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彼方ニ対スル不感症
第五話
「貴女に会うためには、条件があって、金も必要ですが、それ以上に”傷”が必要なんですよ」

 当たり前だ。
 私は”癒しの神子”としてこの世界で重用されているだけだ。傷がない人間は私になんて興味を持たない。
 持つ必要がない。
 こんな詰まらない人間。

 癒す力さえなければ不要だ。

「俺は貴女が好きで、それだけで満たされてしまうから心の傷は作れない。どんなに心に傷を負っても、貴女の顔を見てしまえば勝手に癒えてしまう。だから生傷を増やすしかなかった……貴女に会いたかった」

 何をいってるんだ、この人は。一体何を。
 そんないい方をしたら、まるで……まるで、自分で傷をつけて……。

「時折深すぎる傷は貴女を苦しめて、悪かったと、そう、思っています。刀傷なんて本来女性に見せるようなものじゃない」

 私は信じない。
 もし、もし、今この人がいっていることが本当でも、そんなもの長くは続かない。

「ああ、でも、いつも表情も態度も崩さない貴女が、そのときだけは苦悶の色を浮かべるので、俺は少し嬉しかった……俺のことで貴女の心が揺れていると思ったら、心は満たされた……なんていったら哂いますか?」
「そんな、こと」

 分からない。
 それは哂うところなのだろうか? だって、彼はいつも舐めたら治るような軽い傷ではなくて下手をしたら、一生物の傷になってしまうようなものばかり抱えていて……。

「癒しの神子の評判を聞いて、一度見てみたいという好奇心に駆られて足を運んだのが最後、俺は貴女から離れられなくなった……傷さえあれば、貴女の瞳に俺を映し、俺だけのために発してくれる声を聞き、俺だけのために時間を取ってくれる。一分一秒も無駄にしたくありませんでした」

 真摯に私だけを見詰めてくる瞳は、夕焼けにキラキラと輝いていてとても綺麗だ。
 けれど、その瞳に映る私は、本当の私の姿ではないし、私に向けてくれるその気持ちだって、今は、たまにしか会わなくて、そのときしか触れることが叶わないからそんな風に恋に似た感覚を抱いているだけだ。
 どうせ今はそんな風に熱情を見せてくれていたとしても直ぐに冷めてしまう。

 そして、それはまた、私を独りにする。
 私はもう、独りにはなりたくない。
 独りは嫌だ。

 現実でも、夢の中でも……そんなの、そんなの哀しすぎる。
 嫌だ、信じたくない。

 こんな中身のない私を好きになる人なんて居ない。好きになっても直ぐに飽きられてしまう。

 わかってる。
 わかってるのに! 
 どうして……どうして……今、私は一瞬嬉しいと思ってしまったんだろう。

 愛情表現なんて毎夜毎夜様々な形で寄せられるのに……心なんて動かなかったのに……この人は危険だ。この人は恐い。私の心を惹き付ける。

「……姫……」

 何もいえない私の頬に彼の手が掛かる。私はずっと彼を見ていたはずなのに目の前の彼の姿をハッキリと捉えることが出来ない。ゆらりと揺らいで輪郭がぼやける。ぱちりと瞬きをするとはらはらはらっと頬の上を雫が伝う。

 どうしよう、止まらない。
 はらはらはらはら、意味の分からない涙が溢れる。
 嬉しいの? 違うよね。
 じゃあ、悲しいの? 分からないよ……。
 ただ、ただ、苦しい。苦しくて苦しくて、胸が痛い。どうして痛いのか分からない、分かるのが、恐いよ……。

「すみません……えっと、その、泣かないで。姫を恋い慕うものは沢山居るのに、姫に迷惑を掛けるつもりは、あ、あぁ、いえ、全くなかったといえば嘘ですが……けれど、泣かせるつもりはなかった。本当に、ごめん、そんなつもりでは」

 不安げにそっと彼の指が頬に触れる。
 反射的に身体をびくりとこわばらせてしまった。

 その動きに彼は刹那指を引っ込めようとしたけれど「泣かないで、ください……」ともう一度頬に触れた。

 私は泣くときはいつも独りだ。
 いつも独りで泣いて独りで身体を小さく抱え込む。弱りきった心も一緒に独りで抱えて……。
 誰も、泣いている私に触れたりしない。

 本当は触れて欲しい。泣き止むまで抱き締めて欲しいし、大丈夫だと嘘でも良いから慰めて欲しかった。それなのに、リアルで、あの人はそうしてくれない。泣き虫な私に呆れて「何で泣いているのか分からない」冷たくそう告げるだけ。
 私も分からないのに、ただ、ただ、虚しくて余計に涙が溢れた。

「驚かせてしまいました、よね? でも、真実なんです。貴女が表情を崩すたび、俺に新しい顔を見せるたび、俺はどうしようもなく貴女が愛しくなる。泣いても良いですから、俺を傍に置いてください……貴女の心に寄り添わせて……」

 頬に触れていた指先が気遣わしげに目元を拭い、頬を包む。開いていた手が、少しだけ戸惑って、でも、決意したように、つっと顎に掛かった。
 そして、そのまま軽く上を向けられて唇が重なる。

「―― ……ん、……ぅん」

 驚きに見開いた瞳を落としかけて私は反射的に彼の胸を、どんっ! と押し突き放した。

「ご、ごめんなさいっ!!」

 そのまま私は逃げ出した。
 入り組んだ街ではないから直ぐに入ってきた門を発見出来た。そして…… ――


 ***


「っ! はぁ、はぁ、はぁ……」

 私は飛び起きた。

「う、うぅっ」

 まだ心臓はどきどきと高鳴っていた。
 もう何もぶら下がっていない胸元を握り締めて私は咽び泣く。突っぱねた腕が震える。

 彼を傷つけた。
 物凄くショックを受けた顔をしていた。
 自分が傷つくのが恐いばかりに彼を傷つけた。

 最低だ。
 私は最低……あんなに笑顔が似合う人だったのに。夢の世界で始めて”私”を見てくれた人だったのに……。何度も何度も心の中で謝罪した。

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめん、な、さい。
 何度も何度も繰り返したけど、当然のように答えはない。

「おい、どうかしたのか?」

 夢なのに、一瞬彼かと思った。
 けれど、やはり現実で、ほんの少しだけ開いた襖の隙間から主人が顔を覗かせていた。私は咄嗟に後ろめたい気持ちになってしどろもどろで答える。

「え……ぁ、その、ご、ごめんなさい。恐い夢を見て」
「うるさいからさっさと寝ろよ」
「……は、はい。ごめんな、さい」

 最後まで聞くことなく、かつんっと襖は閉められた。
 これが、私の現実。そして、今度はこの現実を思って涙が止まらなくなった。
 ほら、ね。
 これが、現実。誰も私に触れてはくれない……夫でさえも触れないのに、他に誰が私なんかを愛してくれるというんだろう。
 だから、私はいつものように、震える身体を自分で抱き締めた。強く強く。何度も平気だと慣れっこだから、辛くないと重ねて。

 ―― ……泣いても良いですから、俺を傍に置いてください……

 夢が、現実なら良かったのに。



 ―― ……PPP……PPP……

「……ん」

 ぱちんっと自分の傍に置いておいた目覚ましを止める。
 あれから私は纏めて睡眠を取らなくなった。五分とか十分とかの短い睡眠を時折取る程度。必ず目覚ましは掛けるようにした。

 このくらいなら、私は夢を見ない。

 また、あの夢の世界に落ちるのが恐い。傷付いた彼の顔を見るのが恐い。例え長くは続かないものであったとしても、あのとき彼は真剣だった。
 今思い返せば、確かに彼の傷は自分でつけられるところばかりだった。背中はとても綺麗で「背に刀傷を受けるのは恥だから死んだほうが良い」と笑っていたのを思い出した。

 自傷行為はとても辛かっただろう。
 いつだって私のところへ来たときの傷は浅いものではなかった。でも、躊躇い傷一つなかった。彼の真摯な思いをそのままあらわしているようだ。

 ―― ……心に傷を負っても、貴女の顔を見れば勝手に癒えてしまう……

 はにかむようにそういってくれた。
 そんな彼に、私は何も出来なくて、それどころか傷つけて……いつでも、彼は優しかった。他の人みたいに建前だけの褒め言葉を並べるような人ではなくて、何の飾りもなく、ただ好きだと伝えてくれたのは彼だけだった。

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