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黒い炎と氷の刃 作者:雪華

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17話 霧のけむる朝

 ルージュ達が出発してから一夜明けた、朝もやのけむる宮殿の入口に、一台の馬車が停まっていた。その黒い箱馬車には二頭の馬がつながれ、御者(ぎょしゃ)はすでに馬車前部に座って待機している。大きな後輪と、それより一回り小さい前輪。紋の入った凝った装飾が施されたその馬車は、一目見て身分の高い者が乗るものだとわかる。
 クッションの効いたベロア素材の座席に、レンはアークと向かい合う形で座っていた。司令官が乗り込めばすぐに出発となるのだが、見送りの者達へ留守中の事をあれこれ指示しているようで、なかなかこちらに来ない。窓の外を眺めながら、レンはふわーっとあくびをする。

「姫は眠たそうだね。早起きは苦手かい?」

 アークの問いに、レンはこくりとうなずいた。

「こんなに早い時間に起きたのは、久しぶりです」

 本当の理由は、昨夜あまり眠れなかったから。とは、なんとなく言わずにいた。言えば「ルージュ君がいないからだろう」とからかわれるに違いない。そして、その指摘が図星なので困る。
 馬車の窓に頭をもたれながら、つい煌牙やルージュの事を考えてしまう。煌牙はあの後、どこに行ってしまったのだろう。ルージュはもう氷の里の領地に入っただろうか。それにしてもと、レンは小さくため息をついた。司令官との旅はやはり少し気が重い。そんな事を考えながら、目の前に座るアークに視線を移した。窓枠に肘をかけて外を見ていたようだが、レンの視線に気づくとニコッと笑う。

「ごめんね、旅のお供がオジサンとお爺さんで」

 レンは思考を読まれてしまったかと顔を赤くさせながら、まだオジサンと呼ぶには早いアークに向かって「ホントですよ」と、わざとスネたようにそっぽを向いた。

「でも、まぁ、アークさんがいて良かったです。司令官と二人で移動じゃ、息が詰まる」
「それは来た甲斐がありました」

 おどけたように、アークが肩をすくめてクスクスと笑った。

「待たせたの。早速出発じゃ」

 ふいにガチャリと馬車の扉が開くと御者に出発を促し、司令官が乗り込んだ。
 馬車がゆっくりと走りだす。宮殿と街とを結ぶ橋を渡り、南門を抜けると、馬車は中央都市からほど近い運河の船着き場を目指した。
 いつもなら通りから視線を下に移すと、階段のようにブドウの段々畑が広がっているのだが、今日は霧が濃くて遠くまで見渡せない。葉もすっかり落ちきった、白くかすむ冬のブドウ畑は、どこか物悲しい雰囲気が漂っていた。

「この霧で、船は出せますかね」
「もう少し日が昇れば、霧も晴れるじゃろ」

 早朝の静かな道を、黒い馬車が進んでいく。宮殿を出発した頃よりは、いくらか視界が良くなっていた。やがて馬車の速度がだんだん落ちると、ゆっくりと停止する。どうやら船着き場に到着したらしい。
 外に出ると、ひんやりと冷たい風が肌を刺した。霧のせいで湿気を多く含んだ空気は、髪に水滴が付くほどだった。

「あの船で行くの?」

 レンは船を見つけると、思わず桟橋へと駆け出した。その桟橋の先には、三本のマストを持つ帆船が停泊している。全長二十メートル程のその船は、帆船の中では小型な部類だが、河川でも航行でき、小回りが利くのでとても重宝されていた。帆には、騎士団の紋が大きく描かれている。

「ほら、姫様! 船に乗るよ」

 レンに追いついたアークが、船から伸びたタラップを上る。右手で自分の荷物を持ち、左手にはレンのトランクを抱えていた。

「アークさん、ごめん! 自分で持つよ」

 慌ててタラップを駆け上り、アークから荷物を受け取ろうと手を伸ばすが、アークは笑いながら首を横に振った。

「船室まで運んであげるよ」
「ううん、いいの。自分の事は、自分でしたいの」
「それで今回は雪乃さんと一緒じゃないのか」

 意外そうな顔でレンを振り返ったアークは、一人で納得した。

「雪乃は心配してたけどね。でも、いい機会だと思って」
「そうか。頼もしいね」

 そう言ってアークはトランクを手渡す。もともと一泊程度の荷物なので、たいした大きさでもない。それでも、レンはそのトランクの重さを感じながら、煌牙とルージュの事を想う。
 今までずっと、甘えていた。
 こんなに小さなトランクすら持つこともなく、「甘えている」という自覚もないままに。
 ずっと守られていたんだ。
 自分が何も考えずに歩いていた時、他の人達がどれ程気を配ってくれていた事か。
 例えばピアノの鍵盤を叩けば、音が鳴るように。種を植えれば、芽が出るように。
 それは凄く自然な事で、当たり前の事実で、ずっと変わらない事なのだと思っていた。でも本当は、ピアノは調律している人がいて、種には水をやる人がいる。
 自分が当たり前だと思っていた事実の影に、たくさんの支えや努力があった。
 レンは自分の愚かさに、めまいさえ感じていた。そして、いつも強気な煌牙が中庭で一瞬見せた、寂しそうな顔を思い出す。

『どこか遠い所で一緒に暮らそうか』

 闇を取り込んでしまった事を後悔していたのだろうか。
 それは「逃げたい」と言うことだったのだろうか。
 それとも、遠い所とは闇の世界の事なのだろうか。
 答えは煌牙にしかわからない。煌牙自身も、わからないかもしれない。だけど、レンは確信していた。煌牙はあの時、自分に助けを求めていたのだと。
 ――――なのに何もできなかった。

「姫、足元に気をつけ……えっ、なんで泣いてるの!」

 振り返ったアークが、レンの顔を見てぎょっとする。

「え?」

 泣いている? と、レンは自分の頬に触れると、涙で指先が濡れた。自分でも気付かないうちに、涙がこぼれていたらしい。

「ごめん! トランク持つのやっぱり嫌だったよね」

 おろおろと慌ててハンカチを差し出すアークに、レンも急いで涙をぬぐった。

「す、すみません。トランクは全然関係なくて……なんで泣いちゃったのかな」
「びっくりしたよ。一回りも年下の女の子を泣かせちゃったかと思って」

 すでにタラップを上り終えた司令官が、不思議そうに甲板からレン達を見おろした。

「どうかしたのか? このくらいの霧なら出航できるそうじゃ。早く上がってきなさい」
「今行きます!」

 返事をしたアークが、心配そうに振り返った。レンは自分の頬を叩いて気合いを入れると、「行きましょう!」と言って、タラップを力強く上っていく。

「じいさんがが教えてくれた人間界のことわざで『男子三日会わざれば刮目して見よ』なんてあったけど、女の子も負けてないなぁ」

 少々呆気にとられながらもアークは感心したようにつぶやくと、レンを追ってタラップを上った。


「視界は悪いですが、波は穏やかです。ユグドラシルの樹へは昼前には着きますよ」
 船長にそう説明されてから、約二時間が経過した。順調ならば、あと三時間ほどで到着する計算だ。レンは船室から甲板へと続く階段を上っていた。
「たまには宮殿の外の空気を、思い切り吸ってきてはいかがですか。景色を見るのも案外勉強になりますぞ」

 アークが席を外したまま戻らず、狭い船室で司令官と鼻を突き合わせているのも、なんとなく気まずかったので、司令官の提案に「これ幸い」と、外に出てきたという訳だ。
 まだ運河を航行中だが、空気にほんのりと潮の香りが混ざる。もう海が近いのかもしれない。しかし、せっかく景色を見ようと思って甲板に出てきたが、相変わらず霧がけむって視界が悪い。レンは船の手すりに頬づえをついた。

「やれやれ、折角の景色も霧で台無しですな」

 ふいに背後から声が聞こえ、レンは振り返る。あご髭に手をやりながら、レンの隣に並ぶと、司令官は遠くを見つめた。

「お風邪を召しますよ」

 魔法で寒さはどうにでもなるのだが、高齢の司令官をつい心配してしまう。

「年寄り扱いせんでくだされ」

 案の定、少し不機嫌そうに髭をなでると、視線を川面へと移した。

「わしがもっと若ければ、巫女姫の騎士に名乗りをあげたかもしれませんぞ」

 川面を見つめたまま、司令官が独り言のように小さな声でつぶやいた。
 唐突だったので驚いたレンは、何と返事をしたらいいのかわからず、言葉を探した。珍しく冗談を言ったのだろうか? 冗談にしては、声のトーンがまじめ過ぎて、笑うのも少しためらうほどだ。続く沈黙にはお構いなしで、司令官がレンに向き直る。

「姫様をしばらく、誰にも見つからない場所に匿おうと思っております」
「誰にも見つからない場所? なぜですか?」

 突然の提案に、レンは疑問をそのままぶつけた。

「闇にとって、あなた様は脅威です。身を守るためにですよ」
「でも、私が隠れていたのでは闇は封印できません」

 それに、煌牙から闇を払うチャンスもなくなってしまう。と、レンは内心焦った。

「もしかして身を隠すために、私をユグドラシルの樹へ同行させたのですか?」
「同行していただいたのはそのためですが、隠れる場所はユグドラシルの樹よりも、もっと安全で誰も知らない場所です。なにも心配はいりませんよ。全て終わるまで、わしが全力でお守りしますから」

 司令官がレンの肩に手を置き「大丈夫」というように深くうなずいた。

「ですが、やはり私が隠れるわけには……」

 レンが否定しようとした瞬間、船がガクンと大きく揺れた。

「きゃあっ!」
「むっ!」

 ぐらりと船が傾き、レンと司令官は甲板に転がる。

「何事だ! 見張りは何をしている!」
「申し訳ありません! 急に霧が濃くなり……」
「浅瀬に乗り上げたのか?」
「しかし、この運河に乗り上げるような浅瀬なんてあったか?」

 船員たちが慌ただしく動き出す。
 そんな行為をあざ笑うかのように、大きな波が船を叩きつけた。巨大な水しぶきが土砂降りの雨のように、甲板にいる者たちに降りかかる。
 穏やかだった運河で、なぜ大波が……
 ずぶ濡れになりながら、レンは何とかマストにつかまって立ちあがる。
 ふいに、歌声が聞こえたような気がした。
 船乗りや司令官も、ハッと顔を上げて周囲を見回している。どうやら歌声は気のせいではないらしい。かすかに聞こえていた声が少しずつハッキリしていく。
 男の声とも、女の声とも、子供とも大人とも区別のつかない、この世のものとは思えないほどの透き通る声に、儚いメロディー。
 船乗り達が、真っ青な顔をして震えだす。

「セイレーンだ……!」

 誰かが叫んだ。

「セイレーンって?」

 近くにいる船員を捕まえて、レンが問いただす。

「う、海の化け物で、この歌を聴いたら死ぬって言い伝えです! 本当に出るなんて……」

 震える手で耳を塞ぎ、甲板に体をこすり付けるように身を縮める者や、腰を抜かす者。歌声をかき消そうと大声をあげる者、船上はパニック状態だった。だが、歌声はどんどん大きく、近くなっていく。それに伴って、バタバタと船員達が倒れていった。レンが近くに倒れた船員の呼吸を確認すると、息はある。どうやら気を失っているだけで、命までは取られていないようだった。
――少しずつ、レンの意識もぼやけてくる。

「姫様!」

 司令官の声も遠くに聞こえ、めまいを起こしたように膝から崩れ落ち、甲板の上に倒れ込んでしまった。

「くっ……!」

 目を閉じてはいけないと、必死で意識を保とうとするが、セイレーンの歌声が頭の中で鳴り響く。ぼんやりした視界に、誰かが歩いてこちらに近づいてくるのが見えた。
 足元しか見えないが、(あか)い鯉の柄の着物……

「氷鯉……?」

 意識を失う前に見たのは、煌牙と一緒に逃げたはずの、氷鯉の姿だった。
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