告に遮られた。
「突発音!」
<安重根>の発令所が静まり返った。そして、それに続く報告を聞いて発令所が騒然となった。
「魚雷が接近中。方位2-5-0。距離1万!」
距離10kmと言えば遠くにあるように思えるが、50ノット以上の速度で進む現在の魚雷ならば5分ちょっとで到達する距離だ。艦長のするべき決断は1つだけだった。
「回避行動!」
アメリカ海軍原子力潜水艦<ハワイ>
アメリカの最新鋭原子力潜水艦であるヴァージニア級の3番艦<ハワイ>はおそらく世界で最も高性能な潜水艦であった。その艦首ソナーSQS-53は確実に<安重根>の動きを捉えていた。
「目標が増速!回避行動をとっています!」
ソナーマンの報告を聞いても艦長のアシュレイ・アストン中佐は丸メガネの下の眉1つ動かさなかった。アシュレイはアメリカ海軍初の女性潜水艦艦長として知られているが、部下からはあまり女性として扱われたことのない艦長であった。
別段、指示を出すことは無かった。有線を通じて母艦から直接誘導される2本のMk48ADCAP魚雷は最大速度で目標を追撃でき、目標を見失うことは無い。
「つまらん戦いだ」
がら空きになった船団の南に陣取り、護衛艦の手薄な部分を狙ってくる敵を待ち伏せするというのがこの度の任務であるが、日夜アメリカ海軍の僚艦達と熾烈な水中の“目隠し鬼”を戦ってきたアシュトンにとって、罠に嵌った敵に魚雷を発射するだけの任務は簡単すぎた。もはや撃沈したも同然である。
「目標まで、後4000!命中まで2分30秒!目標がスクリュー停止、デコイを射出しています」
有線誘導をされていない魚雷の搭載ソナーとコンピューターの組み合わせであれば惑わせることができたかもしれないが、有線を通じて誘導する<ハワイ>のソナーマンが騙されることはない。2本の魚雷は確実に<安重根>までの距離を詰めていく。
「命中まで5、4、3、2、1…」
ソナーマンはカウントがゼロになる直前にソナーシステムに繋がったヘッドセットを外した。そしてカウントがゼロになると同時に爆発音がソナーを使わなくても聞こえてきた。かなり離れている筈なのに船体が微かに震え、その威力の凄まじさを物語っている。
「1番、命中!」
それから2秒経って、また爆発音が轟いた。
「2番、命中!」
ソナーの報告にも<ハワイ>の発令所は静まり返ったままだった。ただアシュレイが一言漏らしただけだった。
「つまらん戦いだった」
かくして高麗軍がアメリカ軍の増援阻止の為に送り込んだ最後の潜水艦が撃沈された。それをいともたやすく成し遂げた<ハワイ>であるが、彼らには新たな任務が待っていた。
第75任務部隊
海上を進む第75任務部隊は海上に立った水柱と、ソナーの捉えた爆発音で自分達が窮地を脱したことを知った。それから<ハワイ>は通信アンテナを海面上に出し、次の任務に向かうという素っ気無い内容の通信を送ってきた。
島や半島に囲まれた八代海内に入ると、ストライカー旅団の装備の護衛から解放された海上自衛隊の第1護衛隊群が援護に来てくれた。そして目的地である八代港が見えたところでキャスパーはようやく安心することができた。<ヴェラガルフ>の艦橋から港を覗くと、先客のストライカー旅団の装甲車や物資で混雑していた。この調子では第75任務部隊が運んできた装備が実際に下ろされるのはもう少し先になりそうだった。だが、ともかく第75任務部隊は任務を成し遂げたのだ。
1つの任務を終えた第75任務部隊は<ハワイ>と同じように次なる任務が与えられることになる筈であるが、それまでは八代海で待機することになる。その間、キャスパーは同じように待機中の第1護衛隊群の水無月司令官を表敬訪問した。
<ヴェラガルフ>の艦載機であるMH-60Rに乗り、水無月の座乗する<ひゅうが>に降りたキャスパーはFICに案内され、そこで水無月と会談をした。そこで、これまでの経過や今後の作戦について話し合ったのである。キャスパーはその時に第1護衛隊群が潜水艦を1隻撃沈したことを聞かされたが、その時にその成果を羨ましく思う表情をうまく隠すことが出来なかった。
そしてMH-60Rで<ヴェラガルフ>に戻ると、そこで大統領が演説をすることを聞かされた。