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黒い炎と氷の刃 作者:雪華

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19話 ユグドラシルの樹

 騎士団の紋を大きく掲げた帆船が、運河を漂うように流されていた。明け方からの濃い霧は嘘のように晴れ、太陽は高い位置まで登っている。

「ん……あれ。寝てしまったのか?」

 アークは机に突っ伏した状態で目を覚ました。作りかけの資料が辺りに散乱している。起き上がると、酷い頭痛がしてこめかみを押さえた。一体なぜ寝てしまったのかと、途絶える前の記憶を探る。

「突然、歌声が聞こえて……船が酷く揺れて……。そうだ、甲板が騒がしいと思っていたら、だんだんと気が遠くなってしまったんだ」

 アークは痛む頭を押さえながら、船室の扉を開けた。甲板へと続く階段から大量の水が流れ込んだようで、廊下まで水浸しだったが、それを掃除する船員の姿は見当たらない。隣の船室を覗いてみても、レンの姿も司令官の姿もなかった。

「やけに静かだな」

 嫌な予感を抱いたまま、濡れた階段を上がり甲板へと出たアークは、異様な光景に目を疑った。

「何があったんだ! おい!」

 あちこちに倒れた船員に声をかけて回る。ずぶ濡れで意識を失くしている司令官の姿が目に入り、慌てて駆け寄った。

「じいさん!」

 アークの呼びかけに目を開けた司令官は、辛そうにゆっくりと起き上がる。

「アークか……すまん。巫女姫様を連れていかれた」
「姫が? 闇の仕業ですか」
「うむ。奴ら、船でユグドラシルの樹へ向かう情報を得ていたのじゃろう。氷鯉も来ておった」

 悔しさと体の痛みに、司令官は顔を歪める。

「セイレーンだ、セイレーンが出た!」

 目を覚ました船員達が、いまだパニックを引きずったように、ヒステリックな叫び声を上げた。船はただ、川の流れによって海に向かって漂っている状態だ。

「セイレーンは得体の知れない化け物ではない、水の一族の能力者じゃ! 恐れる事はない。さっさと持ち場へ戻り船の軌道を修正しろ!」

 司令官がアークの手をかり立ち上がると船員達を一喝した。ハッとしたように、船の現状を理解した船員達が、それでも周りをキョロキョロ見渡し怯えながら持ち場へと戻る。
 航海士が恐る恐る尋ねた。

「このままユグドラシルの樹へ向かいますか? それとも宮殿へ引き返しましょうか」
「そうじゃな……宮殿へ戻るとするか」
「いえ、ユグドラシルの樹に参りましょう」

 司令官の言葉に、アークが即座に反論した。

「姫がいない状態では……」

 司令官は気が進まないようだったが、アークは譲らなかった。

「こんな時こそ、里の長達と情報を共有しなくては。それに、伝説上のものと思われたセイレーンが水の一族とは、本当ですか?」
「うむ。黒炎と同じじゃ。稀にその能力を持って生まれる者がおる。今の世にはおらんかと思っておったが……。氷鯉が言ったのじゃ『汐音、歌の続きを』と。あやつの弟の名じゃ。能力を隠しておったのだろう」
「では、なおさらユグドラシルの樹へ。水の長とも話をせねば」
「……仕方あるまい。このままユグドラシルの樹へ向かってくれ」

 司令官は深く息を吐く。航海士はうなずくと、操舵室へ駆けていった。
 やがて潮の香りが強くなり、川から広い海へと出る。船長があと一刻もかからず到着する事を知らせた。

「ルージュ君に姫を任されていたのに……申し訳がないな」
「まだあいつに、姫が連れ去られた事は知らせるでないぞ。今はアイスケーヴに向かっている途中だろう。姫の件を知ったら、すぐにでも引き返しかねん」
「古文書の捜索でしたか。有益な情報を得られれば心強いですが……しかし、私がもっとしっかりしていれば……」

 アークが悔やみながら、ふと海の向こうに目をやると、島影が見えた。島全体に枝葉を伸ばした大樹が、遠く離れていても確認できる。

「ああ、見えてきました。ユグドラシルの樹です。相変わらず神々しい……」

 アークは眩しい日差しに目を細めながら、島を指さす。だが、司令官の顔色は冴えなかった。やがて船は、島の地形を利用した、自然のままの港に入っていく。
「ユグドラシルの樹」と呼ばれる場所は、周囲が百キロにも満たない小さな島だ。
 円形に近い五角形をしており、島の中心にある大きな世界樹(ユグドラシル)から伸びた枝は、まるで屋根のように島を覆っている。枝の隙間からさす木漏れ日は、聖なる力を宿しており、島はとても緑豊かで自然にあふれていた。

「聖なる力を感じますね。ここは闇も入れませんよ」

アークは見事なユグドラシルにため息をもらした。しかし、相変わらず青白い顔の司令官は、よろよろとふら付きながら手すりにつかまり、立ち上がることが出来ない。

「アークよ、すまない。体調が戻らん……わしは一度宮殿に帰らせてもらうよ。会議が終わる頃にまた迎えをよこす」
「よほどご無理をされたのですね。先ほどの戦闘では助けにも入れず、申し訳ありませんでした」
「よい。気にするな。まさかあそこでセイレーンに出くわすとは誰も予想できん。会議の方はお前に任せた」

 アークは一人荷物をまとめて船を降りると、すでにユグドラシルの樹からの使者が待っていた。

「ご案内いたします」
「ああ。よろしく頼みます」

 子供の姿をした使者だったが、口調からすると、中身は大人なのだろうとアークは考える。ユグドラシルの樹は、森の一族が管轄していた。
 深い森の中に道はないのだが、使者が進むと木々の方が避けていき、道が出来る。まるで緑のトンネルを抜けているような気分だった。ユグドラシルの傘の下ではあるが、日の光は十分に森の隅々まで届いている。清々しい空気を吸い込むと、体の中から浄化されるようで心地よい。

「到着いたしました」

 使者は振り返り、一礼しながらアークにそう告げた。いつの間にか、世界樹のちょうど根元に出たらしい。
 そこには木の(つる)だけでできた、まるで鳥かごのようなガゼボがあり、その中にテーブルがセッティングされていた。

「カンファー様、炎の長アーク様をお連れ致しました」

 使者がそのテーブルで一人お茶を飲んでいた女性に声をかける。女性は立ち上がると、にっこり微笑んでアークをガゼボに招き入れた。
 透き通るような、足首まで届く萌黄色(もえぎいろ)の髪が風にそよぐ。

「ようこそいらっしゃいました。今回は大変な旅路となりましたね。どうぞ、お茶でもいかがですか」

 広く胸元が開いた藍色のドレスには、銀糸の細かい刺繍がほどこされ、ゆったりとしたレースの長い袖からは、白い指先がのぞいている。
 うっとりするような美しい女性は、森の一族の長だった。
 見た目こそ、アークと変わらないような年ごろだが、精霊の中でも森の一族は特に長寿だ。もしかすると、司令官よりもずっと年上かもしれない。
 アークは緊張の面持ちで、勧められた茶に口をつける。

「これは……?」

 一口飲んだだけで、まるで体の憑きものが落ちたかのように、先ほどまで感じていた体のだるさが消え去った。

「体が軽くなりましたでしょう? それは、世界樹の葉を煎じたお茶なのですよ。この葉は島から出るとすぐに枯れてしまいますから、この島だけで飲める、貴重な物です。闇の力に触れた身には、良い薬となるでしょう」
「これは有難い。しまったな、こんなことなら、祖父を連れてくればよかった」

 そうして再びカップに口をつけるアークを、カンファーが優しく見守った。

「当初の予定では、会議の日までまだ間がありましたが、巫女姫様がさらわれたと聞いて、他の長たちも急いでこちらに向かっています。氷の長、白銀(しろがね)様は責任を感じられて早々にこの島に到着されました。お可哀そうに、白銀様が気を病む事はありませんのに」

 カンファーは、長いまつげを伏せてため息をつく。

「では会議の日程は?」
「明日を予定しております。アーク様の寝所はご用意させていただきました。今日はそこでゆっくりお休みください」
「ありがとうございます」

 アークが礼を述べた後、静かな時間が流れた。
 屋外なのに、不思議と寒さを感じなかった。爽やかな風が通り抜け、葉の揺れる音が聞こえる。アークとカンファーは、自然とユグドラシルの樹を見上げていた。葉の間から差し込む光がキラキラと降り注ぐ。

「この世界を守らねばいけませんね」

 カンファーの言葉に、アークは深くうなずいた。


 世界樹のそば、少し開けた高台に、森の景色に溶け込む美しい三角屋根の建物があった。屋根は鱗のような瓦で覆われ、レンガの壁にはツタが生い茂っている。
 その建物内に、円卓を囲むようにそれぞれの種族の長が顔を揃えていた。

「この度は、愚息がとんだことを……弁解の余地もありません。大変申し訳ない」

 会議が始まって早々に、煌牙の父でもある白銀が深々と頭を下げた。カンファーの顔が切なそうに曇る。

「どうか頭を上げてくださいませ。私もずっと闇が封印された洞窟の存在に気づくことが出来ませんでしたから、本当に悔いておりますの。あんなに森の里に近い場所でしたのに……」
「それを言うならば、私もセイレーンの存在に気付いておりませんでした。まさか、闇と行動を共にするとは……」

 水の長が片手で目を覆うと、大地の長がやれやれとため息をつく。

「過ぎたことを今さら言ってもどうにもならんでしょう。これからの事を考えねば」

 ライオンのたてがみのようなくせっ毛を、大きな手でかきむしった。

獅凰(しおう)殿の言うことは最もですが、巫女姫様まで連れ去られ、一体どうしたものか……」

 獅凰と呼ばれた大地の長は、腕組みをして低く唸る。

「むう……。しかし、まだ人間の娘がいるだろう? それに、そのセイレーンも目星がついているそうじゃないですか。(いずみ)殿、居場所に心当たりは?」

 獅凰からの問いかけに、水の長、泉はあごに手をやり考え込んだ。

「汐音という、まだ十四歳の少年です。彼は行方不明になっていて……。最近は水の里では生活しておりませんでした。現在の居場所も不明です」
「行方不明とは……?」

 アークの言葉に、泉は低い声で言いにくそうに口を開く。

「実は、四年前に海の中で忽然と姿を消したそうで。恐らく人間界へ紛れ込んでしまったのではないかと。あちらの世界では、魔力は極端に弱まりますから、陸上で尾ひれを足に変えることもできません。人間に捕まっていなければいいと思っていたのですが……しかし、精霊界に戻っていたとは知りませんでした。ましてやセイレーンの能力持ちとは」

 大きくため息をついて、テーブルに肘をつき頭を抱えた。
 重い沈黙が流れる。

「しかし……」

 その沈黙を破り、最初に口を開いたのはカンファーだった。

「三千年前、闇によって未曽有の危機に陥ったというのに、これといった資料が残されていないとは、少し妙な気も致します。意図的に情報が隠された可能性はありませんか? 闇を封印した洞窟にしても、本当に何の伝承もなく、今回大変驚きました」

 白銀がカンファーの言葉に深くうなずいた。

「同感です。騎士団がアイスケーヴへ古文書を探しに向かっているということですが、もともとアイスケーヴは氷河にできた自然の洞窟。形が変わることもあり、それ故立ち入りも禁止しているのですが……古文書の存在など、聞いたこともありませんでした」

 ふむ。と、考え込んだアークが腕を組む。

「時によって変わる巫女姫と違い、我々種族の長は、代々その家系が受け継ぎ守ってきたもの。先祖から何かしらの形で受け継がれていても、おかしくないですよね。特に重要な、闇の洞窟や、古文書の存在など」
「では、やはり意図的に……?」

 泉の発言に続き、獅凰が首をかしげる。

「三千年前に、闇に関する全ての情報を消したと? 可能だろうか、そんなことが。でもまあ、同じぐらい、この情報の少なさもおかしいとは思いますがね」

 そこにいる誰もが、何かがおかしいと感じつつも、その先へ続く答えを見つけることができなかった。誰の表情も暗く、見えない「何か」に流されているような、得体の知れない不気味さを感じていた。
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