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Heroine Life  作者: ころ太
4/22

明日はきっと

 

 

今日は日曜日なので、もちろん学校はお休み。

とくにやることがない私は昼食を食べたあと居間でのんびりとテレビを見ていた。

淡々と流れる旅番組は特別に面白いわけでもなく興味もないけれど、こうしてのんびりと安らぎのひとときを過ごせている。それだけで十分に幸せだった。

普段慌しくて落ち着けないからこそ、こういう穏やかな時間を至福と捉えてしまうのかもしれない。

外に出れば嫌でもトラブルに巻き込まれてしまうのだから、今日も大人しく家でごろごろしていようと思う。

しかし家にいたらいたで面倒を巻き起こす人物が約1名いるので、心から寛ぐことはできないのだが。


「千晴さん」

「ぎゃあああー!」


出たー!!


「そんなに驚かれると結構ショックなんですが」

「……まだ慣れてないからしょうがないんです」


柚葉が居候することになってからもう2週間は経つ。

けれど、この家に自分とばあちゃん以外の人間がいることにいまだ慣れていないせいか、今のように急に話しかけられてしまうと驚いてしまうのだ。

それに彼女は2階の自室で勉強していると思っていたので、すっかり油断していた。


不満そうな顔をしていた彼女はすぐにいつもの表情に戻り、私の傍に腰を下ろす。

私が不快にならないようギリギリの距離感を保ってくれているので、一応は気を使ってくれてるんだと思う。

あまり近くに寄られると『また何かやってしまうんじゃないか』という不安に襲われてしまうことを、彼女はこの2週間で理解したようだ。

気を使ってくれるんならいっそのこと寄ってこないでくれると嬉しいんだけど、どうしても傍にいたいらしい。


「もう勉強終わったの?」

「はい。宿題も予習も終わらせました」

「ふーん……あとで宿題見せて」

「ごめんなさい。美空さんから絶対見せないようにと言われてます」

「あんにゃろう」


まさかすでに先手を打たれていたとは。

柚葉なら何も言わずに見せてくれると踏んだのだが、勘の鋭い友人のおかげで断念せざるをえない。美空はよほど私に勉強させたいらしい。

正解を書き写すだけでも勉強になると思うんだけどなぁ……少なくとも全然やらないよりかは幾分良いと思う。

しかたない。面倒だけど提出しないと宿題の量が2倍に増えてしまうので、寝る前に適当にやるか。

答えが間違っていようが提出さえすればいいんだし。


「テレビ面白いですか?」

「いや、特に。暇つぶしに見てただけ」

「旅行番組ですか。今度3人でどこか旅行に行きたいですね」

「めんどくさいから嫌」

「ふふっ、そう言うと思ってました」

「………………」


考えてることを見透かされているようで面白くない。

私が顔をしかめると、彼女はくすくすと花の咲くような可愛い笑みを浮かべた。

何を言っても軽くあしらわれてしまいそうだったので、悔しいが大人しく口を噤む。


それからしばらく二人でテレビを見ていたけれど、徐々に柚葉の様子が変化してきた。

私の方をチラチラ見たり、なにやらもじもじと足を摺り合わせて落ち着かない様子。

こういう仕草をする時の彼女は大抵ろくでもないことを言い出す。


「ところで千晴さん。……あの、今、ふたりっきりで」

「あーっと!用事あったのすっかり忘れてたわー!」


嫌な予感がしたので彼女の言葉を遮るように慌てて立ち上がった。…私の第六感が今すぐこの場から立ち去ったほうがいいと告げている。

ここは自分の直感を信じて速やかに退避したほうがいいかもしれない。

本当は用事なんてないので、部屋に篭って宿題をやろうか……いや、それだと勉強教えますよとか言い出して狭い部屋に二人っきり状態で悪化する恐れが。

それにばあちゃんは老人会の集まりで商店街に出かけているから、今この家は私と柚葉の完全な二人っきり状態なのだ。

それならいっそのこと外に出かけて人の少ない道を散歩したほうが落ち着けるかもしれない。よし、そうしよう。


「そういうわけで出掛けてくるから、柚葉は留守番お願いね」

「わかりました」


やたら残念そうな顔をしているが、どこに行くのか追求されずに済んだのでほっとした。

彼女のことなので一緒について来そうだと思っていたのだが、あっさりと頷いてくれたのでちょっと拍子抜けだ。

しつこく付きまとったり、かと思えば妙にあっさりと身を引いたり、彼女の基準はよくわからない。

いつもベタベタされるよりはマシなんだけど。


「あ、千晴さん。今日の晩御飯は何が食べたいですか?」


居間を出ようしていた私の背に声がかかる。

食べたいもの…食べたいものね…。彼女が作る料理はどれも美味しいので何でも良いんだけど、しいて言うのならば。


「エビフライ」

「……あの、昨日もエビフライしましたよね?」

「うん。美味しかった」

「あ、ありがとうございますっ。いえ、それは嬉しいんですけど、結構頻繁にエビフライ作ってるような気が」

「そうだっけ?でも美味しいから何度食べても飽きないし、いいんじゃない?」

「油物ですし、同じものだと栄養が偏ります」

「む、それじゃあハンバーグ。デミグラスじゃなくてケチャップソースの」

「はい、わかりました…ふふ」

「? …なに?」


何故か笑われてしまったんだけど、何か変なこと言っただろうか?

自分の言ったことを思い返してみても、特に変なことは言ってないような気がする。


「ごめんなさい。つい、その………可愛いなぁって思っちゃいました」

「は?」


彼女が言った言葉が信じられなくて、間の抜けた声で聞き返してしまう。


「エビフライにハンバーグ、それにカレーやオムライスも好きですよね。

千晴さんが好きな食べ物って小さな子供が好きそうなモノばかりだったので、可愛いなって思ったんです」


幼子を見るような微笑ましい目で見られて、だんだん顔が熱くなってくる。


「……っいいでしょ、別に!私が何を好きだろうが自由だっての」

「はい、それはもちろんです」

「~~~~っ!!!ああもうっ、出かけてくるっ!」

「気をつけて行ってきて下さいね」


子ども扱いされているのが気に入らないのと、何ともいえない恥ずかしさで頭に血が上ってしまう。

これ以上彼女にいいように翻弄されては堪らないので、急いで家を出た。



いつも利用している学校へ向かう道ではなく、その反対側の山に向かう道を歩く。

登山しに行くわけじゃないが、こっちの道は人が少ないし静かなので散歩にはうってつけなのだ。

少し距離はあるが麓までゆっくり歩いて、そこで折り返して帰ろうと思っている。


(平和だなぁ)


周りには誰もおらず、聞こえるのは自然が奏でる音だけ。

片側には広大な田んぼ、もう片側には林があり、草や木が沢山生えている。

綺麗な花が咲いていれば足を止め、気が済むまで眺めた。

何も考えず、何も気にせず、ただただ目に映る景色を楽しみながらゆっくりと前へ進む。

緑に囲まれた道をこうして歩いているだけで、私の荒んだ心は癒されていくのだ。

……散歩とは、とてもいいものだと思う。今度から休みの日は散歩に出かけることにしようかな。


(そういや明日はクラスマッチだったっけ)


行事そのものが面倒なのに、それに加えて一番キツイ中距離走に出なきゃいけないとか拷問だ。

私が最下位になってクラスの順位落としてもそれは私のせいではなくて、私をこの種目に任命した奴の責任だと思う。

運動出来ないってみんな知ってるだろうし明らかに人選ミス…というよりほぼ嫌がらせだった。


(サボっちゃおうかな)


そう考えて、すぐにその考えを打ち消す。

逃げ出すのだけは、絶対に嫌だ。私にだってちっぽけなプライドぐらいあるのだ。

最下位だろうが転んでしまおうが、どんなに遅くなっても必ず完走してやる。



(……あれ?)


明日のことを考えていると、道の向こうから誰かが走ってくるのが見えた。

この道を通るのは車か近所に住んでる顔見知りのお年寄りだけなので、知らない人が通るのは珍しい。

足を止めてその姿を見ていると、その人物は段々とこっちに向かってきている。

どこかで見たようなジャージを着ているようだけど……ああそうだ、うちの学校の陸上部が着てたやつかもしれない。

ということはこんな所までランニングしに来てるんだろうか。学校からここまでかなりの距離があるはずなんだけど。

ふーむ、休みだというのに大変だなぁ陸上部の人。


相手の顔が分かるほど近づいてきたので、とりあえず私は顔を見られないように背中を向けて屈み、近くに咲いていた花を眺めているフリをすることにした。

その数秒後に、すぐ後ろで足音が聞こえる。早く走り去ってくれることを願いながらそのまま花を見つめていたのだが、何故か足音が止んだ。


「……こんなところで何やってるの天吹さん」

「今日もいい天気だよなぁ……ねえ、シラタマホシクサ」

「無視しないでよ」


まさか話しかけられるとは思ってなかったので、つい動揺して目の前に咲いている花に話し掛けてしまった。

後ろに立っているジャージの人の声はちょっと引いているようだ。

これ以上無視をするわけにもいかないので、しかたなく立ち上がって振り返れば、見知った顔が視界に入る。

そう、目の前にいるのはうちのクラスの体育委員だった。

こんなところで偶然クラスメイトに会ってしまうなんて、不運以外のなんでもない。


「天吹さんってこの近くに住んでるの?」

「まあ……」

「ふぅん。ここから学校に通うのも大変そうね」

「体育委員も、ここまでランニングなんて大変だね」

「別に私は好きで走ってるから。陸上部は今日休みだし、自主トレしてるのよ」


あ、自主トレなんですか、それはご苦労様です。

でも体育委員って陸上部だったんだ、知らなかった。そういえば名前も知らないし。

ぶっちゃけどうでもいいんだけど。


「そうなんだ、頑張ってね。それじゃ私はこれで……」

「あっ、ちょっと待ちなさいよ」

「はあ?」


なんだなんだ、今日はやけに絡んでくるなこの人。

いつもは変態だとか破廉恥とか言って避ける奴のひとりだというのに。

こうしてお互いのことを話すなんて、今日が初めてじゃないだろうか。


「天吹さん、今暇なんでしょ?」

「忙しいです」

「どこからどう見ても暇そうにしてたじゃない!」

「散歩してるので忙しいです」

「若者のくせに休みの昼間っからぼけーっと散歩してんじゃないわよ!」

「部屋でゴロゴロしないでこうして散歩してるだけ健康的じゃん」

「ああもうっ!!何なのよアンタ」


いきなりキレるアンタが何なのよ、だよ……。

せっかく気持ちよく散歩していたのに、どうしてこう面倒が向こうから走ってくるのやら。


「天吹、暇なんでしょう?暇なのよね?暇なら一緒に走るわよっ!!」

「どうしてそうなるのっ!?」


いきなり手首をつかまれて引っ張られた。

あとさりげなく呼び捨てになってるし。


ええい、このままだと強制的に地獄のランニングに付き合わされてしまう!


「明日はクラスマッチでしょ?だから、その練習よ」

「今から練習しても無駄だって!今日走りこんで疲れを溜めるより、明日に備えて休んだほうがいいって!」

「まあ、それも一理あるけど」


納得してくれそうだったので、ほっと息を吐く。

しかし手は離してくれない。


「じゃあ疲れが溜まらない程度に走ればいいわね」

「なんだそれ!?」

「大体クラスマッチの練習のとき、アンタすぐ休んで全然走ってなかったじゃない。いつの間にかどこかにいってるし」

「………私はどこかの誰かさんと違ってか弱いんです」

「だから走って体力つけろって言ってるの。努力しないからひ弱なままなのよ」

「いいよ別にひ弱で……ってうわあああっ!?」


いきなり走り出した彼女に引っ張られるかたちで、無理やり走らされてしまう。

握られた手を振り払おうとしても硬く掴まれているのか振り解くことができなかった。


………


結局。

私が豪快にすっ転ぶまでの10分の間、そのまま彼女のペースでずっと一緒に走ることになったのだった。



「本当に体力ないのね……少し走っただけで歩けなくなるほど疲れるなんて」

「うるさいなぁ」


無理やり走らされたせいで私の身体は限界に達してしまい、動けなくなってしまった。

ちょうど座れる大きさの石があったので、体力が回復するまでここで休むことにする。

体育委員は、疲れてぐったりしている私を上から見下ろすように見ていた。


「普段だらだらしてるから、こんなことになるのよ」

「強引に引っ張って走らせたのは誰でしたっけねぇ!?」


こうなることが分かっていたから、走りたくなかったのに。

私が深い溜め息を吐くと、体育委員の目がどんどん鋭くなっていく。


「……私、アンタのこと嫌い」

「は? 何をいまさら」

「違う。私は別にみんなが避けてるような理由でアンタのことを嫌いなんじゃない。私が天吹のことを嫌いなのは、アンタが頑張らないからよ」

「……………………」

「運動が苦手だったら、どうして改善しようといないの?みんなに酷いこと言われて、どうして言い返そうとしないの?

どうにかしようって思えば、努力しだいでどうにでもなることじゃない」


捲くし立てるように言いたい事を吐き出して、息が続かなかったのか一息つく。


「いつだってやる気がない、努力をしない、すぐに諦める。いつもいつも、そうじゃない。だから、アンタのこと嫌い。だいっ嫌い」


私から目を逸らすことなく、彼女は真面目な顔をして言い放つ。

嫌いだと言われたけれど、何故かその言葉は私の心を暗くすることはなく、むしろ清々しい気分にさせてくれた。


「努力をすれば、きっと報われる。私は…そう信じてるの」

「……でもさ。どんなに努力しても、どんなに頑張っても、どうにもならないことだってあるんだよ」


ちょっと走ったくらいでどうにかなるほど、私の体力のなさは半端なものじゃない。

どんなに“わざとじゃない”と声を張り上げても、信じてくれる人なんてごく僅かしかいない。

一生懸命に頑張っても、願いが届かないことのほうが多い。



「結果が出なかったとしても、頑張った過程は、決して無駄なんかじゃないもの。いつか積み重なった『過程』が、きっと結果になる」



それは私に言い聞かせるというよりも、まるで自分に言っているような気がした。


「つまらない言い訳だけど、私には陸上の才能なんてないのよ。どんなに頑張って練習しても、たまに、ほんの少しタイムが伸びるだけ。

才能を持ってる人は、走るたびにタイムを伸ばしてレギュラーになってるのに。悔しいけど、投げ出したくなるけど、

それでも私は走って、努力してるわ。最後まで、レギュラーになれるまで、諦めたりしない。私はいつだって本気だから」


「……………………」


本気、か。なんというか、自分には縁遠いものだなぁと思ってしまう。

私には努力とか根性とかそういう熱いものは、似合わない。

でも……私だって、努力した人はその分だけ報われるべきだと、そう思っている。じゃないと不公平だ。


「私は今の自分を変える気はないよ。面倒だし」


目の前の彼女に嫌われようが、みんなに馬鹿にされようが、私は努力をするつもりはない。


「アンタね…」

「けど、努力そのものを否定しない。無駄だとは思わない。だから体育委員は……いつかきっと報われるよ」

「え……」

「応援してるから」


足に力を入れて、立ち上がってみる。うん、もう歩けるくらいには回復したようだ。

あまり遅くなると過保護な同居人がうるさいから、暗くなる前には帰りたい。

足の調子を整えて体育委員のほうを見ると、何故か目を見開いて間抜け顔を晒していた。

不思議に思って首を傾げると、彼女はハッと正気に戻りすぐに私を睨む。


「やっぱり天吹なんてだいっ嫌い」

「はあ、どうぞご勝手に」

「明日、最下位になったら絶対許さないから」

「それは無理」


さっき私の体力のなさを目に焼き付けただろうに、まだ言うか。


「最下位になってもいいけど、最初から最下位にしかなれないって考えるその思考が許せないのよ」

「だってわかりきってることだし」

「だーかーらー!最初から諦めるなって言ってるのよ!」

「ああもう、わかったってば……あれ?」


鼻先にポタリと水滴が落ちてきた。

不思議に思って空を見上げると、晴天だった空はいつの間にか薄暗い雲が一面を覆っていて、今にも雨が降りそうな天気になっているではないか。

ポツポツと冷たい滴が顔に落ちてきて、どんどんその量は増えてくる。

このままだと雨が本降りになりそうなので早く帰ったほうがいいかもしれない。

けど私は走って帰る体力なんて残ってないし、家までまだまだ距離がある。


「体育委員、走って先に帰ったほうが良いよ。もうすぐ雨、酷くなりそうだし」

「アンタはどうするのよ」

「のんびり帰るよ。走る体力なんて残ってないから」

「じゃあ私も歩いてかえる。天吹を一人だけ残して先に帰るなんて後味悪いもの」

「いいから気にしないで帰れってば」

「うるさい」


私の隣に並んで、同じ速度で歩く彼女。

何を言っても私の言うことを聞いてはくれないようだ。

もしかしたら、無理やり走らせたことを悪いと思っていたのかもしれない。


しばらくすると雨は勢いを増し、容赦なく私たちの身体全体を濡らしたので、あっという間に全身びしょ濡れになってしまった。

服が肌にくっつくて気持ち悪いし、冷たくて悪寒がする。早く帰って温まらないと風邪を引きそうだ。


「くしゅっ」


隣から可愛いクシャミが聞こえてきた。いくら健康そうな彼女といえど、流石にこの雨では風邪をひくかもしれない。

そういえば彼女の家はどこなんだろう…ここからだと私の家より遠いのは間違いないだろうが。

……彼女が明日休んでしまうと中距離走は私だけになってしまう。そうなると順位が大きく下がってしまう可能性が大なわけで、それは困る。

だから、しかたがない。凄く面倒なことになると分かっているけど、見過ごすことも出来ない。


「体育委員、このままだと風邪引くからうちに寄って帰りなよ」

「へっ!?」

「着替えと、傘貸すし」

「う、うん」

「……………」


ええと。なんでそこで怪訝な顔をして、さらに顔を赤らめるんですかね。

クラスのみんなと嫌ってる理由は違う!とか言ってたけど、やっぱり私のこと変態か何かだと認識してて、家に上がりこんだら食われると思ってるんじゃなかろーか。

確かにある意味間違っていないんだけど、そこまでは面倒見きれません。私はどうすることも出来ないので、自分の身は自分で守ってください。


なるべく早く家に着くように、鈍い足を一生懸命に動かして先を急いだ。

それでもいつもより歩く速度は遅いんだけど、隣を歩く彼女はそのことに文句のひとつも言わない。

ただ口を閉ざし前を見て、私と歩幅をあわせるように黙々と歩いている。早く歩け、とか口煩く言われると思って身構えていたのに。


気まずい沈黙の中歩いていると、ようやく自宅が見えてきた。

玄関の戸をあければ、すぐさま慌てた様子の柚葉がタオルを持ってやってくる。


「千晴さんっ」

「ただい…ぅわっ」


いきなり真っ白いタオルが視界を覆ったかと思えば、すぐさま凄い勢いでわしわしと水分を拭ってくれる。

拭いてくれるのはいいけど、息が苦しいのでもう少し優しくして欲しい。ていうか自分で拭いたほうが良さそうだ。

どうにかタオルを奪って彼女の方を見ると、その視線は私の後ろにいる体育委員の方に向いていた。


「……平さん?」

「大須賀さん…?どうして天吹の家に」


あ、そうか。柚葉と一緒に暮らしてることを知ってるのはクラスの中で美空と上原さんだけだったっけ。

疲れて色々考えるのが面倒だったので、そのことをすっかり忘れていた。


「ちょっと待っててください。平さんの分のタオル取ってきますから」

「あ、ありがとう」


柚葉は彼女の感謝の言葉に笑みで返して、タオルを取りに奥の部屋へ向かった。

私は濡れた身体を拭いていたけれど、背中に痛いほどの視線を感じたので、不穏な空気を感じながらも振り返ってみる。


「……なんでアンタの家に大須賀さんがいるの?どういう関係?」

「ただの親戚で同居してるだけです」


今、絶対私と柚葉の関係を疑ってたよね、彼女。だって蔑むような目でこっち見てるし。

しかし私の言ったことを信じてくれたのか、段々と普通の顔に戻っていった。


「そうだったんだ。だから天吹と大須賀さんって仲良かったのね」

「いや、仲が良い訳じゃ……」

「転校初日からベッタリだったから、みんな大須賀さんのこと天吹の毒牙にかかった可哀想な子って噂してたけど」


ぎゃー!何だその不吉な噂!でもあながち間違いってわけでもないのが恐ろしい!

でも私たちが同居してるってバレたらもっと凄い噂を流されそうだなぁ。なんか容易に想像できてしまう。


恐ろしい想像をして身震いしていると、柚葉が新しいタオルを持って戻ってきた。


「平さん、タオルどうぞ。身体が冷えますから二人とも早くあがってください」

「ん」

「お、お邪魔します」


ぐっしょりと濡れた靴と靴下を脱いでから、いつの間にか用意された雑巾で足を拭く。

水滴を落とさないように気をつけながら居間に向かうと、テーブルにケトルとお茶の葉と湯呑みが準備してあった。

きっと濡れて帰ってくる私の為に、前もって用意しておいてくれたやつなんだろう。

……あれ、うちにケトルなんてあったっけ? どうでもいいけど。


「濡れたままだと風邪を引きますから、お風呂に入ってください」

「……体育委員、先に入っていいよ。私は自分の部屋で着替えてくるから」

「私は後でいいわよ。天吹が先に入って」

「いいから先に入れってば。あ、それとも一緒に入る?うちの風呂って結構広いし二人で入れないこともな――」

「お断りよ!!」


怒りで顔を赤くした体育委員は、案内役の柚葉を引き連れて風呂場へ向かっていった。

ふむ、なんとなく彼女の扱い方が分かった気がする。


「……寒い」


このままでいると風邪を引くので、ひとまず自分の部屋で着替えてくることにした。



「あ、千晴さん」


着替えて居間に戻ると、ちょうど柚葉がお茶を入れているところだった。

いつもの定位置に座れば、慣れた手つきで入れたてのお茶を差し出してくれる。

両手で湯呑みを包むと手先から熱が全身に伝わり、ほんのりと身体が暖かくなった。


「あったまるー」

「それは良かったです。……でも、なるべく早くお風呂に入って休んで下さいね」

「はいはい。でも、風邪引いたら明日クラスマッチ休めてラッキーかもね」


それは、冗談交じりに言ったはずだった。なんてことはない、いつもの雑談のつもりで。

けれど彼女はいつものような微笑みではなく真剣な表情をしていたものだから、それ以上軽い言葉を紡げなかった。


「お願いですから、無理はしないで下さい」

「なん……」

「顔色、悪いですよ。本当は動くのも辛いんでしょう?」


私は今、そんなに酷い顔色をしているんだろうか?

おかしいな。私はいつも通りだったはずなのに、どうして彼女は些細な変化に気づいてしまうんだろう。


「心配しすぎ。だいたい無理なんてしないってば。柚葉も知ってるでしょ?私が面倒なことが嫌いだって」

「はい、知ってますよ」


いつの間にか柚葉は正面から隣に移動していて、私のことを傍で見つめている。

せっかく気を使わせないように普段どおりを装っていたのに、そんな私の努力をあっさり水に流してくれた彼女。

もう、なんていうか――


「ほんと、面倒……」


疲れているせいか、考えるのも取り繕うのも、喋ることさえ億劫になってきた。

だから柚葉が手を額に当てていても、払い除けるなんてことはしない。黙ってされるがままの状態だった。


「熱はないみたいですね。一応、風邪薬飲んでおきますか?」

「大丈夫だってば」


ちょっと気だるいけれど身体はちゃんと動いてくれる。

少し寒気を感じたので、温もりを求めるように暖かいお茶を啜った。

柚葉はまだ心配なのか曇った顔をしていたけれど、私がお茶のおかわりを頼むと諦めたように微笑んだ。



「お風呂ありがとう」


しばらく経つと、柚葉の私服を着た体育委員が居間に戻ってきた。


「お湯加減は大丈夫でしたか?」

「うん、ちょうど良かった。ごめんね大須賀さん、面倒かけちゃって」

「気にしないでください。濡れた服は洗濯して乾燥させますから、少し待っていてくださいね」

「色々ありがと、大須賀さん」


私のことは無視ですか。べつにいいけど。

ぼんやり二人を眺めていると、彼女はようやく私がいることに気付いたのか視線をこちらに向ける。


「いたの天吹」

「いたよ体育委員」


柚葉と話していた時とは態度を変え、不機嫌そうなジト目でこっちを見ている。


「ずっと気になってたんだけど、どうして私のこと名前で呼ばないのよ」

「知らないから」

「ちょっと待って。今、2学期よね…?2年になってからもう半年は経ってるわよね?あれ、でも私と天吹って1年の時も同じクラス……」

「え、そうなの?」

「なによっ!その今初めて知りましたー的な顔は!!数日前に転校して来た大須賀さんでさえ覚えてるっていうのに!!」

「あららごめん。だって仲良いわけじゃないし、話す機会もないからクラスメイトの名前なんて殆ど覚えてないんだよね。

ま、別にいいじゃん。体育委員は私のこと嫌いなんだからどう呼ばれてもべつにいいでしょ?」


今は成り行きで話しているが、クラスマッチが終われば前のように話す機会もなくなるだろう。

体育委員が私をどう呼ぼうが、私が体育委員のことをどう呼ぼうが、関わりがなくなってしまえば意味のないことだ。


「なんか腹立つから名前で呼んで」

「えー……」

「本当は嫌だけど、自己紹介してあげるわ。私の名前は『平 裕子』。二度と忘れないでよね」

「…平。ああなるほど、胸が平さんね。覚えやす――」

「なんだとこらぁあああああ!!!!」


彼女は絶壁と言うほどじゃないけど、控えめで薄い胸元を腕で隠しながら吼えた。


……どうやら胸のサイズを気にしていたらしい。

今にも襲い掛かって来そうになった体育委員――改め平さんを、柚葉が必死で抑えていた。


「平さんっ!?お、落ち着いてくださいっ」

「嫌い!やっぱり絶対アンタなんて大っ嫌い!!」

「望むところだっての」


柚葉をはさんで睨み合う。

彼女は私のことを心底嫌っているようだけど、べつに私は彼女のことを嫌いなわけじゃない。

だからといって好きと言うわけでもないんだけど。


「と、とりあえず千晴さん、早くお風呂に入ってください」

「はーい。……あ、そうだ」

「?」

「平さん、覗かないでよね」

「誰が覗くかこのド変態!!さっさと入れっ!!」

「おお怖い怖い」


柚葉からお風呂セットを受け取って、逃げるように風呂場へ行こうと背を向ける。


「天吹!」

「……なに」


呼ばれたので振り返ると、彼女は変わらず眉を吊り上げたまま不機嫌そうな顔で私を見ていた。

まだ私に言い足りないことでもあるのだろうか。


「“さん”はつけなくていいから。さん付けだと逆に気持ち悪いし、呼び捨てでいいわよ」

「わかった、平さん」

「うわぁあああこいつ殴りたいぃいいいい!」


げ、発狂してしまった。

怒り狂った彼女から危険なオーラを感じたので、早くこの場から逃げてしまおう……っと、その前に。


「柚葉、悪いけど夕飯一人前ほど追加してくれない?」

「大丈夫ですよ、そのつもりでしたから。平さんにも伝えてあります」


……まあ、手際のいい彼女ならそうするだろうとは思ってたけど。

柄にもなく余計なことを言ってしまったかな。

妙に居心地が悪くて照れ隠しに頭を掻くと、柚葉がクスクスとおかしそうに笑っていた。

理由はわからないけど、随分と機嫌が良さそうに見える。


「どしたの?」

「何でもありません」

「……まあいいや。お風呂行ってきます」

「はい。あ、せっかくなので一緒に入りませんか?」

「お断りします」



――それからお風呂に入って、夕飯を食べて、家に帰る平を見送った。


走ったり雨に濡れたりで酷く疲れたし、珍しい客がいて騒がしかったので休日なのに全く休んだ気がしない。

宿題をやる気力もなく、自分の部屋に戻ってすぐ布団の中に身を投げた。

明日は、クラスマッチがある。やる気なんて沸いてこないけど、真面目に走らないと平がウルサイだろうな。

一生懸命走ったら走ったで、柚葉が心配しそうだけど。


走るのはしんどいが、無難に終わってくれればそれでいい。

何も起こらず無事に終わりますようにと、ささやかな願いを抱きながら、私は深い眠りへと落ちていった。



 

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